”評の評”という視点。反論でも人格攻撃でもない。びわ湖くん「ちいかわ」炎上を例に


びわ湖くんの「ちいかわ」映画感想が炎上。なかなかの話題らしい。
 
”評に対する評”という問題を思い出して、興味深い。
映画の感想そのものから離れて、
ふと、整理したいこと書きます。
 
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 1.”評の評”とは
 2.”評の評”は反論でも人格攻撃でもない
 3.駄作と自己認知、解説の不在
 4.関係無い雑談

※「ちいかわ」セイレーン編のネタバレ含みます。
 
   
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 以下2つの動画が対比的で興味そそられた。
 
 a.びわ湖くん「ちいかわ」で炎上の解説

  単3の件を理解出来てないと解説。
  以下いずれかのケース想定されるが、
   ・炎上狙いで敢えて
   ・ただ理解出来なかった
   ・寝落ちして見逃した 
  解説は、寝落ち説を採用。
  私は、どれもあり得るだろうと、びわ湖くんの動画確認。  
 
 
 そういえば、
 びわ湖くんが、ただ理解出来てなくて、
 以下の動画のように反駁したら、
 面白いなと、妄想してしまった。
 
 b.”読解力が無い”は人格攻撃?

  ある作品を酷評したら、ファンから罵詈雑言浴びたらしい。
  それは、 
   あなたの酷評に対する評であって、
   評への’反論’じゃないよ。
  雑言は酷いものなのだろうけど、
  ”酷評に対する酷評”を十把一絡げに処理するのは、
  私には、無理筋に見えた。
 
  
  
1.”評の評”とは
  作品 ← 評する人 
  評 ← 評を評する人
 という、二重の構造に成っていて、
 評への反論という、同じ土俵に立つ事柄では、ないんだな。

 作品を評価する以上は、その評価に対する評を、避けることは出来ないよ。
 ましてや、再生数回して収益上げているなら。
 クリエータは、youtuberのレビューに対して、信頼関係とか持ち出さないよ。
 
  
 かつて、
 「シン・仮面ライダー」を酷評したyoutuberが、
 作品のファンから罵詈雑言浴びてる動画を見たことがある。 
 どうやら、youtuberが元ネタを知らないらしく、無理からぬこと。
 私は、youtuberに同情しつつ、同時に、
  (元ネタの特撮や石ノ森章太郎作品に対する)
  読解力が無い、教養が無い、
 との”酷評に対する評価”自体は妥当に見え、
 そりゃ、そうなるやろ。としか言えない。
 
 評する以上は、評されることも覚悟しよう。
 
 
 うろ覚えですが、 
 昔、宇多丸師匠が吉本興行の映画を酷評して、
 映画の世界でも、”作ってない奴が”的な反発を受けた。

  因みに、
  ”作ってない奴が” は芸人さん特有の症状で、
  松本人志が始めたかなぁ。芸人選民思想的な言動。 

  評価に対して芸人以外は、そんなカッコ悪いことしない。

 閑話休題、
 宇多丸師匠は、
  私だって、評の評には晒されている。
  レベルの低い映画批評をすれば、私の評自体が酷評される。
  評価に晒されるのは、作品だけではない。
 と、品川監督に反駁してた。
 
 まあ、キレ芸として巧みな話術と面白かったのですが、
 当時、大事な視点だなと、記憶にある。
  
 
 さらに因みに、  
 アニメばかり見てるアニメファンが、
  文学、音楽、絵画、実写映画、漫画etcのアート方面に、
  ”教養”が無くて、
 ”教養”の有る作品のファンと、
 感想に乖離が生まれるのは仕方無いと思う。
 
 ただ、
 無知自体は不可避としても、
 数分の操作で、google先生が答えてくれることも確認せず、
 無知を放置するのは、怠惰で、
 結果、
 手取り足取り補助輪付き、想像力の余地無いコンテンツが溢れること、
 危惧している。
 
 一方で、
 シェークスピア研究家が「果てスカ」酷評する如く、
 教養が有ろうと無かろうと、
 言い訳出来ないケースも在る。
 個人的には、細田守が教養で宮崎駿に挑むのは無理ゲーに見えた。
 
  
  
2.評の評は反論でも人格攻撃でもない
 bは、”評の評”という視点無く、再反駁を試みている。

 気になるのは、
 酷評に対する非難の内容が整理されていない点。
  ”読解力が無い” → 評者の能力に対する評価
  ”教養がない”  → 評価能力が低いと判断された原因
  ”お前が悪い”  → 作品の質でなく、評者の質の問題という結論
 というレスポンスで、
  ”粗探しするな”  → 始めから結論ありきだろう?
 とは、またカテゴリーが異なる。

 後者の、始めからアンチありき に関しては、
 本記事では対象外として、
 
 前者の、評者に対する評価を、
 作品の評に対する反論として、処理しようとするのは、
 ちょっと、論点をすり替えている。
 
 ”酷評に対する酷評”に、正々堂々反駁するなら、
  仮に文脈理解が有ったとしても、
  それは関係無く、
  物語は破綻しているし、演出も演技も下手くそ。
  (私は作品未見で、実物は判別不能)
  故に、評は正当。
 だけで充分だったはず。  
 説明してるけど、すり替え過ぎかな。
  
 
 
3.駄作と自己認知、解説の不在
 酷評の原因が、 
  作品の質が悪いのか   → 「果てスカ」とか?
  観客のレベルが低いのか → (天然な)びわ湖くんと「ちいかわ」   
 そりゃ、両方の可能性は常に存在する。
 
 評に対する評を受ける覚悟在るなら、
 酷評も立派なもので、個人の感想だもの。
 評は正解当てゲームじゃないし。
 
 ただ、
 駄作と言ってしまうと特に、
  観る側の読解力に問題が有って、作品のセイは他責では?
 という問いは残り、
 それを自問した形跡が無い評に関しては、
 評者の自己認知能力を、私は疑う。
   
 そういうケースも見掛ける。
 逆に、
 暗黙知のまま、作品で提示されてる内容を、
 解説したものが無い。無さ過ぎる。と思う。
 本来、
 映画評論家が担っていた仕事だけど、絶滅してしまった。
 
 
 例えば、
 「ブルームーン」で、

  作詞家ロレンツ・ハートが主役なのに、私の知る限り、
  歌詞の解説を誰もしない。プロの評論家も。
  内容ではなくワードセンスや技巧に誰も触れない。
 
 映画は配信と違って、
  わざわざ足を運び、鑑賞料金先払いで、
  2時間暗い席でジッとしてる。
 楽しめないという損失は痛い。
 
 が、最低限の検索で、リスク回避できる事も多い。
 とは言え、
 補助線を引いてくれる解説は死滅した。
 観りゃ分かること、くどくど説明されても、可食部に乏しい。
 
 小さい頃は、理解も出来ず、つまらないかった作品が、
 リバイバルで見返すと、充分楽しめるケースはザラなんだけどなぁ。
 (「グラン・ブルー」とか、印象変わらないこともあるけど)
 面白かったら、
 どう面白かったのか、補助線引く説明して上げなよと、
 あらすじの説明を見聞きして、いつも思う。プロの人でも。
  
 
 
 以上、評に対する評という視点について、書いてみました。
4.関係無い雑談
 ところで、思い出したこと幾つか追記します。
 
 「映画 ちいかわ」真犯人を秘匿した件で、
 訴え処の不甲斐なさを、パレスチナ自治政府で例えたけど、
 拉致被害に対する日本政府が、身近だったと反省。
  横田めぐみさんのご両親はじめ、犯行を訴えても、
  社会党には、”証拠は有るのか” と詰め寄る議員も居たと聞く。
  公に交渉したのは、小泉内閣になってから。

 
  愚地独歩さながらの武人たる島二郎は、

  島の中心人物ではなく、離れて開業。
  異人らしく、ウルトラマン同様、米軍のメタファーかも。
 その例えの方が、分かり易いか。

 根拠なく、組織を信頼しきるのは、ドリーマー。
 問題解決してくれる存在とは限らない。
 それが現実。
 少なくとも劇中、組織の無為無策は伝わる。
  真犯人を教えて、成果期待できるの?
 そのくらいのリアルは、想定して作ってると思われ。
 って、書くべきだったなぁ。。
 
 
 「黒牢城」は黒沢清が苦手で、見送ったのですが、

 ”それがし”も分からないと、戦国ものは無理そうだねぇ。
 でも、
 セリフが現代的過ぎて、時代に釣り合わないと、世界観に入れない。
 親切設計な演出は、大抵クソダサい。
 匙加減難しく、
 私は作り手に同情してしまう。
 
 原作未読で、
 (米澤穂信が絶賛されているのだから、そりゃ面白ろかろう)
 荒木道糞は、「へうげもの」で知る程度、
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 (趣味人として、恥を隠さず生きる道糞は描かれるのかな)
 黒田官兵衛が足を悪くする逸話は、
 NHK大河が最初で、
 竹中直人「秀吉」の伊武雅刀でした。

 その程度なので、何も言えないのだけど、、
 全くの白紙では、手掛かり失いそう。
 
 面白く鑑賞出来る、よい解説があるといいね。
 
 
 
確か、真田広之が三成で、
華やかな茶会のシーンで幕を閉じた。 
領土で報酬出せない時代の変化に、天下人も交代。
全国平定されると、人心の天才から治世の天才へ、さらに交代。

正解が報酬の時代は、難しいなぁ。
  
 
 
2026.06.05 11:30現在
 イラン情勢か、20MA超えの大幅反発。見誤りました。
 依然下落ゾーンの中ですが、
 上昇あるかなぁ。三尊形成くらいとまだ見てしまう。

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