早稲田松竹ラスト1本の金曜日の回が、たぶん一生のうち、
時代劇の金字塔をスクリーンで観る、文字通りラストチャンス。
酉の刻の頃、窓口に千円札差し出しました。
三島由紀夫にも大いに影響与えたそうです。
まあとにかく、ストーリーテリングが凄い!!!
時代劇だけど、実はチャンバラじゃなく法廷劇。
仲代達矢vs三國連太郎 で流れるようなセリフ。声が良いわー。
実際に撮影時、舞台出身vs映画出身でバチバチにヤり合ったという。
チャンバラは本身(真剣)で撮影したけど、三船敏郎には及ばないと。
本作と「椿三十郎」双方でアクションを魅せた仲代達矢が語る。
(同時期に2つの名作に主役級で名演だったのか)
それが、
カンヌの賞レースで「山猫」(ああ、何もかもが絢爛豪華)に負けた原因かな。
本作で主張される、”実践の剣と競技の剣の違い”が分かりにくい。
殺陣がその違いを分からせる程には本物でない。
特に丹波哲郎戦は、分かりにくいし、説得力が弱い。
「侍タイムスリッパー」で気になったけど、
・真剣は実際に事故が起こってしまった。肯定出来ない
・達人同士が切り合ったら、勝負は一瞬。
・実践の剣ならもっと卑怯なはず。宮本武蔵よりも
そんな不満をリアル路線で、解消してくれたのが、
黒澤映画で、力石徹的ライバルの仲代達矢は見事な切られ役。
まあ今なら、
”一粒で2度美味しい” は冒険で、 ”二兎を追う者は一兎をも得ず” に成り易い。
それでも、
法廷劇+チャンバラで、あの完成度は日本映画黄金期ならでは。だと思う。
で、法廷劇にフォーカスすると、
回想再現シーンと、白洲(=法廷)の緊迫したやりとり、
交互のクオリティと、切り替えるストーリーテリングの上手さ。
三谷幸喜的な会話の機能的巧さとは、別物で大変に映画的。
三池監督は本作をリメイクし、今年の「でっちあげ」でも影響受けている。
まあともかく、今回はストーリーの要点3つに絞る。
・ストーリー構造の7段階
・巧みに語るための3つの感情
・他の選択肢を潰し、納得を得る
・ストーリー構造の7段階
ストーリーの出だしから終わりまでの成長の道程には最小限でも次の7段階が必ずある。
1 弱点と欠陥
2 欲求
3 ライバル
4 プラン
5 決戦
6 自己発見
7 新たなバランス状態
-中略-
この道程は人間行動をベースにした道程だからだ。つまり誰でも人生における問題を解決するためにたどらなければならない段階の数々なのだ。
順番に当てはめてゆこう。
1 弱点と欠陥
ストーリーの出だしの主人公には、ひとつかそれ以上の弱点があり、その弱点のせいで迷いを持っている。内的にとても大切な何かが欠けていて、そのせいで人生が台無しになっている。
主人公の仲代達矢は、
食い詰めた貧乏浪人で、偽装切腹(に見える)で井伊家にたかる始末。
2 欲求
ストーリーの中で主人公が欲している事物、その具体的なゴールを指す。
この欲求が動き始めてようやく観客はストーリーに興味を持てるようになる。欲求とは、観客が「乗って進む」列車(ストーリー)の線路だと考えたらいいだろう。
無慈悲な井伊家に事情を分からせ、さらに恨みを晴らす。
語りが進むにつれて、主人公の真の目的が徐々に明らかになってゆく。
3 ライバル
主人公の欲求の達成を妨げたいと思っているだけでなく、自分も主人公と同じゴールを目指して争っている者のことだ。
三國連太郎は若い頃から凄い。利根川の原型だと思う。
中間管理職的悲哀を醸しつつ、本当に憎々しい悪役。
単に仇討の標的というだけでなく、主人公の目的を明らかにする役も担う。
対して、ダメな作品は悪役の必然が弱すぎる。
例えばMCUの多くは、
敵が記号で類型的(サノス例外)。内輪揉めのときは対立構造が生まれる。
4 プラン
一連のガイドラインまたは戦略を指す。主人公はそのプランを使ってライバルを乗り越え、ゴールにたどり着く。
プランもまた、自然な形で欲求やライバルとつながっていなければならない。このプランはいつでも「ライバルを倒してゴールにたどり着くこと」に明確に焦点を絞ったものでなければならない。
主人公のプランには言う事無し。
5 決戦
主人公とライバルは、ストーリーの中盤全体を通して対立を繰り返し、目指す同じゴールを自分こそが勝ち取ろうとパンチとカウンターパンチの応酬が繰り広げられる。
名優2人のセリフの応酬は本当に素晴らしい。
井伊家の側にも言い分はあり、
”武士に二言はない”のだから、発言した以上はやれよと、
武士道に反するタカリは許すまじ、との大義名分は有る。
6 自己発見
この決戦という厳しい試練が起因となって、主人公は自分自身が何者なのかということについて大きな新発見をする。この自己発見のクオリティによって、ストーリーのクオリティがおおかた決まると言っていいだろう。
武士道はただの体裁、いざとなれば人間は自己保身に走る。
主人公は戦場で活躍した真の武者だが、天下泰平の世では用済み。
寛永年間の武士は、もはや役人。
自らの死に時を悟る。
7 新たなバランス状態
新たなバランス状態の段階では、すべてが通常に戻り、それまでの欲求がすべてなくなる。ただし、そこには以前との大きな違いがある。
主人公は大立ち回りの末、見事切腹を果たし、
官僚機構的立ち回りで、井伊家は体面を保つ。世は事もなし。
”桜田門外の変”までは安泰だと、観客は思いを馳せる。
・巧みに語るための3つの感情
脚本を読んでいるとき、そして映画を観ているとき、私たちは3種類の感情を体験する。それを英語ではそれぞれの頭文字を取って3Vというが、日本語ならば、「見たい、わかる、感じる」、ということになる。この感情の3つの階層全部で読者の心を奪えれば、理想的なのだ。
本作は、この3つが完璧である。
ダメな作品は「見たい、わかる、感じる」のどこかで鼻白んでしまう。
(「ゴールドボーイ」で後述)
「見たい」(Voyeuristic=覗きたい)という感情。これは、新しい情報や知らない世界について知りたいと思ったり、
登場人物たちの人間関係が気になるといった、好奇心に関わる感情だ。
どうやら仲代達矢は、ただのタカリではなく、
何か別の理由が有りそう。
若い貧乏浪人の壮絶な死で、観客を驚かせた後、
俳優座出身のいい声で滔々と語り、観客をどんどんと引き込んでゆく。
「わかる」(Vicarious=相手の気持ちになる)という感情。私たちは、登場人物と感情的に同化してしまうことができる。そのキャラクターが感じていることを、私たちも感じるのだ。フィクションのキャラクターを通して生きるのだ。すると、それは困難に立ち向かう誰かの物語ではなく、困難に立ち向かう私の物語になる。
最初は、
”偽装切腹はけしからん”と憤慨する井伊家側に感情移入させ、
酷い切腹の後、
ほのぼのとした、貧しくとも仲睦まじい家族愛を描く。
そこで、
漸く物語の全容が明らかになる。
このカードの切り順はズルい。痺れます。同情せずにはおれない。
「理屈抜き」(Visceral=本能で感じる)という感情。映画を観ている以上、頭で考えるより心で感じたいと思うものだ。
-中略-
あなたが書いた登場人物が泣くかどうかは、あまり重要ではない。重要なのが脚本を読んだ人が泣くかどうかなのだ。
そうと分かれば、
憎き井伊家に立ち向かい、恨み晴らすべし。
全くに、老いた浪人に同化してしまう。
・他の選択肢を潰し、納得を得る
この点を述べた本↓は稀。
やらなければならないのは、「正解が正解である理由」を伝えたうえで、「不正解が不正解である理由」も示すことです。「B案とC案は〇〇という理由でNG。だからA案なんです」ということも言わなければ、相手は納得してくれないのです。
竹光で切腹する為には、刀を井伊家に渡し、バレる必要がある。
ここで、風呂に入れて着替えさせる必然が生きてくる。
身なりがみすぼらしくては、家老にお目通り願うに不適。
疑うことを知らない若い浪人の造形も見事。
井伊家側の100%の悪とは、何とも言えない底意地の悪さが絶妙。
一方、
委細を知っている主人公は、その手に乗らず。
着のみの帯刀のまま白洲に向かう。
しかも回想では、
若い娘婿が、貧乏に耐えかね、刀をカネに替えても、
老いた父は、
武士の魂を売ることが出来ない。
結局、医者を呼べず、孫も娘も失うが、
”こんなもの為に!” と刀を握り泣くことしか出来ない。
竹光と真剣の残酷な対比を魅せる。
唸るしかなかった。
神経の行き届いた脚本はこういう処で抜かりがない。
橋本忍の全盛期。
それに対して、「ゴールドボーイ」。
冒頭、
”検死の結果、交通事故の死者の胃から薬物が検出された。”
と捜査会議でのセリフあり。
しかし、終盤は粗く、
毒殺のされた死体を、刃物で傷つけ、殺し合いを偽装。
”なんで今回だけ、検死でバレないの?”
雑な展開の連続に、観客の我慢は限界を越える。
因みに、
「きさらぎ駅 Re:」で、
”バケツリレー方式ならクリア出来る。プレイヤーが間抜け過ぎ。”
というツッコミも同様。
ただし、
お話の前提となるリアリティラインが全く異なる2作品なので、ことさらに、
その理由で後者を低評価とし、前者を持ち上げるのは、
ダブルスタンダード甚だしい。
伏線回収どんでん返しなら、なんでもアリアリの拍手喝采は審査眼が壊れている。
まあ、
”バケツリレーでも、結局ステージクリア成らず” は、
描いてもよかったけどね。
現実に即した緻密さを要求されない、ホラーコメディだとしても。
兎も角、
別ルートは全て潰して置かないと。
客の疑問は解消されないし、
穴だらけの脚本と認定されてしまう。
リアル路線のミステリーは、それで難度上がり不利ではある。
が現状、
伏線回収に客は甘すぎる。ダブスタが過ぎる。
脱線してしまったが、
本作は見事なストーリーテリング。
舞台と違って、映画は再現シーンを挟めるのだから、効果的に語りたい。
しかも、ほのぼの家族描写が箸休めになり、一時的に緊張が解かれる。
観客をいざなう導線に、一分の隙も無い。
正に、映画史に残る時代劇の金字塔。
因みに、本作のエピソードを一つ。
小林正樹監督は、”封建社会の理不尽を描きたかった” らしいが。
ヨーロッパはじめ、三島由紀夫含め、意図通りには受け取られなかった。
観客は、切腹の中に、日本独特の武士道精神を見出した。
左翼系の人は特に、
時代のセイ、社会システムのセイと、
フランクフルト学派のようなことを言いたがるけれど、
組織が個人に理不尽で、
人はいざとなれば保身に走る。
こんなの古今東西変わらないよ。人間は。
トロイ戦争だって、大化の改新だって。
現代だけじゃない。
人間に生まれた我が業を呪う方が、まだ正解とは思う。
時代や社会を呪うよりは。
金字塔にも、実は出来不出来が有り。
時代の風雪に耐えた、高品質な建造だけが残ったと聞く。
つい、別の映画の主題歌↑を思い出してしまった。
「若者のすべて」は別の映画。サムライのアラン・ドロンに負けたかな。
2025.07.05現在
前日の上昇が否定され鯨幕。
20MAタッチを見込み、売り玉を積む。
長期的には上昇局面でも、短期的に逆を穫れる場面もあるはず。