予告編↑でセンスありそうに感じた。かつ主演の顔がいい。
何とも言えない高校生の実存を感じさせる。
暫くタイミングが合わず、
日本のインディーも観てないし、オシャレ青春ものもご無沙汰。
ならばと、中央寄りの席を予約。上映時間74分。
予想とは若干違ったかな。
個人的には、これはこれで楽しめました。疑問も残りましたけどね。
映像は、
美しく、誤魔化し無し。素材を殺さない。
演者がちゃんと泳ぎ、水泳部の体つきしてる。
編集で変にカット割らず、競技をちゃんと、そのまま映す。
(国内外問わず、ビッグバジェットでも実写の誤魔化し多い、もうアニメでいいよ)
監督はエゴを控え、画の完成度が高い。
職人に徹して撮る。
全く、インディーっぽくない。
が、
監督の裁量が有れば、
説明セリフで処理するか、
役者の演技を信頼するか、
もっと、現場で微調整したいところ。
恐らく脚本家と思惑のズレもあろう。
このパワーバランスが原因と思われる(後述)、否定的な世間の評も読んだ。
痛し痒し。
音楽は普通。(大作の方が、ウザいから)高評価の内。
個人的には、余計と思うこともありました。
編集も普通、
というか職業的で、クリエータの拘りは感じさせない。
ああ、やはり、
脚本、監督、編集に、それぞれ別の名前がクレジットされている。
監督のエゴは表面に出て来ない。
脚本がプロデュースも兼ねているらしいので、そちら主導ですね。
ワンマンの制作体制でなく、
監督、編集、音楽にプロとして実力ある人を起用。
インディーズらしくない、端整な仕上がりなのは、そのためですね。
因みに、
完成度の高さと、
クリエータの想いが溢れてるかは、全く相関性無く、
完成度高く、クリエータ魂が爆発してる作品も有り。
しかも、低予算も感じさせない。
映画祭の賞金200万円じゃ、充分とは言えまい。
中之条町が資金以外の面でも、バックアップしてる様子。
”3週間合宿して撮影↓”らしい。
青春時代を想い出しながら、
田園風景の中の、水泳部の高校生を眺め、
美しい映像に浸る。
その映画体験を是とします、私は。
後は、
ハイブリッドな成り立ちを観る側が、どちらに評価するか次第。
バランス良しか、中途半端なのか。
脚本の構成は、
個人的には、中途半端に一票投じます。
群像劇を自認するなら、引き算の精査不足。
ヒロインの幼馴染設定や、家庭の描写は要らないかな。
その尺は他のキャラに分配したかった。
それから、ほとんどセリフ無いような水泳部員も不要。
賞獲ってから、脚本直せないとすると、仕方ないか。
しかし、
監督さんに、百歩譲っても、
クリエータとしての才能には疑問です。
映像の職人として、職業監督としてはスキルフルだと思うのですが、
女子高生の性同一性的な微妙な感情をオシャレに描き、
かつ群像劇とは、
撮りたいものが凡庸過ぎ、テンプレ過ぎ。
ありふれた発想で、誰でも一番最初に思い至る。
オリジナリティは見つけられない。
脚本、監督、編集を全て自前でこなすインディの雄として勝負しないなら、
職業監督に徹することを勧めたい↓。その方が大成しそう。
共同で中途半端に介入しても他人の成果だし、
お金になる良い技術持っているのだし、変なこじらせ方して欲しくない。
逆に、上原三由樹プロデューサは立派で、
脚本を兼任しただけでなく、
キャスティング始め、様々な調整役も果たしたのだろうなと。
受賞から、ご当地映画の枠を超えて、劇場一般公開にまで繋がったのは、
彼女の功績大きいと想像してしまう。
《以下ネタバレします》
田舎の高校水泳部は世界が狭く、
ヤリチンのスター男子はハーレム状態で、
だいたいの女子部員は、まあ広い意味で竿姉妹。
ヒロインの同性愛気質は、毒牙からの魔除けで、
プレイボーイがヤリチンなのは、
幼馴染のヒロインが振り向いてくれないから、なのか?
ヒロインは同じ水泳部の同級生が好き。
その級友はヤリチンの今カノだと、後にバレる。
なにかとAVみたいな設定だと観ておりました。
発想が凡庸とも言えるけど、
ドロドロした恋愛を、
青春ものでコーティングして、
爽やかに魅せるという、
脚本家の趣向は買いたい。
監督のアート寄りの拘りは妥協してあげよう。
あらすじを説明しちゃいます。
上級生から下級生へのイビリからスタート。
うわべの大義は上下関係だけど、
ホントは、ヤリチンを巡る嫉妬。(かと途中から想像)
部長(だと思う)は水泳で決着つけろと仲裁。中立的立場を守る。
人間模様は概ね説明され、
ヒロインの家庭と、微妙な心理が表現される。(監督パート)
ヤリチンのクズっぷりが描かれ、
一通り、群像劇っぽくワチャワチャした後、
今カノが判明。あーあ彼女までヤラれちゃったか。
で、ヤリチンが制裁されて、青春は今日も続く。
半分は監督パートですので、
脚本家パートの、お話は他愛も無く短い。
私は部長に感情移入しました。
実は、
部長も竿姉妹で、現在は未練も無い。
ヤリチンが部活動にもマイナスだと認識しているっぽい。
部員には水泳に向き合って欲しいと思っている。
ヤリチンの食い散らかしが目に余り、
部長が率先して制裁に至る。
竿長女という役割を負う部長、やるじゃん。男前だ。
と、ちゃんとカタルシスある!!
これなら、
幼馴染設定と家庭の描写は削って、
脚本家パート厚くして欲しかった。
このストーリーは元来、スカッとするように出来ている。
シェイプオブストーリー理論 マン・イン・ホール(穴の中の男)型
主人公の幸福度はある程度高い状態からスタートする。問題が起きて幸福度は右下がりになり、ある程度底辺へ下降した後に解決策を見つけ、出発点よりも高い位置まで幸福度は上昇する。
カタルシスを観客に与えるストーリーを支える設定は、
各部員のキャラを描き分ける群像劇で、
ヒロインは、
シスターフッドなのか同性愛なのか、微妙な心理を抱える。
その属性のお陰でヤリチンの難を逃れ、特異点。
が、
ヤリチン騒動は、物語の背景に過ぎず、
ヒロインにはヒロインの悩みがある。
そんな脚本の意図は面白い。
盛んに制作されるLGBTQの凡庸とは差別化も出来る。
もっと面白くも出来たな。アートな表現そのままでも。
共作である故の妥協が裏目に出たかな。
プロデューサが主導権握っちゃえよ。
脚本は自分で書いて、
仕事に徹する職人に、それぞれ発注しちゃえ。
見どころ有るし、
映像は綺麗だし、青春はよく描けているのだし、
映画体験として、まずまずと想いましたよ。
ところで、世間の評の中に、
”ヤリチン制裁しても、問題解決に成らない”
という批判があり、尤もだけど、
いや、そうじゃないんだよ。
処分したら正解という訳でもなくて。と反論と補足を。
制裁の中身は、
被害者全員で、ヤリチンを順番にビンタする。
というもの。
これは、
それまでと、これからを区別する儀式。
時間は連続していても、過去と未来の自分は別人である。
という社会的表明。
葬式や卒業式と同じく。
劇中では、
水泳部という社会から、
ヤリチン被害という厄災を払う。
過去とは決別したと、参加者全員に示す。
儀式を取り計らった、主催の部長が格好良くて、拍手しちゃいましたよ。
これで、100%解決したとは言えなくても、
儀式には、意味があるんだよ。社会的にも、心理的にも。
「儀式」を実践することが癒しの効果をもたらす
”ヤリチンに被害者全員でビンタ” も儀式。
儀式は、決められた正式なものだけに限らない。
喪失を経験したあと、儀式を実践すれば、悲嘆が弱まる可能性があります。また、家族と儀式を行えば親近感が強まり、パートナーと一緒に行えばお互いに対するコミットメントが強化される可能性もあります。
ここで言う「儀式」とは、「入念な宗教儀式」のことではありません。私たちの研究によれば、人々が実際に行っている儀式は、その人だけのきわめて私的なものである場合が多いのです。
儀式には、喪失のダメージを癒やす効果が期待出来る。
人は喪失を経験すると、人生をコントロールできなくなったという感覚を抱きます。喪失など経験したくなかったのに、そのような事態を防げなかったことが理由です。
自分の人生を自分で管理できていないと思い知らされること、その感覚はそれ自体が非常に不快なものです。その点、儀式を実践すれば、コントロールをある程度取り戻す効果が期待できます。
部内でのヤリチンの立場が、どう変化するか不明でも、
少なくとも儀式前よりは、
部員達は、水泳そのものに集中して取り組むんじゃないの。
充分な効果だと想像しますけどね。
厳罰が、より効果的な手段か、それは疑問。
ま、そうなると、確かに、
悪役を一手に引き受けるヤリチンのキャラ設定は難しい。
けれど、
幼馴染設定で、悪キャラを緩和しようと試みるのは、うーん悪手。
只のヤリチンでいいよ。言い訳は余計。
世の中には、悪いヤツも居て、
そんな体験して、ちょっと大人になる青春。それでいいじゃん。
長女が、竿姉妹同士の愛憎という地獄を打破してくれて、ホント良かった。
このカバー↑が一番好きです。
2025.08.07 17:30現在
20MA割り込んだ後、上昇目指すようです。ヤラれました。
売り目線で居て、売り玉ホールドしてしまいました。
過ちを認めて、損切りしつつ、2σタッチを追います。
アメリカで何があろうと、ファンダメンタルズは気にしません。