ハマス指導者暗殺以来、イラン情勢に興味惹かれる私は、確かめることにした。
映画は果たして、一粒で二度美味しいか?
予告編↑がダサいし、167分と長いので躊躇する。
大体タイトルからして疑問。不親切で思わせぶりなだけ。
”聖なるイチジク”は英語表記”sacred fig”の直訳。
翻訳に掛けると、”菩提樹”と出て、ここでは”絞め殺しの木”のことらしく、
私がかつて生存戦略を学んだ、寄生植物ネナシカズラ↓と同じ。
最後には宿主も枯らす。
野食ハンターすら敗北する強者が、
河川敷の植物を制圧してゆく様を、想起させる。
そんなタイトルであって欲しいところ。
わざわざコスト払うには不安な予感。
単にマーケティングがセンス無いだけなのか、
作品の質以上に売ろうとガムシャラなのか、
その上、
社会派とエンタメのハイブリッドという噂は、なにより懸念材料である。
エンタメは要らないのだが、
強引に辻褄合わせるための、無理やりな結論は見たくない。
先日観た「ファイヤーブランド」のような取って付けたエンドは嫌だ。
そういう主張したければ、アン・アスキュー↓を真っ向描けよ。
そんな根性だから、 カリム・アイノズ監督は賞を逃す。
ブラジル出身より、フランス人の方がイギリスの歴史にきっと詳しい。
戦争の当事国が、”女性だから平和”なんてヌルい幻想許すだろうか。
あ、
本作はカンヌで評価されてるし、作り手の覚悟も違うはず。
と思い直す。
更に、
エンタメ作品としての評判は賛否あるも、悪くない様子。
日本の映画感想には、
もとより現代イラン社会についての考察などは、端から期待してはいない。
(アラブ諸国とペルシャの区別も付かない人が多数派でしょうから。)
だからこそ、
純粋にサスペンスものとして鑑賞してる感想が興味深い。
私は知らない昔には戻れない。大いに参考にしよう。
逆に、私でも想像できる前提は、
あの国で社会批判的な映画を制作することは、
北朝鮮より少しマシな程度の未来を覚悟すること。
ということ。
監督は亡命できたけど、母親役はもともと活動家で捕まったらしい。
イラン映画は昔「人生タクシー」↓を観た記憶があるが、その程度。
モハマド・ラスロフ監督作は、加入してる配信サブスクには無い。
ので、せめてイランについて予習しておこう。
ハマス指導者暗殺に際し、ハメネイ体制のイラン情勢は少し学習済。
もう一冊↓だけ読んだ。ガチの凄み溢れる一冊。
治安は良くても、あの国は秘密警察が居るから、
またスパイと間違えられたら、戻ってこれないか。
と頭をよぎった昔を思い出す。観光しておけばよかったかな。
青きモスクの風に吹かれてしまえばよかった。
ああ、そういえば、
イスラムの隣国で、ウルドゥー語の分からない私は、
ホテルに私服の二人組が尋ねて来ただけで、緊張マックスだった。
(制服着てる警察と違ってガチ勢の公安、、意思は弱いが自白の材料も無い)
ああ、そうだった、
もう一つ西に行けば、最後に逃げ込むべきアメリカ大使館すら無い。
肉体的虐待より、
精神的に追い詰められる方が辛いのは、少し想像できた気がした。
女性ならでは、
性的な侮辱や、子供をダシにした脅迫も日常茶飯だと言う。
電球点けっぱなしの劣悪な独房で、
トイレ移動も目隠しされ、情報は遮断され、
自白するまで延々と尋問が延長される。
「パピヨン」のような不屈の実録もの。
嫌疑にも活動家とスパイの二種類あり、過酷さのレベルも様々。
中でも、目を引いたのは、
おそらく映画のテーマと同じと思われる証言。
尋問の仕組みと家父長制社会の共通点がここにあります。尋問、暴力、懲罰、それらを通じて、尋問官は父親や兄、夫、国と同じ役割を演じています。彼らは女性に、従属的社会集団になることを強要しています。
男女を比較するつもりは全くありませんが、拘禁中に女性の囚人たちから話を聞いて、ふと分かったことがあります。尋問中に感じる抑圧感は、いままでの人生で背負わされたものとそう変わらないと、女性であれば気づくということです。
銃は暴力、権力の象徴であり、
父の権威は一度揺らげば、暴走してしまう。
政治や経済の専門家でもないイスラム法学者に、
難題山積の国の舵取りを任せて、上手く行くものなのか、
国民の不満が募れば、どうなってしまうのか、
二重写しに描いていると想像される。
ノーベル賞受賞の女性活動家といえど、
日本では報じられることもない。マフサ・アミニしかり。
MeToo界隈は、フジテレビには申し訳程度のコメント。
ハメネイ体制下の女性の人権に、物申すことは微塵も期待出来ない。
反米反イスラエルは、敵の敵は味方かもしれなくて、
かつ日本にも狂信者アサシンが居るかもしれない。
私は前回学習の際に、高野秀行経由で知る。
日本で専門家というと、イスラム一緒くたな反米プロパガンダ。
(アラブの実情を伝える飯山あかり氏の失墜はつくづく残念)
もうちょっとマシな情報に接したい。
このデモで命を落とした人の数は、翌二三年の三月までに五◯◯人以上、逮捕者はニ万人にのぼるといわれている(人権団体発表。なお、逮捕者者のうち九人には死刑が執行された)。
最終的には鎮圧されたとはいうものの、その期間の長さといい、犠牲者の多さといい、デモは前代未聞の規模となった。これ以降、イスラム体制と国民の対立が一層深まったことは言うに及ばず、それまでわずかに残されていた和解の可能性すら、もはや完全に失われることになった。
ところが、これだけ大きな意味をもっていた反体制デモは、日本ではあまり注目されなかった。同じころ、毎日さかんに報道されていたウクライナ情勢などと比べると不自然なくらい、その差は歴然としていた。
しかも、多くのメディアは、イラン人がスカーフ強制に反発していることは指摘しながらも、彼らの最大目標がイスラム体制の打倒であることにはほどんど言及しておらず、デモを過小評価しようとする意図すら、私には感じられた。
-中略-
あるいは、マフサ・アミニの名や、「女性、命、自由」のスローガンなど聞いたことすらないという読者がいたとしても、私は驚かない。
私だって、イラン人の名前はアリ・ダエイくらいしか知らない。
なお、デモ当時の大統領は、
ヘリコプターでの墜落死が事故として処理された。
弾圧厳しく、その功績で出世したと聞いたことがある。
改革派が選挙で勝って、
これからトランプ政権との交渉もあるやもしれぬ、
あるいは近い将来、イスラム体制が崩壊することも在りうるかもしれない。
2025年時点でのイラン情勢に関して、私は新たな情報に触れていない。
核開発も、テロ支援国家の名にも、触れずとも、
予習は充分かと思う。
歴史的なことも知らなくても多分、作品鑑賞に支障は無い。
それでも記憶を辿れば、
ホメイニ革命は子供の頃、わずかに覚えがある。
カーターは力の無い大統領だと言われていたはず。
(民主党政権の方がイスラム過激派はいつも元気な気がする)
パーレビ(と当時言われていた)王朝で、石油の利権はアメリカが握る。
が、遂にホメイニ師によるイスラム革命で転覆。
国王の追放とアメリカ大使館占拠は、ニュースで見たかもしれない。
アメリカ支援のサダム・フセインを相手にした戦争は、流石に記憶にあり。
アメリカに制裁されては、石油捌けずインフレに苦しむ中、
親日的な関係があったり、
ワールドカップ出場権を競ったり、
制裁解除や核開発でアメリカと駆け引きがあったり、
その辺は現代の範疇。
歴史も浅く思い出す。(映画鑑賞には関係無いとも思うけど)
旧約聖書に出てくるキュロス2世あたりから、
アレキサンダー大王、アラブ、トルコ、モンゴル、
イギリス、ロシア、フランスなどにも大体ヤラれる。
が、文化的レベルは高いので、
他民族に支配されつつも文官として重宝される。
宗教は、ペルシャは本来ゾロアスター教な気もするが、
サファビー教団由来のトルコ系のシーア派で、スンニ派のオスマントルコに対抗。
アッバース一世の繁栄から紆余曲折、
ペルシャ人によるイラン建国はレザー・シャーのパーレビ朝から、
イランはアーリアという意。インド・ヨーロッパ語族。アラブ人に非ず。
大戦後はイギリスに利権を握られる。国民の不満は募ってゆく。
そこからは前出の通り、ホメイニ革命くらいから記憶にある。
↓長い歴史をよくまとめてる。長いけど。
私はテロ支援の言い訳は容認しない。貧困は言い訳にならない。
ハマスの指導者はホテルに住んでいた。苦しむ当事者とは別人である。
もっと更に、関係無いけど、
マフサ・アミニ氏はクルド系だった。実際はスパイ容疑かも。と連想。
民主化要求とは別の意味もありそうで、自白の強要の果ての死ではないか。
そこでイラン・イラク戦争あたりのクルド人問題↓を、やっぱり改めて予習。
川口市でも話題のクルド人問題の始まり。ブリカスと言われる所業。
クルディスタン南部に位置するモスル州のキルクークに大量の石油が埋蔵されていることが判明したため、イギリスはこの旨味の多い地域を、独立したクルド人国家に委ねる代わりに、自らの直接的な支配下にあるイラクへと併合することを望んだのである。
一九二六年六月五日、モスル州は正式にイラクへと併合されたが、すでにイギリスによってクルディスタンに植え付けられていた民族主義の火種は、この併合をきっかけに大きく燃え上がり、トルコ、イラク、イランに分割されたクルディスタンのあちこちで、有力なアガたちが反乱を起こした。
だが、近隣部族との間で協調関係を結ぶことが少なく、むしろ恒常的な対立関係にあることが多いというクルド人社会の特徴が致命的な弱点となって、これらの反乱は各国の支配勢力によって次々と各個鎮圧されていった。
その後は、アメリカの影響力増大とクルド弱体。
ソ連との関係が深いイラクの体制を揺るがすクルド人勢力の存在は、本来アメリカにとって好都合な存在だった。しかし、イラン・イラク両国の関係が安定し、イラクがアメリカ資本の大規模な流入を受け入れるとなれば、話は別である。事実、アルジェ合意の成立を境としてイラク政府とソ連との関係は一時的に悪化した反面、イラクはボーイング旅客機八機の購入契約を皮切りに、米国系多国籍企業との関係を一気に深めていったのである。
後ろ盾を失ったイラクのクルド人勢力は、たちまちのうちに弱体化していった。勝利への希望を失ったバルザーニは三月三十日、敗北を受け入れる決心を固め、武器を捨ててイランの国境警備隊へと投降した。
結局、イラン・イラク間の不和に乗じてイラクへの浸透を図ったアメリカの目論見は当たり、ペルシャ湾岸地域に対するアメリカの影響力は飛躍的に増大した。しかし、そのような状態も長くは続かなかった。
親米派の一大拠点だったイランのパーレビ王朝が、いよいよその最期の時を迎えようとしていたのである。
フセインには元来野望があった。
サダム・フセインがイランとの戦争を本格的に意識し始めたのは、一九七九年のイスラム革命以後のことだったが、イラン・イラク間にはそれ以前から、潜在的な開戦理由となりうる懸案事項が存在していた。
イラクとの国境に隣接するイラン南西部の一大産油地フゼスタン州の帰属問題がそれである。
シャトァル・アラブ川とペルシャ湾に隣接するイラン南西部のフゼスタン州は、アフワズをはじめ有望な石油採掘施設が立ち並ぶ有望な産油地であり、その産出量は一九七九年の時点で日産三一〇万バーレルに達していた。この州の住民二〇〇万人は、その大半がアラブ系であったことから、イラク側はこの地域を「アラベスタン」と呼び、フセインが政権に就く以前から、長らく領有権を主張してきた。
同時に、イラクでもスンニ派は少数で、フセインはシーア派の革命を恐れた。
フセインをイランとの戦争に駆り立てたもう一つの理由が、イラク南部に存在するシーア派住民の存在だった。
フゼスタン州に隣接するイラク南部には、数多くのシーア派アラブ人が居住しており、イラン国内で沸き返るイスラム原理主義革命が、国境を越えてイラク領内へと波及することも充分に考えられた。
開戦当初は優勢だったイラクは押し返される。
イラク軍の将兵は、開戦当初こそ目的意識に燃えて意気揚々と戦場を闊歩していたが、イラン軍の革命防衛隊が少年兵の隊列に地雷を踏ませて自爆させ、攻撃路を開拓して陣地を突破するという常軌を逸した戦術を用い始めると、イラク側ではパニックを起こして敗走する部隊が続出した。
ホメイニは、こうした少年兵たちに対し「死後はアッラー(神)の許へ行けるように」との祝福を与えており、指導者のために身を捧げる少年たちの姿は後を絶たなかった。そして、同年九月末頃から徐々にイラン軍が戦場での優位を占めるようになり、戦線は次第に西へと押し戻されていった。
アメリカ、イスラエルはイランも支援。
大使館で監禁されていたアメリカ人たちは、一九八一年一月二十日に全員解放され、これによってイランは西欧諸国による経済制裁の一部解除を勝ち取ることに成功する。
そしてイランは一九八五年から八六年にかけて、国交が断絶しているはずの「宿敵」アメリカから、二〇〇〇発ものTOWTOW対戦車ミサイルをはじめとする最新兵器を「購入」することになるのである。
この取引は、後に「イランゲート事件」ないし「イラン・コントラ事件」として暴露されることになる、アメリカの二枚舌外交が生み出した成果だった。
-中略-
イラン国防次官デハガン大佐と、イスラエルの在イラン大使館付武官ニムロディ大佐の間で大規模な兵器売買の契約が交わされ、イランは自国のアメリカ製戦車に使用可能な大量の砲弾と交換部品を、イスラエル経由で入手することに成功した。
が、公式にはアメリカはイラク寄り。
アメリカ政府がイラク寄りの姿勢を公式に打ち出した背景には、戦争の長期化による湾岸地域の不安定化に対する危惧があり、一九八二年六月に和平交渉に応じる姿勢を見せたサダム・フセインの方が、頑なな姿勢を崩さないホメイニよりも、アメリカにとっては対応しやすい相手であるように思われていた。
最終的には、化学兵器でイラクの勝利。
アフワズに対する長距離ミサイルによる毒ガス攻撃は、ホメイニをはじめとするイラン首脳部に計り知れないほどの精神的ショックをもたらした。たとえテヘランのどこにいようとも、突然天から降ってくる毒ガスからは逃れようがないからである。
フセインの野望は湾岸戦争へ続く。
停戦直後の八月二十五日、イラク空軍は早くも活動を再開し、北部のクルド人反政府勢力に対する大規模な毒ガス攻撃を実施した。
そして、長距離ミサイルと化学兵器の組み合わせで戦争を終結に導いたという動かし難い実績は、イラクの独裁者サダム・フセインを新たな冒険へと駆り立てることになる。
二年後の一九九〇年八月二日、フセインは「オスマン=トルコ時代の地域区分ではイラクと同じ領域に属している」との理由で隣国クウェートへと侵攻を開始し、同月八日にはクウェートのイラクへの併合を宣言した。
湾岸戦争で父ブッシュはトドメを刺さず、息子がヤるのは、また別のお話。
イランも核武装しなければ、いずれヤラれると考えるだろうか。
イスラエルが核施設を全力で破壊すると思うけれど。
アメリカ大統領ブッシュは、イラクの独裁者フセインを倒そうとはしなかった。かつて一九五〇年代にイランで暗躍したノーマン・シュワルツコフ准将の同名の息子に率いられた多国籍軍は、バグダッドの手前で進撃を停止してしまったのである。
そういえば、ふと記憶が蘇る。
サダム・フセインがクルド人に化学兵器を使っても、
日本では関心は示されなかった。
しかし、ブッシュJrのイラク戦争前に
サダム・フセインの非人道性が突然大々的に報道された。
私は、
当時のイラク大統領が善人だとは全く思わない。
化学兵器のミサイルは査察されるべきである。
が、それとは別に、
日本のマスコミと世論にも、不信感を覚えた。若かった。
石油に依存しようとも、今も変わらず日本は平和である。
その後、この世が適者生存だと知るのに、もうちょっと授業料を私は払う。
で、鑑賞。
緊張マックスで、あっという間の長尺でした。
ガチな尋問には痺れる。イランの監視網ならでは。
ホテルで観光ルートを説明する私など比ではない。
投獄覚悟の撮影は、作り物ではないスリル。
とはいえ、
不謹慎にも、なんだ日本も変わらないじゃん。と思ってしまった。
自発的な相互監視社会と、
(方向は違えど)偏向するマスコミ、
の中で暮らしている。
そういえば日本は平和だと私も言うが、自由の国だとは誰も言わない。
社会派のドラマ作りも素晴らしい。
泥舟かもしれなくても、
その体制に乗って逃げ切れるかどうかは世代によって違う。
立場の違いがよく分かる。巧みなキャラ設定、家族構成に、
サスペンスが程よく転がる。
一方エンタメという感触は薄かったな。
予め犯人を明かすことで、父権を理不尽なものに落とし過ぎない。
容疑、尋問、逮捕、投獄、逃亡者の追跡と、
家庭内での再現は寓意として観ていた。なるほどと感嘆。
ロケと撮影は秘密裏とは思えない見事さ。
あの廃墟の遺跡はどこだったのだろう。
ヤスド近郊の破棄された町のような気がする。
逃げても果てしないシルクロードな風景が、個人的には眼福でした。
そして最後に、
反体制側にビジョンはあるのかな。
と疑問が残るのがいい。
お花畑の理想論とは一線を画す。自分の正義に酔わない。
物語のエンディングで、
それで誰か救われるのか?
と思ってしまう。不思議と突き放してしまう。
”女性、命、自由”のスローガンは抽象的で、
権利拡大でどうこうなる国には見えない。
字幕では、”神権政治打倒”とあったけど、うーん打倒しただけでは。
明確に政教分離を訴えるのでないと。システム変えないと。
その上で、イスラム法学者に退陣を迫るなら、納得だけど。
デモの様子も冷ややかに眺めてしまった。
命がけで撮ったのに、こんな鑑賞後感だとは意外かつ、
逆に偉大な作品と感銘を受けました。
ヒジュラの時代、
軍事や外交政治経済の荒波をイスラムの法で乗り切れたのは、
開祖ムハンマドという特殊な有能の賜物だと思うものです。
制度疲労の末期って、何時も何処もこんなだ、個人の無能に見えるけど。
と既視感な出来事もあり。
拷問、それは多分苦しくて嫌だ。
分かるってことは、分かりかねるってこと。
ゴールもルールも見えないままで、インドの手前で修行する。
2025.02.19 22:00現在
20MAで抵抗される。相変わらずレンジの範囲内と見る。
-2σ付近での支持を見極めて、一旦の利確を想定する。