「阿賀に生きる」(1992年制作)人と自然の営みを、佐藤真は実直に。。。o(゚^ ゚)新潟水俣病(1965年確認)は2026年も係争中


新潟水俣病20年過ぎて、未認定(後述)の人たち、
阿賀野川流域に暮らす家族の姿を、
主張の脚色から逃れて映すドキュメンタリと知り、初日から向かう。
早稲田松竹によると、

1965年に阿賀野川流域で発生が確認され、
“第二の水俣病”と呼ばれたのが新潟水俣病でした。
大学在学中より水俣病被害者の支援活動に関わった佐藤真監督が、
その後3年をかけて撮影した『阿賀に生きる』には、
すでに引退したこの道60年の船大工や、
かつていた鉱夫たちが好んだという
艶めかしい俗謡を歌ってくれる愉快なおばあさんら、
味わい深い人物が登場します。
しかしその傍らには寝たきりの住人の姿があり、
高齢の水俣病未認定患者たちが山を越えて都市部の裁判所に赴く姿があり、
新潟水俣病の傷が取りこぼされることなくはっきりと刻まれています。
新潟での水俣病発生から20年が経過していたこともあり、
土本監督は佐藤監督に対して「今更お前は新潟に何を撮りに行く気なんだ」と問うたそうです。
佐藤監督の厳しさと優しさが同時にある本作には、
土本監督への応答が込められているのかもしれません。

 
しばらく、迷っていまして、
https://amzn.to/3QwHfav
 
自分の社会的主張を正義で描くのは、好ましくないと。
ましてや、虚構の物語でそれは、敬遠してしまう。
プロパガンダを観たい訳じゃない。

気楽な、お花畑に見えてしまう。
現場で人道支援してる人のドキュメンタリならまだしも。
 
 
そこで、社会派でありながらも、実直なドキュメンタリを選択。
背景は詳しく知らないので、最低限予習しました。
  
 0.予習
 0.1.抗告は2026.03.24
 0.2.複雑な時系列を整理
 0.3.これじゃ、揉める
  
 1.感想
 1.1.撮影方針とカメラマン小林茂
 1.2.フィルムの時代と素材
 1.3.まだまだ社会派可能な題材
 
近年の様子を追う作品は未見です。

 
 
0.予習
 流石に、
 新潟水俣病のこと無知では、作品の文脈見失うだろうと、
 グーグル先生に訊く。
 
 社会科のテストに四大公害病が出る程度に、
 もう私の小学生の頃は歴史的事件と化してました。
  名称覚えたり、空欄を原因の企業名で埋めたり、
  そんな暗記に、意味有るのか今も疑問ですが、
 先生は真面目で、住民訴訟の意味など説いてくれました。
 
 それでも、
 企業と行政がそれぞれ訴えられる意味、
 理解できて無かったですね。
 少なくとも今日まで。
 国と地方自治体が別々に被告だとは、知りませんでした。
 意味の無い詰め込み教育と、他責志向に陥ったりしつつ、
 検索しました。
 
 
 0.1.抗告は2026.03.26
  60年も前の事で、なにぶん不明ながら、
  現在も係争中と、本作きっかけで知りました。

  しかも、地裁! え、差し戻し後の最高裁ですらなく。。。
 
  新潟地裁の判決に対して、
  令和8年の今、一ヶ月前の3月26日に行政が控訴したから、
  それで早稲田松竹は、
  水俣病ドキュメンタリーの特集組んだのか。
 
 
 なぜ、こんなに時間が掛かるのだろうか?
 Wikipediaでも、経緯は、も一つ良く判らない。
 そこで一旦、経緯を整理。
 ようやく、状況を理解しました。
 
 
 こじれるだけの経緯があり、
 知っておいた方がよいと思い、
 長くなりますが、概要を記します。
 (本作の鑑賞には、支障はありません)
 
 新潟日報[新潟水俣病・公害と裁判の歴史]<><>より抜粋。
 0.2.複雑な時系列を整理
  これは、一筋縄では、、
  ①昭和40年代から、昭和電工を被告とする第一次訴訟の決着
  ②新潟県と市の救済も、国が基準を引き上げ「認定問題」発生
  ③未認定の原告団が国と企業へ損害賠償請求。長期化
  ④村山内閣当時ようやく、政治解決目指す
  ⑤司法と行政で認定基準が異なり、県も被告に。長期化
  ⑥第4次訴訟の和解成立。救済法で政治解決目指す
  ⑦救済法実施から2年後、申請打ち切り
  ⑧第5次訴訟、現在も係争中
  経緯を、ある程度ようやく理解しました。
 
 
  ①昭和40年代から、昭和電工を被告とする第一次訴訟の決着
  1966年(昭和41) 
   厚生省が昭和電工の鹿瀬工場の排水が原因であると報告。
   通産省(現経済産業省)が異議。
   工場の排水口からメチル水銀が検出されても、農薬が原因と主張。
  
  1967年(昭和42)
   新潟市などの3世帯13人(最終的に原告は77人)が、
   昭和電工を相手取り、新潟地方裁判所に提訴。
   いわゆる新潟水俣病第1次訴訟、国内初の本格的な公害裁判。
 
  1971年(昭和46)
   新潟地裁は昭和電工がメチル水銀を阿賀野川に排出し、
   汚染された川魚を多く食べたことが新潟水俣病の原因だと認める。
   昭和電工には、
    九州での水俣病の原因が工場排水であることを知っていたにもかかわらず、
    排水を阿賀野川に流していた責任があるとし、
    「住民の生命、健康を犠牲にしてまで
     企業の利益を保護しなければならない理由はない」と断じる。
   被告側が控訴権を放棄していたため、原告側の勝訴判決が確定。
 
  
  ②新潟県と市の救済も、国が基準を引き上げ「認定問題」発生
  1970年(昭和45)
   新潟県と新潟市合同の「公害被害者認定審査会」が設置
  
  1974年(昭和49)
   「公害健康被害補償法(公健法)」が施行。
   法律に基づき患者を認定し補償する制度が始まり、現在も続く。
  
  1977年(昭和52)
   国が患者認定の基準を突如引き上げる。
   補償が極端に減り、救済されない被害者を多く生み出す。
   現在まで裁判が続く「認定問題」へ。
 
 
  ③未認定の原告団が国と企業へ損害賠償請求。長期化
  1982年(昭和57)
   認定されなかった当事者(最終234人)が「新潟水俣病被害者の会」を結成。
   国と昭和電工に損害賠償を求め、新潟水俣病第2次訴訟。
 
  1992年(平成04)
   提訴から10年、
   提訴後に患者認定された3人を除く91人のうち88人を水俣病と認定し、
   昭和電工の損害賠償を認め。国の責任については認めず。
   原告と昭和電工は判決を不服として双方が控訴し、
   裁判はさらに長期化。
  
   ※本作公開。
  
 
  ④村山内閣当時ようやく、政治解決目指す
  1995年(平成07)
   「内閣総理大臣談話」を閣議決定。水俣病問題の「政治解決」を図る。
   熊本の政治解決をベースに、昭和電工と和解。
  
  
  ⑤司法と行政で認定基準が異なり、県も被告に。長期化
  2004年(平成16)
   水俣病関西訴訟で最高裁判決。
   「水俣病特有の感覚障害があれば患者と認められる」
   国の認定基準より広く患者と認める判断で、
   事実上、国の認定基準は否定される。初めて行政責任も認める。
   この最高裁判決を受け、認定申請する人が急増。
   しかし国は基準を見直さず、全国で患者認定を棄却された人が訴訟。
 
  2007年(平成19)
   新潟市などの12人が国と新潟県、昭和電工に対して、
   損害賠償を求めた新潟水俣病第3次訴訟。初めて県が被告に。
  
  2015年(平成27)
   原告7人を水俣病と認め、昭和電工に賠償を命じる。
   国と県の責任は否定。
  
  2018年(平成30)
   東京高裁判決では原告2人を水俣病と認めず、国と県の責任も認めず。
  
  2019年(平成31) 
   最高裁が上告を棄却。
 
 
  ⑥第4次訴訟の和解成立。救済法で政治解決目指す
  2009年(平成21)
   新潟地裁で新潟水俣病第4次訴訟。
   医師団が阿賀野川流域での被害者の掘り起こしを実施し、
   水俣病と診断された27人(最終171人)が、
   国と昭和電工に損害賠償を求める。
 
   国の発生に対する責任だけでなく、「被害者の切り捨ての責任」も追及。
   国が1977年に認定基準を厳しくし、患者認定されなくなり、
   昭和電工による補償が受けられなくなったのは不法行為だと主張。
 
  2009年(平成21)
   与野党の合意による「水俣病救済特別措置法」(特措法)が可決、成立。
   国の認定基準は満たさないものの、救済を必要とする人を、
   水俣病被害者として救済することで最終解決を目指す。
 
  2011年(平成23)
   国・昭和電工と原告の間で和解成立。
 
 
  ⑦救済法実施から2年後、申請打ち切り
  2010年(平成22)
   水俣病特措法の救済申請を受け付け開始。
 
  2012年(平成24) 
   申請を打ち切り。
   「あたう(可能な)限りの救済」を国の責務としたにもかかわらず。
  
  
   ⑧第5次訴訟、現在も係争中
  2013年(平成25)
   新潟地裁に新潟水俣病第5次訴訟。
   阿賀野患者会の会員22人(最終149人)が、国と昭和電工に損害賠償請求。
 
  ここから、新潟県 新潟水俣病のあらまし 参照。
  2016年(平成28)
   原告勝訴。
 
  2019年(平成31)
   第二次抗告訴訟。
   認定申請を棄却された住民5人(最終8人)が、県と市を相手取って、
   棄却取り消しと認定の義務付けを提訴。  
 
  2025年(令和7年)
   [新潟水俣病第5次訴訟]昭和電工が控訴
   26人への賠償命じた4月18日の新潟地裁判決を不服とし「上級審の判断仰ぐ」
 
  2026年(令和8年)
   新潟水俣病訴訟、県と市が控訴 8人の認定命じる判決け

  
 
 0.3.これじゃ、揉める
  正解は、素人の私には分かりませんが、
  この対応じゃ、揉めますよ。それは分かります。
 
  被告が、企業、国、県と市と異なり、
  行政の基準が分かれる。対応もそれぞれ。
  政権交代でも、対応変わってそうですね。
 
  何より、
  国の行政は強行な態度で事態を拗らせた。ように見えます。
  司法の判断には不服。しかし、
  ”認定という概念は医学ではない”らしく。
  医学の専門家でもない。
 
  新潟県や市が解決を図ろうとしても、国は横槍を入れ、
  ときどき政治が乗り出しても、面従腹背に見えてしまう。
  政権変われば対応も変わり、全面救済に今日まで至らず。
  都度、不満な原告を産む。
  これだけ時間が掛かっては、
  一貫性保とうと対応すれば、それはそれで尚更揉めてしまう。
   
  うーん、いち納税者としても、
   令和の今になっても解決できず、
   国の行政が被告の、裁判費用が税金なのは、
  これでは納得行かない。下手くそ過ぎる。
  解決する気があると思えない。
  
  それに、
   感情に訴える報道が得意のマスコミや、
   十把一絡げに、国が、政治が、と言う正義中毒では、
  何が問題なのか、誰が相手なのか、把握出来ない。
  ようやく理解が及ぶ。小学校以来の理解が。
 
 
 
ところで本作は、
認定問題が表面化する頃に、
阿賀野川中流で暮らす、未認定の住人たちの生活を、
3年間追ったドキュメンタリ。
 
熊本の水俣病をフィルムに収めた監督から、
”いまさら”呼ばわりされつつ、
声高に正義を叫ぶでもなく、写実に徹する。
 
これは、
佐藤真監督はじめ制作陣の偉業と感じ、初日の夜に鑑賞。
 
 
 《 開演 》
 
 
1.感想
 水俣病の文脈を知らなくても、
  平成初期の過疎の村、
  阿賀野川と共に生きる、
  四季折々の暮らし。
 その風土や文化伝統を体験出来ます。
 
 本作には貴重な歴史的価値があり。
 美しい風景と共に、制作陣の実直さが伝わります。
  
 
 1.1.撮影方針とカメラマン小林茂

  故佐藤監督は最初一千万円借金して、1年で撮るつもり!
  デジタルの時代なら、撮影コストも違うだろうけれど。
 
  照明焚いても、カメラの前で自然に振る舞ってくれるのに、
  監督が余計な質問して、邪魔だったと。
 
  「大きな家」で私も知りましたけど。
  カメラを意識しない撮影は、時間を掛けた信頼の証で、
  それで、
  演出がカメラマンと揉めるとは、凄い現場。 
  よく完成したもんだ。
 
  ああ、水俣病に関係無いから、餅つきの撮影は反対されたんだ。
  小林茂「わからないから撮る」

加藤さんはつきたての餅を僕ら若い連中に食べさせたくて、
しきりに「食べろ食べろ」って言うわけですよ。でも僕らは撮りたい。
そしたら佐藤さんが僕に「コバさん、あの、餅食べてから撮影したらどうだろうか」
って言うもんだから頭に来て、「餅を食うのは監督の仕事だろ!」
と作二さんにわからないように、佐藤さんに向かって小声で怒った。
作二さんは、耳が遠いから聞こえていなかったかもしれません。
でもその後、「食え」とは言わなくなった。
なんか僕は「お前たちはお前たちで職人なんだな」という空気が伝わったんだなと思ったんです。
そしたら、二人の痴話げんかがはじまったのです。

  笑っちゃうけど、すごい現場。

僕が柳澤監督に習ったのは、
とにかくカメラマンが夢中になってカメラを回せる状態をつくりだすのが
監督の仕事だってことだったんです。
だから、監督は現場で何かいろいろやるのが仕事じゃないわけですよ。
監督は、カメラが回る前に場を作ってるもんなんです。
だから鈎流しの名人会に頼んで長谷川さんと合わせるようなところは、
僕が知らない間に、佐藤さんもちゃんと仕込むようになるわけ。
そこで、ああ。やっと一人前の監督になったか、と。

  まあ、小林カメラマンの功績は大きいですね。
  よく撮ったねぇ。
  そして、映画として、優れた作品に成った。
  拍手と合掌。
 
 
 1.2.フィルムの時代と素材
  デジタル化されても、フィルムの質感よく伝えてます。

  特に、河の映像は、フィルムらしい美しさ。映えます。
  河と共に生きるがテーマですからね。
  
  今なら、素材存分に撮るだけ撮って、
  好きなだけ編集出来るけれども。
  
  限られた予算の中、テーマに忠実に。
  水俣病を織り込むバランスは、ときどき顔を見せる塩梅。
  お婆さんの手の映像は、ドキっとします。
  多くを語らなくても、
  阿賀野川と共に生きるからこその、暗い影を観客に想像させます。
   
   これで、認定されないのか、
 
  医学に基づく基準でなく、科学的客観性に欠ける。
  それで選別は、さすがに社会正義にもとる。
  国の行政の対応は、
   メンツだけの無駄コストで、国益にも反して、
   最初の制度設計が杜撰だと、あとは杓子定規で、問題解決出来ない。
  と、思い浮かんでしまう。  
   
  たまに、そんなシーンも有りるが、大抵は日常。
  生活をドキュメンタリで撮るとなると、
  余計に無駄にカメラ回してしまいそう。
  デジタルなら、それで問題無い。
  フィルムだから、チャンスは殊更、有限だっただろう。
 
  ご苦労様です。頭が下がります。
 
 
 1.3.まだまだ社会派可能な題材
  認定問題はこれからの時代で、
  社会派ドキュメンタリに仕上げるのが、むしろ普通の感覚かと。
 
  しかし、それは背景で、3年掛けて日常を撮る。
 
  水銀は、伝染病でも遺伝でもなく、
  いわれなき差別は依然残っただろう。
  それでも、
  「砂の器」のような創作ドラマは演らない。
  無理に感情に訴えない。
 
  この作品が世に残ったのは幸運でも、
  監督の真摯さ、生きる上では、逆に難しくしたかな。
 
 
想像以上に、偉業でした。
雪国の山深い過疎の集落、

その生活を収めたドキュメンタリとして、一旦お奨め。
特に、感情を煽る演出に食傷気味なら、尚お奨め。
 
 
 
”今更お前は新潟に何を撮りに行く気なんだ” と罵倒され、
水俣病は未解決の問題で、ワイドショー並とは志が違う。
そう反論してしまいそう。
佐藤監督は、風雪に耐え、本作を残す。

熊本も未解決なれど、今回、手が回らず。
 
 
 
2026.04.27 17:00 現在
 新高値更新ですか。
 戦局安心するのは早そうだから、
 売り玉のつなぎ打って、
 MACDのデッドクロスくらいは待って、下落見極めたら手仕舞い。
 そんなシナリオ描きたい。

カテゴリー: 書評、映画評など パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*