最大公約数の感動を獲る脚本「ファーストキス 1ST KISS」坂元裕二の技工を解読しようと予習。「「感情」から書く脚本術」「大豆田とわ子と三人の元夫」 脚本の教科書は「12人の優しい日本人」

作りモノ感丸出しの技工は苦手だ。
 ”あざといな、客に媚びんな”
とイラッとする気持ちが、いつも鑑賞の妨げになってしまう。
2025年現在、日本の観客の感動を最大限満たす脚本家。
その名前は知っているが、自分が楽しむのは難しそう。
ましてや「聖なるイチジクの種」を観た後では、
テクニックでは作り手の精神に共感出来そうにない。
 
それで尚更、評判を多く聞くにつれ、疑問が湧いた。
 何故、世の人々は感動するのか? 
 如何に、脚本上の技工は駆使されているのか?
その秘密を、この目で確かめようと決心した。苦痛なら途中退出やむなし。
 
  
ネタバレを気にせず感想動画も見て回り、作品の特徴は理解した。
(こんな定型フォーマットにネタバレもクソも無いと思う)

 撮影、音響は素晴らしく、季節感溢れる長野ロケの勝利。
 演者は文句なし。
  坂元作品のエースが存分に活躍し、
  イケメンの確かな受け。
 監督と脚本の最強タッグによる、笑って泣けるタイムリープ年の差恋愛もの。

松たか子とアイドルの年の差カップルはキツイかもしれない、と一抹の不安。
 ファンタジーを成立させる装置が定番のタイムリープ。
 同時に、撮影の魔法と演技の説得力は絶対に必要なアイテム。
SFとしての粗は有っても、恋愛ものとして外すことは無さそう。
運命の変更と自己犠牲という、
ワンセットな定番も、号泣に貢献することだろう。
オリジナルなので、原作ものの余計な縛りも無い。
設定はベタで全然構わない。
その方が技工を存分に発揮出来て、感動の量産に有利。
むしろお約束に寄せた方が説明の手間も省ける。誘導し易い。
  
メインターゲットは、
 30代以降でまだまだ現役を自認している女性。
 更に松村北斗ファンを追加。
 ファミリーは無理でも、カップル需要は見込める。
1月は連休も多く丁度いい。
万全の座組で、ヒットは手堅い鉄板企画である。   

構造は知った、展開も大体分かった。
 つかみは、離婚間近の夫婦が、不慮の事故で夫の死に直面。
 そこから、タイムリープの年の差シチュエーションで笑わせ、
 最後は、夫婦の死別をしみじみ感動させる。
 泣かせに向かう過程で、お得意の視点切り替えも、披露すると聞いた。
 
ツカミは間違いないだろう。
関心を惹くことに失敗することはない。と確信してる。
 冷え切った夫婦関係から事故死というショッキングな展開。
 そこでタイムリープを繰り出し、
 若き夫を愛し、未来の妻は愛されるなら、
 今はもう満たされない願望を満たす追体験。
感情がどん底からアガるオープニングは、見る側も素直に追いかける。
定番の設定なので、スムーズに運ぶはず。 

しかしハードルは幾つか在りそう。
第一関門は、
 彼は彼女とまた恋に落ちることに、客は納得できるか?
 ペタジーニ的展開に説得力あるか、男視点で、
 年の差カップルがキツく映らないだろうか。
 そこは、松たか子の女子力に全てを賭けるしかないか。
 最大のハードルだと思う。

逆に、問題無いと想定するのは、
 ヒロインの願望実現と無能。
 タイムリープ先で、若い夫とのデートでトキメいてしまう。
 目的を忘れてはしゃぐ乙女なアラフィフを、
 松たか子は完璧に演じるだろう。(予告編を見た限りでは)
 そこで更に手数多く客を笑顔にするのは、お手の物だろう。
 そして最後は、
 運命を変えるのに有効なプランが無く、正体を白状する。
 ヒロインが有能である必然は無く、
 この人じゃ仕方ないと思えればいい。
どうしても運命に勝てない、そこで解決策を思い付いて葛藤。
ここが劇中最大の見せ場で、
役者とスタッフは手練れで、総力挙げて泣かせにかかるだろう。
 
第二関門は、
 夫の決心に、リアリティを感じられるか?
 ここまで物語に従いて来ても、
 視点変わるタイミングで、観客の気持ちもリフレッシュする。
 人間離れした境地にある青年の役に、客からツッコミ入ったら負け。
 夫が座して死を受け入れる哲人なら、最初から夫婦円満だろと言われそう。
 
最後に、
 ラストで泣かせられるかどうか?
 オシャレ映画なら敬遠しそうなベタなセリフを、
 たっぷりと聞かせるらしい。
 あまりのベタさに従いていけない。離反を招く可能性はある。
 作り手はリスクを承知で、
 王道な大衆娯楽を魅せてやると、肚を括っていると聞く。

演技に大きく依存するけど、役者の問題でなく作劇の問題として、
作為ばかり気になってしまうかどうか。それとも、
スムーズに感動できるか。
自信は無いけど、精一杯頑張ろう。
 
 
主に、以下を参考に構造を整理した。


なお、
SF設定の破綻について、幾つか妥当な指摘あるも無視する。
 現在の肉体在りで過去に行き、
 現代に戻れば、現代でここまで生きてきた自分と融合。
 世界線は一つ。小さな変化は影響を与えるが、
 大枠の運命は変えられない。
という設定と許容。
それでもまだ破綻してるかもしれないが、気にしない。
 
話題作なので感想も多かったが、坂元作品は”考察”も多い。
ちょっとゲンナリした。
残念ながら、脚本の技工について解説してくれる動画は無かった。
ヒゲダンを解説するキャピタル先生↓の如きを、運命に抗い欲するも叶わず。

不安定感やワープをコード進行で表現する。
そんな分析を、
脚本についてもレクチャー受けたいが、見つけられない。
  
そこで援軍を要請。観る前に一読。
観客の感情を操る脚本の技工を知る。現物と突合する予定。

脚本の技巧というのは、ページ上で何をどう書くと、どういう結果がついてくるか理解しているということだ。それは、言葉を操って読者の心に特定の感情やイメージを浮かび上がらせ、注意をそらすことなく、心を動かす体験を与えて満足させてやるという技術なのだ。

映画の観客は3層の感情を体験する。
興味を惹かせ、感情移入させ、同じ体験をさせる。

「見たい、わかる、感じる」、ということになる。この感情の3つの階層全部で読者の心を奪えれば、理想的なのだ。

「見たい」(Voyeuristic=覗きたい)という感情。
 これは、新しい情報や知らない世界について知りたいと思ったり、登場人物たちの人間関係が気になるといった、好奇心に関わる感情だ。

「わかる」(Vicarious=相手の気持ちになる)という感情。
 私たちは、登場人物と感情的に同化してしまうことができる。そのキャラクターが感じていることを、私たちも感じるのだ。フィクションのキャラクターを通して生きるのだ。
 -中略-
 登場人物が体験している感情を認識できれば、私たちはそのキャラクターと絆を結ぶことになり、同じ感情を体験することになるのだ。

「理屈抜き」(Visceral=本能で感じる)という感情。
 映画を観ている以上、頭で考えるより心で感じたいと思うものだ。だから脚本を読んでいる人にも、同じように感じてもらえないと困る。関心、好奇心、期待、緊張、驚き、恐怖、興奮、笑いといった気持ちが、この理屈抜きで感じる感情に含まれる。

観客の感情を常に計算に入れよう。

登場人物を泣かせれば、観客の憐憫を煽れるだろうと思ってしまうわけだ。その登場人物に感情移入していれば、観客も泣くかもしれない。でも、それだけでは足りないのだ。登場人物が激しい感情を剥き出しにしているのに白けてしまうという映画は何本も見ているはずだ。心が震える理由がなければ、客は飽きてしまう。あなたが書いた登場人物が泣くかどうかは、あまり重要ではない。重要なのが脚本を読んだ人が泣くかどうかなのだ。

 
  
映画館のその前に、
連休中は相場も休み、余裕はあるので坂元裕二&松たか子↓の予習を続ける。
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”終わった恋は、今も生きている” が「火の鳥」なライフワークかもしれないね。 
開始5分で、全盛期の三谷幸喜を「名探偵津田」方面に進化させた作風と分類。 
食べ物や小道具など、アイテムの使い方上手く、エピソードを絡め設定を説明。
ヒロインのキャラはDeNAオーナーがモデルかな。イーロン・マスクかな。
エース松たか子で、アラフィフで乙女なドジっ子キャラを存分に活躍させる。
母であることよりも、現役感が大事だ。
 
抜群に手際の良いプレゼンなのだが、視聴者の曖昧な解釈は決して許さない。
ナレーションと説明セリフで万全を期す。
おそらく映画の独り言は同様に機能してると想像。 
 
個人的には、丸出しの介入がもうキツイ。
そんなに作り物感出さなくても。
情報量物凄く多いのに、視聴者自ら処理する必要は無いと言われる。
手取り足取り補助輪付きで話を運ぶ。多分拘束具も付いている。
私は慣れていない。彼のしきたりに。
なかなかに辛い。
それでも、
連休だし時間はたっぷりある。配信だし、だましだまし観る。
 
 
三谷幸喜が舞台的過ぎると批判されて、福田雄一の変顔がクドいと嫌われる。
それなのに、この演技演出はセーフなのか? 世論のダブルスタンダードを疑う。
とはいえ、
 元夫同士がキャッキャするくだりを、改めて映画でやるのもねぇ、、
もろもろ、配信の松たか子で充分じゃね?
  
恋愛の未練を描くときだけは、極力余計なことはしない。
今日本一売れっ子の脚本家は、子供っぽくも父性溢れる。
劇中、意地の張り合いからのドジっ子仕草に対し、
感情のスイッチを押す。困っている人を助けずにはおけない。 
 定番とはいえ、名人芸の決め球。配球の妙。
 ワチャワチャからのチェンジアップで三振の山を築く。
途中でギブアップしなければ、快感だとは思う。
 
これが現代のベストバランス、ヒットメーカーなのは分かるけど、
2時間の座りっぱなしは、、無理かも。
  
 
懲りずに1話の2周目。(1話分でお腹いっぱい)
もう一度、シナリオの技工に集中して観る。
やはり、
 プレゼンは手際良く、優しくてマナー良く上品。
 「王様のレストラン」の松本幸四郎みたい。
 そして厳格な父親のように解釈の余地は許さない。
休み休み、理解しようと試みる。
飯野賢治の元で腕を振るったゲームシナリオにも似て、機能重視が特徴的だった。
 キャラは、
 属性分担が意図的に明確である。
 現実感よりカリカチュアライズ優勢。
 感情的な女性と理知的な男性を対比。
 母性は不在。ちゃんと不在も描いている。
 エース松たか子の人物造形は十八番。
  仕事は、いわゆる男性属性でバリバリだが、
  プライベートはドジっ子かつ、
  枯れない生涯現役。
   
 セリフは、
 不自然でも、機能が限定的で分かりやすい。
 口論は、笑いの手数という目的のみならず、
  キャラの人格、関係性や経緯などの情報開示を行い、
  キャラ同士のみならず、キャラと視聴者の心理的距離を縮める。
 システマチックな会話は「名探偵津田」を彷彿とさせる。
 ボタンで言動を選択するアドベンチャーみたい。
(個人的には、ちょっと耐え難いが)
 しかし感情だけは特別で、表情や仕草で役者が表現する。
 ゲームでは出来ないこと。
 
 ストーリーは、
 クエストのキッカケ作りは巧みである。一方で、
 目線や導線の指定が細かく、見る側の視野は限定される。
 せわしない。よそ見は許可されない。
 (だから中身が無でも疲れる)
 アイテム→エピソード→クエスト という展開を繰り返しで、
 ドラマ全体を動かす。
 以下の流れ。
  アイテムが提示され、
  アイテムにまつわるエピソードをひとしきり、
  エピソードからミッションが現れ、クエストが始まる。
  キャラはミッションクリアまで、行動し続ける。
  クエストが集積され、大きなストーリーが転がる。
  (ここでは元夫たちのワンチーム化)
 エピソードやクエストを玉突き的に繋いでゆくテリングは巧み。

 笑いは、
 このくらいの手数でないと今は飽きられてしまうのだろう。
 おぎやはぎを駆逐するM-1のように。余白は許さない。
 羅列には感じられる。
 
展開のパターンは同じ、
福田雄一ほどではないが、前フリは無く、
唐突にアイテム提示から始まる。
 
 
結果的に、
独房に投獄されるようなストレスも感じる。
パピヨン」や「聖なるイチジクの種」の如く、観る者の自由は剥奪される。
通常は、
そのようなマイナスを避けるため、フリを利かし観客を誘導する。
伏線も本来は、物語を収斂させてゆく仄めかしのはずだった。
(いつの間にか、サプライズの装置になってしまったが)
ストーリーそのものは順列に見せるので、
サプライズの刺激も、これが現代の丁度いいバランスなのだろう。 
 
坂元裕二は父性が強烈で、
 弱き者を保護しようという善意を持つが、
 反面支配的。
どうすればよかったか?」を思い出す程に。
かつて楽しんだ「“それ”がいる森」では、
 余白を説明セリフで塗りつぶすという手法を披露していた。
 たとえ子供騙しなストーリでも、解釈の余地を塞いだ。
 あえてカタルシスは与えない、チープの積み重ねは、独特の可笑しみを誘った。
 これを楽しめるかどうかは、
 作り手の悪意、観客に対する批判に同意できるかによる。
 説明されないと気がすまない消費者を嗤う笑いを笑えるのか、
 観客が問われる。
 笑いは攻撃性の発現。
そんな悪意とは対象的に、
当代一の脚本家は良かれと思っている。善人である。
 
演者、撮影、衣装、美術、音楽、全て素晴らしく一流。
設定も、キャラも、ストーリーも面白いのに、
2話目は断念した。演出と、脚本の技工が苦手だ。疲れる。
感情移入の前にストレスが勝ってしまう。
   
ともかくも、 
迷走する三谷幸喜、ドラマ風コントで過剰な福田雄一に対して、
コント寄りのラブコメが今、丁度いい匙加減なのだと理解する。
 
 
まだ、時間がある。
福田雄一は既にアマプラで視聴した後なので、
三谷幸喜の全盛期↓にも学んで、違いを味わうことにする。

みんな若い。トヨエツはまだ無名だったはず。 
前フリやっぱ上手い。
 老若男女12人も居るキャラを書き分けつつ、陪審員制の説明。
 作品のテーマ、意匠も示す。
 最初のプレゼンで、観客に展開を予想させつつ、
 逆ヘンリー・フォンダの発言で、物語が転がりだす。
 なるほど、そんな事案なのかと。興味を引いて離さない。
 坂元裕二作品では味わえない自由を満喫してしまう。
 
セリフだって、機能的なのに、
 ”ああ、こういう人って居るよな”と共感が勝る。
 ちゃんと笑える。優しい気持ちで。
 機能として、ストーリー上の必要なセリフでも、
 ”この人はこんなこと言いそうだ” から絶対に外れることがない。
 だから作為を感じさせず自然。観客は素直に受け取る。
 
会話だけでお話を展開してゆく。凄いね。
 どのタイミングで、誰に、どのセリフを言わせるか。周到過ぎてビビる。
 対立を重ね二転三転。
 謎が深まりながら、はたして評決はどっちだ。
 スリリングに盛り上がる。

出前は伏線回収だったのか、上手いね。
ドンデン返しも、巧みだ。
 鮮やかなのに、不自然さを脱臭している。
 ここでも前フリが上手いから技が決まる。
 アザトサをあざとく見せない技工がある。
 
例えば、最も印象的なシーケンスでは、 
 意見が対立し、ヒートアップする最中。
 無罪派は無茶な反論を繰り返す。そこで、
 有罪派は”じゃあ証言が嘘だと言うのか” と言葉尻を捉えて煽る。
 それが蟻の一穴。
 ”ひょっとしたら証言に嘘があるんじゃないか” と矛盾に気付く。
 そこからトヨエツが黒板で解説するまでの一連が滑らか。恐ろしく巧み。
 セリフに疲れた観客にも、聴覚と視覚を刺激しダレさせない。
 霧が一気に晴れるような鮮やかな快感。
 緊張と緩和が上手いのは知ってたけど、想像以上に計算ずく。
   
呆れるほど、見事だ。
何を最初に好きになるかって、環境であり才能。
 
 
  
坂元裕二作品は誘導より強制。そこが苦手。
技巧的だが、観客の心理を操る上手さとは違う。
と一旦結論付けた。
だからと言って、感動できないとも限らない。

作為が鼻に付きそうな不安は残るが、、
もうすぐ予約の日が来る。 
とにかく、脚本の技工を確認してこよう。
 
 
作詞は坂元裕二でないけど、松たか子の楽曲では一番エモいと思う。

 ”私、きっと、あなたを、好きにはならない” 
冒頭からレトリカルで、かつ心に響く。
春でなく、初夏なのも良き。
 
 
2025.02.23現在
 -2σを久々に割り込む。
 もう一段の下落を見込むのが本線だが、ここで反発も想定。
 連休明けは、できる利確はしてゆきたい。
 買いの仕込みは迷うが、
 反発しそうなら現物買ってしまおう。

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