お金に拠らないことは、自前でのマーケットの形成

ども、今日もホーチミンでまったりしてます。
オープンテラス(物は言いよう)なカフェでブログ書いてます。
 
 
久しぶりに、評価経済ネタを。

お金を一銭も使わず、稼がず、幸せに生きる方法
http://on-msn.com/LecnVX
 
 
「お金を使わないで生きると、人と会話をし、交流する機会が増える」
実際は、その逆なんじゃないかなぁ。

「人と交流する機会を増やすことで、お金を使わないで生きるを可能にした。」

ようは、お金以外で交換が成立する場、つまり市場の形成が先。
スーパーの経営者も、
見ず知らずの人に廃棄処分の品簡単に渡せないでしょう。

それが個人的な関係による信用なのか、
アンチ消費活動家としての社会的信用なのか、
どちらかは分かりませんが、

彼の評価つまり信用を背景に、交換を成立させている。
この場合の交換は、貨幣経済の枠に囚われる必要はない。

「捨てる罪悪感の軽減」と「まだ食べられる廃棄処分行きの品」の間でも、
交換は成り立っている。
貨幣という形で、交換を具現化しなければ、
その交換を実感出来ないというのは、単なる想像力の貧困。
 
 
で、これバラ色なことばかりなのか、というとそうでもない。
お金で商品やサービスを買うってのは、
煩わしさが無い。みんな無言で済ましたいから、無言なんでしょ。
 
お金の信用による、影響力の行使は、便利だけど、

個人の信用で毎度影響力を行使するのは、シンドイ。
身分が固定化した社会でもない中では。
 
 
 
で。
自分が彼のように実行したら、実際はどうなると思います。
 
いきなりスーパーにいって、見切り品分けてくれって言えます?
言えたとして、どういう反応却ってくると思います?
 
あるいは、個人的な関係では上手く行ったとして、
周りの反応はどうでしょうか、
いわれなき誹謗中傷も受けるでしょう。
特に、勤勉は善と考えられている社会では。
 
 
価値の交換が、経済で、
価値の交換を成立させる場が、市場。
 
見えないものを見えるようにした、既に成立した貨幣による、
経済とか市場を一度捨てて、
新たに、経済と市場を再構築する。
 
これは、少なくとも、コミュ力なければ、大変でしょう。
 
個人の信用力によって、交換できるものが変わるとしたら、
お金とは違う、格差が出来ます。
コミュニケーション得意な人ばかりではありませんから、
これはこれで、大変な世界です。
 
お金不要になれば、幸せになれるかと言うと、
そう甘くは無いだろうなと想像されます。
 
 
オレ、去年一年で、それは少し分かった。
持続可能な交換の成立を維持するのって、大変だよ。
 
 
freeの話をすると、
マスを志向するなら、googleのようなモデル。
でもこれ、相当チカラ無ければしんどい。
 
お金とは別の市場の形成みたいなことがねぇ、
どうしても必要になるんだよなぁ。
 
  
で、 
非貨幣への道では、 
個人の信用力による消費の実現、っていう方向とは別に、
 
貨幣の獲得を目的としない生産って、のがあるよね。
自給自足的な方向になるかな。里山主義的な。
 
自分の食べる分だけ確保してしまえば、
交換の成立がそんなに深刻ではない。
それが貨幣であろうとなかろうと。 
 
両建てのリスクヘッジが必要になるかな。
コミュ力が低いなら尚更、
 
里山だって、生産の場だから、
どちらの方向も、自前での場の形成ってのがキーだよね。
 
ま、とりあえず、
ラファエルさんを呼ぶなら、
道徳の時間でなくて、経済の時間に。
 
 

「不動産投資の始め方」が発売になりました。
http://sg-biz.com/dvd/yamazaki.html

質問コーナー、お問い合わせは、sanpome.net@gmail.com まで。
メルマガ 三歩目の不動産投資で海外移住。



メルマガ登録三歩目の不動産投資で海外移住。



無料メルマガ インフォマグ


社会・経済ニュース ブログランキングへ

カテゴリー: コミュニティ, マネー、経済 タグ: パーマリンク