休日の午前中、ときどき新文芸坐では、
映像に優れた名画を架ける。
『#ミルドレッド・ピアース』
深夜のビーチハウスに銃声が響き渡り、逮捕されたミルドレッドのフラッシュバックが過去を明らかにし始める。
レストラン・チェーンを築き上げるまでにのし上がった女の細腕繁盛記は、彼女の稼いだ「油臭い金」を軽蔑しながらも湯水のように使いまくり、母の再婚相手にも色仕掛けするような娘の存在によってノワールへと変貌する。
トッド・ヘインズによってドラマ・リメイクされ、ジェンダーや階級という側面から再評価された。— 新文芸坐 (@shin_bungeiza) November 1, 2026
原作は、
女手一つ社会的成功を掴みながら、
毒親育ちの娘との愛憎劇らしく、(未読)
戦後間もないハリウッドの倫理コードでは、
悪人が勝利を得るバッドエンドが許されず、
映画化不可能と言われた。
ジェームズ・M・ケインと言えば、たしか、、

不況下、くたびれた中産階級を背景に、
愛憎のドラマを冷徹に、
ハードボイルドな文体で描く。
それをマーダーミステリーに改変し、ノワールな仕上がりへ。
米国では世相も反映し大ヒット。
戦後の日本へは、内容が憚られ輸出されず、
本作は隠れた名作扱い。
職人監督マイケル・カーティスの技量を堪能する作品。
ノワールの先駆けと聞いた。
光と影を強調した映像、
息もつかせぬテンポの編集、
パワハラ演出で下り坂の大女優にアカデミー。
マイケル・カーティスといえば「カサブランカ」の監督、として私は記憶。
歴史ものかと思えば、メロドラマで。
キメラのような作品を名作に仕上げる。
ハンガリーの人で表現主義的映像に、ハリウッド商業の徹底。
どんなジャンルでも、予算、納期、品質を守る。
他のパワハラ監督と違い、作家性は出さない。
職人として、映像の完成度に拘るのみ。
ジョーン・クロフォードはよく知らない。
ダンサーからスターへ駆け上がったと聞く、この人か。
1945年当時、ヒロイン役としては下降期を迎え、
ワーナー移籍第一弾の本作で、名優として再評価される。
パワハラには、意地で耐え、
怒りを秘めたプライド高き姿は、役に反映されている。
(岩下志麻が怖い役で、美人女優から脱却するのと似てるかな)
ダメ男には頼ってられない、世界恐慌から戦争の時代を、
逞しく生き抜く女性のアイコンは輝くらしい。
そこで、’女性映画’とも言われる。
が、それも違和感。
本作の概略だけでは、毒親共依存のドロドロ愛憎劇に思えてしまう。
直前に観た「もしもの愛」の現在と、似た空気を感じる。
社会派よりも、人間ドラマ群像劇だなあ。
名声轟く映像をスクリーンで鑑賞しながら、その比較も乙。
《 開演 》
日本と戦っている最中に、
次の時代を予見する作品撮っていたのか。。
GHQが公開許すはずないな。
ミステリ風味で本国の検閲を逃れたとて。
内容の前に、なにより、
この長編を2時間弱にまとめる編集のテンポが、倍速に感じられる。
戦中戦後の方がタイパ重視だったのか。。
脚本の展開も上手いので、
ときどき回想しても、置いては行かれないけれど、
目まぐるしい、忙しい。箸休めゼロ。
リメイクは1時間✕5話。そうなるよ。
原作に忠実で、母娘の愛憎に主眼を置くらしいが、
必要な尺は一緒だろう。
感情移入させるため、
今なら演技もさせるし、も少しテンポも抑えて配信向き。
それこそ、NetFlixと提携して、3時間ドラマとか。
陰影の強い尖った映像は、
鬼のような早送りの編集でより鋭角に感じる。
が、
ノワールに特化した監督ではなく、万能な職人らしく、
本作では、原作の筆致に映像表現をなぞらえた様子。
サイレントの監督としてヨーロッパで成功。
ワーナーに呼ばれ、カラーでもヒットメーカーに。
ミュージカルや、エログロな特撮まで、何でも御座れ。
ハードボイルドなノワールものが、
映画のジャンルとして確立していない時代と、
冒頭、マックス・スタイナーの音楽で判明します。
この題材に豪華過ぎる。場違いな程。
ハリウッドだからと言うより時代感覚か。
後年なら、もっと謎めいた劇伴になりそう。
ルックはノワールで、実態は毒親の愛憎劇。
社会派としても消費され、
何ともキメラな仕上がり。
もし現在の目で、
単に推理サスペンスと受け取ったら、
謎解きに、新鮮さは覚えない。
編集と撮影に驚き、ぐったり疲れつつ、
主演女優の顔面の圧にも、恐れ入ります。
しかし、
女性の自立と扱うには、ヘンな人物造形。
(娘にも冷酷な方が、しっくり来るよな)
演技は、モンスターな娘役の方が優るとも思えた。
鑑賞後は、
映像の見事さに完全同意でも、
定まった評価に対してモヤっと。
そもそも、
百歩譲って風俗なら、まだ判るけど、
ウエイトレスという職業をそこまで蔑むのが、理解及ばない。
一億総中流と言われた日本で育ったからかなぁ。
どうやら、
私の文脈理解が足りてないな。
帰宅後に復習。
0.ジョーン・クロフォードの生涯
1.勧善懲悪と倫理コード ノワール面
2.選民思想と世界恐慌 社会派面
3.毒親はへこたれない 人間ドラマ面
4.ウォルドPの狙い 商業面
※ネタバレはギリ避けてるつもり。
0.ジョーン・クロフォードの生涯
どうやら、
主演本人の生涯抜きにして、本作は語れない。
なるほど、生きざま強烈。

苦労の多い幼少期を経て、
旅の一座のダンサーからキャリア開始。
ハリウッドスターとして名声を得て、
落ち目の時期に転身。本作で再評価される。
その後の、
大女優の生涯は、リアルな”ミルドレッド・ピアース”。
4度の結婚の最後、夫はペプシの経営者。
女優としても、広告塔としても活躍。
取締役としても起用され、やり手のビジネスパーソン。
が、
その夫とは4年で死別し、生前の借金が発覚。
彼女の稼ぎから完済したという。
家庭でも、ドラマそのまま。
養子を迎えて、
後に毒親っぷりを暴露され、
フェイ・ダナウェイで映画化された。
最晩年は、
クロフォードが最後に公の場に姿を見せたのは1974年9月23日で、
-中略-
写真をみたクロフォードは
「こんな私の姿を誰が見たいと思うでしょう」と語ったという。
これ以降、クロフォードはあらゆる公式の場への出席を断り、
自宅に引きこもるようになっていった。
-中略-
1976年10月28日に作成された遺書により、
クロフォードが残した2,000,000ドルの遺産から、
養子4名のうち年少のシンディとキャシーに
それぞれ77,500ドルが贈与された。
しかしながら、
年長の養子であるクリスティーナとクリストファーには
遺産相続権が剥奪されていた。
1.勧善懲悪と倫理コード ノワール面
社会も変化し、
古き良きアメリカが崩壊に向かうと、
家庭も歪んで、毒親登場が戦中とは早いね。
男に頼れず、社会的成功を掴む女性が、
私生活は荒れ、娘に復讐される。
女だって完璧ってわけじゃない~ジェイムズ・M・ケイン『ミルドレッド・ピアース』
成功と挫折があざなえる縄のごとく
登場人物にまとわりつき、
幾多の人生の諸相が浮き彫りにされる。
心張り裂けんばかりの裏切りや
人心の闇をも描く小説でありながら、
本書の読み心地は、意外に爽やかだ。
-中略-
簡潔で冷徹な筆致の犯罪小説で名を残したケインだが、
1930年代カリフォルニアの時代相を背景に、
安易な要約をこばむ豊かさをもつ本書は、
小説家ケインの実力がいかんなく発揮された小説といえるだろう。
ノワールの味合いは原作由来。でも、
勧善懲悪の要素のため、映画では犯罪を足した。
一方で、
リメイクに縛り無く、原作忠実と言われ、
母娘の愛憎劇に重きを置いたらしい。
うーん、
読み物としても、面白く書いてるよね。きっと。
ハードボイルドな風味で、女性一代の盛衰を描いた。
テイストは映画が完全再現していても、
倫理コードから、悪徳もの許可されずか、、
もしも、
娘と断絶したまま、後悔無く野心に邁進し、
母は孤独でも、毒親の報いも受けなかったら、
現実にも近く、
映画で見せた強い人格にも合致。
冷徹な母に娘は捨てられるだけで充分。
犯罪無用で違和感は無いノワールなのに。
映画の改変だけでなく、原作にも、若干納得行かない。
ケインは欲望から破滅する人間を描くと言うが、
原作にも、娯楽としての倫理は歴然と存在して、
復讐は成され。それはイーブン。
正しく因果応報に至り、
別々の人生を生きる。
孤独な現実を受け入れ、物理的に距離置かないと無理よ。
原作の共依存の解消は健全である。
しかし、
現実は、もっと非対称に理不尽なのに、、
爽やかな読後感には理由がある。作者は計算している。
そういえば、
やはり画面に隙の無い異色ノワール「祇園の姉妹」も思い出す。
一見、勧善懲悪のようで、
戦前日本の観客を騙すが、
改心もせず、”社会が悪い”と被害者ズラは他責で逞しい、
山田五十鈴の底冷えする凄みで閉じる。
比較すれば、
ケインはリアリズム(主義)の人じゃない。乾いた筆致は表現。
そして、娯楽は観客を丁度よく騙す。
健全な勧善懲悪が映画化不許可で、
殺人事件ならハリウッドの娯楽、
弱者に見せれば悲劇と納得して貰える。
ノアールかつリアルなら、
不要と判断すれば、愛玩の対象もただ見捨てる。
それなら違和感無く納得したはず。
クロフォードの人物造形なら、そっちの方が似合うのに。。
ただし、そんな内容なら、
観るチャンスも無いだろうな。
2.選民思想と世界恐慌 社会派面
”子供には苦労させたくない” 高度成長期の日本でも聞いた。
しかし、
よっぽどバブリーな中産階級に育たないと、
ウエイトレスを蔑むまでには、ならんやろ。
公開当時は、
あそこまで説明省いて、客は納得したのかなぁ。
母親がそもそも歪んでいて、モンスターを育てたとは伝わるけれど。
googleに訊くと、
ウエイトレスは労働者階級の仕事で、
WASP(英国由来)の中流階級では、
沽券に関わる問題らしい。
高水準の教育も受け、本来は家庭に留まるべき女性が、
従事してもギリ許せるのは、専門職や事務職など知的労働のみ。
そんな歪んだ価値観は、
ウォールストリートの暴落で吹き飛んだ。
劇中では、それだけでなく、
現実に露呈した歪みによって、子供世代に復讐される。
親世代の恐怖もリアルに描いた。
当時の世相を正確に反映してると答える。
映画の内容単体では、フェミ的ジャンルと扱うのは無理。
しかし、
ジョーン・クロフォードの強烈な生きざまを重ねて観るので、
選民思想の持ち主達が描かれる映画であることは脇に置く。
更に日本には、そんな背景まで伝来せず、
橋田壽賀子+女性の自立 と説明しても矛盾は生じない。
そこまで解説され、違和感もすっきり。
3.毒親はへこたれない 人間ドラマ面

あなたを長年支配し、コントロールしてきた相手です。
「あの子は何だかんだ言いながら、私たちから離れることはできないのよ」
「絶対に許さん。
今度ばかりは徹底的に親に逆らえないことを教えてやる」
「ちょっと反省したふりをすれば、あの子はすぐに気を許すから」
毒親と呼ばれる親は、
子供の心の奥底に残っている「親への愛情」を利用してまで、
子供を自分たちの支配下に置くことを考えている場合もあるのです。
「毒親と闘うことを覚悟したら、相手は親ではなく他人と思いなさい」
原作およびリメイク版では、
娘は母親に、エゲツない仕返しを敢行し、支配から逃れる。
母親はダメージを受け、へこたれる。
いやいや、毒親はへこたれない。
自分を正当化し続けるだけ。
ケイン先生、甘いよ。破滅のイメージが安易。
リメイクはより一層、情緒的にベタベタ描いてるらしい。
そんな弱く健全な人格なら、支配的搾取も続かない。
ま、逆に、
本作では、映画用に人が死んでる割には、
希望が無理過ぎて、
倫理的によっぽどヤバいと思うのだが、
それでも、
大女優演じる主人公の方が、まだ補正が自然。
4.ウォルドPの狙い 商業面
どうやら、プロデューサは、
倫理コードもクリアして、
原作の無理な、逆主人公補正も回避。
両方を同時に果たす、完璧な上司だったらしい。
ジェリー・ウォルドは1940年代にジョーン・クロフォードの親友となり、
彼女に多くの役を提供した。その中には、
彼がプロデュースした『ミルドレッド・ピアース』の主役も含まれる。
彼は監督のマイケル・カーティスに、
クロフォードがこの役で成功すると確信させ、
その結果、彼女は1946年にアカデミー主演女優賞を受賞した。
自立した強い女性を描くという、目論見が最初から有ったのだろう。
時代の要請に叶い、見事な大ヒット。
クロフォードが、へこたれるのは似合わない。
七転び八起きのヤリ手だもの。
才能が集結して、
時代の要請にも応えるキメラのような怪作。
背景を想像しながら観るのも一興。
いつ何時でも、戦う生き様。
2026.11.05 00:50現在
前の前の安値タッチの後、大反発。
中間選挙の結果は、影響無いのか、
よく分かりません。
反転を確信する程の突き抜けか。
しばらくレンジのつもり。
