「国宝」での、ラスト30分のガッカリが拭えず、
悔しすぎて、もっと凄い似たようなもので満足したいと欲する。
メロドラマな演出で大河小説の映画化。ダイジェストでも4時間かい。
見せてもらおうか、
誤魔化しの効かない時代の、ハリウッドの大衆娯楽とやらを。
ぐらいの気持ちで、体力の限界に挑みました。
完敗です。東宝がどうカネ掛けても物量で敵わない。
ちゃんと踊るし、音楽は優雅だし、CGもドローンも使わず、社交を再現。
発音も年代で使い分けてるようで、
身分や境遇の違いは、繊細に描かれていると察せられる。
大昔に、前後編に分けてTVで見たけれど、大筋しか記憶にない。
橋本治がエッセイで取り上げていて、読んでいる。
が、実際に映画館で観るものとは、随分と印象が違いました。
子供の頃では分からなかったことは、復習しながら補完しました。
予習は、原作との違いを取り上げた動画↓だけに留めた。
ニクヨさんと翻訳者さんの着目点は、
①小説版の主人公は意思の強い顔。映画は補正
②公開当時の時代背景に注目
③アイリッシュの移民の物語。小説は南部に批判的
④実は、メラニーが裏主人公
⑤小説は定石通り結末を最初に見せる
⑥自分軸で生きる、はみ出し者の物語
実際に鑑賞してみると、そうだったのかと思う処あり、
いや、それよりもと思う処もあり。
①小説版の主人公は意思の強い顔。映画は補正
美男美女の物語を堂々と魅せる大作の時代。
ビビアン・リーは文句なしで、アップでは必ず紗がかかる。
想像だけど原作は、
主人公の意思の強さを全面に押し出し、
映画は同時に、精神面の脆さも描いている。(⑩後述)
監督は女優の双極性障害の気質を見抜いていて、キャラを寄せていると思われ。
映画の人物造形は、
美貌をチヤホヤする男は寄って来ても、
本気で求婚するのは無理ゲーな性格。
その悪意ある描き方に女優は抗議し、監督は逃げ出した。
個人の感想としては、
監督の見立ては、残酷なファインプレー。
善人と呼ぶには、無理がある展開。
そっちの主人公補正は、物語がつまらない。
片や、レット・バトラーの聡明さ、忍耐強さ、が際立つ。
世紀の美女の夫の役は、消耗して長くは続かない。(⑩後述)
②公開当時の時代背景に注目
アメリカ公開は1939年12月15日。
その2年後には、
零戦が奇襲を仕掛け、枢軸国は負け確。
ヒトラーはアメリカ参戦の一報を聞いて青ざめた。
作中でも、バトラーは戦局の見通しを問われて、曰く、
北部は工業、南部は農業。武器の生産力の差は歴然、よって結果は自明。
しかし、
頑固な南部人は合理的判断を認めず、団結と精神力で勝つと誓う。
戊辰戦争の会津藩と重なった。犠牲は無駄となる。
大河のヒロインにも成りえよう。
アメリカ公開当時、
反戦的であるとの理由で、戦前の日本での公開は見送られた。
そんな中、
上海で本作を鑑賞した映画人は、デトロイトの工業地帯を見ずしても、
”こんな映画作れる国に勝てっこない”と悟った。
資源に乏しく、国際金融を敵に回し(⑧後述)、それでも根性で、
アメリカに勝とうした国が存在した時代の作品である。
戦は数だよ。
③アイリッシュの移民の物語。小説は南部に批判的
それでも、
敗戦国が負けゆく様は、映画でもキッチリ描写されている。
が、アイリッシュがKKKと対立するようなシーンは描かれない。
子供の頃、「ROOTS/ルーツ」の記憶は残っている。
アイルランド移民の妻が散弾銃で、KKKを撃つ場面が浮かぶ。
意味は分かっていなかった。
因みに、O・J・シンプソンも知らなかった。
セント・パトリックを祝う国の移民と、ピューリタンの末裔の違いは、
ずっと後に学ぶ。
今観ると、
オハラはオコーナーやオマリー同様にアイリッシュの字名と分かる。
戦前の映画だし、
2番目の夫がケネディなのは、敢えてなのかは、分からない。
神父でなく、アトランタで牧師が聖書の一節を唱えていたのと同様に不明。
④実は、メラニーが裏主人公
主軸は、バトラーとメラニーの友情物語だった。
恋愛感情や肉体関係の有無は分からないけれど、
ベルも加えて、賢い3人それぞれの密かな友情は、曹操と関羽のよう。
メラニーは、
心ならずもスカーレットの恋人を奪ってしまった負い目もあり、
生死をさまよう出産を助けてもらった恩義もあり、
生命力逞しい唯我独尊な生き方への憧れもあり、
スカーレットを気にかけている。
バトラーは、そんなメラニーの気持ちを汲んだようにも見える。
自分軸なはみ出し者としての共感はありつつ、
危なっかしいスカーレットを終始サポートする。
映画館で観ると、橋本治に異議ありだった。
秀吉の妻ねね様(北の政所)と、バトラーを重ねて、貞女と呼ぶ。
乳母車を推しながら、ご近所に愛想よく振る舞う。
派手でエキセントリックな配偶者を忍耐強く支える。愚か者には出来ない。
それはそうではあるけれど、親の自覚と、
スカーレットの安定が、メラニーの安定と思ってたんじゃないかな。
だから、
メラニーが亡くなると即、スカーレットの元を去った。
もう、義理立てする理由も無くなった。
一晩寝れば、彼女は自分の発言など忘れている。
精神不安定な女傑の告白など、取り合う必要は端から無い。
”知らんがな”としか答えようがない。
確かに、
反射的にパンチを避けてしまったことに、負い目はある。
病人の相手はもうウンザリと潜在意識が顕在化してしまった。
しかし自分が去れば、
愛しのアシュリーを尻に敷き、
商魂逞しく、材木業に辣腕を振るうだろう。
メラニーとアシュリーの間の子供も一人前に育つだろう。
お役御免と悟った。
斯くして、
バトラーとメラニーの友情物語は終わった。
メラニーは秀長を思わせる、
病弱だが思慮深い補佐役で、実は大河ドラマの主人公。
⑤小説は定石通り結末を最初に見せる
マーガレット・ミッチェルはラストシーンを最初に書いているらしい。
結末を一旦見せてから語り始める。これは定石通り。
なので、出会いの場面が大事。
④とも絡むけど、どの美女に一目惚れしたのか微妙に分からない。
そりゃ、派手なのはビビアン・リーに決まってるけれど、どちらなのか。
微妙な匂わせが実に上手い。
⑥自分軸で生きる、はみ出し者の物語
日本に舞台を移して、橋田壽賀子に書かせたら「おしん」。
アジア圏では、女将さんが家業を仕切るのは、むしろ普通で、
アパ社長や光代社長を彷彿とさせる。
そこだけは、当時の南部の価値観が分からない。
サラリーマンじゃないんだし。
まあ兎に角、
貿易で自営するバトラーには、
独り奮戦する女性の資質に共感があった。
一方で、危なっかしいとも思ったはず。
父と娘みたいで、あまり恋愛に見えない。
娘に妻を投影したと告白するが逆っぽい。
だからなおさら、
保守的な南部では生きづらい資質を愛でた。
ここまでは、王道なのだけれど、
スカーレットは精神的な成長どころか、最後まで子供のままで、
寛解は難しそう。
こんな主役は他に居ない。
ラスト独り泣いたと思えば、唐突に郷土愛を語る。
とってつけたよう。アトランタで材木商を頑張ればいいじゃん。
商売のサクセスまで描けばいいのにと思うのだけど、
バトラーとメラニーの物語なら、ここで終わるが正しいと納得。
それから、以下は復習して分かったこと。
⑦黒人の描かれ方
⑧戦時国債が紙くずになる
⑨チャールストンという都市
⑩役者の人生と二重写し
⑪双極性障害への無理解
⑦黒人の描かれ方
ニクヨさんも言及しているけれど、
階級は多種多様で、多層的に描かれている。
黒人の中にも、階級はあるし、
白人でも。囚人は奴隷のような労働力として扱われる。
これは意外でした。
気を使いながらも、当時の情勢を客観的に伝えようしてる。
作り手の意図は伝わってきました。
ポリコレ勢の批判が、
”奴隷制度の下で白人の恋愛を美化しているから”
なのだとすると、流石に無理筋。
当時の南部人が、
南部をどう思い、
黒人をどう扱っていたか、
を写実的に描くことは、
差別を助長してるわけではないよ。
逆に、字幕は批判されて然るべきで、
日本のポリコレ勢は、そこは批判しろよ。とは思う。
”~ですだ”が黒人のセリフ語尾に必ず付くのは、確かに不快だし差別的。
それは直せよ。
同様に「ハウス・オブ・グッチ」などで、
イタリア人の英語のセリフを訛らせるのは、批判すべきだと思うのだが、
白人だからいいのか?
正義はご都合でなく正しく在ってくれよ、と願う。
⑧戦時国債が紙くずになる
父親が南部の連合国が発行した国債を前に呆然としたシーン。
子供には、意味は分からなかった。
公債
北部、南部ともに1861年から国債も発行した。北部は20年物の6パーセント利付国債を5000万ドル、南部は20年物で2種類の担保がある8パーセント利付国債を合計1億5千万ドル発行した。北部の国債には海外からの投資があり、戦争勃発時はドイツが投資した[注釈 8]。イギリスとフランスからの投資は戦争の結果が定まってから始まり、1866年の3.5億ドルから1869年の10億ドルと急増した[24]。
戦争はカネが無い方が負ける。今も昔も国債金融を敵に回しては勝てない。
奴隷解放宣言が資金調達においても決定的だったと、今更に私は知った。
⑨チャールストンという都市
フロリア半島の北に位置し、大西洋に面した港として栄える。
黒人が人口の過半数を占める時期もあり、白人の移民も多かった。
クラーク・ゲーブルはドイツ系で違和感無く、
この都市由来のダンスも、様々な文化の融合である。
この港にあるサムター要塞に、南軍が砲撃し南北戦争が始まる。
どちらが先に攻撃したかは、太平洋戦争同様に重要事項。
北軍は港の海上封鎖を行い、南部と他国との交易を絶った。
作中、
バトラーが海軍の包囲網を突破したこと、
捕まっても、資産はイギリスに逃れたこと、
などが描かれていた。
一方、アトランタは、
作中でも描かれるとおり、
綿花生産の中心地で、ブルースを思い出してしまう。
ウィリアム・シャーマン将軍は民間人に対し市外への避難命令を出した。次いで11月11日にはシャーマンはさらに南への進軍に当たって、教会と病院を除いて、アトランタの町を全て焼き払うように命じた[12]。
炎のシーンは最初に撮影されたらしい。
まあ現在も、戦争中のイメージしか無い。
⑩役者の人生と二重写し
クラーク・ゲーブルは、第二次大戦時に空軍へ志願した。
3番目の妻が慰問の際、飛行機が撃墜されたことが直接の原因と言われる。
戦後は今ひとつ作品に恵まれなかったが、最後の出演作は著名。
「荒馬と女」撮影終了の2週間後に心臓発作で、突然この世を去る。
元来ヘビースモーカーであったことと、
モンローの我儘にストレスを溜めたことが、原因と言われる。
ビビアン・リーは、
2番目の夫となる名優ローレンス・オリヴィエとダブル不倫の時期に、
オリヴィエのつてを辿って、猛プッシュの末「風と共に去りぬ」の大役を得る。
その後、双極性障害を発症し、2,3番目の家庭は壮絶だったらしい。
本作でも、
感情の浮き沈みが激しく、制御の効かない人物として造形されている。
更に、アルコール依存症も併発してることを窺わせるシーンもあり、
映画からも、現実の地獄は想像される。
⑪双極性障害への無理解
当時、治療法は確立されていたのだろうか、
今も変わらず、ゴシップ界隈が無理解なのは想像に難くない。
壊れてしまうスターは後を絶たない。
その発言は自業自得かもしれないが、
”克服”とか”完治”とか、真に受けない方がいい。
テンプレなポジティブ発言が、逆に深刻さを疑わせる。
病人の発言は、真に受けない方がいい。
スカーレットの人格のヤバさは、病気が由来で、
バトラーと出会った頃には、既に発症していたと思えば、
全て合点がいく。
むしろ、
敗戦国で生き延びることに必死だったからこそ、
多少は正常に見えただけ。
”納豆を大豆に戻すことは出来ない”と例えられるが、
世間の無理解は一層、落ちた偶像を蝕むことだろう。
それでも、
逞しく生きてゆくという物語は希望ではあるけれど、
現実はそんな綺麗には終われない。
ポジティブ発言が、逆に深刻さを疑わせる。
不朽の名作と名高いけれど、チャラい恋愛ものかと舐めていたら、
実は、壮絶な人間讃歌だった。
壮絶な生命力と友情物語が交差する大河ロマンは、音楽も雄大。
豪華なフルオーケストラだけでなく、このくらいのバランスも乙。
2025.06.29現在
2σを突き破りバンドウォーク継続。
1月の山を越えて、昨年7月の高値を目指すかな。
今後の急落を見込む専門家も居るが、どこまで信用したものか。
金曜の時点で買い玉は利確し、売り玉は残してしまった。
どの意見を信じるにせよ、信じないにせよ、
しばらく上昇について行って、反落を待つしかない。