随分と日本でマイナーな人物の伝記映画が日本で掛かる。
これは特殊なケースと思う。
私は、クエーカー教から分派したシェーカー教団を知らなかった。
サーチライトは、本作がベネチアでノミネートの段階で配給権獲得。
制作は大手ではなく、アンナプルナという近年不振も報じられた会社。
作られた経緯は分からないけれど、
モナ・ファストヴォールド監督が主導の企画で、間違いなさそう。

【インタビュー】『アン・リー/はじまりの物語』
『ワールド・トゥ・カム 彼女たちの夜明け』のリサーチをしているときに、アン・リーの存在を知りました。私は以前からアメリカの歴史を学ぶことが大好きでした。彼女の人生を知ったとき、「アメリカにおける最初のフェミニストだったのでは」と考えるようになったんです。
当時は、人種や男女の平等という考え方自体が存在していません。奴隷制度や魔女狩りもまだ続いていましたよね。そのような時代に、人類の平等を説いたアン・リーの生き方を知ったとき、「なんて革新的で魅力的な女性なんだろう」と強く惹かれたんです。その一方で彼女の存在を知る人はほとんどいません。歴史の陰に隠れてしまった彼女に光を当てたい。その想いが作品を作ろうと決意した大きな理由です。
ディズニー的リベラルというよりは、中立的スタンスで描いていそう。
作品を描くにあたって気を付けたのは、自分自身の価値観で彼女を裁かないことでした。アン・リーは先進的な思想や生き方ゆえ、多くの批判や偏見の目を向けられてきた女性です。だからこそ、アン・リーと同じ目線で旅をして彼女の思想や人生に耳を傾けていくような作品にしたかった。
批判したり神格化しすぎた描写は一切入れていません。彼女は矛盾や不完全さを抱えながら生きた、一人の人間だからです。だからこそ先入観を持たずに彼女の人生に寄り添いたいと思いました。宗教を扱った作品ではありますが、一人の女性の人生を描いた映画にしたかった。
監督は、リサーチ充分で、史実に忠実。それは予告編からも伝わる。
私は、Wikipediaで最低限の知識を得るだけ。
後にシェーカー教団の開祖となったアン・リー (Ann Lee) は1736年にイングランドのマンチェスターで生まれ、1758年にウォードリー協会に参加した。1761年に鍛冶屋のエイブラハム・スタンリーと結婚したが、キリストの再臨が近いことを主張し、不淫と罪の告白によってのみ神の国に近づけると説いた。彼女はしばしば投獄された。
1770年、投獄されている間に彼女は神の啓示を受けた。1773年にふたたび獄中でアメリカへ渡るように啓示を得たアンは、1774年、夫や家族ら8人でリヴァプールの港を出発してニューヨークに到着したが、夫はその後アンと別れた。残る人々は1776年にオールバニ郡ウォーターヴリートに植民した (Watervliet Shaker Historic District) 。聖霊が人を訪れたときに激しく体を振るわせるため、信者は「シェーキング・クエーカー」と呼ばれた。
そして、新大陸を目指したピューリタンたちの異端と言えば、
モルモン教を背景に描いた「異端者の家」思い出し。(後述)
動乱の時代には、
既存では満たされない、人々の要望に応える新宗教起こるとしたもの。

その上、
「シラート」と同じく、音楽とダンスでトランス(変性意識)なら、
鎌倉仏教、踊り念仏を連想するところ。
更に、
近代化の時代、
女性が開祖の天啓宗教で、
弾圧も受ける。
大本や天理教が思い浮かぶ。
そして、新興宗教は分派しがち。
ちなみに、
有能な近親者が教勢拡大に勤める。それも同様で、本作でも描かれる。
逆に違和感は、
監督は近代以降の感覚で、
アン・リーが読み書き出来ない事に注目している。
そこはドーデモいい。
開祖の言行を後世に残すのは、周りの者の仕事で、
たいてい本人は記していない「おくのほそ道」。
ともかく。
日本で公開されるとは、題材珍しく。
興味惹かれた。上映が終わってしまう前に観よう。
発券が面倒くさい日比谷シャンテへ。公開館は当然と少ない。
《 開演 》
ネタバレ気にする作品でもなく、史実では、気にしようも無し。
多分ネタバレしています。
誠実な造りでした。
リベラル的な主張を前面に推した作品ではなく、
丁寧に生涯を追った作品と、好感。
反面、
観客は焦点を定められない。そのため物語としては弱い。
私も世間評と同じく。絶賛ほど高い評価に至らず。
痛し痒し。
映像はそこまで、、
「ハムネット」観て、無意識に比較してしまったか。
役者は皆さん、全身全霊で文句なし。
賞はむしろ、主演に上げたい。
(カソリックの国でしか、取り上げて貰えないにしても)
演出面では、
前半は、
飛躍の表現も有り。
カラヴァッジョを意識した、性と残虐のメタファー。(後述)
なかなかに乙でした。
なにより、
最大の特徴は、
聖霊の訪れを、
現代風の演奏とダンスで表現した処。
私は疑問。
特殊な訓練を受けた人しか踊れない。
カルトを描くに、ちょっと腰が引けてる。と感じてしまう。(後述)
作劇の方針は、
平坦になること承知の上で、一代記を忠実に描くとした。と想像。
前半 不遇なマンチェスターでの生活の中で、獄中で覚醒
後半 新大陸の約束の地で、迫害受けつつ、教組は共同体を築く
と物語は構成され、
教組前後で、大きく転換。
どちらかに、テーマを寄せた方が、客としては観易いな。
個人的には、
祭事のトランスは、誇張した表現でなく、
問題があるからこそ、記録に残る様を可能な範囲で見せて。(後述)
後半の活動、
迫害されつつも、
奴隷解放、未亡人や孤児の救済に尽力。
禁欲、勤勉を旨とする共同体。
それを丁寧に描く作劇の方が、正解と思えた。
マザー・アンの業績を、恐れず訴えなよ。
此処まで描くなら、ヤれたはず。
開祖の想いは、どう具現化されたのか?
物語は、そこに集約して行くが、正解ですよ。
原始共産的カルトの日常を、堂々もっと描いてよ。
無茶で無責任な要求とは知りつつ、
若干の不満は残りました。
復習など、以下詳細に。
1.性と暴力の前半、カラヴァッジョな演出
2.教組覚醒のドラマ 「人間交差点 猛女」と比較
3.メソジスト→ウォードリー協会(クエーカー分派)→シェーカー
4.カルトやスピに悪用されるトランス
5.シェイカーのデザインと思想
そう言えば、タイトルは微妙ですが、
字幕は、細かいところまで、気を使ってるようでした。
どうでもいいですが、
今は、清教徒革命と言わず、イギリス内戦と言うのですね。
クロムウェルの時代を。
基本、名称は私にとって、馴染みのままで行きます。
特に、トランス状態=変性意識状態について、
ここでは一切区別せず、トランスと呼びます。
それが、
聖霊の働きであれ、悪魔の仕業であれ、
科学的に脳の現象と説明されるものであれ、
区別しません。
暗示、催眠、瞑想、呼吸法、ドラッグなど、誘発する手法は各種存在し、
原始シャーマニズムから、現代のカルト(スピ含む)でも、発生する現象全般、
宗教性無きレイブやコンサートの失神などとも、私は区別しません。
脳に起こった現象は、現象としています。
それでは、
1.性と暴力の前半、カラヴァッジョな演出
撮影監督もモチーフにしたカラヴァッジョと言えば、
宗教画とはいえ、
暴力を過激に、特に美女の復讐を描き、
背景はブラックで陰影濃く。
そして蛇。
本作では、原罪や性をイメージさせる。
後年の教義への源流を辿る。
アン・リーは横暴な男性社会に搾取され、
妊娠出産も、大変辛い想い。
(もっと深い否定も想像されるけれど、監督の投影もありそう)
ともかく、
カラヴァッジョ的なリアリズムで、
性暴力や残虐を、どぎつく、
クロムウェル辺りの英国、
薄暗いロウソクの部屋で、
光と影の強い照明の元、
いろんな行為を、全力で撮る。
で、
渡航後の後半は、主要じゃないの。
白く明るく簡素な、
コミュニティ空間での、
規則的な生活は、
前編と対照的。
むしろ、同等以上の分量で、原始共産サークルを撮って欲しい。
1600年代の英国より、興味深い。
前半は繰り返し多め、後半流し気味。
そこに不満は残った。
きっと監督は、
ジェンダーフリーは主張出来ても、カルトに言及出来ない。
主張しなくていいから、もっと描いてよ、当時の教団を。
前半端折っていいから。
2.教組覚醒のドラマ 「人間交差点 猛女」と比較
教組の生涯とドラマと言えば、思い出すのは、
人間交差点 20巻第2話 猛女
ビッコミで読み直す。
現在から、過去回想へ。
謎の提示が為され、謎解き。
お決まりのパターンとは言え、やっぱり上手い。
本作は、
同じく教組の波乱の生涯を描いても、
感情移入出来るポイントが無い。そう言い切っていい。
伝記映画とは言え、もうちょっと何とかしたい。
なにより、
語り部の設定が適切でない。
ナレーション入れるなら、
神視点と、第三者人物の視点は分けなきゃ。
神視点なら、それで統一すればいいし、
第三者視点で、見えないとこまで描いてしまう、
あの構成なら、
語り手は交代しなきゃ。成立しない。
本作は、はっきり下手。
そうだな、例えば、
冒頭、
教団に引き取られた孤児が成人して、
コミュニティを去るシーンで始め、
過去へ導入。
孤児を語り手として、伝承を話す体裁。
幼年期から教組誕生、
迫害乗り越え、コミュニティ確立までを描く。
語り手は、
そこでの生活と、教組の死。
去った後の教団の行く末を語る。
エピローグは、
年老いた語り手と、
博物館として残る建物を映す。
など、
ドラマとしてもヤれたと思われる。
感情の振れ幅を与える作劇は可能。
現在に至る結果と、
教組誕生までの波乱の人生。
対比的に盛り上げられるのに、、
権利関係など、障害も有ったのだろうか。
平坦に史実を追うだけに見えて、
監督は、教団の活動には、興味が薄い。
理念の実践の方が、より重要だと私は思う。
コミック見習って欲しい。
3.メソジスト→ウォードリー協会(クエーカー分派)→シェーカー
欧米の観客向けですから、由来は知ってる前提でしょうね。
教組は始めメソジスト派に通い薫陶を受ける。
成人して、クエーカーから分派したウォードリー協会に参加。
新大陸で、シェーカー教団を立ち上げる。
メソジスト派に、教義と活動内容の原点は在り。生殖否定以外は。
特徴としては、日課を区切った規則正しい生活方法(メソッド)を推奨した。
メソジストという名称は「メソッド」を重んじることから「几帳面屋」(メソジスト)とあだ名されたことに始まった。
規則正しい生活が実践できているかどうか、互いに報告し合う少人数の組会、また、信仰のレベル別のバンド・ミーティングを重視した。
このため軍隊や学校と相性がよく、ミッションスクールや病院の建設、貧民救済などの社会福祉にも熱心である。
当時は教育の機会に恵まれない子どもに一般教育を与える日曜学校(教会学校としてキリスト教教育を施すように時代とともに変化した)や、
当時の流行歌に歌詞をつけ、口語による平易な讃美歌を普及させたのもメソジスト教徒が中心であった。
概して上流階級よりも中下層階級あるいは軍人への普及に力を入れた。
聖霊体験。トランス的なるものについても、
メソジスト運動の原動力となったのは、「確証の教理」で、この「信仰の確証」はメソジスト運動を特徴づけるものとなった。
当時の形骸化したイングランド国教会からすれば、メソジストのこの「聖霊の証し」の強調は狂信主義とも思えたので、
彼らはメソジスト運動を、他の理由と相俟って、妨害しようとした。
教会自体に軍隊組織を採用した救世軍や「聖潔」(きよめ)を強調するホーリネス運動、
聖霊の働きを強調するペンテコステ派などもこのウェスレアン・メソジスト運動の流れである。
更に、クエーカーの由縁は、その神秘体験から。
筋肉の弛緩は、トランスの影響と見る。
キリスト友会は、清教徒革命(イングランド内戦)の中で発生した宗派で、教会の制度化・儀式化に反対し、霊的体験を重んじる。
この派の人びとが神秘体験にあって身を震わせる(quake)ことからクエーカー(震える人)と俗称されるようになった。
「ボサノヴァ」で知りました。
南北アメリカで、歌や踊りを許したカソリックから、現代ポップスにまで発展。
一方、プロテスタントは禁じた。
ところが、ウォードリー協会は、歌と踊りでトランス。
As described in the previous section, they began their worship like many other Quaker groups but they soon began to shake, rock, and occasionally break into singing and dancing.
歌って踊って叫んでは、
現代のレイブと同じく、警察と衝突しても不思議は無い。
あのダンスで、抽象的に描くのは、どうかなぁ。。
パブリックな罪の告白(懺悔室でなく)と、集団のトランスは、
抑圧からの解放でしょうね。
シェーカー教団の特徴らしい。
が、
約束の地に安住を得てからは、
震えて踊る霊的体験は、そこまで重要には見えない。
アダムが犯した罪は性交であり、神の国においては結婚は存在しない。
シェーカーがもっとも大切にする4つの美徳は純潔、共同体主義、罪の告白、分離主義である。
マザー・アンの教義は単純で、罪の告白は回心の門であり、完全な不淫は人生の規則であるというものである。
シェーカーは非常に貞潔であるため、男と女が握手したり階段ですれ違うことすらしない。
シェーカーは不淫を守り、子供は養子縁組や改宗によって共同体に加えられる。
孤児や家なき子をシェーカーが養育することも多かった。
21歳になった子供はシェーカーから去るか残るかを決めるが、
多くは不淫を望まずシェーカーから去った。今日シェーカーから去った人々の子孫は数千人にのぼる。
性交全面禁止は極端で、滅ぶしかないが、
世俗を断った専門集団と在家の両立は珍しくない。
社会福祉として機能して、
成人の際に選択の自由が有るなら、
カルトな原始共産だとしても、そのまま描けばイイじゃない。
女性に投票権が認められる150年前からシェーカーは人種と男女の平等を励行していた。
シェーカーの教会は位階制を取るが、どの位階にあっても男女平等が守られる。
労働においては伝統的な男女の性役割に従い、
女性は室内にいて糸紡ぎ、機織り、料理、裁縫、掃除、洗濯、販売品の作成や梱包などの仕事を行った。
天気のいい日にはシェーカーの女性は集団で外に出て園芸やハーブの収集を行った。
男性は畑作業や商店での販売・交易を行った。
奴隷解放支援とか、未亡人や孤児の救済、
真っ向描けばイイじゃない。
主張抜きのドラマも成立すると思ったよ。
4.カルトやスピに悪用されるトランス
本作から一旦離れて、
聖霊が宿ったから、トランス状態になるのかは、知らないけれど、
人為的にトランス状態を起こし、
自身や組織を権威付けで、
信用させることは可能。
様々な手口まだまだ、でしょうけれど、
”ワンネスを体感した”
と語る人物には、出会ったことがある。
人為的に脳に作用させること出来れば、その体感は起こるだろうと、
想像された。伝えなかったけれども。
逆もまた真とは限らず、偽の根拠を人は信じてしまう。
ハイパーカリスマという社会問題もあるらしい。
どう有害なのか、分からないけれど、
トランス誘導の技術を、勧誘に利用してるのかな。
そんな証拠は、
日々如何に生きるべきかという問いとは、
関係無いと思うんだけど。
そういえば、
日本神社の採寸と、聖書の記述が一緒で、
聖書の予言は的中してる。
それが証拠だと、勧誘する人にも出会った。
信仰の根拠が随分と薄っぺらく感じた。
もっと真摯なものかと、勝手に想像してた。
閑話休題。
現代的ダンスとして描くことで、
本作は、トランスの扱いから逃げた。
聖霊の現れと位置づけれた、
筋肉の弛緩、
絶叫や意識の混濁も、
現象を解釈せず、そのまま描けば良かったんじゃない。
大人の事情で、やむを得ないのかも知れないが、
私はプラスの評価は出来ない。
5.シェイカーのデザインと思想
シェーカー教団が示唆するもの
本作のテーマでは無いのだけれど、興味深い。
生殖の否定に留まらず、この世自体を不浄と定め。
その世界で、如何に清らかに生きるかを実践。
先ほどの労働(Labour)、仕事(Work)、活動(Action)という活動特性からシェーカーを捉えると、最重要点は、特に女性に産みの苦しみを与える生殖行為の完全拒否です。
生殖を拒否すれば、自分たちの属する共同体はいつか滅亡します。つまり、子どもをつくらなければ、その共同体は継承されず、いつか必ず消滅してしまう。さらに独自の製品を作り、それを社会で売りこなしていかないといけない。彼らは多くのお試し会員を招き入れ、黒人奴隷もそこで解放し、さまざまな仕事を自分たちでこなしていきました。そのため、シェーカーはたくさんの道具を発明しています。これも非常に興味深いことです。
さらに面白いのは、彼らの住宅や家具、道具のデザインには、現世否定がはっきり投影されていることです。端的に言えば、彼らのデザインには「汚い大地からいかに浮くか」を一貫して追求する姿勢が通底しています。つまり「大地」という物理からものを浮かせることですね。ということは、つまり接地点が極端に少ないということです。そのため非常にシンプルで、美しい造形となっていきました。
そんなシェーカー教は、1940年代に絶滅します。なぜかといえば、もう予想通りで生殖をしなかったためです。19世紀は全体で6,000人もいたのですが、でもこの、静かに消えていくこと、これこそがシェーカーの理想だったのではないでしょうか。
映画には、この視点は反映されてませんが、興味深い。
プロテスタント由来、
同じく新大陸の新興であるモルモン教と対照的、
産めよ増やせよ。家族は大事。
一夫多妻は未亡人救済の意味も有ったのかな。イスラムも。
兎に角、何度もリバイバル。
そこは触れたくないので、
本作は、
女性の抑圧と解放がメインになったのだろう。
実際の生涯が、それだけで切り取るのは、ちょっと無理。
作品が消化不良に見えてしまう。
後半ヤル気が薄く見えてしまう。
大人の事情が有るのだろうけど、勿体無い、
史実を追っただけでは、感動が薄い。
ちょっと残念でしたが、
それでも、2時間充分楽しめました。
日本に馴染みない人物の生涯に興味惹かれるなら、また一興。
素朴は素朴に、さり気なく。それで良かったのに。味付けは無用。
2026.06.17 17:30現在
7万円を目前に抵抗されてますけど、
チキンな利確で良しと、ついて行くのみ。
