王童に続き、早稲田松竹へ。
折角だから、台湾と言えば侯孝賢。
ブラックアウト覚悟の二本立て。公開の古い方から観ます。
告白します。
避けて来たんですよ。寝ちゃうから。どうせ。
でも、折角のチャンスだし。
展開でハラハラするタイプでもないので、遠慮なくネタバレします。
令和の時代に、こういう30年前の作品をどう観るか、がマイテーマですかね。
《 開演 》
大陸と台湾で、言葉の違いが分からない。
字幕では、詳しいことは分かりません。
そのため、私の内容理解が浅いかもしれません。
それでも、
日本の敗戦後、蒋介石が落ち延びて来る。
その時期に、大陸から流れ着いた外省人と呼ばれる一家。
そんな監督自身の幼少期の記憶から始まる。
その程度の、背景理解は有ります。
侯孝賢の父親は、典型的な貧乏父さん。

真面目で学は有るが、商売には向かない。その上、肺を患う。
貧窮する家族は、南へ南へと落ち延びる。
今よりもっと、台湾海峡は緊張感増す時代。
そんな激動は直接描かれず、祖母と母で家計を支えるを得なくなる。
なかなかのハードモードかと想像されますが、
少年は呑気に、クソガキに育つ。
しょうもねー理由で大学受験し、当然の如く落ちる。
物心着いた頃から、時は流れ、
認知症進む祖母が亡くなるまでを描く。
記憶から幾つかのエピソードを再現。
どうやら、
他の自伝的作品よりも、自伝の要素が一番多そう。
自分のことを美化もせず、
しょーもねえクソガキに、まんま描けるのは偉い。
眠くなりますが、退屈はしません。
昭和レトロな風景は見事です。
障子や畳ですから、日本家屋でしょう。
そのルックを観ては、
侯孝賢は小津安二郎↓の直系と位置づけてしまいますが、ちょっと違いました。
(皆さんお若い。そして中井貴一そっくり、当たり前ですが。)
演技は下手でもいいから、自然に動く様に、撮ろうとしてます。
子役は特に、ですが役者全般に委ねて長回し。
是枝裕和↓が師事と言われたりするの分かります。
ストーリーより、ディテールの積み重ねを重視。
(尚の事、人気脚本家とのコラボに、私は落胆したんだな)
余計な作為が少なくて、ゆったり心地良く鑑賞出来ます。
眠くなりますが、退屈はしません。
今では流行らない。配信なら倍速。
世界的に評価受けた是枝裕和も試行錯誤の現代。
鑑賞中は、地理を把握出来ませんでしたが、
高雄の山の方、タカオって呼んじゃいますけど。
台南周辺は旅したことあるのですが、高雄までは足伸ばしてないや。
鳳山区という山ガチで、海にも近いエリアなのか。
実際のロケ地は、微妙に違い、昔の面影が残る風景を探した。
眠気覚ましに、ちょっと散歩して、2本目に挑む。
兵役は自伝かも知れませんが、
設定がぜんぜん違います。
主人公は、クソガキでは無い。
九份に暮らす、(どうやら先祖代々の農地を持つ)内省の青年。
幼馴染と淡い恋仲。
性格は弱く、微妙に優しい。
父親はロクデナシ気味。
撮影当時はまだ、観光地↑化されてないかも。
鑑賞時は、
坂だらけで、1本目と全く違う風景に混乱しました。
脚本家も違い、こちらの方が物語性有り。
それでも、兵役に取られるまでの日常の方が尺を占めている。
終盤、兵役中に別の男と恋人が結婚しちゃうって筋書きは、
まあ、定番で。意外とあっさり。
ストーリーで引っ張る作劇では無いので、
悲恋も風景の一部。
ラスト、祖父とサツマイモのくだりは、秀逸。沁みます。
2本目の本作で、
日本のミニシアター人気に、火が着いたと記憶してます。
80’sバブルの始まりの華やかな時代に、辟易とした人も一定数居て。
世界的にも、当時の主流のカウンターになったかな。
懐古趣味では無かった。
今では、風景で語る先例も多数で、新鮮味は無いかもしれない。
ベタな大衆娯楽ばかりでも無いし、
大衆娯楽だからといってベタとも限らない。
説明省略しても、
セリフをヤり過ぎてもブーイング。
匙加減は難しい。
これだけ徹底しての写実は、
またトレンドが循環して、丁度才能が生まれるのは、まだ先の気がする。
今は、
過疎も進む風景を美しく映しながら、
丁度良く物語も興味惹く設計が必要でしょうね。
匙加減は難しい。
令和の目で観て、
侯孝賢が、80’sの世界に、リバイバル的な衝撃を与えたのは理解します。
ちょっと、他に無い。他の国には無い。
当時も今も新鮮な、
徹底した写実を愛でました。
眠くはなりましたが、退屈はしませんでした。
因みに、この後の「悲情城市」は、
政治的文脈で語る必要もあるので、
一旦、分けたい。
敢えて主張を避け、写実に徹している。
今回のニ作品に、今は視点を限定したい。
しかし、
なんで80年代の台湾で、徹底した写実が花開いたのだろうか?
安くて濃い味付けの作劇に、特に台湾の観客はウンザリしてた。と推察。
国内では、反共か抗日のプロパガンダ映画、
他はハリウッドか香港の娯楽作と、その模倣。
飽きたらない気持ちには成りますか。
浮かれた世間を横目に、その空気感は想像出来ます。
ちょうど、
台湾も発展の時期を迎え、
国民の支持を得る為に、表現の自由が緩和される。
そろそろ、国民党の一党独裁も陰る。
「フリーレン」の中世の田舎は、miletの世界さながら、
「落ち穂拾い」を連想させる。
貧しく慎ましい田舎の暮らしを、主張もせず、そのまま静かに描く。
ルイ・ナポレオンが国民の要求に押され、表現の自由を緩和する様は、
台湾戒厳令の解除前夜を思わせる。
同時期の台湾の王童とも、作風は異なる。
あちらは、もっと物語ヤろうとする。
もっと、徹底的に写実。
因みに、台湾に於いて国家を考えるのは、日本人には理解し得ない程、我が事だろう。
”敵が攻めて来たら酒を酌み交わそう” が宗旨変えたり、ヤラれたりの架空よりは、
重い現実の中に、極東アジアは在り、
その現実くらいは、総理代わって我が事な日本人にも、
何かと甘ちゃんな細田守は反感買ってるみたいな。
”オマエの人間信じない程度では済まない程度には、世の中甘くない”
現実舐めんな、という客の怒りが席の占有率にも現れている。と思う。
戦記物ヤるなら、せめて真面目にヤれよ。と予告しか観てないが、私は言いたい。
マーケターは時代感覚とズレるとヒットしないと、敗因分析してるだろうか。
平日の午後、ターゲティングを間違わない名画座は、7割強埋まってた。
バブルに浮かれた時代に、
現実は辛いけと、それでも坦々と生きてゆく様を描く。
現実の不満を社会への怒りに替えるのは、別の誰かのプロパガンダで、鼻白らむ。
せめて島の当人が主張してくれ。自分事に感じられなければ、爆死やむ無し。
それは、民政前、さんざん経験してきた事。
静かに、写実に徹したい。
と、令和の現実を重ねながら、理解に努めました。
説明されなければ、不足と作品への他責で処理されてしまう時代に。
名画座やミニシアターが生き残る余白は残して欲しい。
ブロックバスターの爆死も映画館圧迫。シネコンは鬼滅再上映で凌いでるらしい。。
時の流れは速く。企画と公開の時期では隔絶かもしない。
台湾映画は、その後、
暗い方へ往き、低迷期と聞いた。
近年は、台湾アイデンティティ前提で復調らしい。
令和の日本で、普通に公開されるには、まだハードル高いかな。
因みに、名古屋の台湾ラーメンは詐称とのこと。
そういえば、
台湾の飯は油っこくて数日で諦め、
あっさりと大人しく、馴染み深い味のベトナム料理屋に通っていた。
せりフで説明するような、クソダサいマネはしないと自分で禁じ、
風景が語るよう表現を律する写実。
半沢直樹にも、坂元裕二にも、細田守にも耐えられない理由を知る。
2025.11.28 16:00現在
テクニカル的には、20MAで跳ね返されそうですけどね。
今年の4月以来、中央線が下を向いている。
MACDがゴールデンクロスしたら、ただの押し目だけど。
一旦、宵の明星と見ている。
