「ゆきてかへらぬ」でデトックス、広瀬すずにコートニー・ラブの面影。

観にゆく気は無かった。明らかにストレスのせいだ。やっぱ坂元裕二作品はキツかった。
なにより、
リアカーのシーンが無い。だったら観る価値ないと思っていた。

ああ、休日満たされなかったのがここで満たされて良かったな。
実はレビューにヤラれてしまった。
 
感動ポルノ扱いと当たり屋で再生数回す迎合系映画youtuberが多数の中、
”バカに分からせるような、余計なことしてない” と堂々と言い放つ。
こんなチャネルは貴重。
  
我慢出来ずに観てしまった。ゆやゆよーんと観に行った。
自由を満喫してしまった。
トータルの出来がどうだとか、関係ないっすよ。
重要なのは魂。
  
 
私にとって、中原中也は、
震えながら貪るように「山羊の歌」読むような存在でもなく、
現国の先生が福島泰樹の愛読者で、
リアカーで小林秀雄宅に荷物運ぶエピソードを教えてくれた。
後にモーニングでも、読んだ気がする。 

言わば、永野ファンの知人からニルヴァーナを薦められた程度である。
 
それでも、
中原中也も小林秀雄も知らないとか甘えるなよ。
知ったこっちゃない。なら観んなよ。
大衆はいつも愚かで怠惰だ。とアナーキーな気持ちになってしまった。
大学入試で小林秀雄は必ず出るし、
一遍くらいは中也の詩は教科書に載ってる、と思っていた。
 
時代は変わったのか。そうでもないよね。
 
 
あの帽子の肖像が映ってすぐ。  
ああ中也ってこんなだったろうなと作り手に共感してしまう。
 人格は、社会不適合者でクズニート。実家が金持ちな以外取り柄が無い。
 おそらくは発達障害か何かで、
 ポンコツなくせにプライドだけは高いから、コンプレックスの塊。 
 なのに、詩の才能だけは本物で、魂の人である。
 長生き出来る訳がない。
 泰子と別れて、しっかりものの嫁をもらって、一時持ち直したが、
 長男を失い、やっぱりである。
 皆才能は愛でるが、詩人の幸せに誰も興味など無い。
 監督と二人三脚で、想像以上の再現だった。
 
泰子は結局、
 中也から求められても、自身は何も得られない。
 芸術家とはそういう存在で、裏切ることで彼の何かを強奪しようとした。
 小林秀雄も本当に愛したのは中也の才能で泰子ではない。
 強迫症を発症し別れた後は、寛解せずも、
 紆余曲折の末、不動産の管理人として経済的に自立。
 老人ホームで老後を過ごし、
 小林秀雄と会うのを最後まで身綺麗にして楽しみにしたという。
 美人でも演技が下手だから売れなかったのだろうと、
 想像させる看板女優の演技にも驚嘆。
 夭折する天才の死に参列する表情を見て、
 「マン・オン・ザ・ムーン」の主演女優を思い出した。
 そういう魂が惹かれ合うものなのだろうか。
 
岡田将生演じる評論家は、
 理知的な目利きとして描かれていた。
 朝鮮白磁のくだりは見事と拍手。
 彼の功績の最大は、中也を発掘したこと、
 ラマヌジャンの論文を発表しつづけたハーディ教授の如しである。
 芸術家同士とクリティークは異なる。彼はサリエリではない。
 嫉妬より才能を愛でた。恋人を天才の一部として欲した。
 知性の人は、スクリーン越しに心奪われ、NTR遂行。
 挙げ句、
 発病した情念の人の攻撃に耐えられず、敗走してしまう。
 この敗北が後の言論を作ったというが、それはまた別のお話。
 
 「本居宣長」が評判な頃は私の記憶にある。
 気障で洒脱で理知的で、後に保守派の論客を、
 引く手あまたのイケメンは好演してました。
 
原作↓は、泰子の口述で、

映画も泰子視点での三角関係。
中也の人生にだけフォーカスしてはいない。
むしろ、
 小林秀雄が本当に愛したものを浮き彫りにして、
 精神を病むに至る泰子の遣る瀬無さが、
心に沁みる。
 
監督も昭和の脚本も多くは語らない。説明しない。
観客は勝手に、詩の一節でも思い出しながら、
古い知人に再会するのである。
手取り足取り拘束具付きでは、不可能な満足を満たす。

映画としての歓びも、たっぷりと。
冒頭、たんたららららら雨が降り、 
町屋の瓦に、和傘と柿の朱が映える。
気合の入ったセットに撮影、カットは割らない。
どこまでCGか分からないけど、
こんなことして元が取れるのか心配になってしまう。
傑作かどうかはもうどーでもいい。ただ採算度外視の映像を堪能す。
役者陣も要求によく応えている。
リヤカーと、狂った泰子に虐められる秀雄はもっと観たいが、
不満はそれだけ。出来栄えはどうでもいい。
 
ああデトックス、ストレス解消。
満たされなかった想いを存分に満たす。
絶滅危惧種であるけれど、どうか滅びないで欲しい。
明確で善良な欲求だけが欲求ではないのだから。
  
 
とりあえず、予習したので引用しときます。

Je ne parlerai pas, je ne penserai rien.
Mais l’amour infini me montera dans l’âme;
Et j’irai loin, bien loin, comme un bohémien,
Par la Nature, —heureux comme avec une femme.
 
私は語りも、考へもしまい、だが
果てなき愛は心の裡に、浮びも来よう
私は往かう、遠く遠くボヘミヤンのやう
天地の間を、女と伴れだつやうに幸福に。

 
 
自分の中では、とっくの昔に、独りで死んだと思っていた。

休日は世界を売るかのような脚本に、辛抱たまらず。
懐古趣味でデトックス。よみがえることもあり。
 
 
2025.02.26 23:30現在
 ここバンドウォークしたら、月足での20MA割れ。
 流石に抵抗されて陽線。しかし切り上げてはいない。
 充分に利確出来てないかもしれない。
 これから数字も悪そうで、材料的には、もうちょっと我慢したい。

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