タルコフスキーの睡魔に敗ける「アンドレイ・ルブリョフ」はシャガールとフェリーニと黒澤明。「ロシアの思考回路」「スピリチュアルと妄言の精神防衛テクニック」マインドコントロールは古今東西。

リベンジマッチを挑むことにしました。負けっぱなしも悔しいので。
休憩無しの3時間で、「惑星ソラリス」より退屈そう。モノクロだし。

いやいや、本作の方がスペクタクルだし、密室の宇宙船よりお金掛かってそう。
ワンチャンいけるかもと、出口に近い席を選びました。
 
 
  
やっぱりウトウトしてしまいました。
タタールのくびき”付近の歴史↓は予習していったものの、

13世紀前半に始まったモンゴルのルーシ侵攻とそれにつづくモンゴル人(モンゴル=タタール)によるルーシ(現在のロシア・ウクライナ・ベラルーシ)支配を、ロシア側から表現した用語である。現在のロシア人などの祖先であるルーシ人の、2世紀半にわたるモンゴル=タタールへの臣従を意味するロシア史上の概念である[1]。

途中で、ストーリーは見失いました。
大枠では問題なかったものの、
あれはそういう事だったのかと、家に戻り、丁寧に教わりました。(後述)
 
物語は、多少ロストしても気にせず、
気合入りまくりの映像に浸れば、それで良しです。 
リアル「地獄変」の監督なので、
CG無し、ドローン無しの撮影は、さぞ狂っていたことでしょう。
”牛に火”だけでなく、馬が階段から落ちるシーンでは思わず声が出てしまった。 

 
映像は単に圧巻というだけでなく、圧倒的なオリジナル。
ロシアを覆う重たい支配の中で、シャガールの絵のような愛と救済を描く。
体力勝負ではありますが、スクリーンで観るチャンスを得て、幸甚と思います。

本作のラストで本物のルブリョフ↓のイコンが映ります。

最後にイコンのブルーの衣が画面いっぱいに、驟雨の中の馬でエンドロール。
青と馬でまんまシャガール↓だな。と観てました。

シャガールは西洋絵画の技法を換骨奪胎してゆく最中、
東方正教会の宗教画を自身のオリジンとして、強く意識していたと思われます。
タルコフスキーは、シャガールみたいだと毎度思いますが、本作は明確に狙ってます。
  
 
寝てしまったり、見落としたり、分からないことは、
映画館から帰って確かめる。割り切って補完することにしました。
あの3時間では已む無しです。
ネットは充実していますし。
Wikiのあらずじ要約は、必要にして充分で過不足無く、
確認したいパートは、動画↓をスキップして再視聴も可能ですので。

 
本作、タルコフスキー本人の投影と観てました。
 
 プロローグは”イカロスの翼”っぽいですが、「8 1/2」オマージュかもしれません。
 続く旅芸人のシーンは、共産党当局による言論弾圧のことでしょう。
  フェリーニは映画製作の内的苦悩を描きます
  創作の葛藤には違いありませんが、ロシアの監督の場合、
  表現の自由を求めて外部とも戦う必要が有りました。
 
 そこから、ルブリョフの道行き
 才能を見出され抜擢されるタルコフスキーの投影でしょう。
  劇中ルブリョフは”最後の審判”の制作を打診され、
  地獄を見せて恐怖で支配するような、宗教の手口を否定します。(後述)
  愛と救いで、希望を描くと宣言しています。
  ならばきっと、
  シャガールのような↓イコンだろうかと想像しちゃいました。
  

  無意識に、ミケランジェロ↓を意識してしまいますが。
  
  東方正教会は、ルネサンスのような人間讃歌には至らない。(後述)
  神の愛は客観視される機会が無い(後述)。らしい。
  現実世界も、
   恐怖と暴力の支配で絶対的。
    かつ、
   近いうちの崩壊を予感させます。
  ロシアらしいテーマ性を感じさせます。
 
 続いての祭日 1408年は、
 観ている間は、意味が良く分かりませんでした。
 恐らく、もっと乱痴気なシーンがあり、検閲されてるはず。
  自由を求める芸術のムーブメントは弾圧を受けて、
  その中でも、
  タルコフスキーは映画監督として優遇されていた。
 そんなメタファーでしょうか。
  
 劇中、この後もずっと、
 芸術の女神が主人公の前に現れる。
  監督がマザコンなのは間違いないとして、
  奥さんからも、インスピレーション受けていたのでしょう。
 シャガールフェリーニのように。
   
 最後の審判 1408年 夏では、ちょっと寝ました。
  「8 1/2」的な苦悩と、検閲に苛まれるも、
  最後はミューズの登場で救われる。
 なんとか本作の完成に漕ぎ着けて、良かったね。
 
   
 ここから、
 物語は転換し、
 戦乱のスペクタクルに突入。
 まんま黒澤明で馬。
 本物のコサック兵による撮影でしょうか、馬術は、まさに人馬一体。さすが草原の民。
 シャガールフェリーニも馬。ですが、
 何と言っても、「七人の侍」↓。
 
 ロシアは日本より、寒くて暗いと映画から知ります。
  
 
 ここで特筆すべき点があり、
 戦乱は、
  モスクワ大公国の内戦、ロシア人同士の殺し合いであって、
  モンゴルはあくまで援軍。
 外敵を追い払うという、単純な善悪二元論では済まない。 
 恐らく、
 ヴァシーリー1世という大公の時代。と王位継承権を争っていた。
 
  ”汚れた肉”とか、
  一夫多妻とか、
 そんなセリフがあるので、モンゴルはイスラムかもしれません。
 西側カソリックの方が、改宗を強制する外敵だった時代も連想しました。 

 野蛮な異民族の襲来ですが、貧しく自由が無いのはロシアの方。
 冷戦時代のソビエトに見えました。
 本作の制作は、フルシチョフ時代らしく、
 スターリンブレジネフよりマシな気もしますが、大変だったんだろうな。
 
 
 劇中ここで、
 女神を守るため罪を犯し、自らを罰し、筆を折ります。
 まあ、いろいろあったんだろうな。私生活でも。
 その後、カソリック国の援軍もあり、芸術家の命脈を繋いた感はあります。
 
 鐘 1423年で、主人公が交代。
 若輩者のタルコフスキーの映画制作は、
  無茶を言って職人に反目されたり、
  それでも協力してもらったり、
  国が巨額の予算組んで、失敗出来なかったり、
 精神を消耗するものの、完成の喜びもひとしお。 
 ルブリョフも若者の姿に勇気づけられ、創作を再開。物語は幕を閉じます。 

 鐘の音が聞こえる範囲は、庇護の及ぶ範囲だそうですが、
 平和は訪れたのでしょうか。生涯戦っていたみたいです。
 シャガール同様にフランスで亡くなります。
 

 
復習は、
ロシア正教の特色と経緯、西側との違いに関して。
↓読み辛くオススメしませんが、詳しい。
 
人間讃歌は起こらない。

東方世界が遡るのは、どんなに遡ったとしても史上最初のアウトクラトールであるコンスタンティノス大帝までとなります。
-中略-
西欧は、ルネサンスと宗教改革によって、宗教を相対化することができました。ビザンツ帝国はルネサンスを経験することなく滅亡してしまいましたし、ロシアではルネサンス、宗教改革そのものがありませんでした。

宗教画も、ミケランジェロとは違う味わい。

イエス・キリストは完全な神であると同時に、完全な人間でありました。神としてのキリストは絵に描くことはできないが、人間としてのキリストは絵に描くことができる、いや積極的に描くべきだという結論に立ち到ったのです。  
その結果、東方正教会の教会は、イエス・キリスト、神の御母マリア、聖人たちの画像で埋め尽くされることになりました。

権力は絶対化しやすい歴史。

ウラジーミルは、ローマ帝国皇帝としてはじめてキリスト教を信仰したコンスタンティノス大帝、人類史上最初のアウトクラトールに準えられています。コンスタンティノープル総主教座に属する全ルーシ府主教座は、まさにキエフ大公ウラジーミルによって創始されたからです。キエフ・ルーシ、さらにはロシアの君主観を考えるうえで、この後半部分は非常に重要です。ウラジーミル、ヤロスラフ、イワン雷帝、ピョートル大帝、レーニン、スターリン、プーチンと、強権によってばらばらになりがちな多民族集団を束ねる強力な指導者への希求は、ここに由来しているからです。ロシア文学のそもそものはじまりから、強力な指導者へのこの渇望があったことは記憶してよいと思います。

宗教的権威と政治権力は一体化されガチ。

天上の神の地上における唯一の代理であるツァーリ(皇帝)によって統治されるロシアは、つねにその領域を拡大させていかなくてはなりません。ロシアこそが世界を救うのだというメシアニズム的国家観を骨の髄まで血肉化した人物が、16世紀の半ばを生きたイワン雷帝にほかなりません。

本作はモンゴルからの独立前夜の時代。

戦争はなかなか終わらないみたいです。
 
 
そして、洗脳のメカニズムも改めて。

始めにバーチャルリアリティを信じさせる。そういえば、
 前世を語る、(確認出来ることは質問する)自称シャーマンが居ました。

変性意識とは、物理的現実世界ではなく、仮想世界にリアリティを感じた状態のことを指します。映画を観ている時、小説を読んでいる時、ゲームに熱中している時などによく生じる状態です。
変性意識下では、人は己のリアリティを変えられやすくなります。映画の主人公が格好良く見えたり、ゲームのキャラクターが可愛く見えて本当に恋してしまったりなど、そこにリアリティを感じ、感情を支配されやすくなるのです。

次に記憶に埋め込む。
多分、私は何度も出会ったことがある。
 ”子供の頃から自己肯定感が低い”という、
 イメージを植え付けるスピリチャルやコーチングに、

自らつくり上げたイメージを、洗脳したい相手の心に植え付ける、要は相手にも自分が見ているイメージを見させて、なおかつそれを操作するのです。

マイナスを植え付けてから、救いを与える。
この手法は至る所で見かけます。

洗脳ではこのアンカーとトリガーをどれだけ上手く埋め込むことができるかで、その出来が変わります。例えば、教祖の華やかな衣装を見ると心が安らぐ、あるいは、教祖が口にする「地獄に堕ちる」という言葉を聞くと戦慄する、などです。教祖の衣装や言葉がトリガーで、心が安らぐ、戦慄するのがアンカーです。

何人か出会った事があります、
 ワンネスを体感したと語る被験者にも。
 どんな”儀式”の果てに、その経験したのかは知りません。
苫米地氏の著作で、説明されていることは知っていました。
それはテクニックだと、
 体感を信じさせ、
 記憶に埋め込み、
 折りに触れ再現する。
そんな支配が洗脳の技術で可能と。
 
目的や所属を隠しての、宗教の勧誘も受けましたよ。
 ”聖書の予言が現実化している” と仰る。
そんなことはどーでもいい。
随分と安い理由で信仰しているんですね。
愚弄するなと、
 私は随分と怒ったそうです。
 きっと、ちょろい人間に見えたのでしょうね。
 軽い理由で信仰するような薄っぺらい人格に。 
 
信じるより、諦めた方が、幸せには成れそうと、今は思います。
 
 
 
人より、AIの方が賢い未来など想像もしてなかった。

神をイメージさせる人為は、昔から有るけれど。 

 
 
2025.07.30 11:30現在
 日米関税合意からの急騰は一服。20MAまで戻りそう。
 石破さんは粘りそう。
 ここでの退陣要求は大義名分が弱いと見ますけどね。
  泥を被る役回りご苦労さんと言わんばかり。
  責任を問うなら、前回の衆議院選後に降ろせよ。
  そもそも石破総裁で選挙勝つ気があるとは思えない。
  岸田政権と大差無く、トランプ関税もこなしたなら、予想よりマシな結果。
 政権奪取して減税すると、次の候補が手を挙げるのが先。
 引きずり降ろすだけじゃ希望は無い。別に今じゃなくても。

 20MAタッチまでは想定しつつ、問題はその後。
  めり込むか、それが押し目か、
  また来週か。
 分からないことは、分からない。

カテゴリー: 書評、映画評など パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*