睡魔に負け、尿意に耐える「惑星ソラリス」は、「火の鳥」読んでりゃいいような気もする。難解を分解「理解する技術」。

寝てしまったら、それもやむなし。
スクリーンで観るチャンスはもう無いかもしれないし。

無謀は承知。玉砕は覚悟の上で、早稲田松竹へ。
2本立てか、、どうしよう。
 
 
  
確かに、
映画ファンなら、一生一度は観ておいて損は無い。
劇場鑑賞も、チャンスあらばトライする価値は有る。
が、
熱狂的に持ち上げるには至らず、
長尺のメロドラマが辛ければ、日本人なら手塚治虫の「火の鳥」で充分かも。
  
 
ほぼ満席でしたから身動きも取れず、暗闇の中、
首都高のシーン↓あたりでウトウトしました。

あらすじは帰宅後に復習↓。

どうやら物語を見失わず鑑賞出来たようです。
  
途中、
無理ゲーを実感し、一旦退出やむなしかと諦めかけましたが、
徐々に尿意が睡魔に勝ちはじめ、第2部中盤あたりから緊張感MAXの中、
なんとか最後まで耐えました。   
ですが、
翌日は、体力の消耗激しく、体調崩しました。 
やはり、タルコフスキーは、
 3時間丸々一本を、
 途中休憩も無く、
 映画館で鑑賞するのは、
苦行であり、
youtubeで視聴可能であれば、こちら↓をお奨めします。

 ファスト視聴は止めるようサジェストします。けれど、
 Pauseで自主的積極的にリフレッシュした方が、集中力は持続します。
動画の字幕が英語なのが残念ですが、映画館の日本語も微妙でした。
中学英語レベルの私でも、前者がマシかもしれません。
 
 
語りたいことは幾つも有り。
迷子になりそうなので、話題を分解し、項目を先に出します。 
 
①骨子やテーマ
・SF映画として、「2001年宇宙の旅」と比較、原作者の怒り、SFファンの酷評
・哲学的か? キリスト教(カソリック)的か? ロシア文学か?
・メロドラマとして、「火の鳥」として
 
②演出
・タルコフスキー節
・演技
・音楽とプリューゲル 

③個人の感想
・映画体験として
・過大評価か、希少性は価値
・時代背景
    
 
なお、
本作についての知識はウィキペディアを前提にします。
(因みに、ネタバレがどうのとか、伏線回収&大どんでん返し勢は、
 本作観なくていい。いや、観ない方がいい。タイパ悪過ぎますから。
 あと、リメイク版については興味無いです。) 
 
  
①骨子やテーマ
・SF映画として、「2001年宇宙の旅」との比較、原作者の怒り、SFファンの酷評
 なるほど、原作の設定を利用しただけだな、と悟りました。
 当時のガチなSFファンは期待を裏切られ、酷評したのは当然でしょうね。

 原作↓は偉大なSF文学。ファーストコンタクトもの。
 
 読むの大変そうなので、解説動画↓で内容理解。
 
 ラストが改変され、原作者は激怒したらしいです。高橋留美子どころではなく。
 ま、メロドラマですからね、当然ですよ。
 
 SF映画の表現としては、
 同時期に公開され比較された、2001年宇宙の旅」↓と比べるべくも無い。
 
 私も配信でしか観てませんが、
 特に映像に関しては、
  スターウォーズ計画時代の米ソくらい差を感じます。
  公開当時、タルコフスキーはキューブリックに噛みついたと聞きますが、
  崩壊するのはどちらか、自明です。
 芸術性、文学性を見比べても、
  資本主義の中にあって、アーサー・C・クラークの壮大なテーマはそのまま、
  矮小化したと、監督は原作者を怒らせたりしてません。
 
 
・哲学的か? キリスト教(カソリック)的か? ロシア文学か?
 アート映画ではありますが、哲学的というのは、原作由来じゃないでしょうか。
 「神曲」とか「楽園追放」とかヱヴァンゲリヲン的だったり、
 キリスト教的なモチーフは感じます。
 異教徒なので想像ですが、
 主人公の苦悩は、ロシア正教よりカソリック的かもしれません。
 でも、
 人類愛とか主語がデカいのはやめろよ毎度
 人格はクソなんだから、マザー・テレサが同じこと言うなら別だけど。
 それは無視して、
 
 宗教観有りで、不可知との接触ものと観ても、
 
 キリスト教でない2人のシナリオは、
  ユダヤ系の無神論者と、
  上座部仏教に強く影響を受けたイギリス人の共作で、
 最終解脱を迎えたかの如くの、次なるステージへ向かう人類の未来を描く。
 唯一無二の映画で、本作より偉大かと思ってしまう。
 失った妻に、今も後悔する姿を描くだけなら、名作はあまた存在する。
 時代が違えば、ディカプリオ主演だったかもと夢想するほど。

 ラストは、
  故郷の朽ちた家と老いた父親。
  そこに帰着するのか!
  ロシア的であり、映画監督自身の告白でもあり。
 壮大でなくても、
 矮小化して、個人的なことに着地しても、
 それはそれで乙。と愛でていました。
 
  
・メロドラマとして、「火の鳥」として
 妻に先立たれた男の話古今東西、枚挙に暇がないので、
 普通に観てあげればいいじゃん。シネフィルぶらずに、
 ま、それだとタルコフスキー節は、尚の事キツイか。
 
 興味の持続に成功した私は、
 宇宙編や望郷篇を思い出しながら、観てましたよ。
 
 
 
 別の太陽系まで来て、まさか自分の過去と向き合うことになろうとは、
  エイリアンは意地悪なのか、友好的なのか、
  海のメタファーは、ただ機械的に自分を映す鏡なのか、
 本作は、
 設定をSFに借りても、相も変わらぬタルコフスキー節炸裂。
 それはそれで唯一無二。
  楽しめるか、
  受け付けないか、
 私はまあまあ楽しめましたよ。
 
 
②演出
・タルコフスキー節
 浮遊するロマンチックは、
  ”ああ、これがまる子が言ってたヤツか! ロシアだし” 
 
  ”画家同様に、失った妻がモチーフなのかな。”
 と文脈関係なしに浸ればよろし。
 兎に角、
 観せたいものは、たっぷりと。商業主義は無視していいのだし。
 見物側は、そこまで尺いらねーと思うが、そんな奴はじきに目を閉じて黙る。
 睡魔に勝利すれば、脳はだんだんトランス状態に。
  
 スクリーンで観てると、意味とか、どーでもよくなる。
 
・演技
 上手いとは思えないです、どんな演出付けてるのか不思議でした。 
 極力、役者に何もさせないように指導してたようです。
 その上、アフレコでアテレコだそうで、
 少なくとも、リアリティある演技とは思えません。
 
 劇中、何が起こっているのかは、
 私は説明セリフで全て理解してました。
 表情から読み取ることは難しかった。人形劇みたい。
 役者は記号で充分。それ以上は邪魔と、映像至上主義に振り切っている。
 そう理解しています。 
 
 
・音楽とプリューゲル
 
 神の栄光↑がメインテーマ。
 を眺めながら、暗い気分にはなります。荘厳ではありますが。 
 ”神は死んだ”と宣うニーチェ↓と対照的です。
 
 ロシアじゃなく、確かフランドルと、心の中でツッコミましたが、
 寒くて長い冬を背景に、三者三様を空間的に描く。
  地上に楽しく集う人々と、
  高所で少ない成果しか得られず、疲弊した3人、
  上空で不吉に佇む鳥
 いずれにせよ、
 ステーションのサイエンティスト達に、ハッピーエンドは待ってなさそう。
  帰還できそうな気もするし、
  永遠に、天国のような地獄が続くような気もする。
 神を称えても幸せに成れない。辛い。
 最後の審判のある一神教の方が、過酷だなぁ。
 救いの無い気持ちにさせながら、観客をクライマックスへ向かわせるには、
 大変効果的な音楽と映像でした。
 
 こういうことを、例えば今のハリウッドが演出したら、
 めちゃくちゃ説明的で、クソダサい演出にしちゃうだろうな。特に音楽は。
 かといって、
 ヨーロッパのアート系とはいえ、オシャレ映画って訳でもない。
 古典と言っていいのだろうか、ちょっと違う気もする。
 タルコフスキーはタルコフスキー。
 
 
③個人の感想
・映画体験として
 寝てしまって高評価はあんまりだと、我ながら思う。
 体力は要るし、良さは説明し難い。
 でも、お金払って損したとは感じないし、
 中毒性は有る。また観たくなる。
 スクリーンの没入感を体験すると殊更。配信とも違う。
 新作映画では出来ない、貴重な経験だった。
  
 
・過大評価か、希少性は価値
 タルコフスキーは過大評価かと問われれば、希少性は価値と答える。
  もっと完成度高く、総合評価良い作品も有れば、
  娯楽作として面白いのも有れば、
  オシャレなアート系も有る。
  我道を行くインディーズも現代の方が多いと思う。
 でも大抵は、これほどオリジナルな才能を感じさせない。それは決定的。 
 
 本作、原作がSFだっただけで、
 タルコフスキーはタルコフスキーにしか成り得ない。
 原作者は怒っても無駄。
  めんどくさ過ぎるアートな不親切設計で、
  通常の商業映画以上の制作規模で、
  冗長な映像で長過ぎる上映時間で、かつ、
 世間の評価も得る。ゴッホに成らず。 
 
 映画館で観ることが出来て、監督こそが奇蹟だと知った。
 
 
・時代背景
 ソビエトでの映画製作は、特殊な環境だったと思われ。
  芸術の素養が歴史的にある。
  当然、表現の自由は制限され、検閲を常に受ける。
  だが、アートな表現を追求する映画製作は可能である。
  しかも、ヨーロッパの市場に出品出来る。
 西側の商業主義の中で、あの才能が育ったら、
 どんな監督に成っただろう。成らなかったかもしれない。
   
 SFの興亡は、米ソ宇宙開発競争とリンクしてる。はず。
 浮世絵にUFO描いても、大ヒットには至るまい。
 見込み客が設定を受け入れてくれないと、観客動員には繋がらない。
 私の記憶でも、
  SFジュブナイルを少年時代に読み、
  星新一、小松左京、筒井康隆、豊田有恒などが、書店で平積みだった。
 文学としてのピークは本作と↓、
  
  ハリウッドは、特撮技術を発展させ娯楽作へ、
  日本では特に、アニメに吸収されていった。
 現代の目で見れば、ジョージ・ルーカス↓が時代に決着を着けた。
  

テレビ視聴者の多くは、宇宙開発競争はアポロ11号をもって絶頂に達した、または終結したと感じ、以後のアポロ計画には急速に無関心になった。アメリカにおいて、国民の無関心によって宇宙開発競争の動機は薄れ、競争のトーンはゆるやかになってしまい、その後アポロ計画の後半とアポロ応用計画は中止となった。
-中略-
アメリカのロナルド・レーガン政権が発表したミサイル迎撃システム・戦略防衛構想 (SDI) の開始によって宇宙兵器開発競争は一時的に激化したが、これは両国の経済を圧迫し、1989年の共産圏崩壊と1991年のソビエト連邦の崩壊を加速させる結果となった。
こうして米ソの宇宙開発競争は終焉し、国際宇宙ステーション(ISS)に代表される国際協力による開発、並びに多くの国や民間企業がもっぱら経済的な覇権を争う新たな宇宙開発競争の時代を迎える事となった。

 
 ソビエトの映像詩人は、SFが隆盛を極めなくても、映画を作り続けただろう。
 逆にSF文学は、特別な才能と出会えて、そして本作が生まれた。
 そういう時代のめぐり合わせ。
 現代では、タランティーノだって、SFは選ばない
 単に好きじゃないだけかもしれないが、特別に興味を惹かれる理由も無い。
 
 
 
参考文献とか、
 

部分だけを見ていると意味が分からないことでも、全体像をつかむことによって、意味が分かることもあるのです。それほど、全体像というのは重要です。

 理解させるノウハウ本は多いが逆は少ない。

切れ目のない長い文章を情報処理するのが苦手ですし、構造がはっきりしていない文章を処理するのも苦手です。苦手なことをさせようとすると、脳は悲鳴を上げてしまいます。あらかじめ脳の仕組みを知っておけば、文章を読むときにも脳に負担をかけずに効率的な情報収集ができます。

 小手先のコミュニケーションスキルを語る人は多い。ラポールとか。
 それが一番イージーだから多数派なのだと思っている。

情報が入ってきたときには、脳内関所は、情報の内容だけではなく、情報の中の構造も分析します。対等な関係にある項目なのか、メイン項目とサブ項目の関係にあるのか、因果関係を持った情報なのか、など、情報の構造が図や表のような形で整理されます。
そのため、脳内関所を通過した情報は、必ずしも同じカテゴリーの脳内辞書に入れられるとは限りません。構造が似ている情報は、同じ構造を持った別の脳内辞書の項目にも入れられることがあります。

 つい先日、理解力に疑問を感じる人に出会った。

抽象化とは、種々雑多な多くの情報の中から大きく似たものを探し、グループ分けして、束ねる働きです。
脳の抽象化の働きは、「意味を分かる」という脳の作業の土台と言っても言い過ぎではないほどです。

 文脈が違うんだと、訴えても伝わらない。
 こんな話をした。
 
 
  本作との二本立ては、またもや、
  SF設定を借りた、亡き妻の後悔を抱える男のメロドラマ↓だった。
  
  「ジュ・テーム、ジュ・テーム」同じく難解。 
  消耗し尽くした後は、もっと簡単な映画にしてくれよ。
  ノーランみたいに時間操作系だから、
  客側が脳内で情報処理して、物語を再編集しなくちゃいけない。面倒くさい。

読み手のことを考えれば、結論を先に書いたり、あいまいな表現を正確な表現に変えたり、きちんと根拠を示したりすることなどが必要です。それらの作業を手抜きしてしまった文章が多いようです。
 分かりにくい文章を読むときには、残念ながら、私たちは、情報発信者が手抜きをしてしまった「作業」を、発信者の代わりにやってあげる必要が出てきます。要するに、頭の中で「分かりにくい文章」を「分かりやすい文章」に書き換えるような作業が必要になるということです。

  消費カロリーが高すぎる。これがアラン・レネ節か。
  2本目は無謀だった、パスしなかったこと後悔した。
  結果、
   翌日は体調を崩してしまった。
 
 
 その人は、このエピソードを受けて、説明を始める。
  ”映画を観て体調を崩すのは、鑑賞者のトラウマが云々” 
 その説自体は正しいのかもしれないが、
 
 今、話したのは、
 「惑星ソラリス」を、なるべく寝ないで、映画館で頑張った。
  その上、2本目もハイカロリー作品。
  そのため、体調にまで影響が出る。
 というストーリーだから、文脈が違うよ。
 
 その人は、
 本作を全く知らないからか、
 相手が、どういう文脈で話しているのか、把握できない。
 アラン・レネのような切り取りが得意で、
 一事が万事、そんな調子。
 表面上、会話は続いているが意思疎通は難しい。
 コミュニケーションのテクニックは沢山披露してくれる人なんだけどね。
 こちらの問題とは思えない。本件では自責はパス。
  
 ZOOMで繋がるネット環境に在るのだから、
 知らないことはグーグル先生に、その場で訊くけどね。私なら、
 ”鑑賞に多大なカロリー消費を伴う映画” という文脈くらいは、
 掌握しながら会話続けられたよ。

 理解力が低いことを指摘されても、
 理解力が低いことは理解できない。
 だって、理解力が低いのだから。
リンカーンの演説みたいな真理が、この世には有り、

「バカの問題は、自分がバカであることに気づいていないことだ」  自分の能力についての客観的な事実を提示されても、バカはその事実を正しく理解できないので(なぜならバカだから)自分の評価を修正しないばかりか、ますます自分の能力に自信をもつようになる。まさに「バカにつける薬はない」のだ。  
ここまで読んで、あなたは「バカってどうしようもないなあ」と嗤ったにちがいない。だがダニング=クルーガー効果では、バカは原理的に自分がバカだと知ることはできない。私も、そしてあなたも。

人と関わると、残酷な現実を突きつけられて辛い。
何で生まれて来たんだろう。
不可知な存在に包まれてみたいと思うことも有る。
 
 
 
胸の中、ウトウトさせて。 

オリジナルでなく小坂忠。
クラークでなくウェルズという古典で。
 
 
 
2025.07.13現在
 CFDでは20MAタッチ。
 現物では、2月末の山でレジサポ転換。
 参議院選前に大きく動くこと有るかな。
 寄りで、
  20MA割り込んで行ったら、売り玉を増し、
  耐えるようなら様子見。
 そんな月曜日を想定。

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