伏線回収をありがたがる「medium」が5冠の採点基準。

東京03飯塚リーダーは、伏線漫才が嫌い。

というより、世間が過剰に評価し過ぎと語る。同意。
自分で作ってるんだから、伏線自体は出来て当然じゃん。
かつて、サンドリのDJも同じこと言ってた。
とりあえず回収しとけば”おー”って評価される。笑いの量が少なくとも。
ヤる漫才師もズルいし、ありがたがる客も嫌い。
 
上手い下手に関わらず、伏線回収しとけば高得点。
そんな風潮に私も納得いかない一人である。
  
奇しくも、直近で笑ったTV番組でも、揶揄される、


吉本芸人の内輪ノリは、私も”知らねーよ”としか言いようがない。
  
競技漫才で高得点を上げることと、客を笑かすことは別。
 (チャンピオンのノンスタ石田が指摘)
落語やコントに比べて、漫才が特別に高尚な訳でもない。
逆に、芸があるかどうかに拘る必要もない。笑わせたもの勝ち。
 (談志が伊集院光を諭す)

M-1を崇めるのが当然の前提として、画面に映る吉本所属に共感は出来ない。
 ”知らんがな”  
賞レースに興味ないし、なにしろ面白くないもん。
人気があるのか、面白いのか、そのどちらかだけでいいよ。

作り物くさいだけの伏線回収漫才が評価されるのは、過大だと私は断じる。
 

漫才に限らず、
 伏線回収を異常にありがたがる風潮はどこから来たのか? 
 
万人に対して分かりやすく、公平にタイパを計る尺度だから。かと、
 アーティスティック・インプレションは主観に過ぎず、
 高難度の大技の回数は誰にでも分かる客観的な評価だ。

お笑い、映画、アニメ、漫画、小説、etc。
市場の評価基準が変わったことは、受け入れざるを得まい。
不易と流行。
ただ質的低下を嘆くだけでは、老害化でしかない。
受け入れましょう。理解に努めましょう。
 
数多存在する中から、
その作品を選択するという決定をするまでのコストは高い。
AmazonやGoogleのAIのオススメは精度がまだまだ低い。
恐らく、
AIのサジェスチョンが進歩すれば、世間の評価基準もまた変化する。
そんな想像している。
日本株で、AIに投資してみても、まだ泣かず飛ばず、
期待は感情の借金である。
 
 
で、
小説を読もうかどうか迷うとき、他者の評を吟味した上で参考にしている。
 
Kindleで小説の評価を見ていると、小説の技量でなく、
ストーリーが面白いかどうかだけで判断している評も多い。
そういう評が多く酷ならば、創作の力点がプロット以外にある可能性が高い。
そのときは、お話の構造以外に注目している評を探す。
逆に、
どんでん返しや伏線回収を褒められてる評が多い作品は要注意。
小説が下手な可能性は高い。
 
最後は、サンプルを読んでの購入可否の判断に至る。
フィギュアスケートや体操、格闘技のポイントなどで、
採点基準が変わると、競技自体が変わってしまうと感じることは、
まま有る。
変化自体は受け入れよう。
   
とはいえ、
下手なものに、時間とお金を払う不快は心身に悪いので、
選別して、自分に良いものを摂取し、それ以外を避ける。
その上で、他人が作品をどう評価しようと介入は慎もう。
 
価格という市場の評価と、自らが算出した価値は別物。
常に、そう自戒しなければならない。
 
  
そんな、身が引き締まる作品↓読了。修行のよう。(ネタバレ全開でゆきます)

ああ、こういう作品なのか。意匠は理解した。
今までにない、大掛かりな仕掛けで驚かそうという意気や良し。
あの犯人が罵倒されるのは、カタルシスが確かにあった。
 
みりちゃむvsTKO木下を見るが如く。

娘からの評価に対し、父としての自己評価が甘すぎ。札幌ドームにも似て手遅れ。
 良くぞ言ってくれた!! 
そう拍手喝采を送ってしまう。
  
ただそれは、ラスボスとしての弱さと裏腹で、
こんなポンコツな厨二病が、明晰で周到な訳が無い。
いかなる手段で、足が付かず、被害者を拉致するのか、
作者は描いてくれない。
吉良吉影なら、
 邪魔者は爆破で葬るし、
 目立たぬよう優勝は避けるし、
 整形までして川尻家に潜む。
シリアルキラーに相応しい人格、ラスボスの資格充分な能力。
事前に読者に示してくれるから、クライマックスが盛り上がる。
それが演出というもの。
 
犯人はポンコツさしか描かれていない。
厨二な美人への拘りもイタい。思考も稚拙。
作者の外見コンプレックスが重度なのか、もうちょっと理知的な大人に描こうよ。
じゃないと、どんでん返しは楽しめない。説得力がない。
敵役として力不足。(役不足は誤用なの?)
警察舐めるな、証拠残して、さっさと捕まってるだろ、こんなの。
 
これもまた、小説の下手さの範疇と判断。盛り上げる為の演出が不充分。
ラスボスのショボさは、大きな減点とした。
伏線回収とどんでん返しに全振りし過ぎ。 
 
それと、
作者の願望チックな甘めのエピローグでなくて、
”犯人だと最初から知って近づいた” で締めて欲しかったかな。
イタコ役は小悪魔的正義のヒロインの方が、キャラが立つと思うが。
   
 
まとめると、
得点は、
・各編からラストへ全体が繋がる大掛かりなどんでん返し
・違和感を感じるところが実は伏線という意外性
・辻褄を合わせるため、推理パートを一応頑張る
・有能設定なのに無能なラスボスを罵倒するSMなカタルシス 
 
減点は、
・文章の下手さ(会話文の不自然含む)
・伏線の違和感が不快で読み進めるのが辛い 
・ラスボスが弱く、演出が足りない(設定の割に、幼稚で無能で説得力が無い)
・探偵コンビはあまり事件解決に寄与していない
・地道な捜査で解決しそう、謎解き意味あるのか
・癒着警部の言い訳がやり過ぎ、お約束に留めるべき
  
個人的な総合評価では、
 プロットをもう少し磨いて、小説が上手ければと残念。ゲームシナリオなら。
 伏線が不快というのは、やはり本末転倒ではないかなぁ。
 もろもろに目を瞑り、大技へのトライを評価する向きも理解するけど、、
本来は、私は読むのを避けるべきジャンル。
小説は小説の芸を堪能したい。
 
 
以下、各話ごとにレビュー。
3話エピソードにオーラスという東風戦構造となっている。

1話目
前出のとおり、
イタコ役の無能、探偵のバカっぽさ、は伏線とは言えるが、
違和感が強くエピソード単体のクオリティは落としている。
癒着警部の言い訳は稚拙。”お約束です”でいい。

2話目
 <あらすじ>
 探偵コンビは郊外の洋館に招かれるが、
 BBQパーティの後、寝静まった頃、主催が書斎でヤられる。
 イタコ能力で犯人が分かるが、犯人をそれで特定できるか? という中心の謎を提示。
 ラブコメでラノベな展開あり、興味無いのでスルーしたが、
 イタコ美少女の小悪魔的態度は伏線か、お見送り芸人しんいちの水ダウ的な。
 探偵コンビはトイレに行った3名への推理で、犯人特定するが、
  3名がトイレに行った根拠をイタコ能力に頼る。純粋に推理ではない。
  他に誰かトイレに行ったら台無しの推理は堅固なのか。
 物語は、ガサ入れの結果ブツが出て決着。
 癒着警部が容疑のメインを切り替えて逮捕に至るが、
 可能性はまんべんなく科学的に潰せよ。捜査に先入観はご法度じゃねえの。
 犯人は油断して証拠隠滅を怠ったと記述あり笑止。
 
あの根拠で家宅捜索の令状取れるとするなら、
警察が地道に捜査してれば、解決する案件で、探偵コンビの関与は不要。
事件が勝手に解決する「島耕作」的ストーリー。
 本当に解決に関与してしまうと、有能さ溢れてしまうので、
 それだとサラリーマン諸氏に共感されないかもしれない。 
 
ブツが出るかどうかが全てなので、推理だけの解決は無意味。
セントラル・クエスチョンは、如何に物証を得るか? であるべきだった。
 
それはさておき、

香月史郎は、目の前に倒れ伏している死体を観察していた。 
頭から血を流して死んでいるのは、作家の黒越篤だった。半日前まで、香月たちとバーベキューパーティーを楽しんでいたその人間が、死体となって倒れている。

死体を、死んでいる、死体となって、の3連コンボは不快だった。
文章で情報を伝えるなら、整理してからにして欲しい。
情報を提示する順番を、設計してからプレゼンしてくれ。
 0.探偵は殺害現場に居ること
 1.死体(遺体でなく)の様子
 2.殺害現場の様子
 3.殺害方法と死因を1,2から概ね特定
 4.被害者と探偵の関係
 5.現在、殺害現場に居る、それまでの経緯
 6.BBQパーティなど過去回想
の順であるべきと思われるのだけど、
情報提示がマダラにバラけ、かつ記述に無駄が多い、
読み手が頭の中で再構築しないといけないから、読書のコストが高い。
 
さらに相変わらず、ダサい。
パーティに招かれる程度には近しい知人が、突然殺されたのにも関わらず、
探偵は無感情、意に介さない。浮世離れした感想を抱く。

本物の霊能力で犯人を突き止めてしまう探偵だなんて、犯罪者にとってはたまったものじゃないだろう。犯人が弄したどんなトリックや小細工も、まったくの無駄になるではないか。

伏線とは言え、リアリティが無い人物像。
それに重ねて、この独白は作者の独りよがりがキツい。
伏線だと後で分かっても、それを割り引いても、
不自然な物語の語りへの不信感は拭えない。
   
自信満々のラスボスに対して、イタコの追求を予感させるには、
それに相応しい情景を準備しておくべきだろう。
ラスボスのサイコパスな殺人行為の描写だけでは不充分。
(”吉良を見習え!”と説教したい) 

「香月さんは、殺人鬼の描写、凄くうまいから」有本が言う。「人間が書けてるっていうか……。

後に伏線と分かるが、勘弁してくれよ。有言不実行が過ぎる。
(”じゃあ力でやれ”と言い返したい)

関係無いけど、
動機が明かされ、昔読んだ短編集思い出した。「里親」もそうだった。

若い頃の読書は良い文章に限る。と今は思っている。
 
 
3話目
 <あらすじ>
 女子高生連続殺人事件が起きる。
 写真部の女子高生が、探偵とイタコに事件解決を依頼。
 ラブコメ展開なんやかんや。
 3人目の被害を防げず(イタコの無能も伏線)。
 4人目をイタコの活躍で未然に。現行犯逮捕。
 ※凶器の特定など、本当の謎解きは4話目で行われる。
 
トリックが無くストレートな進行で、読み手のストレスが無い。嬉しい。
しかし、
立ったまま正面を向き合っての絞殺は、
余程の体格差が無いと成立しないのでないか?
背後から不意を突いた訳ではない。
 
人目が無い場所とは言え屋外で、必死に抵抗されても、
逃げられもせず、抵抗の痕跡から証拠も残さず、
 同じ手段で、何度も首尾よく仕留められるものだろうか?
  
私には手段のリアリティが感じられず、もはや謎解きはどーでもいい。
興味の持続が難しかった。
 
 
4話目は、
伏線回収とどんでん返し。
 
ま、その手の小説もあるよね。と始まり、
ちょっと警察舐め過ぎ。

 各話の真の謎解きが告白される。
  うーん、それはどうでもいいよ。君たち大して活躍してないし。
  不快が伏線として回収されるのは、複雑な気持ち。
 もっと上手ければ、手放しで喝采出来たか。

 犯人ポンコツの罵倒は実写なら「みりちゃむ」にヤってもらいたい。
 受けて、ラスボスのたまう ”負けて死ね”と、イタコが物理的にピンチ。
 癒着警部の登場。イタコとも通じていること明かされる。
 警察は続けられないと自覚してる公務員は潔いが、初手から免職だよ。
 
やっぱ、ラスボス(鶴丘として)の造形に、もっとページ割くべきじゃないかな。
それまでがポンコツ過ぎて、”地獄へ道連れ”感が希薄。
  
 
最後にもう一度、名手に登場願う。

たとえ二重人格者であっても、それなりの一貫性がなくては現実感が薄くなる。〈サイコ〉は、この点をみごとにクリアした名画であった。
実を言えば、これは推理小説にとって根源的な難題の一つなのだ。犯人の人格に一貫性があるかどうか……書き手にとっては、おおいに悩ましい。 
犯人は、おぞましい犯行を実行する人間、あるいは実行した人間なのである。当然、それにふさわしい人格を備えていなければ不自然だろう。どんなに隠していても、おのずと顕われる部分がなくてはおかしい。どういう人格がそれにふさわしいかは犯罪の種類によって異なるにせよ、読み終わって振り返れば、 ──なるほどね── と、合点のいくのが望ましい。それでこそ現実感があって、よい作品なのだ。 この〝途中で見破られては困るが、後では合点がいく〟という背反的なニーズにどう応えていくか、先に〝おおいに悩ましい〟と書いたのは、まさにこの点である。

 
時を巻き戻してみれば、
井上ひさしや阿刀田高くらいの文章は、プロなんだから普通だと思っていた。
幸運な少年時代だった。

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