『祖谷物語―おくのひと―』は10/24(土)より監督最新作『黒の牛』と2本立てで上映!英語字幕付き35mmというレア上映ですので、どうぞこの機会をお見逃しなく👀 https://t.co/6t6Njyds3F
— 早稲田松竹 (@wasedashochiku) October 15, 2026
令和の世に於いて、妥協なき製作から異能である。
映画産業のビジネスロジックに真っ向抗う。
理想の映像を追求し、
手間暇ばかり掛かる割に、商業的大成功は最初から期待せず。
この姿勢で、変わることなく今後も続けて欲しい。
直前の水曜の鑑賞では、
若き才能が、商業メジャー資本に妥協する典型に出くわす。
映画祭という登竜門で、タランティーノに成れなかったか
なにより、意欲的な前半が褒められさえしない。
それが残念。
今度は真逆だろうと、
なおさら楽しみに待っていた。
予習は、
監督の生い立ちを確認。
徳島池田の蔦監督は、孫だと知り驚く。
しかし、ドキュメンタリ志向ではなく、
映像作家として、撮りたい画を撮るタイプかと想像。
東京工芸大学映像学科で矢島仁准教授に映像技術を学ぶ。
映画の基礎となるフィルムの仕組み、
撮影、編集、現像、プリント焼き、ネガ編集といった工程を学んだ。
すべてを手作業で行う、原始的な映画製作の現場に、
身体ごとのめり込んでいった。
やがて講義だけでは物足りなくなり、
矢島准教授との「課外講義」も始まったという。
国内インディで発表した「祖谷物語」が注目され、
映像産業振興機構(VIPO)の支援を受け、
アメリカから脚本のロジックも学び、次作「黒い牛」へ結実。
これなら、
独学の脆弱さから、資本の要請に負けることは無いだろう。
初日の土曜から小雨パラつく高田馬場へ。
《 開演 》
四国や台湾の風景をバックに、
こだわりの映像を数々、スクリーンで堪能出来。
製作姿勢に最大級の敬意を表します。
ですが、
インフラ不十分な田舎の暮らしや、
民間伝承の文化芸能など、
興味が無いのは伝わります。
2作とも、山間部の風景を撮る。ルックは美しいが、
リアルを描くのは、からっきし。
長時間鑑賞後、空腹を一時ラーメンで満たす。
すっかり暗くなった。天気はグズついたまま。
主な不満が、以下。
1.不満点
1.1.余計な要素多すぎ 「黒い牛」でもまだ
1.2.定点観測 ドキュメンタリ手法の採用は
1.3.抽象度高い表現を学んで リアルは捨てるのだから
ちょっと惜しい。
撮りたい映像の為だけに、これだけ手間暇掛けるのだから、
雑味を感じてしまうのは、勿体なさ過ぎる。
確か、徳島池田は辺鄙じゃないよね。
駅前アーケードも広がる地方都市は、あそこまで不便ではない。
農家の生まれでもないな。
地方であっても、山奥育ちとは言えない。
農業も林業も畜産も、
さほど興味無いし、経験も無い。
あくまで画が欲しいだけ。
だから、
社会問題の要素入れると余計に稚拙で、醒めてしまう。
自然でも、社会問題でも、
ドキュメンタリに向かう人材ではなく、
映像の才能の人。
なおさら、
逆効果な要素ブッ込んで、得意に集中しないのは気になった。
1.1.余計な要素多すぎ 「黒い牛」でもまだ
手数の足し方に脈絡が無い。
思いついたら、
テーマを忘れて、すぐ足してしまうのは、監督の悪癖だろう。
「祖谷物語」の東京パートは言うに及ばず、
水質汚染に理解が無い。真面目に調べていない。
「黒い牛」でも、冒頭から中途半端なことする。
設定は余計。劇全般に要らない。
そこは、”十牛図とは”の説明が導入であるべき。
2作品とも、
設定足して、芝居してるパートは、
作り手の浅い嘘がバレる。
自主制作に近い長編デビューは、
幾つかのアイディアのごった煮でも、まあ仕方無い。
プロットを整理する技量にまだ乏しく、詰め込みがち。
学生さんが、
農業や山間部の冬の厳しさを舐めるのは、まだ微笑ましい。
しかし次は、脚本も学んだあと。
手間暇掛けて、妥協しない制作なのだから、
より一層、テーマに集中したい。
散漫過ぎる。勿体無いリソースの使い方。
ファンタジーな設定は余計。
作劇が思想に沿っていない。富栄養化した設定。
禅の境地を映像で魅せてよ。
本来、
男一人、牛一頭で風景の中、テーマをしっかり描き切るべき企画。
撮影しても編集で切るべき。そんな設定も多いと観てた。
1.2.定点観測 ドキュメンタリ手法の採用は
「祖谷物語」でも農作業はルックだけで、気になってしまった。
「黒い牛」では、
田起こし、代かきは、牛で農作業を魅せるルックの為。
田植えすら省略して、いきなり餅つき。(申し訳程度の草取り?)
流石に呆れた。
ときどきエコなこと言うくせに、自給自足に興味無し。
どうせ撮影に時間を掛けるのであれば、
山間部の稲作で、一年のサイクルを表現することは出来た。
収穫まで、スタッフ共々体験したらしい。
雪景色のロケハンに費やすよりも、説得力ある映像だと思うけど。
逆にあれでは、水田の設定要らんよ
定点観測で、時間の経過を映像に収めるという、
ドキュメンタリ的手法は用いない。
恐らく、引き出しに無い。
稲作に失敗しても、それはそれで映せばいいのに。
苗だけ、稲穂は映さず、
プロセスはスキップして餅つき。
それで、制作時間だけ掛かっても、チグハグな印象が残る。
ルックが欲しいだけで、
自然の営み自体には、興味無いんだろうな。
1.3.抽象度高い表現を学んで リアルは捨てるのだから
ルック全振りと、
割り切ってるくせに、余計な手数が多いのは何故か。
抽象度高い表現は、経験不足で、それを補う為ではないか。
仮説が浮かんだ。
軽装で夜の冬山走行する様な、リアリティの無い芝居で、
いっそ、
田中泯に踊ってもらえばいいのに
よっぽど効果ある表現出来そうに思えた。
禅がテーマだったからか、
情報を略すことが苦手に見えてしまった。
写実は捨てて、映像美に全振りするのだから、
抽象度の高い表現は必須じゃないかなぁ。
すまん、凄い製作なのに、
引き出しが少ないため故の雑多さに、目が行ってしまった。
粗探しする気は無いに、惜しい。
どうしても、気になってしまった。
絶賛一辺倒とは、行かなかったな。
素晴らしい意欲作ではある前提だけど、不満は残った。
逆に、
カラーに変わる「黒い牛」の終盤については、
擁護と不満両方。
2.カラーに変わる終盤の件
2.1.現世に戻るのだから
2.2.異界への導入は「千と千尋」「ブンミおじさん」など
2.3.ジャ・ジャンクーは間違い リアルの保証が
2.1.現世に戻るのだから
現世に戻る = カラー
それ自体は違和感無い着地でした。私には。
一周回って、現実世界に帰って来るのだから、
それでいいじゃない。
違和感があるのなら、
準備に問題があるのではないか?
観客を異界に誘導してから、戻すのでなければ、
意味なくね?
唐突に”戻した”と、言われても、
納得行かないって、ことじゃないかな。
2.2.異界への導入は「千と千尋」「ブンミおじさん」など
異界への導入で定番と言えば、
蔦監督にも、桃源郷的な憧憬は有ると思われ。
ただ、観客を滑らかに誘うかと問われると、
鑑賞中も浮かんだんだけどさ、
体感が違う。
(勝手に私がメコン流域を思い出してるだけかもしれないが)
蔦哲一郎からは、手触りは感じないんだよなぁ。
最初のルックがすべてで、導線は分からない。
それで、構わないとは観ていたけれど、
観るものを異界に引き込むという作劇では無いのに、
”還します” と最後に言われても、
”連れてって貰ってないよ” そう応えてしまうかも。
確かに、
最後あれヤルなら導入を、もっと参考にして欲しかったかな。
2.3.ジャ・ジャンクーは間違い
火山の爆破など、地球の営みを描きつつ、
最後に、突拍子も無いスペクタクル入れるのは、
ジャ・ジャンクー参考にしてるかと。
しかし、そこまでに至るリアリティが段違いだからなぁ。
真似る対象が間違っている。
VFXの使い処が違うかと、もっと違和感なのが、
花蓮の景色は雄大でも、
合成で構わないから、同じ牛を使うべきじゃないの。
タイトルが「黒い牛」なのだし、
せめて和牛じゃないのかな。
個体が違うのは良しとしても、種類まで違うのはどうなの?
ディテール雑じゃないかと、気になってしまった。
荒削りと言われるようなタイプではないけれど、
実は、とても粗い。思いつきをすぐ足してしまう。
志高く、映像に拘るからと言っても、
それはそれ、これはこれ。
欠点を無理やり称賛は出来ない。
粗さが魅力になるような作風ではない。
先のある人なので、
表現の幅も広げ、プロットを精査できる監督に成って、
世界に羽ばたいて欲しいところ。
もし、本人がこれで良いと思ってるなら、残念。
あれだけ無駄な設定を足しておいて、
物語性の排除だと、本人は本気で考えてるのか、
それがアメリカの指導の結果なのか。。
因果を回収しない手数なら、教えられる。
が、
磨きに磨く、本物のミニマリズムは教えられない。
映画館を出て、
晴れやかな気持ちには成れなかった。
引き算こそセンス。
2026.10.25現在
前の安値を割りました。
ここで耐えるか、もう一つ前の安値まで試すのか、
高市政権発足以来の上昇の終わり、その可能性も視野に入れる。
