休日のファーストディに、期待の大作をシネマ・ロサにて。
(大規模公開ではないのか)
是枝版「ルックバック」と同じく、
ベネチアに出展されて、気になっていて、
銀賞のお陰か、Netflixの既定路線か、日本公開に至り。
配信解禁前に鑑賞。
撮る側の正義を冷ややかに見つめる内容らしく、
金賞が、純度100%のポリコレ・リベラル映画で象徴的。
アートでも娯楽でもないプロパガンダ映画が溢れる昨今、
映画と配信の”もしも”の提携を、敢えて撮ろう。
監督は、そう決断したと聞く。
本作の発想の元となった「デカローグ」は未見。内容も知らない。
3時間近い長尺に怯むけれど、
俳優、スタッフ共に圧倒的な座組と信用して、
池袋西口へ。
《 開演 》
聞きしに勝る出来栄え。
劇中のセリフで、
”映画でもドラマでもなく、小説?”
というセリフがあるのですが、
この作品自体が、小説向きです。
男女4人の心理描写とその人間模様を描くのですから、
映像より文章の方が、当然と表現の相性良いはず。
しかも、
スペクタルもパノラマも、敢えて抑制している。
イ・チャンドンは得意なはずの映画的魅せ場も、
配信を持続させる’ヒキ’も封印。
座組は「パラサイト」に近いと聞きましたが、
入口は同じく、格差を扱いながら、
エンタメも社会派も、どちらの着地も拒絶。
(そう受け取るライターは居ても)
よくぞ、NetFlixで野心的な企画が通り、
ポリコレ映画祭にも、絶妙に意地悪な視線で銀メダル。と結果残す。
8年も待ったのか。
その上、
説明は省き、必要とあらばセリフより映像に頼ります。
日本で賞狙いの長尺に付き合った身としては、
何とも頼もしい。
カメラは敢えて、
ドキュメンタリのハンディを常に意識させる。
精密な設計の映像なのに、、
賞狙いでも、無理に日本の美しい風景を撮って、センス無いのより、
是枝監督は評価されて良かったねと、
喜んだ後で、本作の画作り観て、
日本実写映画は、賞狙いはリベラル界隈に任せて、
国内市場も大きいから、独自の生き方目指すべきだな。
と実感してしまいました。
音楽の見事さ、映像面の企みにも、心奪われました。
「パラサイト」と同じ座組だそうです。
音楽は、
格調高く、切ない。
しかし、最小の伴奏に留め、
完璧なセンスでした。
映像は、配信の画角も意識してる思われるのに、
自然光を重視したライティングに驚きます。
マジックアワーの空模様や、
海岸の別荘の夏のきらめき、
真っ暗な夜空に電灯など、
もっと映画風に映したくなるところ堪えます。
ハンディで動かす画面でも、厳格な計算抜かり無い。
配信で、どう評価されるのでしょう。
まあ、音楽や映像よりも、
配信では物語が、より重要とは思うのですが、
起伏はそれほどでもなく、あの緊張が持続するものかな。
映画館では、ずっしりと感触残りましたが。。
説明するのは難しいな。
長編小説のような群像劇は、何が凄いのだろう?
演出、演技が別格とは思うものの、
常套句では何かピンと来ない。予測した衝撃とは違う。
音楽はサントラ解禁されてないし、
映像はいずれ配信でも確認出来るだろうから、
その褒めは、ここまでにして、
今回は、
あらすじの説明は避けつつ、
ネタバレ仕方なく、作劇の褒めを語ってみたい。
1.お坊ちゃんの人物造形 と可能な愛
2.着地を拒む そのままの人間描写と切り順
3.映像表現と遠い場所
因みに、
通貨危機以降のグローバリズムで復活した、
韓国の苛烈な競争社会については、
「ケナは韓国が嫌いで」のころ学習。
1.お坊ちゃんの人物造形 と可能な愛
韓国の過酷な労働問題を題材に、
映画化を試みて、既に優れたドキュメンタリも存在し断念。
同時に、
安全な場所から正義派気取るのも居心地悪く、
撮る側の倫理からも逡巡したと聞く。
(ケン・ローチに、そんな歯止めは無いと思うよ)
その過程で得た着想から、2組の夫婦を対比的に描く群像劇なら、
4人の人格は概ね思い浮かぶ、
失業組は、
島耕作的昭和の大黒柱が松下電器からリストラされ、
経済的、精神的にも拠り所を失う。
妻はそれでも、家族を支えようとする。
富裕層からは、
道楽だと無自覚でドキュメンタリ撮ろうとする妻に、
財閥出身で完璧な夫。妻の活動にも協力的。
まあ、ここまでは誰でも想像できる。
そこに、富裕層の夫をこう描くのか、
私はスパイス加減に恐れ入りました。
高身長イケメンが演じるイケメン。
完全無欠ではあるが、無味無臭。
喜怒哀楽より、思惑や配慮で生きている。
つまらない人生。必死に生きたことは無い。
他人の死活を左右する巨額のディールを成功させたとて、
それは、一時の勝利に過ぎず、彼の人生に影響は無いだろう。
しかし、
生身の人間の証、最後は性の暴走も見せる。
ああ、普段は、
営みも優しいんだろうな と予想させる。
いずれ離婚して、巨額の慰謝料も発生するのかな。
そんな予感もさせる。
あの夫人じゃ、旦那に寄り添えまい。
可能かもしれないが、ダメそう。
一方で、失業組は、
スクリーンとスマホ両方の画角で月を眺めつつ、
最近ご無沙汰でも、奥さん支えそう。
大丈夫そう。
そんな余韻を残すのも、
完璧お坊ちゃんの人物造形に依るかと。
ステレオタイプとも、
過剰とも、
人物造形に様々な見方あると思われますが、
私は大いに感銘を受けました。
生身を唯一感じさせる性的な発現に特に。
愛が可能かどうかは、
結局それでも、極めてパーソナルな問題だよな。
と思わせる。
2.着地を拒む そのままの人間描写と切り順
冒頭、4人の人物紹介が余りにも手際良く、
中弛みするような、イ・チャンドンではないと知れます。
これで、3時間近いとは信じがたい。
まあ、
配信らしく、群像劇でエピソード多めに展開される訳ですが、
一番の主役、失業組の奥さんチョン・ドヨン(実業家と結婚)は、以外にも回し役。
生活感全開の流石の説得力ですが、中心には立たず、
むしろ富裕層の監督志願にスポットライトを当てます。
最初は、
カリフォルニアのリベラルvsプア・ホワイトのような、
撮る側の無自覚な正義中毒に、
冷ややかな視線を送るものと、観始めて、
うーん、
これじゃ、金持ちの道楽に過ぎないのか?
ドキュメンタリ甘く考え過ぎでは。
距離を詰めて、信頼を得るってそうじゃないよな。
それに、テーマはブレず取材しないと。
いや単に、金持ちの傲慢さを描いているのか、
意識がシフトしかけると、
いや、もっと単に、
この夫人ただ、無神経なだけじゃない。
玉の輿ではあるが、微妙に富裕層の出でもないし、
ちょっと天然な人格なだけ。
私よりはマシくらいな、等身大の人格をダイレクトに伝えてくる。
絶妙に意地悪で、居心地の悪い普通。
観客が、正義中毒に酔わない不親切設計が徹底されている。
脳を快に着地させないだけでなく、
過度な刺激も与えない、
格差では、説明のつかない気まずさ。
いずれ感情爆発するのか、その緊張だけ、そこはかと。
失業組のやるせ無い思いとの対比は、
計算され尽くした演技演出なのだろうな。
配信らしく、
エピソード多めなのだけど、(だから3時間弱)
グラデーション効かせながら、
目先を変えて飽きさせず、
叩き込んでくる。
客がグロッキーになる頃に、
ミッドポイントは、別荘で折り返す。
そこで、富裕層側の背景を見せつつ、
遂に、
それまで不穏なだけの昭和男、ソル・ギョングの心情を存分に。
そして、やはり2組の夫婦は対照的なのか。
格差の問題と、一般論には出来ないなぁ。
そう感じさせる設計が絶妙。
最初、4人の人間模様に興味惹かれたら、
後は、監督の手のひらに転がされるままだろうな。
はたして配信で、
計算通りか分からないけれど、
少なくとも映画館の私は、そうでした。
3.映像表現と遠い場所
教員から小説家、それから映画監督に転身。
小説でも、評価されて、
文章で表現するより、劇で表現する方が自身に適していると、
映像より文字の方が得意な分野である心理表現を、
作劇に秘め、
脳内のイメージを視覚的効果で発揮。
例えば、「オアシス」象のように、
本来、飛躍した表現も、美しくかつ得意な監督。
なのに、映像的見せ場は一旦、敢えて封印。
長編小説を読んでいるみたい。
元々作劇は、小説的なんだ。
どおりでね。心理描写が綿密。
本来なら、
欧州に出す映画だったら、ポリコレぶっ込んだ方がトクで、
配信なら、視覚的な’ヒキ’が欲しい。
全権委任の企画でなければ、介入あるだろう。
こんな野心的で、志高い試みが可能なのか。
日本の賞狙いのみならず、ベネチアの金も、
一生追いつかない。
寡作にして打率10割の巨匠ならでは。信頼のブランドゆえか。
否、
それは結果だけの判断で、
半端なもの作るくらいなら、作らない方がいいと仰る。
愛の深さが違う。人間の器が違うのか。
現在の商業的映像製作から、もっとも遠い場所を、
スクリーンとスマホの画角で眺める。
奇跡だと思いましたよ。
2026.11.02 22:00現在
支持線は明確なるも、反発はそれほど。
休日挟んで、
レンジの動き続くか、前の前の安値試すか。
とにかく、反発は弱い。
