暇な祝日、午前一回のみ。これは貴重な体験かも。
概要だけ知り、文芸坐へ。
ソビエト崩壊は1991年。
本作は1993年公開。
当時のペテルスブルク(やモスクワ)で生まれ、育ち、
そして、各種施設に収容される。
ストリートチルドレンの姿を追った、
ドキュメンタリー。
監督自身の生い立ちも重なる。らしい。
同様のテーマの前作、前々作は創作で、カンヌで高評価を得る。
三部作の最後を飾る本作は実録もの。
そこまで評価は得てない様子だけど、
社会派なら、できればドキュメンタリーが好ましい。
《 開演 》
ここんとこ、親ガチャ関連のコンテンツ続くな。
希望は無いけど、生きてゆかねば。
オープニング、
子供たちの荒んだ生活に、背景の運河美しい街並みは、
画的にもセンス感じてしまう。
画面の中の季節は、移り変わり、
どん詰まりの社会で、寄る辺なく生きている姿が映し出される。
教会に保護されるケースは、まだ不幸中の幸いなのかな、
刑務所でも、まだマシかとも思えてしまう。
終盤の三部作ユニバース的展開は、
他の作品を観ていないので詳しくは分からず、察するだけ。
創作側に感情引っ張られることなく、
純粋に寒々しい現実を突きつけられるだけ。
それはそれで充分。と観ていた。
最後は、監督から少年たちへの問いかけ。
親を殺してでも、貫く信念を持っているか?
そんな意味の言葉だったと記憶する。
唐突な印象を受けたが、定型的な言い回しがロシアに有るのかも。
やっぱロシアだからか、
神殺し、父殺し。
タルコフスキーを思い出してしまった。
権威や権力を振りかざすが、
今では、
何の保護も便益も享受出来ない。
服従する甲斐が無い。
絶対的な階級社会の帝政からレーニン革命が起こり、
スターリンを生んで、大戦を経て、遂に崩壊。
今後も戦争の結果次第かもしれない。
イランも似たようなものかもしれない。
いや、日本だって、
明治維新で没落した武家も多かろうが、
家長制度は残った気がする。
敗戦で解体再編されたのは社会だけでなく、
核家族化も進んだ。
当時、掌返しで生き延びた教育やマスコミは、
便益の無い存在として、
核の傘に安心出来ない現在ようやく、
退場を迫られるかもしれない。
またコロコロ姿を変え、権益を貪るかもしれない。
搾取するだけの存在を見極めて、生きて往かねば。
劣悪な環境で、どこまでなら、自分に悪事を許すか。
それは、その人間の価値と思わないでもない。
前回、ニシダが主役で、次いでに小説も鑑賞。

内容は、ややマイルドな「どうすればよかったか」
”貴方の為” は、
自分の醜悪に気付く認知能力もモラルも無く、
相手の為に成れるような、人間としての見識も無いが、
そんなセリフを吐く当人は壊れていて、認知の歪みにも気付けない。
経済的には充分でも、精神的に壊れている作品と、
社会丸ごと、経済的、物理的にも劣悪な、本作の違いはあれど。
親ガチャという単語が浮かんでしまった。
昔、大愚和尚に心酔してる知人に、伝えたことがある。
初期とは違い、独自の枠組みで活動始めてからは、
劣化してるように見えるけどな。
時代や地域で相対化して処理する問題じゃないんだよ。
配牌が悪いときの打ち方の話をしている。
また、
海外を知らない人ほど日本を不幸と言う、
それをウソだと主張するには、自殺率が高過ぎたし、
極端に過酷な例を引いて、相対的に幸せという納得は、
搾取側の手口だし。
絶対視するのは、危険に見えるけどな。
ま、事実を突きつけても、
信じたいことしか信じられんけどさ。
自分が壊れていることに気付くのは、壊れては出来ない。
うーん、
問われると、劇中の質問に答えようとしてしまう。
殺すほどの意味が有ったかと言われると、
あらゆる可能性は排除しないが、別に信念も無い。
とりあえず、
殺しもせず、殺されもされず、生き延びた自分を褒めて上げなよ。
としか言えない。
愛せないものを愛したり、
信じられない人を信じたり、
無理をさせてすまんかった。
自分を許してやれよ。
そんな気持ちになる映画。
カネフスキー監督は、
現実を映す手段を手に入れる為に、カンヌを撮ったのかも。
描くべきを描き切って、それ以上の創作を続けなかった。
2026.02.24 11:30現在
トランプ関税を巡り下落かと思いきや、
横ばいで20MAとぶつかりそう。
予算通過して上昇がメインシナリオと見る。
