「最終楽章 響け!ユーフォニアム 前編」(;-ω-)ご都合民主主義の恐怖政治と改変♪「星野くんの二塁打」彷彿。


「パリエト」悪く言って、観ないまま。
代わりに健全なアニメくらいは、観よう。
良い音響がお奨めという、世間の評に後押しされ、
ファーストデイ21時過ぎdolbyの回予約。
  
配信はいつか観ようと思いつつ、未見のまま。
ストーリーの展開は薄っすら知っているけれど、それ以上知識入れず。
 
 
 《 開演 》
 
 
子供に見せては行けませんね。教育上よろしくない。 

ネタバレします。
 
 
 
最初の多数決が、踏み絵のようで怖いです。
北朝鮮が民主主義人民共和国を名乗るの頷けます。
正当性を獲得したら、いずこも同じ。
 総統とか、終身皇帝とか、ルール改変する手口と一緒。
 ユーゲントだか、紅衛兵だか、言論統制の始まり。
 権威には、決定の理由を訊くことすら、恐れ多い神格化。
 
生徒に運営任せきりで、知らんぷりの教師2人。
偉そうですが、指導者として無能です。
いずれ大きなトラブル起こりそう。きちんと処罰されて欲しい。

  
 
内容は決して健全ではない。問題でしょう非常に。
 
最初から理不尽な昭和の高校野球名門校は、まだ正々堂々として、
最初は多数決を使い、民主主義の権威を得たら以降は、全て命令絶対。
大変巧妙な手口。
後編、責任逃れの手段として、また多数決利用するのでしょうか。
こんな教育者に薫陶され教育者に成るのは呪い。 
 
原作由来か、改変のためか、詳しくは分かりません。
令和の時代の高校のリアルを描くと、作り手が確信犯で、
日本社会の縮図だと、密かに主張しているなら、
脱帽です。
 
 
山田尚子退社を危惧する声もあり、
その影響かどうか分かりませんが、
演奏シーンにあまり見どころ無く切られ、dolbyでなくとも。
作画は、流石の京アニですが、
TV版の再編集前提で、映画的画作りとは言い難い。スペック以外の点で、
映画前提の「クスノキの番人」に及ばない。

 
映画館で観る価値は、残念ながら微妙でした。
ですが、総集編ではなく、
群像的な、人間関係の微妙な心情の描写は諦め、
映画の尺で、主人公のマネジャー兼プレイヤー奮戦記を紡ぐ。
一本の物語として成立させたことは、好評価です。
 
上記に挙げた、内容の懸念は、映画化の問題ではなく、
第3期の作劇方針の段階から、存在してると思われます。 
 
 
更に先走ってしまうと、
どっちが勝つべきかに、とやかくは無く。
むしろ、
 気苦労多い部長職こなしながら、
 ナンバーワン奏者は非現実的と思われます。
ただ、
この部活の運営は手放しで許容出来ない。
多数決の使い方が悪質すぎます。
 
民主主義はお題目で、中身は教えない。
日本の教育の闇を描いているのかもしれませんが、
これで、良き青春扱いは疑問です。
 
 
同根の問題だと、思い出してしまった。
 
–2024.12.14の記事 「星野君の二塁打」を修正再構築 

さすが今浪さん。賢くて指導者としても優秀だな。
道徳の時間で似たような話があった気がする。
ただ、私の記憶だと。
 ・監督がサイン無視を咎めるとこで終わってた。
  当時既にヤバい部分はカット済だった。

 ・授業で先生が生徒に議論させていたことは、
  ”指示を守るべきケース、自分で判断すべきケース”の別。
  ”規則を守ること”ではなかった。

 ・星野君の打席での思考は細かく描写されてなかったはず。
  単に、得意なコースだから打った。結果オーライだった。と描かれてた。
 
原文を読んでみた。
作者が明大教授だから星野君なのか、たしかに体質がパワハラ気味かも。
いろんな批評も見かけたのだが、まあ、浪さんは一番マトモかな。 
 
気になるのは、専門家を自認し解説してる人の専門知識が怪しいこと。
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インターネットでも優良なコンテンツが増えてきました。「Yahoo!知恵袋」や、「教えて!goo」などでも、さまざまな疑問に対して、多くの専門家が無料でていねいに答えてくれています。したがって、少しずつですが、情報の非対称性は下がってきているのです。  
しかし、それは私たちが下げる努力を積極的にし続けないと、勝手には下がりません。なぜなら、旧メディアは相変わらず、トンデモ専門家を持ち上げ、アプリケーションレベルの有害な情報を垂れ流すからです。

したり顔で送りバントが得点の確率が高いと言う、自称野球の専門家。
(それまでノーヒットかつ1点差ゲームで、作戦の是非は別に)
 送りバントが”確率の高い”作戦ではないことは、普通に知られた情報である。
 セイバーメトリクス等の発達した現代ではデータに基づく定説として。
 それでも統計に抗うなら、現在の定説を覆すエビデンスを出すべきでしょう。
 
  
もっと驚いたのは、
戦後の洗脳の専門家が、規則や制度についての理解が無く、
民主主義とは、真逆の主張をしてること。

最低限以下は、無視しちゃダメだと思うんですけどね。
・指示と規則(ルール)は別物
・違反の罰則もまた、規則で規定されること
・信任されたとて、何でも専決出来る訳ではない
・不信任の規定が無ければ権力の暴走は止められない
・ハワハラの疑い
・”負けてもいい”はエージェントの裁量を超えている
 
そもそも、発狂する監督が道徳テキストじゃあ、
一皮剥けば、北朝鮮みたいな人たち。
支配者が変わって、手のひら返しただけ。
悪影響を跳ね返えすには、狭い組織の中にだけ居ては難しい。
 監督がルールを守っていないことに言及せず。
 スルーしたまま”ルールを守ることの美徳”を説くのは、
善良でも正気でもない。
そこに良識は無い。
  
  
・指示と規則(ルール)は別物
 支配を企む悪意がよく使う手で、
 ”指示に従う”がルールであっても、指示そのものはルールではない。
 ”規則を守るべき”と、”命令は絶対である”は別もので、
 意思決定もルール自体も、ルールに従い変更可能でなければ、
 法治とは言えない。
 これを意図的に混乱させる奴と、その盲信が生まれる。

・違反の罰則もまた、規則で規定されること
 規則を破ったときの罰則もまた、規則で規定されている。
 勝手に権力を行使して罰を与えるのはルール違反。
 権限の乱用であり、独裁の始まり。

・信任されたとて、何でも専決出来る訳ではない
 監督の役が信任されても、裁量は限定される。
 規則の規定にある罰則の範囲で罰はあるべきで、
 監督が勝手に謹慎を決めてよいことではない。
 罰の決定には、それ相当の手続きがあるはず。
 現実世界では刑法も裁判もある。
 監督がルールを無視している。
  
・不信任の規定が無ければ権力の暴走は止められない
 その役職に就くことが信任されたのなら、
 不信任の制度も同様に存在する。
 そうでなければ、権力の暴走は止められない。
 それ教えないなら戦後教育の大義は無い。
 あの監督の事後対応では、チームの総意として、
 ハリルのようにクビでも不思議はない。 

・ハワハラの疑い
 勝手に罰を与えるのみならず、
 コミュニケーションを取ろうとしていない。
  ”社会で通用しない云々”の人格否定の罵倒、
  ”異論無いな”と同意を無理強い、
 マネージャとして無能だし、今どきかなりグレー。
 
・”負けてもいい”はエージェントの裁量を超えている
 謹慎させた結果、”負けても構わない”と発言。
 全国大会への方針はチームによる決定事項で、
 あんたが勝手に決めることじゃない。それは私物化。 
 会社は株主のもの、(雇われ)社長はエージェント。
 そこわきまえていない人を任命してはダメ。更迭しないと。
 
 
彼らが教えているのは、ルールを守る美徳ではなく、盲信。
小学校で、どんな担任に当たるかはガチャだけど、
あの原作を是として教えるのは、根本が腐っていそう。
少なくとも、民主主義を教える気は無い。
  

–2026.05.03 現在
昭和の時代、
私が小学校で受けた道徳の授業は、意外にもマトモでした。
令和では、
 リアルを描く、綺麗事は描かない。
 本当は不気味な村社会だけど、それは気づかせずに描く。

という、作り手の意図なのでしょうか。
 
ごめんなさい。
アニメでは、いい話風に描かれていて、ついて行けない。

 
–2024.12.14の記事 「星野君の二塁打」のおまけ 修正再構築
あの教材では、
後半の監督の怪しい言動が無ければ、
プレーヤーとしての判断力と裁量の議論は可能。
 
私の担任はサッカーの例を挙げていた。
 センタリングを上げる戦術でも、キーパー飛び出して疎かなら、
 プレイヤーの判断で、シュート狙うではないかと。
今なら、古田のギャンブルスタートとか、題材にしたい処。

 
自己犠牲が偉いという、バント礼賛の本末転倒は無視して、
最終回1点差、無死一塁で、
打者が本日無安打で、さっぱり打てそうに無いと判断したなら、
送りは妥当な作戦と思える。
ただ、
投手がバントと決めつけて甘々な球投げて来たら、
そりゃ、バスター決められちゃうこともあるだろ。
槇原が新庄に敬遠球打たれたように、油断大敵。

より高度な状況判断の世界は有るっちゃ有る。
 
 
 
–2026.05.03 現在
違和感覚えたら、逆の視点で見るのは有効な手段と気付きます。
 
サヨナラ負けのチームの視点では、
決め付けてはいけない。裏をかかれる可能性はある。
その警戒を怠ったのが敗因。
全国行くレベルなら、そのくらいの駆け引きは有る。
 
決勝打のヒーローは、
 相手の虚を突いたのか、
 脳筋なだけなのか、
頭ごなしでなく、もうちょっと吟味が必要。
個別に指導するにせよ、チームで話合うにせよ。
 
 
ユーフォの場合、
意思決定の責任は、生徒でなく教師側が引き受けろよ。
多数決の使い方が汚い。
 
音楽家の前に、指導者であり責任者。
その視点から見れば、無能過ぎる。
 顧問の責任で決めるのか、
 部長の裁量で決めるのか、 
 話し合いで部の総意で決めるのか、
決め方は明確にしないと。
責任を逃れて、揉め事の種だけ蒔いている。
 
音楽家として、どれだけ優秀で情熱が有っても、
高校教師は不適でしょう。
指導者なら、
 どこを伸ばし、どこを改善し、どうなって欲しいのか、
 各プレイヤーに努力の方向を伝え、成長を促さないと。
コーチにも向いてない。
 
大阪のバスケ部を思い出してしまった。
2022年にも、愛知のソフトボールのケースありと検索で出て来る。
パワハラ気質で無くとも、
人を追い詰めても無頓着な気質で、彼を部活の責任者にしとくのは危うい。

  
法的責任の行方はどうあれ、いずれトラブルに発展しそう。
後味悪く、映画館を後にしました。
 
TVシリーズ鑑賞後、改変に悪感情無く感動出来たなら、
本作お奨めです。
 
 
 
間違った成功より、正しい失敗がマシ。(by桜井章一)
若ければ尚更そう。

 
 
 
2026.05.03 現在
 MACDは転換。
 20MAタッチまでは想定。
 まあ、今週はお休み。 

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