世間の評は、
”戦争の悲惨さ”と十把一絡げ、戦後教育そのままの反戦思想丸出し、
この題材で、兵士を”戦争の被害者”と描いたら、
そりゃ、旧軍の軍人は侮辱と感じる。だろう。
戦前も戦後も、ベクトルが違うだけで洗脳に変わり無し。
プロパガンダに利用されてしまう作品は嫌で、観ないつもりでした。
しかし、
興行的に苦戦、
終戦2年後に投降の意味が無視されすぎ、
諦めの判断って大事だなと実感して(後述)、
真珠湾攻撃から84年と3日後のこと、
他の上映作品より優先してしまいました。
0.事前の私の知識レベル
1.wikiで予習
2.どうしても嫌悪するもの
3.作品の評価感想
4.諦めの判断
時系列順に、去来してしまったこと、吐き出します。
フィクションについて、特に言及もしません。
0.事前の私の知識レベル
マリアナで負け、更にレイテでの敗北は、最早これまで、
今さらパラオで頑張ってもなぁ。
という程度の認識。
努力信仰が脈々と続く方が、絶対おかしいと気づかないと、
”戦争の悲惨さ”の教材で片付けるのは、思う壺。
永遠にループしてるような感覚が生きてて辛い。
戦後、高度成長期以降に生まれても、
リソースを最大効果挙げるよう活用するのがマネジメントで、
戦いを省略するのが戦略。
そんなことは1ミリも教わらず、社会という戦場に放り出されました。
まあ、ミッドウェイ敗戦、いや日米開戦の、いや国連脱退の時点で、負け確か、
いや、
折角に日露戦勝利後、

国際金融のユダヤマネーを敵に回して、
石油の無い国が、精神力で勝てる戦争なんて、
と、気持ちだけが時間遡行してしまう。
国民が支持した開戦の、意思決定が分析されることは滅多に無い。
本作を観ても、原作を読んでも、あくまでフィクションに過ぎず、
史実を知った風でしかない。
と留めずに、戦後教育そのままの主張をするような人を、
戦時下で反戦を貫く人物とは信じず、
所詮、
受けた教育次第、同調圧力次第、
平和な時の反戦論だと、認知している。
1.wikiで予習
原作未読のままです。(フィクションだし)
ペリリューの戦い
中川隊長の自決まで、
島民を戦闘に巻き込まなかったこと、
泣く子も黙る海兵隊第1師団に壊滅的な損害を与えたこと、
これが最初の旧軍のゲリラ戦だったこと。
玉音放送も届かず、戦後も抗戦を続けたこと。
知らずにおりました。
其の上で、
隊長の自決と、それ以降の意思決定については、
現在の目では評価するのは、不遜と感じるものの、
投降という選択も存在した。とは思う。
それも、
国際法に基づく、捕虜としての態度を、
先にフィクションで観て、
プロパガンダに染まったかも知れない。
敗戦は惨めだが、受け止めるよりなく、
恥じること無く、捕虜となるも、立派な態度である。
むしろ、その方が難しい。
人間だもの、名誉の為に死ねるのである。
当然、意見の対立も有っただろうと想像した。
その後、
ゲリラ戦は硫黄島、沖縄でも採用され、
その戦術の有効性が再評価されるのはベトナムに於いてで、
(お米年3回採れると、兵糧は違うのか、
「地獄の黙示録」のナパームの有効性には、疑問を感じてしまったが、
ヒャッハーな日本人の知性には、同じ民族とは思えない。
組織の腐敗が始まっていたとは言え、
米兵には米国内でも侮辱仕放題の時代感も同時に伝わる)
大義無く、核兵器も禁じられては、物量だけでは勝てないと知る。
閑話休題。
戦さは基本、剣ではなく、渇きや飢えで勝つものであり、

その基本は揺るがないが、
あの日本兵の籠城戦とは戦いたくない。
本土決戦を叫ぶというのは、
九州、本州に地下トンネル網を張り巡らせるということ。
甚大な犠牲を払って制空権を得たのであれば、
後は民間人を多数殺傷しても、焼夷弾や原子爆弾で済ませたい。
竹槍で爆撃は防げない。
そう立案する方に感情移入しそうに成ってしまう。
いずれにせよ、
国家の意思決定のあり方と、
民間人への無差別な殺傷と、
兵士の過酷な戦闘は、
それぞれ個々別々に語りたい。
”戦争の悲惨さ”と、何でもかんでも一つの箱に入れるのは拒否する。
特に、承知で戦ってる軍人に対し、可哀想扱いは侮辱と思う。
と、予習及び、世間の評も確認し、鑑賞。
2.どうしても嫌悪するもの
個人的に、吐き気を催すのは、
エンディングテーマの ”正解を教えてよ” という歌詞。
戦後教育の洗脳の極み。
実践では、
限られた情報の中、意思決定せざるを得ない場面は常に有り、
結果は結果として、受け入れる他に無く、
後知恵で正解が分かることもあれば、それすら叶わないことも。
そんな当たり前の現実すら、隠蔽する悪質さ、
教訓が教訓にすらならない。無邪気な悪。
ま、世の中には、
意思決定すら蔑ろにして、行動すれば善と言う、
更なる邪なビジネスも数多存在するが、
ああ、そうだ。
実写化されると予告された、
「ルックバック」が嫌いな理由が分かった。
京アニ事件という史実に基づき、
選ばれし才能が創作に勤しむ態度を表明、
その作品の消費のされ方を見聞きするにつけ、
もう少し、厳粛に受け止める内容が有るのではないか、と感じ、
その時の ”吐き気を催す” と同じだ。
売れない芸人が ”ネタ書かねばならない” と、
自己投影して感動するのは、違うだろう。と憤慨したり。
一方で、
事件前からの製作を引き継いで、漸く完成した「ユーフォニアム」が、
当時思いの外、話題にされず。
大衆娯楽として消費される立場の、難しさ残酷さを想像するだけ。
それでも、
ペリリュー戦という過去が残った方が良い派居るだろうな。
80年経ったとて、物語として消費を楽しむのは、まだちょっとキツイな。
昭和生まれの個人的には、そう思う。
3.作品の評価感想
そんな後味の悪さは否めませんが、
作品としては、私は高評価です。
日米両軍の兵士を、意外にも中立的に描いていることに驚き、
好感しました。
兵器の精密な描写を確認したり、轟音轟く臨場感は、映画館での鑑賞ならでは。
かわいいキャラの絵柄で陰惨な物語を展開するのは、
今では定番とは言え、やはりアニメならではの効果。
実写でリアリティ出すには、
この題材で回収出来そうにない撮影コストが想像される。
それこそ、「地獄の黙示録」並のロケになるやも。
現代劇なら、アニメが安上がりとは思わないが、
この場合はね、再現が大変過ぎる。
”赦し”を訴える「果てスカ」とは世界線の異なる、コスト回収を願う。
結果を素直に受け止めるのが教訓の第一歩。
大本営発表や、提灯記事は止めようよ。
兎も角、
リソースの投入が大変適切で、完成度高い作品と観ました。
とかく、俳優起用が批判されますが、
本作そんなこと無いです。好演でした。
原作と違うと憤慨するファンも想像されますが、
尺を無視した要求は、だたの駄々っ子で無視。
それでも、
当初からゲリラ戦を目指していたことは、あまり描かれていない。
最期まで持久戦を継続してること、伝わりにくい。
隊長の自決、玉砕とその後徹底抗戦に至る経緯も分かりにくい。
原作の事情で映画の問題はないと思うが、
終戦から2年後、ようやく投降するに至る経緯は、
ドラマチックな創作ではなく、リアルを観たい。
何が現実かは知らない。
観てて、ドラマやり過ぎとは思った。
いちゃもんに近いですね。我ながら。
ペリリュー島での死闘、原作からの取捨選択良く、
収めたのだと想像します。
良作であり、制作陣はクレバーでした。
戦後教育とは違う文脈で、ちゃんと称えます。
情熱もリソースで、投入の処を間違わない判断力も高い。
4.諦めの判断
前日に自主特撮とのワードに惹かれ観てしまった。
廃墟のロケも、ミニチュア特撮も素晴らしい。
他は、要らないかな。
せめて、ドラマパートは頑張らないで欲しかった。
劇場公開まで、8年掛けたというが、
監督、脚本に物語を創る才能は無い。
客は常に、置いてけぼり。
”そうは、ならんやろ!” 毎分そうツッコんでしまう。
それで、
捻ったドンデン返しやろうとする、勘弁してくれ。
マッドサイエンティストの鳥居みゆきが、地球滅亡の企て、
その危機をキッチリ描き、
それを阻止しようと奮戦する研究員たち。
取り残され彷徨うメンバーも出てしまう。
だけでいいよ。
情熱も労力も時間も、特撮にフルベットしろよ。
努力信仰の弛まぬ国で、
リソース投入の意思決定を間違っても、
指摘されず、身内はヨクヤッタと拍手する。
ドラマ作りでは、
商業レベルには成らないと、誰も指摘しないのは残酷過ぎる。
ペリリュー島より悲劇的と感じて、翌日は本作を観に行って比べた。
どちらも辛かった。
無理してでも、サボらねばならない時もある。
頑張ってはいけない場面も有る。
苦しくても現実を見つめてアッサリ諦めよう。
手を抜くことの大切さ、そんな教訓でしたね。
優先順位を意識しよう、
学校で教わらないし、
社会人に成っても、学べないかもしれない。
本当の教訓を隠し、反戦一色で覆いたい意図が、
誰かに有るのかもしれない。
戦前も戦後も、変わることなき努力崇拝は思想教育。
”諦めたら仕合い終了”と悪魔の囁き。
今回は予告編も流れたので、流石にPRも頑張るらしい。
もうちょっと評価されても。
2025.12.13現在
抵抗戦は強いが、20MAを割り込まず。
判断出来ず、動くなら、来週を待ってから。
