「他人の顔」(*˘︶˘人) 耳のご馳走♪ 仲代達矢の魅力はセリフ。安部公房の三部作「燃えつきた地図」は配信で。

仲代達矢の真骨頂はセリフの語りだと思っている。
ご自身が一番に挙げるのは「切腹」で、やはり滔々と語りが素晴らしい。

舞台出身で、生涯舞台を主戦場としつつ、
フリーの立場のまま、五社協定の垣根を越え、
日本映画黄金時代の様々な巨匠の作品に出演。 
 
すみません。
偉そうに、大見得を切ってしまいました。 
私は、仲代達矢をそれほど観て来ていない。
謝ります。 
 
 
それでも、
あまりにもセリフの魅力が語られないのは、残念。
単に、代表作が羅列されるだけでは、ちょっと悔しい。
 
中でも、
勅使河原作品への出演は触れられることも稀で、

本作の主役、
いい声で朗々と語る、これぞ新劇出身なセリフ。
と評されてもいいのに、視聴すら困難か。 
 
オールラウンダーの手練れであるだけでなく、
聴かせる役者でも在った。と書いておきたい。
 
 
改めて、驚いてしまう。
原作の発表は1964年(昭和39年)、映画化は1966年(昭和41年)
逆に、平和な時代には鳩時計しか生まれないものかとも、
人間の営みの不思議を感じてしまいます。
 
 
昔ばなしをしてしまうと、
安部公房のような。小難しい、分かり易く説明出来ない作品も、
普通にマスに消費されていた時代があった。
 
代表作のこちら↓以外でも、

シュールな作品が多数、普通に書店に並んでいた。
小説好きな青少年がちょうど背伸びして読むような対象だった。
 
当時を振り返れば、
 意味は分かんないけどクラう。
 そんな体験は頭の柔らかい内でないと。
 ”鉄は熱い内”ってことはある。

現代は、
 大量の情報を処理する能力の方が必要だし、
 補助してくれるAIの活用が重要だもの。
 解読不明なデータを扱ってる暇も価値も大して無い。
一抹の寂しさを覚えるも、流行らないのは当然と思う。

  
 
閑話休題。 
本作は、世界的にも有名な代表作↓からの三部作。 



↑個人的には、最後がフェイバリット。
原作は全て、文庫で読めるのですが、映画は事情が違うらしい。
 
  
日本映画のアート系インディーズ監督のはしり(と呼んでる)、
勅使河原宏により、三部作は全て映画化。配給は東宝。
原作者自ら脚本で、
音楽は武満徹と格調高いモダンアート。凄いね。
 
大御所の若い頃に驚いたりする。
女優陣は、
岸田今日子に、
わざわざ京マチ子の客演、やはり華やかで色気存分。
それから、
市原悦子、吉田日出子、中村玉緒、長山藍子が、
エロも担当しビックリ。 
監督は、日本人体型の尻フェチと想像したり。
 
  
WOWOWで視聴可能らしい。
映画単体でも有名だから、他でも配信アリかと思っていた。

 若き岸田今日子の恐ろしいハマリ役↑。
 子供心にも、TVで得も言えぬ存在だった。
 原作を守りつつ、物語性もキープしていた記憶がある。
 田舎の閉鎖性、呪術的とも思える土着が怖い。
 ま、”住めば都”って、こういう事かも。
 
 
WOWOWで視聴可能らしい。本作をやっと新文芸坐で鑑賞。

 仲代達矢に平幹二朗で俳優座の共演。
 キレイな女優さん達に、やっぱり不気味な岸田今日子と、
 今観ると、とても豪華な布陣。
 井川比佐志、田中邦衛、前田美波里がこんな役なのか。
 市原悦子は、こういう役も得意でしょう。

 劇中は、
 チェーホフとかの新劇調でキザな長ゼリフを朗々と語る。
 相手役の医者は、平幹二朗なので、成る程だけど、
 主役は誰だか分からない。随分と語りも達者だなぁ。
 クレジットで、ああ仲代達矢なのかと知る。
 特殊メイクは、今の目で観ても自然である。
 
 都会と言っても、団地が印象的で、新興住宅地のイメージ。
 お隣さんとは、挨拶を交わす程度か。
 映画化三部作の内で一番、
  ”個人のIDの喪失”というテーマに忠実と思う。
  そして、
  アートな映像と音楽。上品でオシャレで豪華。
  特に病院のシーンは、無機質で抽象的で不安感抜群。

 多分絶対、キム・ギドクは本作観てから↓作ったはず。

 アートな彫刻が出て来るのは、その為だと思う。
 ハリウッドは家族教の檀家なので、

 分かりやすく、こうなっちゃう。。
  
 閑話休題。
 そして意外にも、ストーリーがちゃんとしてる。
 若干のイメージの飛躍はあっても、エンタメとしても破綻なく成立している。
 また、
 ただの反戦映画になってしまうところ、ギリ踏みとどまっている。
 
 昭和的な言い方になるが、
  男にとっての社会的なIDとしての顔、
  女にとって命としての顔。
 テーマとエンタメのバランスがとても上手に治まる。
 
 原作の方は、
 主人公の手記なので、強烈な妄執に着いて行けない。
 ”いい加減にしろよ”とツッコミみ、投げ出したくなるときがある。

 映像は、どうしても客観性があるので、
  男の滑稽さや妻の悲哀も等距離に描かれていて、
  それが、心地よく観やすい。
 なんだ、ちゃんとエンタメとしても成立してるじゃん。
 嬉しいと同時に、ちょっと寂しい。
 
 配信で観られるようにはしておいて欲しい。
 この音楽は貴重だし。
 
 
長らく未見。勝新太郎で映画化とは、異質な組み合わせに驚く。

配信されていると知り。この際(2025.11.17)アマプラ(有料)で視聴。

 とにかく、凝りに凝ったカメラワーク。
 映像は攻めているのに、何故か庶民的。
  鏡に映る姿を多用。
  3作目だけカラー。原作にもあるレモン色と、絶妙に赤が映える。
 勅使河原色より勝新色強し。
 勝新は大映出身、渥美清は松竹で芝居が違うんだな。

 原作のモチーフを大切にしている。3作の中では最も前衛的。
 が、
 原作読んでなけりゃ物語には、置いてけ堀だよ。 
 読んでれば退屈せず、それなりに楽しい映像。

 国が高度成長期を迎え、
 都市の人口が爆発的に増大、メガロポリス化してゆく時代。
 「私たちが光と想うすべて」のムンバイのような時期の東京。
 都市生活者は大勢に埋没し、匿名性を実感してゆく。
 
 しかし、
 ムンバイの煌々と明るく、清潔なメトロと違い、
 昭和40年代の新宿駅周辺は、 
  路地はゴミゴミと低層で、生活感溢れる。
  猥雑な店も並ぶ。
  同時に京急の百貨店は無機質で、
 バイパスの渋滞と、何処もタバコの煙で肺に悪そう。
 
 
昭和40年代は、看板スターが独立した時代と知れる。
こういう映画に勝新太郎が主演するのは、
映画が娯楽の中心から、滑り落ち始めている証拠。
もう拘束力が無い。カルテルは大きな利益が有ってこそ。
  
 
戦後の映画黄金期から、令和の現在まで、
生涯現役で、駆け抜けた演劇人。
凄い人なのに、そんな素振りも見ぜず、
無色に何でも、平気で熟すのは凄い事。
かつ、後進も育成。

    
 
イイ声とフシ廻しは素晴らしく。聴いても良い役者。
と、なかなか言って貰えない。オールラウンドに達者で。

誰か分からなかったりする本作を、
代表作と言って貰えない。

埋もれてしまうのは、それもちょっと、寂しい。
  
 
 
初めはクラシックかと思っていたら、前衛からスタートしたらしい。

 
 
 
2025.11.17  現在
2024.11.19の記事を大幅加筆修正しました。

  
 

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