「ミゼリコルディア」鬼才アラン・ギロディが描く(⑅ˊᵕˋ⑅) 丹波篠山は限界集落の人情噺。「人に優しく、自分に甘く」

中3日くらいでないと、私は映画を観ると疲弊してしまう。
が今回は、2日連続で映画館へ。
口直しが欲しい。いい仕事を鑑賞したい。
前日に映画として疑問なの観て、その記憶を早く上書きしたかった。

今思えば、予告編↓はミスリード。が映像はもっと美しい。

2024年フランスでは、評価も動員も優秀。
鬼才を鑑賞するチャンスは稀少だし、逃したくないと確定。

ほぼ予習なし。映画ドットコムを確認したのみ。
万が一103分が耐えられないこともあろうかと、通路寄り後方の席を選ぶ。
文芸坐はスクリーンが大きく傾斜も充分な劇場。

 
 《 開演 》
 
 
 
 
 
何より、風景が美しく眼福でした。
余計なエフェクトも無く、固定カメラで神経の行き届いた映像。
昨日と真逆の体験が出来て、本当に良かった。
   
アミガサダケ↓が作品内で何かと話題ですが、

監督はモザイクで隠すことを許さず、
にょきっと血気盛んを、まんま映します。
劇中は、
 偽装工作の一環かと観ていたら、やる気まんまんでした。
 生涯現役。ご立派なことで。。
 チクショウという嫉妬より、
 感嘆の気持ちが、純粋に強く湧きました。
 
2度の勃起のシーンは意外にも、映像で饒舌に語り、
 いやいや、そんなAVみたいな展開は、、
と眺めていると、
 あ、マジなのか、そう観客に本気度を知らしめる。
 
   
同性愛映画として観なくても、
サスペンスを楽しもうとしなくても、
 田舎の日常に、昔馴染みの来訪者が滞在し、
 そこで事件が起こり、人間模様が描かれる。
ゆったり、ほのぼの楽しむ日常系と観ればいいじゃない。
 
こういう映画を撮るほどに、作り手はセンスの塊なので、
映像も音楽も、無粋な小細工は一切しない。
私は、美しい映画の体験を堪能しました。
小難しい、余計な解釈は要らない。

 
舞台はトゥールーズから、更に田舎。
きのこの産地でもある寂れた山深い村。
 トゥールーズという都市は、サッカーファンしか耳馴染みが無い。と思う。
 パリよりマルセイユが近い南仏に在り。バルセロナやサラゴサにも近い。
日本ならば、
松茸で有名な丹波篠山の限界集落と見立てる。

 歯が抜けるように、ぽつりぽつり無人の家が増える。
 あそこの一人暮らしのご主人も去年倒れた。
 耕作放棄地がまだらに広がる。 
そんな過疎の村の記憶が、私に蘇る。確かに風景は美しかった。
 
村のパン屋が亡くなり、
昔、職人として働いていたハンサムな主人公が葬式にやって来る。
未亡人は独りとなり、ときどき息子が訪れる。
村には、
 神父の老人と、
 オジサン丸出しの風体の、人の良い古い友人が居て。
事件が起こり、
 のんびりした警官が出動してくる。
 息子の嫁も訪れる。
登場人物はそれだけ。舞台となる村は美しいが人は少ない。
 
 
 以下、
 あらすじにも触れながら、レビューします。
 必要とあらば、ネタバレします。
 監督は何も隠しませんが、ある意味サプライズは有ります。
 
 
 
 
パン屋の息子と嫁は、
 村に愛着もなく、母親亡き後は家屋敷ごと処分しそう。
 過去にいろいろあったっぽいけど、それは明かされず、
 戻ってきたハンサムを勘ぐってるように見える。 
  母親を狙い!? 
  パン屋を継いで、
  財産を乗っ取ろうとしてると。

息子は粗野で冷徹に描かれ、
 コイツは居なくても構わないが、
 ハンサムは優しい性格で、気心も知れている。
是非、村に残って欲しい。
そりゃ村民なら、そう思うのが人情というもの。
性欲以前に、人間の感情として当然だよ。
   
美しい山間の風景の中、人間模様がプレゼンされ、
やや観客に同情を促すように物語は始まる。
(世間の評を読むと、
  限界集落ぎみの過疎の村について、リアリティ感じない客も多め。
  少子高齢化進む国でも、都市生活者には無縁な暮らしか)
  
ここで、物語に乗り遅れると、  
小難しい解釈で、無理やり楽しもうとすることになる。
それは、お勧めしません。 
本作は、素直にシンプルに出来ています。
  
 
カタカナの題名は意味が分からず、配給は訳せよ。と思うが毎度のこと。
日本語では”慈悲”に近い。キリスト教的な意味があるらしい。
劇中では、
 ”おめこぼし”かな、勧進帳みたいな。
 杓子定規なジャスティスだけでは、人は生きてゆけない。

 
プレゼンの段階で、
パン屋の息子バンサンのセリフに反感を覚えるよう設計されている。
 兎に角、さっさとハンサムを村から追い出したい。
 パン屋の再建なんて言語道断。という態度。
村人にとっては、
 隣町まで不味いパンを買いに行かずに済む。
 出来たての美味しいパンが毎日近所で手に入り、
  かつ、
 近隣からの購入も増えれば、(Jリーグがよく言う)経済効果もあり、
 村は賑わうかもしれない。
 パンは日持ちが利かないので、商圏が狭く、小規模でも成立する。
 
バンサンの野郎は、パンなんて不味くても構わないと抜かす。
 お前それでもフランス人か? ビンセントと呼んでやる。ふざけんなよ。

日本でコメが不味かったら騒動が起きる。
鑑賞後、監督のインタビューを読んで衝撃的だった。

じつは私自身は食べることにまったく興味がないんです。
食べることや料理をすることには興味がないので、
食べるのは死なないため、
生きるために必要だから食べているぐらいなんです。

ええっ!? イギリス人みたいな事を言う。
劇中、
 どぶろくのような酒を飲むシーンが有り、
 ツマミにチーズくらい出せよ。
 と思ったが、興味が無いのでは仕方無し。
 
 
悔しいので、三國シェフにきのこをソテーしてもらう。

だから鬼才は性欲に特化しているのか、
常人には計り知れない境地だ。
料理に興味無いフランス映画、世にも珍しい物語。猫に小判。
 
 
ま、それはさておき、
劇中、取っ組み合いの喧嘩、
 打撃はやめとけと思ったら、
 凶器攻撃アリ、最後は岩でフィニッシュ。 
 
 あーあ、やっちゃった。。と驚いた。
まあ、ビンセントはヤラれても、やむを得ないと思ってしまう。
フランスが如何に映画大国でも、アート系でのヒットは限定的だろう。
ちゃんと、観客の心を掴むよう設計されている。
 
 
やがて、きのこ狩りを日常とする神父が、全てを悟るが、
人は業を負って生きるもの、自らを許して生きろよと説得する。
 
 同性愛はもとより、
 無神論な監督は、そこはかとなく反キリスト教的な人間讃歌を説く。

 ちょっとだけ、小難しいこと言えば、
 土着のカソリックに、近代の精神を纏わせる。みたい。
 
 
遂には、
素朴で直接的な警察の追求を逃れ、人情優先の終幕。

 
 
今どきのフランス映画は、こんな物語の閉じ方するのか。
過疎の村で、人肌恋しいような味わい。
昔は、もっと理不尽にオシャレに終わってた気がする。
 
同性愛を中心に、エキセントリックなこと描くが、
肝はそこじゃない。大岡裁きのような人情物に近いかも。
ちゃんと、娯楽作してます。
 小難しいこと、言い訳がましく言ってないで、
 物語に乗り遅れたのなら、正直に告白してください。 
  
 
ま、なにより、
映画はTVワイドショーじゃない。
画面も音響も、整備された装置に金払って鑑賞してるんだよ。
映画を愛する者が映画を創る。
当たり前の恩恵が有り難く、昨日のマイナスは、今日のプラスでリカバー。
他人には厳しい私は、勝手にホッとして、帰路に着いた。
 
 
  
人に優しく、自分に甘く。多くは語らず。

 
 
 
2025.10.18 現在
 大阪万博も無事終わり、維新は命脈を保った。
 高市政権が多数を握ると市場は期待し、株価高止まり。
 もう流石に、と思うのだけど、、
 共和党になれば日本は、
 大義名分無くともリベラル政権は時間の問題。
 とは思っていたが、このタイミングで、これほど。
 想像を超えていた。

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