時代の目利きも天才「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」セルフ・プロデュースも天才。島田紳助「自己プロデュース力」みうらじゅん「「ない仕事」の作り方」 参考(ロックとブルース)「ビートルズとボブ・ディラン」「ボブ・ディランのルーツ・ミュージック」

松崎氏の紹介で、どうしても観たくなってしまった。

専門家として当然とはいえ、安心して聞いた。
説明は過不足無く的確で、背景への言及もしかり。
 
どうやら本作では、ごく短い数年に焦点が当たる。
 無名から反戦歌60年代フォークの旗手へと登り詰め、
 自らその座を降りてロックへ走ると、裏切り者扱いされる。
 「風に吹かれて」から「Like a Rolling Stone」までの時期、概ね。


ノーベル賞受賞者がユダと罵られた頃。
ドラマは面白くないはずがない。期待が高まってしまった。
演技に加え、演奏も松崎氏は太鼓判。サウンドだけでも満足だという。
土曜は相場も休みで朔日は割引。朝一のDolby Atmosを予約してしまった。
 
そういえば、
音楽系youtuberと映画系のそれを比べ、
 専門家の技術的解説と、
 素人の感想の差に、
勝手にストレス溜めていたことにも気付く。
今回は不明点あれば、音楽系に頼ることできるので空振りないはず。 
  
私のリアルタイムの体験は松崎氏と似たりよったり。
リチャード・ギアの映画もヒットした、ロイ・オービソンが亡くなる直前くらいから。
ラジオでよく流れていた。

ボブ・ディランとビートルズの関係も知らない。
当然、要予習。 
 
頼りになります。
 
「Like a Rolling Stone」まで、フォーク・ロックへの経緯がわかれば良し。
更に、ビートルズとの交流も知識を得る。 

ディランがソロ・パフォーマーとして限界を覚え、グループの結成へと方向を転換した背景には、明らかにビートルズの存在と「フォークの死」という現実があった。

アメリカが負けて戦争が終れば、分かりやすいプロテストの対象を失う。
旧態然の体制に黒船ビートルズがやって来ては、ひとたまりもない。

イギリス・ツアー後のディランは、6月15日の最初のセッションを皮切りに新しいアルバム『追憶のハイウェイ61』の制作に入る。前作『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』では完璧とはいえなかったバック・バンドも、マイク・ブルームフィールド(エレクトリック・ギター)、ポール・グリフィン(オルガン、ピアノ)、アル・クーパー(オルガン)、ボビー・グレッグ(ドラムス)等が加わり、よりレギュラー・グループらしい一体感をみせるようになる。 セッションの渦中にあった7月25日には、ロード・アイランド州で開催されたニューポート・フォーク・フェスティヴァルに出演、このステージが初のエレクトリック・グループによるライヴとなる。サウンドチェックと本番を通じてディランが共演したミュージシャンは、マイク・ブルームフィールド、エルヴィン・ビショップ(エレクトリック・ギター)、アル・クーパー、バリー・ゴールドバーグ(オルガン)、ジェロム・アーノルド(エレクトリック・ベース)、サム・レイ(ドラムス)。大半がポール・バターフィールド・ブルース・バンドからの借り受けとなる(ディランとバターフィールドのマネージャーは、同じアルバート・グロスマンがつとめていた)。

裏切り者と罵倒されたフォークのフェスでは、エレキのバンドで登場。

後はその時代のアルバムでも聴いておけばいい。のですが、
まだ、疑問が残る。
 フォークからロックへ転進した政治的理由はあったのか?
 「Like a Rolling Stone」は何を歌っているのか?
グーグル先生に訊いても、明確な答えは得られない。
和訳そのものを質問してる訳じゃない。
一見、落ちぶれた頂き女子を揶揄してるだけにも聴こえるが、何が凄いの?
 
浦沢直樹は流石である。

 JFK暗殺に、明日は我が身とビビったこと。
 虚栄心の行方を自身に問うていること。
好きな存在に対し、解像度の高い理解を語ってくれる。
(つくづく、ボブ・レノンというダサさは避けて欲しかった)
 
思い起こせば、
才能が素晴らしくても、破滅してしまう天才は多い。
むしろ才能が凄いからこそ、
中原中也もカート・コバーンも長生きは出来るはずがない。
何故、この人だけが、
 時代の荒波を巧みに乗り切り、
 距離感良く世間と付き合い、
 永らえているのだろう。
 
ヒントで思い浮かんだのは、
島田紳助のエピソード。
劇場では漫才を5分で切り上げ、支配人に怒られた。
 漫才の上手と競っても勝ち目ないし、意味も無い。無駄。
 笑わせるべきは、TVの向こう側の男性お笑い好き。
 お年寄りも、黄色い声の主も対象外。

書籍はKindleでは無理か。

 時代を見極めポジショニング、に相応しい努力。
 合理的思考、分析に基づく戦略。
が語られる。
 
作中、商業音楽の巨人の思考は一切語られないが、
相当にクレバーでなければ、
60年代フォークを見捨てることは出来なかったはず。
 彼は時代に対する目利きであり、
 かつ、
 中の人はボブ・ディランをセルフ・プロデュースしている。
能力も裁量もあり、取捨選択を間違わない。
 
 
みうらじゅんは傾倒してると語るが、プロデュース術も学んだと想像している。


キャッチコピーをまずは付ける。
”みうらじゅん”をまず印象付け売り込む、セルフ・プロデュースが先。
多重的に仕掛ける。
組み合わせの中にゼロイチのクリエイティブ。
 
 
そう思うと、劇中この曲↓が奏でられるシーンは皮肉に見える。

フォークの観客は新しい時代が来ると喜色浮かべるが、
彼は独り栄枯盛衰を知り、ここにも終わりは来ると見切っている。
 
同じく、
「Yawara」のヒットで有頂天を味わった漫画家に習い、
「Like a Rolling Stone」の意味も解釈する。
 金持ちや権力者への批判と、小学生のような理解もあり、
 それは、この曲の合唱がまるで、
 「Let it go」に子供たちが声を揃えるような違和感と同じ。
  
 三角関係の果ての説教と解する向きもあるけれど、
 まるで中居正広が松本人志に苦言呈するようで、
 (バイク事故で世間と距離が取れたところは、ビートたけしを連想させるが)
 草と女三昧が頂き女子に文句言っても、どの口が言う。 
 キリギリスがキリギリスに ”冬も歌って暮らせ” と突き放すようなもの。
 
 虚栄からは、いずれドロップアウトしなければならない。
 なら、早めに降りるか、墜落してから地面を味わうか。
 ソフトもハードもランディングは選択出来ると知っている人による、
 かつていた場所への別れの挨拶かもしれない。
 
 落ちぶれを揶揄するような歌詞なのだけど、
 ”to be your own”も、”rolling stone”も、
 本来無一物的なポジティブさを仄かに感じてしまう。
 執着から自由になれて、どんな気分だい? とも。
  
作中では、主人公の感情も思考も何も語られない。
保守的な界隈に対するロックな反発だけでなく、
もっとクールな思考も想像されてしまう。
  
 
予備知識無くて面白くないは知ったこっちゃないが、
音楽通は、この映画をどう観たのだろう。
政治的にも、音楽的にも、
時代の交差点で起きたボブ・ディランという歴史的事実を淡々と写実してゆく。
過度な盛り上げも、内面に迫ることも排除した、そんな作風を、
音楽通はどう観たのだろう。

評論は的確で、”unknown”は無名で正しいと思われるが、
鑑賞後は、
主役の得体の知れなさ、掴みどころの無さが、確かに際立つ。
映画として、このアプローチは、
これはこれで立派。と私は褒める。
安い作りにしなかったのは、監督の手腕だと思う。
 
ま、個人的には、
イントロがアル・クーパーのオルガンで始まる、あの有名なレコーディングシーンで、
不覚にも鳥肌立ち、
20年以上昔、渋谷でアル・クーパーを生で聴いたこと思い出した。

ラジオを聴いていたら、
たまたまFM東京の主催でCM流れて、駆け付けてしまった。
なので客観的判断は無理とも言える。
  
 
それでも、個人的に評価したい点は、
 フォークからロックへで、英国との交流を描くと予想していたら、
 意外にも、ブルースの影響を描いてたこと。
特に、
 南部の黒人のブルースをルーツに、
 電気の白人のモダンなブルースが、シカゴで既に誕生していた。

それからボブ・ディランという伝説が顕現した。
そんな描き方をしてるところ。
ま、とにかく、
アル・クーパーのイントロのオルガンにヤラれてしまった。
これで、以前と以後に世界は二分されたと、納得させられてしまった。
 
 
帰ってから復習。

ディランズ・ロック誕生は、まさしくマディのモダン・ブルース・サウンドに触発されたのはいうまでもないが、盟友だったポール・バターフィールドとの関係も捨て難い。つまりポールは、60年代フォーク・リヴァイヴァルの折にマディ・ウォーターズという男の存在感を示したに他ならなかった。ポールは、1942年12月生まれ。ディランとほとんど同年輩。シカゴ生まれの、シカゴ育ちだった。若い頃からシカゴ・ブルース=モダン・ブルースが大好きだった。特にマディやリトル・ウォルター、バディ・ガイなどがアイドルだった。

映画でも、バターフィールドは重要に映った。
伝説のシーンはやはり、歴史的伝説だった。

ディランはニューポート・フォーク・フェスティヴァルに出演、ポールのバンド・メンバー(マイク、ジェローム)を借り、初のエレクトリック演奏に臨んだ。「ライク・ア・ローリング・ストーン」録音で貢献したアル・クーパーも参加。このディランの変貌に驚いたフォーク・ファンは、ブーイングの声を発した。ロックの歴史でよく語られるこの事件は、一説によるとPAの故障で音がよく聞こえなかったのが原因ともいわれている。このニューポート・フォーク・フェスにポール・バターフィールド・バンドが出演していなかったら、ディランのエレクトリック・ロックは披露されなかったかもしれない。

 
映画は、
バイクで颯爽とフェス後翌日のフォーク会場から去るディラン。
そこに、「Like a Rolling Stone」が流れて終わる。
更に、その後エンドロールで流れる曲が、
フェスで観客がリクエストしたナンバーなのが気に入らない。との感想も見かけた。   
いやいや、
行き場の無い私のために演奏してと、
 
通底する諦念が味わい深い。
 
 
これでいいのだと、全肯定する。 

金曜は大相場で、永らく待った甲斐があった。
もっと上手くと思わないでもないが、これで良いのだ。
 
 
2025.03.01 現在
 1月末までに建てた玉は一旦全て手仕舞う。
 もっと粘るべきかもしれないが、利確出来るなら利確。
 永かった。
 繋ぎを打ちながら、もう一段の下落も想定している。
 どうやら、一旦-2σまでは戻す様子。
 どちらの方向でも、おずおずとついてゆくつもり。

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