そろそろ混雑落ち着く頃かと、土曜の昼、ヒューマントラスト有楽町へ。
実際は、
7割くらいの入り。
大スクリーンで遠目の席から観たいとも思った(後述)けれど、
それなら、名画座で掛かるのを待つしかない。
「人生タクシー」は10年ほど前、新宿テアトルで観た気がする。
大っぴらには、もう撮影出来ないので、車中でカメラを回す。
あのパナヒ監督は、この映画をイラン国内で撮ったのか?
その後禁錮6年の判決が下り、さらに20年間にわたり映画製作・脚本執筆・メディア対応と海外渡航が禁止された
-中略-
2023年2月1日に釈放を求めるハンガー・ストライキを敢行し、48時間後に保釈が認められた。
4月には当局の海外渡航禁止令が解かれ、パナヒが14年ぶりの海外渡航を果たしたと報じられた。
本作の予告編と’あらすじ紹介’からは、
体制批判のスタンスは変わらず。と知れた。
本作の製作も、カンヌに出席出来たことも、経緯は全く分からない。
恐らく、
ある程度の自由が認められた、2023年以降、
ゲリラ撮影が可能になり、本作の日本公開に至ると。
戦争前夜のハメネイ体制で、
状況が緩和されるだけの、どんな力が働いたのか、
経緯は全く分からない。
ヘリの事故とされる大統領交代の影響か、
表現の自由を取り締まる余裕も失ったのか、
それとも、民意に押されて緩和したのか、
今後、巨匠の活動は、
これまでより制約少なくなる可能性有る、かも知れない。
と、想像するくらいが私には精一杯。
体制維持=泥沼化=トランプ失政 を喧伝する勢力は依然日本にも残りますが、
無力化、封じ込めが達成目標で、
体制崩壊はイラク、アフガンにて、共和党政権も学習済でしょう。
(市場は青天井のように、戦争終結と見てますか)
内戦になれば、映画どころでは。
予習は、
「聖なるイチジクの種」「TATAMI」で済みと、
人通り多い有楽町へ。
《 開演 》 ※ネタバレ避けます。
この精巧な画作りが、どうしてゲリラ撮影なんだろう。
構図、色調もピタリとシャープで、たまにトリッキーな撮り方。
驚くばかりでした。
冒頭、冗長に感じます。
車中のシーンで始まるのは、昔と変わらず、
意外にも会話劇中心で、乗れないと眠くなる。
前回もそうだった。記憶が蘇ります。
そこから、
ああ、そういうことなのか!
場面転換で、’あらすじ紹介’までの概要を理解します。
監督本人の体験込みで、恨み骨髄の重い題材で、
ドタバタコメディ舞台劇のように物語が展開。
日替わり定食のように、人物が入れ替わるのも、
(今回は、視覚以外の五感のメタファーか)
監督の特徴かと、10年前をやはり思い出します。
復讐の相手は本人なのか? 人違いか?
「メメント」や「スリー・ビルボード」連想しました。
本作の中心の謎について、
その謎解き要素は、もうちょっと丁寧に転がして、工夫が欲しい。
との評も見掛けました。私も同意。
会話に乗れなければ、眠くなってしまう原因でもあります。
(迷子は自己責任だとしても)
作品単体としては、評価の分かれる処でしょう。
それでも私は、
積年の怨念を、創作に昇華できる才能に圧倒されつつ、
自分にとっての恨み骨髄の相手を思い出したりして、
本人の特定が揺らぐと、決心も揺れてしまう。
奴は許さないが、無関係を巻き込みたくはない。
強く感情移入してしまいました。
サスペンスとして娯楽全振りもせず、
人情物としてオチを着けるでもなく、
とは言え、
純然と社会派ぶる訳でもなく。
この匙加減こそ、作家性。
これからも、イランで映画撮り続けると言い切る。
覚悟と才能と、まざまざと魅せ付けられ。
「果てスカ」の代わりに観るべきは、本作でした。
それでは個別に、
0.復習
0.1.シリア内戦
0.2.ゴドーを待ちながら
0.3.自白と目隠し
1.本作の感想
1.1.精巧な画作り
1.2.物語の才能とは
1.3.視点と作家性
0.復習
詳しくない2点、鑑賞後おさらいしました。
それから、かつて予習した1点もう一度。
0.1.シリア内戦
秘密警察側の視点で、これを描くとは、私には驚きでした。
怨念の中に、巨匠の水平思考的な作家性を感じました。(後述)
シーア派の大将としては、アサド政権支援一択。
共和党ブッシュJrがイラクを泥沼化させた後、
オバマ政権下で撤退、IS台頭し、アラブで大勢が死んでも、
介入せず弱体を待つのはクレバーだと、
その冷徹さに恐れ入ったこと思い出しました。
Wikipediaより。
シリア内戦は、2011年にチュニジアで起きたジャスミン革命の影響によってアラブ諸国に波及したアラブの春の一つであり、
シリアの歴史上「未曾有」のものといわれている。
ジャスミン革命とエジプトの民主化革命のように、
初期はデモ行進やハンガーストライキなど様々な抗議形態をとった市民抵抗の持続的運動であった。初期の戦闘はバッシャール・アル=アサド政権派のシリア軍と反政府派勢力の民兵との衝突が主たるものであったが、
その後、反政府派勢力間での戦闘や混乱に乗じて、
過激派組織ISILやアル=ヌスラ戦線が台頭し、
またシリア北部ではクルド民主統一党 をはじめとしたクルド人勢力ロジャヴァが勢力を拡大した。
これとは別に、アサド政権を支援するロシアやイランはシリアに軍事介入したため、内戦は泥沼化した。
また、トルコやサウジアラビア、カタールもアサド政権打倒や自国の安全・権益確保のために反政府武装勢力への資金援助、武器付与等の軍事支援を行った。
劇中言及されるように、IS相手に勇敢に戦ったのでしょう。
反政府派の主要組織である「国民連合」はISILとの戦闘を全面的に支持した。
アメリカはISIL掃討を目的とした多国籍軍を送って壊滅させた。
アサド政権の支配地域は一時、国土の3割程度に縮小したが、
ロシアやイランの支援を受けたこと、反政府勢力間での戦闘の激化、
「アサド政権打倒」を掲げていた欧米がISILとの戦闘を優先する方向に舵を切ったこと、
クルド系武装勢力とはISILやアルカイダなど対イスラム過激派系勢力打倒を優先する双方の戦略上ある程度の協調関係を構築するなど、
情勢の変化も追い風となり勢力を回復、シリア領土の7割前後を奪還した。
2017年以降はアサド政権を支援するロシアやイラン、
そして反体制側のトルコが「アスタナ会合」と呼ばれる枠組みで停戦協議を主導して行った。
その後のアサド政権崩壊は一旦置いて、
劇中の傷痍軍人が帰還するのは、停戦協議の頃と想像しました。
イラン国内の弾圧を正当化する理由になるとは、
個人的には思えないものの、
彼らには彼らの正義があると、わざわざ描く。
世間の評で思い出す。
当時の反応も、平和を声高に叫ぶ人からは、
ただ反対するだけで、
中東政策と呼べる意見は見つけられませんでした。
何かの弱体化が第一で、人道的とは、私には見えませんが、
正義は人それぞれ。
そんなこと去来しました。
0.2.ゴドーを待ちながら
『ゴドーを待ちながら』サミュエル・ベケット(三幕構成分析#15)
ストーリーエンジンは物語を引っ張るテーマや状況などのことです。
この戯曲では「ゴドーを待つ」ことが、それに当たります。
ゴドーはゴッドすなわち神と解釈するのが一般的だと思います。
作中には、聖書に関する言及も多く、そこを必要以上に穿って解釈する必要はないと思います。
この「ゴドーを待つ」ことがどうしてストーリーエンジンになるかといえば、
最後までゴドーがやってこないからです。これを踏まえて、ログラインとしてまとめれば、
「二人の男が、ゴドーをひたすら待つが、やってこない」
となります。
まず、最後まで「やってこない」というネタバレを知っていて、
この戯曲に触れるかどうかは大きな違いだと思います。
アメリカの初演では「パリ直輸入の爆笑コメディ」という謳い文句だったそうです。
多くの人は「ゴドーが最後まで来ない」ということを、知らずに見ていたのだと思います。戯曲なので、台詞がビートとなっているものが多いのですが、
その台詞自体がメタファーを踏まえないと機能していると思えないものが多いので、
そこが、この戯曲を楽しめるかどうかの最大の違いだと思います。
まあ、人間は何の希望も持たず、生きていくのは困難。
その一方、
何も出来ず、ただ待ってるだけという状況に陥ることも。
特に、
救世主や最後の審判を信じる人にとっては切実な問題でしょう。
人は何を信じ、何を待っているのか、
戦争前夜のイランで、暗示してるのでしょうね。
0.3.自白と目隠し

白い拷問の苦痛は、刑務所の構造のみならず、看守や尋問官のふるまいによっても増幅する。囚人は独房の照明を操作されて昼夜の感覚を失い、睡眠パターンを妨げられる。
独房を出るときも目隠しをされる。独房や尋問室で身体的接触がすべて遮断されると、感じられるのは痛みだけ、つまりコンクリートの床と壁、そしてゴワゴワの毛布だけという状態になる。
独房で唯一臭いを放っているのは不衛生きわまりないトイレで、これが囚人の嗅覚を痛めつけることも計算ずくである。
食事は味気なく、毎日同じで、金属のボウルに入ったものが生ぬるい状態で出され、お茶はプラスチックのカップに入っている。
自白するまで、目隠しして尋問、拷問を繰り返すのが、
常套手段らしい。
体の具合だけでなく心もおかしくなり、症状が重かったので、向精神薬を渡されました。
ある日、尋問官が入ってきて、「お前にはスパイ容疑がかかっている。イランで何をしたのか話せ」と言いました。
尋問の間、私は目隠しされていたので、声しか分かりませんでした。
尋問官は怒っていると分からせようとするときには、お茶の箱やら何やら、物を投げつけてきます。
あるときは、尋問官のひとりが後ろから私の座っていた椅子を思い切り蹴飛ばし、
「お前は噓つきだ」と言いました。
尋問官の顔は判らない。声だけ。音だけ。
出口解説員曰く、視覚の遮断は、自白に効果的とのこと。
1.本作の感想
本作、
自然音が象徴的に使われて、
一方、劇伴は付いてなかったはず。
音楽については、語ることなく、
映像、物語、テーマ、それぞれ感じる処あり。
1.1.精巧な画作り
車を推すシーンをゲリラ的にビルの窓から撮るシーンすら、
構図に隙がなく、
街路樹、バス、車、押す人と、色味も計算されている様子。
風景を魅せる映像はもとより、
手ブレでアップのシーンでも、全てサマになっている。
照明はじめ機材が充実してるのかどうかも不明。
許可無しで、
なんで、こんなに決まってるのだろう?
もっと、良い条件でも、首を傾げる映像は幾らでも有るのに、、
テストの時間さえ、儘ならない筈で、
撮影の構想を練ってる暇は無いと推察される。
ただ敬服するよりありません。
1.2.物語の才能とは
実体験から、これは映画になる!と着想を得る。
伊丹十三の「お葬式」のように。
本作は、
それが、投獄、尋問、拷問と、苛烈に特異なだけ。
しかし、映画と撮る自由を辛うじて得た、
その時に、
尋問官に復讐のチャンスを得たが、
果たして眼の前の男は、本当に奴なのだろうか?
目隠しされていたので、顔は知らない。
音で知っている義足という特徴のみ。
これは、面白いドラマになる!
と、辿り着くだろうか。
自分自身の感情も一旦突き放し、物語を脳内で構築。
恨み骨髄にも関わらず、水平な思考。
逆に、未熟な脚本は、
物語を客観視出来ない。第三者視点に成り切れない。
ネタを見つけ出し、組み立てるまでに、才能の差は如実に現れる。
それから、人物の配置。
「インサイド・ヘッド」のような、被害者の会。
一方で、
敵役の造詣が記号では、
エンタメにも仕上げるとは言え、安すぎる。
感情移入も可能な人物へ、厚みを持たせる。
あとは、エピソードを出し入れ、
エンタメに寄せ過ぎず、社会派一辺倒にも成らず、
巨匠独特の匙加減。
感受性と理知の両方が揃っていて、突き抜けている。
技術は習得可能としても、
才能は、
無い人は無い。有る人には有る。
前者では、せめて
割り切って、プロに発注か、
時間掛けても、基礎から脚本の実力を身に付けるか、
いずれでもない作品多数と、常日頃思う。
情熱は有るのかもしれない。
情熱だけでは、映画は成らず。
本作は両方兼ね備えて、かつ尋常ではない。
1.3.視点と作家性
日本より電子化も進んでそうなのに、イスラムの法で統治出来るのか。
待てば、救世主は現れるのだろうか。
懐疑的な現実ばかり描くのに、
何処かに、希望を感じさせる。
ラストの解釈は様々と思えど、
物語は因果応報。
作り手は信じている。
絶望していないから、絶望的な状況でも、
わざわざ絶望していない、と声高に主張もしない。
ここまで極端な境遇は特殊過ぎても、
極東でも、西洋でも、観たことが無い作家性。
今のイラン映画で、この内容で、巨匠のクオリティ。
上映前から、カンヌは鉄板だったかもしれない。
今後、イラン映画は幾つか公開されようとて、
ジャファル・パナヒ作品はもう無理だろうと、私は決め付けていた。
これだけの新作を観ることが叶うのだから、文句は有りません。
最低限の予習の前提で、感情移入出来そうなら、
エンタメとも、社会派とも、
絶妙な匙加減を、お奨めします。
ペルシャの古えの教えは、光が闇を照らす。
ペシャワール西のイランや、バングラのミャンマー国境は、
行けるうちに行っときゃ良かった。と時々思い出す。
2026.05.31 現在
2σの内側ですが、上昇基調は続くのか。
ついてゆきます。
