「怪物」鑑賞の無念を晴らそうとファーストデーの夕方の回を予約。
基となる実話のことは知っていた。
ウィキペディア「福岡市「教師によるいじめ」事件」は確認済。
2年ほど前、事件の概要を知った。
やはりキッカケは映画で、
一生縁がないと思っていた坂元裕二脚本作を観にゆくと決めて、
坂本龍一の美しい旋律を聞きながら、
今後もヒット作は連発するだろうけど、彼の脚本を私が好きになることはあるまい。
あの時は、そんな思いを残し映画館を後にした。
そして今年、三池組↓がカタキを討ってくれたら嬉しい。
東映は「怪物」の配給元を向こうに回し、よく戦ってくれた。
人気商売が第一報の朝日新聞と戦うのは勇気が要る。文春とは戦えてもね。
三池監督が意外にも、
誠実に原作に応える。(恐らく、被告への肩入れはこれがギリ)
TV的と言われようとも、表情の演技に賭けて成功。
役者陣は当然、皆素晴らしく、
悪役の光石研&大倉孝二コンビに、個人的にはMVPあげたい。
綾野剛はそりゃ、世間に言いたいこともあるわな。
柴咲コウは本当にコワいので、是非劇場で確かめて欲しい。
亀梨和也の演技は見事な設計。実物を承知で”あんな記者は居ない”と言えますか?
ストーリーは、
被告原告双方の視点を迫真の演技で再現し、
法廷劇として、物語を緊張感マックスで運ぶ。
事実に基づく物語を名乗る。フィクションだからと逃げ道を用意しない。
敢えて伏線回収とか、安めのウケは狙わない。
無念を晴らしてくれて、ありがとう。成仏出来ます。
ただし、
129分とは知らず、トイレは我慢することになった。(途中離席する観客もパラパラと)
しかも箸休め的な緩和のシーンも無いので、ずっと緊張しっぱなし、
めちゃくちゃ疲れます。
予告編から魅力的だった。
キャストが豪華なだけでなく、攻めた布陣。
主演の被告は、暴露系youtuberに勝訴した綾野剛。に対し、
原告の母親役を、アメリカでなくロシアの血を遠縁に持つ柴咲コウ。
文春を想起させる週刊誌の記者を、元ジャニーズの亀梨和也が演じる。
その上、原作に忠実で高評価と聞いた。
なら、あの時のモヤモヤ、
カンヌ脚本賞作品のモヤモヤを晴らしてくれるかもしれない。
そんな期待を胸に映画館へ向かった。
2年ほど前、「怪物」を鑑賞して、
私は高い評価は出来なかった。世間と裏腹に。
連想される事件が実在するのに、”フィクションだから”で済ます、
その処世は好ましくないと、私は勝手に断定した。
更にポリコレをも味方につけ、社会的評価は私の真逆となった。
前半の坂元裕二パートは、
学校の隠蔽体質はカリカチュアで処理し、社会問題の深刻さを脱臭。
みんな大好き、伏線回収&大どんでん返しの技工を魅せる。
後編の是枝裕和パートでは、
銀河鉄道的な詩的表現を披露、得意技の繊細さ炸裂。
子役にLGBTをブッコミ、欧州の評判を穫りに行く。
戦略的には正しくても、観る側は釈然としない。
ファスト思考を見込み、飛びついてもらうのが、あざとさ。
スロー思考で俯瞰されたら、思惑は透けてしまう。
そもそも、このテーマをただエンタメとしてだけ処理するのは疑問で、さらに、
このテーマであざとく、狙った獲物を狩りに行く作り手に、好意は抱けない。
片や、
原作を前提としながら、ギリ娯楽としての演出に寄せる。
でも、
被告がランドセルをゴミ箱に捨てたことは、認定されてるんだよなぁ。
と、
観客にカタルシスを100%は与えない、寸止め。
この世を二元論で片付けないのは、良心的なエンドだと、
キタニタツヤのタイアップを聴きながら、
私は晴れ晴れと成仏して、映画館を後にしました。
賛否あるようですが、
ジャニーズから山下達郎つながりかと、聴いておりました。
時の流れと、メジャーへのアジャストメントを感じておりました。
あんなに攻めていた↓のに、丸くなったな。
この曲↑が「呪術廻戦」2期OPと同一人物の作と知ったときは仰天。
さらに、「小林さんちのメイドラゴン」と同一人物と知りもっと仰天。
この世は適者生存だなぁと感心してしまいました。
それから、も一つ、成仏した理由。
学校の体質をカリカチュアで逃げなかったこと。
光石研は毎度スゲー。
今回は悪役で、マニピュレータ↓に該当すると観てました。
「①何か得するという思惑から、
②他人を一段劣った立場にとどめておくよう策を弄し、
③意のままにコントロールしようとする人」
と定義する。
厄介なことに、マニピュレーターはしばしば善人の仮面をかぶっており、うわべは”いい人”である場合が多い。おまけに、他人の不安や弱みを操ることに長けている。
本書では、マニピュレータの手口も明記されており、
劇中の悪役とも一致する。
ターゲットの悪情報(事実かどうかは関係無い)を流し、
ターゲットを孤立させ、自分により依存させ、
自らの保身のため、ターゲットをスケープゴートにした。
校長は巧みに定年退職まで逃げ切った勝者として描かれる。
”事実に基づいた物語”として、実存の市民を悪人として描くのは、
逆に作り手の良心を感じた。勇気の要る行為である。
名誉毀損のクレームを恐れ、ファンタジーに逃げることも出来た。
兎も角も、
マニピュレーターは他人を道具としかみなさず、
良心は無く、罪悪感は抱かない。
「ゲミュート(Gemüt)」とは、思いやりや良心、羞恥心や同情心を意味するドイツ語であり、そういう高等感情を持たない人を、ドイツの精神科医クルト・シュナイダーは「ゲミュトローゼ」と呼んだ。「ゲミュトローゼ」は罪悪感を覚えることを徹底的に排除し、反省も後悔もしない。もちろん良心がとがめることも一切ない。
私はそんな教師や身内、組織の餌食になってきてしまったかな。
人生で一番の高い授業料である。
そこで、本作とは直接関係が無いが、
最初に事件を報じた朝日新聞は、
反差別の文脈で”教師のいじめ”を扱おうとした。
彼らは彼らの正義に基づき見出しを起こした。
と、私は想像している。
マニピュレータは、
不和の種を撒き、
自分の非は絶対に認めず、
影響力は誇示したい。
そんな存在だと言う。
それはさておき、
原作者に教わった↓。
audibleでかいつまんで聞いた程度なのだけど、
ポリコレの起源はフランクフルト学派の可能性があり、
フランクフルト学派は、
経済では、共産主義は資本主義に敗北したが、諦めず、
論旨を社会全体に広げ、まだまだヤル気満々らしい。
カウンターにデューイが出てくる↑が、
お花畑の対極はリアリストで、政治的な左右でない。
個人的には、
蓮舫候補が都知事選で敗北したのは女性だから、”ガラスの天井”。
という説を聞いたとき、
別に現代人の特徴でもなく、古今東西、人間なんて。
と、こんな生き物に生まれた我が業を思った。
福田ますみ氏の著作から、
ポリコレは、アメリカからキリスト教を追い出したいのだと、聞いて、
ディズニーにどんな資本が参画しているのか、思いを馳せた。
ヨーロッパでも、似たりよったりなのだろうか、
「怪物」と「エミリア・ペレス」も比較してしまった。
前者は条件に寄せ、目標を達成した。
後者は、条件の制約をクリアしつつ、娯楽として成立させた。
週刊誌が煽るのは、単に金銭が目的かもしれないが、
他人を操ろうとする存在の目的は、それだけとは限らない。
そして、
マニピュレータは悪人の顔をしていない。
ついでに、
フランチャイズの件つながりで、「令和の虎」も見てしまった。
志願者を罵倒するピエロ役の若者の”虎”は、自分を賢いと思っている。
謝れば自分の言動が免罪されるとは、世の中を舐め気味で、
その損得勘定が正しいのかは、私には不明。
それから、賢いとは思えないのは、以下の点。
炎上で再生数稼げれば良しという勝利条件の精査が怪しい。
盛り上げ方がワンパターンの罵倒。
”頭悪い”の一点張りで、罵倒のボキャブラリーが貧困。
どこかで授業料を払いそう。
まあ、そんなことより、
汚れ役を若者に押し付けている、善人面の大人達こそ、
クレバーな操作系能力者かと疑う。
マニピュレータは悪人の顔をしていない。
本物の豪雨の中、綾野剛と亀梨和也のシーンを撮影したらしい。
腐りきった組織に、また属してしまったと気付いた昔、よく聴いた曲。
2025.07.03 00:00現在
一昨日は宵の明星と認知し、買いを手仕舞い、売りに乗る。
保険掛けつつ、売りは小まめに利確。
これが押し目であっても、20MAまでは一旦戻ると売り目線。
NYは反発しているが、日経CFDを押し戻す勢いは無さそう。