「炎上」75年前のジョーカー( -᷄ω-᷅ ) ’無敵の人’の心情に迫る市川崑に、三島由紀夫は文才溢れる青葉死刑囚?


怪談」に続き、2本目鑑賞。
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困憊気味で、集中欠けているかもしれない。
 
実際の事件は1950年、終戦から5年ほど。

それから、6年後の1956年に原作刊行。
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すみません、未読です。
長いし、観念的で面倒くさいし、Kindleで読めないし。
  
  
’無敵の人’の放火。京都で、国の宝が失われた。
責任能力が認められ刑が確定。「金閣寺」刊行の年に死亡。

犯人の自殺未遂や実母の引責自殺など、
社会面の話題も加わって、世間の耳目を集めた。
林は精神鑑定に掛けられたが、完全責任能力が認められ、
同年12月に懲役7年の判決が下り、そのまま確定した。
その後、収監中に結核と精神状態が悪化し、
釈放されてのちの1956年(昭和31年)3月7日、26歳で病死した。

 
三島由紀夫を市川崑が撮った名作で、
当時、京都の仏教界に反対されフィクションを名乗った、曰く付きの作品。

直に老師を説得するため会いに行き、
そこでの話し合いでタイトルを変えることと、
寺の名前も「金閣寺」としないことでやっと了承を得た。
その際、クレジットに「三島由紀夫の原作『金閣寺』より」
と入れることは承諾された。

あの面倒くさい小説を巨匠は、どう料理したのだろうか?
私は興味を惹かれた。 
 
大スクリーンで観るべき理由もあり。

市川崑は『金閣寺』映画化製作にあたって会社に、
「モノクロ」にすることと、
画面サイズを「シネスコ」にすることの
2つの要求を出していた。
人物間の心理的リアリズムに重きを置き、
主人公の孤独な内面をシュールな方法で
表現する演出を駆使する印象的なショットが、
「モノクロ」と「シネスコ」により
効果的になることを市川監督は狙っていた。
 
会社としてはカラーで金閣寺の「金」を描いてもらいたいという意向があり
3か月ほど論争したが、市川崑としては
「火が赤くメラメラと燃えたりすると安っぽくなる」と思い、
それよりも「白黒の格調」を出したい意図があった。
シネスコでの撮影は宮川にとって初で、
横長の画面の空間をどう生かすか悩み、
撮影中はずっとカメラのファインダーを覗いていて、
市川監督は「覗かせてもらうのが大変だった」という。
最初の頃は意見が合わず喧嘩をすることもあったが、
やがて気持ちが通い合うようになった。

 
予習はその程度で、チェニジア戦キックオフの頃スタート。
 
 
 《 開演 》
 
 
まあ、1958年に描いた「ジョーカー」。

理想視した対象に幻滅し、退路を絶たれ、
人生すべてに絶望して、’無敵の人’に成る。

本作のエピソードは羅列気味で、
繋がりは分かりにくいですが、原作承知の前提かも知れません。
「ボディビルダー」のように、順々に詰んで行くと分かれば問題無く。

  
三島由紀夫も、それに連なる評論も、
何で、難しいこと言うんだろ。
 人生すべてに絶望して、’無敵の人’に成る。
以上。
 
今なら、特に説明要らない。
鑑賞中も、青葉死刑囚を連想せずには居られませんでした。

アニメ制作プロダクションを勝手に理想化して、勝手に幻滅。
親ガチャには失敗。

三島は中でも特殊に才能溢れたけれども、
対象が、日本という国に変わっただけで、結末は似たり。
映画の中の母親が過剰な期待を押し付けるのは、
原作者の投影かと観てしまう。
 
 
映像は、不満も感じました。
 暗すぎて、分からない処あります。
 モノクロームが正解とは思えません。
 しかし、
 限られた予算で。かつ金閣は映せない、
 その制約なら正解なのですね。(後述)
 
 シネスコなのに、表情に寄り、人間心理を描く。
 それでいて、背景まで隙無く計算されている。
 2本目には、脳の処理が追いつかず疲れましたが、
 画作りの違う巨匠を比べて観るという、貴重な経験を得ました。

 因みに、
 美人は美人に撮られてました。

  かつ、邪悪な時は邪悪に。とにかく顔。
 

音楽は、ごめんなさい。

 記憶に残っていません。やはり集中が切れてます。
  
 
演技は申し分無し。
 銀幕スターが演技派へ挑戦と知らず、
 ただ、機能不全家族で育った若者を好演と観ていた。

 ”特集”の仲代達矢は、
 原作の観念パートを一手に引き受けつつ、
 主人公の屈折した内面を観客に示す。
 鏡像的な役で、匙加減が難しい。
 見事な設計。
 
 重荷となる期待を寄せる母親、
 和尚の器、番頭の小物感、
 それぞれ適役。
 
 
ともかくも、 
小説から2年後1958年に映画化。
市川崑は、昭和33年にジョーカーの心情を描いていたとは、
恐れ入りました。
  
その先見性を知り、歴史的価値を前提に鑑賞すべき作品です。
単純に一本の映画として評価するなら、
なにより「ジョーカー」優先ですけれど。
 
或いは、
ワイドな画角にも関わらず、表情の演技を重視。あの独特の技法。

 役者のまばたきを許さなかったのか。
「犬神家の一族」を思い出す、市川崑演出を遡って鑑賞するなら、

やはり大スクリーンで本作を。

など、 
稀少な価値を感じるのなら、是非映画館で。

以下、項目を分けて、若干語りたいこと。
 
 1.京都の放火犯 
 2.市川崑 映画化の苦心
 3.猛女と父親不在
 4.無価値で生きて、いいじゃない
 
 
ネタバレしていない可能性も有りますが、
三島由紀夫「金閣寺」あらすじ↓は、承知で。

本作は、その前提で作られていると察しました。
ま、
 理想化した対象に、一つづつ勝手に裏切られて、
 詰んで、’無敵の人’に成る。
その過程を把握出来れば、充分なのですが。
大切な事なので、2度言ってしまいます。
 
  
1.京都の放火犯
 犯人が、”京アニのパクリ”と特定した部分は、
  高校の校舎に垂れ幕が掛かっていた。
 などと、ただの言い掛かり。
 
 本当は、
 才能の欠乏、今さら努力では及ばないと、
 気づいていたのではないか。
 
 絶望の涯に、
 自分が憧れた存在と無理心中しようと、
 建物の前で、逡巡した後、凶行に及ぶ。
 (実行前に、良心の呵責に迷ったとの点が、
  善悪の判断能力は有りと認定された)
 
 原作小説は、’生きる希望を持つ’ と終わる。
 ジョーカーに覚醒と、解釈も出来る。
 希望とは別物に見えるが、、、
 
 もう全てが、どうでもよくて、
 自殺より死刑の方が好都合と言うなら、
 成し遂げて、清々とするだろう。
 
  
 対照的に、
 三島由紀夫は絶望しても、自衛隊(or日本国)と心中も叶わず。。
 ’無敵の人’に成れなかった。名声は既に得ていた。
 死刑囚と違い、文才に溢れ、社会から価値を認められていた。
 
 
 理想や絶対を抱けば、現実が裏切ってくるのは、仕方がない。
 ’無敵の人’を産まない社会にとは、戯言が過ぎるが、
 解決策は、思いやりでなく、
  無価値で結構、世界と関わらなくても構わない。
  でも、自分も他人も傷つけない。
 と日々、心掛けたい。
 
 闇落ちしない’無敵の人’。
 目指す道を示すのが、次善の策だと思ってしまった。 
 
 
 戦後復興期から既に、確率的に社会と不適合は生まれる。
 それもまた、生命としての生存戦略かと。
 
 
 
2.市川崑 映画化の苦心
 観客は当然、金閣寺を想像↓。

 やはり、
 みなもに写るゴールドを天然色で観たい。
 その上、セットやミニチュアは、イメージに遠く及ばない。
 
 詰んでゆく主人公の心象風景は巧みに表現されるも、
 どうにも、肝心の建造物の実感が沸かない。
  
 苦心も忍ばれる。
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黒白のワイドで製作費は二千万円。
この作品を二千万円で製作するという事は常識では相当にむずかしいが、
  
-中略-
私は最初から天然色でやりたくなかった。
なまじ色がつくとかえって薄っぺらで作り物の感じがまぬがれないし、
対象を人間ドラマにおくためにも黒白の方が適確である。
 
-中略-
室町時代の建築物は一体に優美を基調としているだけに
出来るだけ単純な線とゆるやかな傾斜とを調和させて構成、
壁は黒漆ぬりで、一面に金パクをはり、
腐蝕剤でくさらせて時代色を強調すると共に、
一層でも少なければそれだけ安くなるとばかり、二層建ときめた。
これを焼くわけであるが、
ロケーション・セットを建てる場所の大覚寺は
風致地区のため火の使用は出来ず、
実物の三分の一のミニチュアを別の所に建てて
炎上シーンはそれでごまかす事にした。
しかし「炎上」の題名が示すように火事の場面は
画面的にはクライマックスだけに、撮影の宮川氏と打合せして、
保存されているスタンダード(普通のフィルムの大きさ)
で撮った炎のカットを、
ワイドで撮る炎上するミニチュアのカットの間につないで
特殊な迫力を出すことにした。
(これは結果的には効果があったように思う)

 低予算の中、カラー撮影の金閣を一から用意せよとは、
 ご無体を。
 鑑賞中は、不満にも感じたけれど、
 選択と集中。最善の策と知る。
 
 
 撮影のみならず、
 難解な長編小説からの脚本にも、取捨選択と整理の必要に迫られ、

三島氏の主題を分析してみると、美への嫉妬、絶対的なものへの嫉妬、相対性の波にうずもれた人間、絶対性を滅ぼすこと、絶対の探究のパロディー、etc、etc……。 これを整理しはじめた。
  
-中略-
絶対というものが遂にないという事を知って死んだ男を描く方が、絶対という事を観客にわからせられるのではないか。あくまで心の黙劇にしないで、人間本位のドラマにおきかえるために、裏日本の暗い風土に培われた父と母と子に主題をしぼり、親と子の素直な願望や悩みに基本をおいてみた。

 なるほど、得意の分野に引き込んだ。
 有りもので料理するセンス溢れる。

 
 
3.猛女と父親不在
 青葉死刑囚は両親離婚、父子家庭。酷い父親だったらしい。
 三島由紀夫と市川崑は、
 父親の影薄く、猛烈な母や祖母の影響を受けたらしい。
 
 春日太一いわく、
 逞しい女と頼りない男。が市川崑の定番。

  金田一耕助は回し役。進行出来ない芸人は売れないな。

 劇中の市川雷蔵も、父親は病死、母の期待を背負う。
 応えられず、ドロップアウトした。
 
 そこに、元来の劣等感が炸裂。

 社会不適合の生きづらさを抱える者と、
 怨念は抱えず、洒脱に世を泳ぐ監督の視点が交わる。

芸術の華たり得る武器を持ち乍ら、膨大な資本のがんじがらめにあって、
芸術に昇華出来ぬ所。
これを変転極りない世相と密接に関連を保ち乍ら合致させる事が出来たら
と思うと身の内がゾクゾクします

 変幻自在に適応する。
 絶妙なバランスで、観念論を処理しつつ、観客を退屈させない。
 ジョーカーの誕生を、強い女と弱い男という、自らの定番に落とし込んだ。
 
 劇中、不肖の弟子は、父性なるものに、最後まで裏切られ続ける。
 
 
 
4.無価値で生きて、いいじゃない
 三島由紀夫は戦争に征けず、死ねなかった事に劣等感を抱いた。らしい。
 「八つ墓村」みたい。

 承認欲求が、自らと集落を滅ぼした。 
 無価値で平然と生きられれば、ラクなのに。
 
 三島由紀夫でも、
 是枝裕和でも、濱口竜介でも、
 社会への問いとか、答える義務は無いし、

 社会の事は社会が決めたらいいじゃない。
 自分が主語じゃないのは、承認欲求強すぎ。
 あんたら病気だよ。
 
 ま、
 クリエータの業かもしれないが、
 観客は、適切な距離は保ちたい。
 社会問題に関心が有らば、当事者と専門家に知見は求める。
 
 
 今年のカンヌのニュースで、つい思い出す。
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①ニュートラルが基本、
②快はおまけ、
③不快は避けるべきだが、
 反応することは人との関係に不可欠だから、
 不快を感じたら上手に解消する、

  それだけで、良くね?
 
 劇中、
  戒律を破ることは気にしても、
  承認欲の煩悩を減らすメソッドを学ぶ気は無い。
 何の修行にもならない。
 身を滅ぼしても、致し方なし。
 
 
 折角、実話に基づく物語なのに、
 面倒くさいことばかり皆語って、肝心の教訓に目を向けない。
 作品そのものから離れて、気になってしまった。
 市川崑のクールな態度と、とても対照的。
 
 
  
今日的な社会問題を、
合理客観で捌く監督の技に興味有れば、お奨め。
 
 
 
”諦めたら終了”の洗脳は、’無敵の人’を生みやすい。

 
 
 
2026.06.24 06:00現在
 AI先行き懸念か、日銀介入予想か、
 理由は不明も、
 テクニカル的には、そろそろ20MAまでは戻って不思議無い。
 昨日ドテン気味。
 本日の底を見極めて、入れれば少し動きたい。

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