「星と月は天の穴」゚o。(-ω-人) 分かりません!! 綾野剛の肉体が雄弁過ぎる!!!

出かけた次いでに、丁度の上映開始。
しかも名残惜しいシネリーブル池袋
ふらりと鑑賞決定。予習無し。

 
吉行淳之介を読んだのは大昔。熱心な読者では全然。
細かいことは全く憶えていない。

エロス全開でなくとも、
通人を窺わせる、
趣向に唸るような短編を、、幾つか読んだ気がする。
 
逆に、 
内容はうろ覚えでも、ハッキリ読んだ記憶が残るのは、
「驟雨」

 病気持ちのコンプレックス。
 商売の女性と割り切った関係だったはず。
 結局メロドラマ、多情でズルズルと続く。
 そんな、イメージ。
 
 刹那を生きる無頼のように一見みせて、そんなに作者は強くない。 
 人は結局、肩を寄せ合ってしまう生き物。
 エロスより、人間の弱さと多情の人だと思ったハズ。
 
 
「砂の上の植物群」

 3Pあり、SMありの竿姉妹系ヤりたい放題のエロス全開。
 なのに、 
 パウル・クレーの絵画↓をモチーフに、

何いってんだか、分かんないけど、
 無機的に極端に抽象化され、数学みたいに世界を観ている。
 快楽三昧のくせに溺れず、いつも醒めている。
 病弱と死の匂いは定番で、
 最後は結局多情。
 肉親に対するコンプレックスも深い。
  
 
勘違いしてるかも知れないが、印象はまだ有る。
エロスを描きながら、エロスと違うことを描いていた印象を持った。
私は、良い読者では無かった。多くは読んでいない。 

 
それにしても、
 この企画が今、令和の世に、何で通って実現したのだろう?

納得行かない答えが思い浮かぶだけ、
 中原中也や、太宰治のように、作家の熱狂的ファンが居るとか。
 昭和40年代テイストが、リバイバルの兆しとか。
ハピネットがヤル気になった理由は、不明のまま開演時間は迫る。
 
 
 《 開演 》
 
 
 
ごめんなさい。多分いろいろと分からないまま終わってしまった。
分からないので、作品評価は出来ないのだけど、

 神経よく行き届いてこだわり抜いている部分と、
 どうしても納得行かない箇所が、混在して、
結局後者が印象に残ってしまった。

おおよそ、当たりそうな要素が見えない企画に全力で挑む、
その意気やヨシ。なのだけれど、、
私が、吉行淳之介に期待するものとは違うからかな。
 
 
結局、
 1.素晴らしい
 1.1.映像の工夫
 1.2.作劇の工夫
 1.3.セリフの工夫
 2.釈然としない
 2.1.綾野剛の肉体
 2.2.パンツを脱がな過ぎ
 2.3.病と死の匂いがしない

このような分類となりました。
 
 一部、ネタバレしてるかも知れません。
 
 
 
1.素晴らしい
 既に語られていることと、重複してるかも知れません。
 ともかく一旦、褒めます。作り手の奮闘を。

 1.1.映像の工夫
  撮影は、「」に対抗意識燃やしたかも知れません。
  本作も気合い入りまくりです。
  モノクロに紅一点。絶対にヤりたかったんでしょうね。
  衣装、美術に車。時代考証も全力だったと思われ。

  ただ、
  役者陣の顔がやっぱり現代的で、昭和40年台っぽくないか。
  エアコンが現代のようには普及してませんので、 
  夏はジメジメ暑いし、冬はカラカラ寒い。
  アポロの月面着陸は、1969.07.20ですから、
  汗が滴るはずです。
 「砂の器」参考に。

  
  空気が昭和じゃないことを除けば、スクリーンで観るべき映像。

  
 1.2.作劇の工夫
  原作は、
   小説内小説の痴情、
   主人公の作家矢添と大学生紀子の色恋沙汰、
   吉行淳之介(と宮城まり子)の不倫。
  という三重構造を楽しめるらしい。
  
  原稿や独白を巧みに差し込んで、随所に工夫されてます。
  原作未読だと、最初混乱もするのですが、
  あら不思議、
  じきに日本伝統の私小説を映画で体験することに。
  
  まだ、ワープロも無い時代。
  原稿の埋まり方同様に、話がなかなか進まないのも乙。

 1.3.セリフの工夫
  冒頭、柄本祐との会話で、オールドファッションドな作劇と分かり、
  70年安保闘争以降は絶滅する世界観と分かります。時代劇ですね。
  実際は、
  監督の前作↓の名残りをヤりたがってる風だと、あとから知りますが、

  ニホンカモシカくらいレアな存在。
  ムリに現代に寄せず、昔に忠実と。
  それはそれで楽しみましょう。そんな時代も有ったよと。 
   
  ただ、綾野剛のゴツさも、目立ってしまい、ノイズかなぁ。
 
 
 
2.釈然としない
 それだけで、原作ファンは充分満足なのか。そうかも。
 私には、気になる事が勝ってしまったな。
 監督は、映画化を実現出来て、それでもう満足してしまってる気がする。
 
 吉行淳之介をポルノ映画の原作に使うのは、イージーな選択で、
 映画化する以上は、文学に昇華させなきゃ意味無いし、AVでいいよ。
 
 ただ原作未読で、私の理解度低いので、
 評価が適切か自分でも疑問。
 それでも、監督妥協したんじゃないかなと、疑っている。
 
  
 2.1.綾野剛の肉体
  肉体は雄弁で、筋肉は裏切らない。
  もちろんカッコイイんだけど、、
 
  吉行淳之介のあの写真↓から綾野剛はイメージ出来ない。

  病弱で、肉体派のワイルドは微塵も感じないインテリ。
  バイオレンス味はゼロ。
 
  入れ歯に限らず、
  肉体のコンプレックスは吉行作品の定番じゃないのかな。
  あの綺麗な体魅せられては、そんな気持ちになれないよ。

  昭和44年の40代の不健康なオジサンの肉体は、もっとダラシナイよ。
 
  監督のよしみに拘らず、
  寿命短めな優男をキャスティングしなくちゃ。
 
 
 2.2.パンツを脱がな過ぎ
  ヒロインは脱ぎっぷりがイイのに、
  肝心の綾野剛は、ギリのギリまでパンツ履いてる。
  それじゃ、本気が伝わらない。
  疑似、所詮作り物。 

  「ミゼリコルディア」思い出す。
  元気ねぇ。

  ああ、本気でヤル気なんだ。って伝わる。
 
  そりゃ映したら、単館公開も怪しいのは、理解するけどさぁ。

  ヤる作品だって、在ったじゃん。
  ただのピンク映画じゃねぇんだよ。

  本作の音楽が無難で比べてしまう。
  狂気とか、倒錯とか。
  
  荒井晴彦監督はひょっとしたら、常識人なんじゃないかな。
  大の大人がマイクで殴り掛かるくらいじゃないと、
  狂った人の映画は撮れない。
 
 
 2.3.病と死の匂いがしない
  健全過ぎる。
  タバコは只のポーズ。実際は節制してんだろ。
      
  ドンファンは、死の匂いがしてこその魅力。刹那を生きんと。

  人形と踊るシーンで思い出した。

  不気味なくらいで丁度いい。
  狂った愛を描いておくれな。
   
  
  それに比べて本作は、健全過ぎて、悪魔的な要素が無いんだよ。
  どうしても、人間性が現れてしまう。
  人格はクソなくらいで、芸術家は丁度良く、
  
  文豪が芸術家として生きた時代の物語を描くなら、
  監督もクズなくらいで丁度いい。
  
  
鑑賞後、試しにタダでKindleから一遍読んだ。

スーツケースいっぱいに奇妙な品物を遺して死んでいった娼婦を描く「軽い骨」

ああ、そうそう、こんなイメージ。
クールな語り口に、病弱な無頼。

彼が君子について気に入っている事柄が一つあった。  
それは、彼女の乳房である。いや、むしろ乳房に浮び上って見えている太い血管なのだ。肺を侵された彼女の躯はすっかり痩せてしまっているのだが、乳房だけが痩せ残っていた。肋骨が並んで透けてみえる胸に大きな乳房が並んでいた。その乳房に、太い静脈がまるで青い首飾りを掛けているように、浮び上っているのだった。

やっぱり、おんなの裸に、死の匂い。

大川は骨の壺の中から、頭蓋骨の一部とおもわれる破片を選び出してポケットに入れ、その店を辞した。その骨には、まるで虫が食ったように小さな穴が点々と空いており、脆そうな石灰色であった。  
大川はその骨を上衣のポケットに入れたまま、忙しい仕事で毎日動きまわっていた。その骨は、彼の感傷的に動いた気持を 嘲笑うかのように、間もなく彼のポケットの中で粉々になってしまった。

乾いてクールな着地こそ、吉行淳之介と思うのだけど、

本作、情感たっぷりに寄せた音楽から、エンドロールを眺めて、
監督はきっと健全な精神の持ち主なんだろうと思った。
 
 
 
筋肉は裏切らないから、令和の今を生きよう。

 
 
 
2025.12.24 00:00現在
 今年ももう閉じるけど、スクイーズしそうな波形。
 大きく触れるのは、来年かな。
 メリークリスマス。 
 

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