宇多丸師匠はじめ「スオミの話をしよう」を酷評の諸氏は、本作↑にダンマリ。
それはあんまりと義憤に駆られ劇場へ。
奇しくも芥川賞発表の日であった。
今年は、酒癖の悪い加害側の映画も観たな。
太宰治のこと、最低限の知識は当然と必要とされ、
ワンカット映画「ロープ」↓を観ておくと会話が弾むはず。
さらに、
ドローンのカメラワークに、想像力は要りそう。
結果、大変面白く堪能しました。
映画監督三谷幸喜は、これでいいよ。これがいいよ。唯一無二で居よう。
絶妙なプロットに面白いストーリー展開、
役者の力量をたっぷり魅せる。
舞台劇と開き直りながら、映像の趣向、映画の趣向を企む。
今回は、当然とはいえ、
死ぬ気など無い作家の心中、
本当に弱い人はあんな小説は書けない、
作品は厨二病に我が事として刺さる、
脚本家の太宰の理解度は高くて唸る。それ無くして成立しない作品。
他殺説もある七里ヶ浜の心中事件を題材に、
スリル&ユーモアのアンビエントな感情を観客に抱かせる。
これは、「ロープ」の手口↓だなぁ。
舞台、放映、映画とそれぞれのメディアで魅せうる構造の中、
撮影スタッフに敢えて、難度の高い要求する監督のドSも素晴らしい。
スクリーンで観る価値を、そこに見出したい。
しかし気になります。
酷評された映画の次回作で、三谷幸喜は返答してるのに、
当たり屋さん達は何処へ?
”映画でも舞台のような演出がダメ” と文句垂れてた。
再生を沢山回すような反響じゃないからといって、
無視は道義的に、いかがなものか、
当たり屋のダンマリは卑怯だと思いますよ。再び酷評で構わない。
舞台の演出を映画(ex 「清須会議」の勝家(by役所広司)の独白)で、
敢えて演ってくれても、私は構わない。
出来不出来の要因は、他に有ることが多いと判断している。
そもそも、
「スオミ」が不出来だとしたら、演出以前の問題じゃないの?
舞台でも映画でも、面白ければ面白いし、お話に欠陥があれば興醒めする。
そんなに、映画的でない演出が嫌いなら、
映画に溢れるTV的画作りを、もっと批判してるはずなんだが。
批判に一貫性が感じられない。
ま、私は三谷監督の映画に、お金を落としてないので、
正義を振りかざす立場に無いのですが、
「国宝」の分かり易い演出には文句言わないんだと、違和感は拭えません。
本作、世間の評価が絶賛でなくとも、充分楽しめると見込みました。
映画の三谷脚本も、舞台化して面白いものなら、映画も面白いはず。
舞台劇として成立するよう、狙ってそうだし、
前作酷評の返歌として、気合入りまくりだろう。
予想的中。 ”もっと褒めようよ” と映画館を後にしました。
若干、予習はしました。
ウィキペディアから事件のあらまし。
太宰はカルモチンを購入しており、11月28日の夜、二人はカルモチンを服用の上、鎌倉の七里ケ浜付近の海岸で心中を図った。なお服薬の上、投身を図ったかどうかについてははっきりとしない[51]。太宰が自殺を決意した要因は実家からの義絶が大きいと考えられているものの、田部あつみとの心中に至った理由についてはわからない点が多い[52]。また生前、女性との心中を企図した芥川龍之介の模倣を指摘する意見もある[53]。
結果として田部あつみは亡くなり、太宰は生き残った[49]。後に事件の真相は太宰による田部シメ子の殺人であるとの臆測も生まれたが[54]、11月29日の午前8時頃に救出された後、七里ケ浜の恵風園に収容された太宰は、自殺ほう助罪の容疑で取り調べを受けることになった[55][56]。
-中略-
太宰と田部あつみが二人ともカルモチンを服用していたことと、太宰が胸部疾患にり患していたことから、厭世感に囚われたことによる心中であるとされて起訴猶予となった。刑事と裁判官が津軽出身者であったという偶然も味方したが、事件処理は大きなトラブルなく終了した[57]。
たしか、昔、
NHK教育で猪瀬直樹が”太宰の入水自殺”を解説していた番組があったはず。
残念ながら、確認できず。
多分これ↓だと思うのですが、Kindleに無いので、すぐは読めない。
作家に必要なのは、時代の流れを読み、読者の欲望を察知し、自己投影させるマーケティング力だった。
命懸けの話題作りも、最後は相手が本気過ぎて逃れられなかった。
作品と同じ喜劇みたいな悲劇。だと思った。はず。
実は、あまり太宰を読んだこと無いのですが、”ワザ。ワザ”は強く印象に残っている。
体育の鉄棒で失敗し、爆笑をさらうが、
作為的であることを級友に見透かされ、
顔から火が出るほど恥ずかしがる。
いくら『ひょうきん者』らしく振る舞い、『ひょうきん者』らしい失敗を重ねても、「『ひょうきん者』と思ってもらおう」という意図が露呈してしまえば終わりである。
面倒くせえヤツだな。二択でいいじゃん。
何と言われようと笑いを取りに行くか、
ただ地味に真面目に鉄棒にトライするか。
承認欲求は旺盛なのに、同じく自意識過剰。厨二病の鏡。
私は読んだ当時、このメンタリティについて行けなかった。
何かを手に入れたかったら、何かは捨てろよ。
と思ったものである。
で今、改めて感じることは、
太宰の人生は、”ワザ。ワザ”で錬成されているので、
自殺の企画が狂言だと、疑われるだけの理由があり、
心中も初めから、自分だけ生き残る予定だったのでは、
と疑惑が残る。
自殺未遂も、
全てセルフプロデュースの一環だったのではなかろうか?
もちろん私の何倍も、
脚本家の太宰への理解度は高いので、当然ではありますが、
小池栄子の再現度高いルックと、
コメディアンヌの技量を堪能しつつ、
”真相はこんなだったかも”
と都度都度、ナイフのような冷たい感覚に襲われます。
キャストは確かな人選で固めましたね。抜かり無し。
梶原善は、昔から安定の起点役。
田中圭の不倫匂わせは、当て書きでしょうか。監督の思惑を体現して、完璧。
(不倫での社会的抹殺には不賛成です、永野芽郁も。性被害とは分けたい)
宮澤エマは丁度いい。倦怠期を迎えつつある妻で、まだまだ現役という自負。
さらに、
青森出身の松ケン↓は、抜け出しかのような再現。
ひょうきん者で嘘ばっかり。言葉巧みに女性を口説く。
本当に弱い人に、あんな小説は書けない。
さすがの説得力でした。
セリフを津軽弁でと、役者側から提案したと聞き、
私は「津軽」の最初の方を少し読みました。
劇中に蟹田町のエピソードが出て来るも、
そんなことより、
やっぱり文章が素晴らしい。誘惑されたら、うっとりしてしまう。
学校からの帰りには、義太夫の女師匠の家へ立寄つて、さいしよは朝顔日記であつたらうか、何が何やら、いまはことごとく忘れてしまつたけれども、野崎村、壺坂、それから紙治など一とほり当時は覚え込んでゐたのである。どうしてそんな、がらにも無い奇怪な事をはじめたのか。私はその責任の全部を、この弘前市に負はせようとは思はないが、しかし、その責任の一斑は弘前市に引受けていただきたいと思つてゐる。義太夫が、不思議にさかんなまちなのである。ときどき素人の義太夫発表会が、まちの劇場でひらかれる。私も、いちど聞きに行つたが、まちの旦那たちが、ちやんと裃を着て、真面目に義太夫を唸つてゐる。いづれもあまり、上手ではなかつたが、少しも気障なところが無く、頗る良心的な語り方で、大真面目に唸つてゐる。青森市にも昔から粋人が少くなかつたやうであるが、芸者たちから、兄さんうまいわね、と言はれたいばかりの端唄の稽古、または、自分の粋人振りを政策やら商策やらの武器として用ゐてゐる抜け目のない人さへあるらしく、つまらない芸事に何といふ事もなく馬鹿な大汗をかいて勉強致してゐるこの様な可憐な旦那は、弘前市の方に多く見かけられるやうに思はれる。つまり、この弘前市には、未だに、ほんものの馬鹿者が残つてゐるらしいのである。
文豪の語りが、講談師のやうに淀みないのは、
少年期に義太夫に親しんだ賜物であらうか。
隆の里を思わせる津軽人気質と、
故郷への愛着が、
思ひ出を語りながらも、朗々と綴られてゆく。
現代のように、読んでストレス抱えること無く驚く。
本当の魅力は語りに在って、自意識過剰の告白では無いと思っている。
更に、事前に動画は確認。
三谷幸喜が語る、ワンシーンワンカット作品への想い↓。
ヒッチコック本人はいざ知らず、「ロープ」の評価は低くないはず。
私は昔TVで観て、細かいことは忘れたが、充分楽しんだ記憶が有る。
やはり、当然と言えば当然だけど、本作の参考にしてる。
カット割りと同じ効果を産むための工夫、
撮影の緊張感と物語のスリルを連動させる。
「沈黙のパレード」の山本カメラマンが、この映画的な撮影の企てを成功させたのか、
ドローンと手持ち、カメラの物理的な、シームレスな切り替え、
カメラ水没の憂き目も有った、本番のチャンスは5回まで。
監督は撮影始まったらやること無し。
それでは、
映像として、映画として、
ワンシーンワンカットの出来栄えは、果たして。
舞台で上演しても面白い脚本であることは大前提として、
放映版なら、
もっと、カメラが寄っても正解かもしませんね。
映画と編集を変えているのか否か。(WOWOW未加入のため未確認)
映画版は、
ダイナミズムを重視し、
ロケ地をいっぱいに空間的に観せようとしている。
デ・パルマのようなグルグル↓は、映画ありきでヤッたな。
まあ、ワンカット長回しに気を取られて、
ストーリーへの興味が散漫になりそうなのが、玉に瑕だけど、
映画ファンへのサービスと、私は楽しんでました。
今は珍しい短いエンドロールの末、追加映像がサービスされます。
”ああ、これがドローンリリースか”
奇跡的なロケーションと、スタッフの苦労に感嘆します。
(人の心で、作り手の意図を拾おう)
失敗が許されない緊張の中、良くぞ様々な仕掛け。
アート系では真面目過ぎて書けないし、
娯楽作で現在、こういう面白さを味わえるのは、三谷幸喜だけでしょう。
愛情溢るる作品だけれど、伝わらない人には伝わらないのだろうか。
それでいいから、このままで居て。
舞台でも面白い脚本のみを、どうぞ映画に。映画ありきでなくていい。
古い映画の幸福に浸らん。
ジャンルを問わず、魔法について語る。
鑑賞後、
ワンアンドオンリーなセルフプロデュースについて。
良き書籍は見つからず、またもや”低俗なチャンネル”(by石井君)から。
「通販の虎」は掃き溜めの鶴のごとき離陸。
提案される商品を正しく評価し、見透かさせる作為には走らず、再生を成立させている。
賢明な社長は、他のチャネルの”虎”を断る。
サクセスの中に、
断るべきを絶ち、長所には徹底的に注力する物語が有る。
賢さで大金を掴むだけなら、さほど魅力は感じない。
やらないことを先に決めて、
お客さんを徹底的に満足させる施策に集中する。その全てに工夫がある。
舞台としても面白い脚本が第一、そして後、映画愛を語ってね。
当たり屋達は無視しよう。彼らは顧客じゃない。
2025.07.18 11:30現在
今週は東京時間で株価動くので、小刻みに建玉を整理。
参議院選待ちなので、一旦全て手仕舞う。後場は少し建てるかなぁ。
おっしゃるとおり↓、負け方と連立の枠組み次第だと思います。
下手に予想するより、
選挙後の東京時間の様子を見極めてからで、いいんじゃないかと。