監督の仕事は意思決定。働くことではない。経営と同じ。
価値があるなら、そこさえ間違わなければ。概ね大丈夫。
企業価値があり、ダメな意思決定者が去ったら買い。
「ハウス・オブ・グッチ」評の中には褒めの基準に疑問なこともしばし。
早撮りは堤幸彦監督と同じ手法。特別ではない。
お話の構造はオールスター映画。これ褒めるなら「清須会議」も褒めろよ。
リドリー・スコットブランドを正しくありがたがろう。
期待とは違いましたが、演技と美術は凄いです。
オールスター映画らしいオールスター映画でした。
映画館で画を観る価値はあります。
ゴージャスを堪能できますが、一方で、お話にはハラハラしません。
むしろ、イライラしました。
早く、お前ら退場しろよ。長いよ。
投資先の価値評価をデューデリジェンスといいますが、
世界的なブランドにはそれだけで価値があり、
しかし、経営ひとつで価値を殺すことも、活かすこともできる。
劇中の外資勢は、
ブランド価値を正確に評価していた。
一方で、この同族経営ではその価値を維持することは出来ない。
正しい意思決定できる人がそのポジションに、神の見えざる手の如く。
レディ・ガガ演じるパトリツィアのおかげで、
結果的にダメな経営が一層されてハッピーエンドでした。
無能と悪人が全員不幸になる、勧善懲悪で清々しい。
でも、気になった点があり、
ジャレッド・レトの怪演すばらしいパオロ・グッチでした。
(「ゲティ家の身代金」でこの特殊メイクやりたかったんだな)が、
単純に気のいい無能に描くのは、カリカチュアライズしすぎでは?
近年大成功を収めているアレサンドロ・ミケーレというデザイナーの路線と、
劇中のパオロの主張はそんなに変わらない、
二代目たちは当時ミケーレがいれば否定してただろう。
一方で偽物の流通は許しているのだから、ブランドイメージを頑なに守るとも言えない。
ファッションは時代性が大きいけど、
大塚家具とは、ちょっと事情が違うのではないか。
湾岸戦争始まり、日本もバブル崩壊で上客を失う時流に、
二代目もそれなりにダメで、
そもそも、
50:50に創業者が株分けてる時点で揉め事しか起きない。リア王のような愚かさ。
そして、劇中での二代目は、
奥さんに経営能力でなく教養や家柄求めてるのだから、
後継者を”唐様で書く三代目”に育てている。
パオロ・グッチは問題ある人物だったとしても、二代目がマシとも言えない。
その対立を利用して、漁夫の利を得て、のし上がるマクベス夫人のパトリツィア。
もっと権謀術数渦巻くドラマはやれた。
ちなみに、
パオロ・グッチの奥さんが狂って歌い続けるのはオフィーリア。
占い師に洗脳されるのはオセロだなと、感想を得てしまいました。
思い付いてしまったものは仕方ない。
英国人監督は、
シェークスピアになぞらえながらも、カリカチュアライズして、
ドロドロとした心理戦はアッサリとしか描かない。
最初、バカボンボンを誘惑するときは、池田エライザのよう。
旦那を出世させるのは、落合信子夫人で、
夫の浮気に手を焼くところはヒラリー・クリントンみたい。
レディ・ガガは凄かった。けれど、
どす黒い心情よりは、戯画的、平面的な演出を選んでいる。
岡田斗司夫さんと宇多丸さんは、三谷幸喜の「清須会議」を評して、
丹羽長秀が柴田勝家や織田の息子達を見限り、
天下人の器量は秀吉であると、寝返るまでの逡巡。
そして、その意思決定を描いていない。
一番ドラマになるところなのに。
と、批判していた。
同じ批判は、本作でも当てはまること。
当時私は、その評には違和感を感じていた。
いや、これはオールスター映画なのだから、公式戦の真剣勝負とは違う。
名優達の演技をそれぞれたっぷりと観たい。一人づつ見せ場が欲しい。
江夏の21球とは違った、9連続三振の勝負を楽しむ映画。
三谷幸喜がつまらないギャク入れて余計なことするのは、
「大怪獣のあとしまつ」の批判の如くに批判されるべきだが、
それはまた別のお話。
リドリー・スコットもかつての三谷幸喜も、
名優達がこぞって出演したいと切望する。
それは、役者をきちんと観せてくれるからだろう。
いい演技してるのに、それが分からず採用してくれない監督とは組みたくない。
よきメンツが集まる器量は三谷幸喜にだってあるのだよ。
邦画を落としたいだけのダブルスタンダードは止めようよ。
マルチカメラで即日編集だから早撮りを一流のスタッフが集まると褒めるなら、
堤幸彦も褒めろよ。
ダメな企画に妥協したり、無意味に奇をてらうことも多いけど、
一発撮りの緊張感の中、役者に演技させるときはちゃんとさせる。
早撮り褒めるなら、彼のスピードも褒めろよ。
リドリー・スコットは、
魅せるべきところを観せて、その選択を誤らない。
細部まで選択を正解する。
音楽は、レディ・ガガに任せた方が良かったかもとは思ったが、
それが信頼のブランドで、そこをちゃんとありがたがろうよ。
価値と価格は違う、ありがたがり方を間違わない。
バフェット先生から最初に学ぶことではあるのだけど、
不易と流行という、初心を思い出させてくれたいい映画。
ああ、続編あるなら、アルノー家の映画も観てみたい。権利が下りないだろうけど。
で、まあ連想してしまう。
「大怪獣のあとしまつ」の批判眺めるてると、
特に、松竹は買収されちゃった方がいいんじゃないかと、思った。
東映は白倉Pが先頭に立って、無能を粛清した方がいい。
「浅草キッド」を誰も配給せず、
三木聡映画をあの規模で共同で公開とは、
意思決定が正しく機能してるとは思えない。
邦画のダメなところは、トップの意思決定。
東宝は、実写「進撃の巨人」の反省から「シン・ゴジラ」を生んだ。
成功の分析せずに、手を出してしまったかな。
宣伝は松竹が担っているようですが、
これで三木聡映画では、流石に、だまし討ちでしょう。
嘘をつくと信頼を失う。それ承知で予算と劇場確保したのだろうか。
或いは、松竹自体が騙されたのか、
低予算で、
今までどおり三木聡がいつものテイストで映画作るのは勝手だけど、
わざわざ東映と松竹が共同でやることか?
京極夏彦のコメントが話題になったけど、
白倉伸一郎、小林靖子、坂本浩一の座組で、
普通に東映特撮やったほうがマシだったんじゃないかなあ。
古今東西だまし討ちには、報いが下る。
ギャグがどこまで笑えない質なのかは、観てないから断定出来ない、
三木聡映画としての出来は置いておいて、
組織が腐ってる可能性は高い。
自らブランドを毀損するようなことやっちゃ。
偽物と本物を違いを暴露したようなもの。
ネットフリックスが買収しちゃえばいのに。
ウルトラマンは黒船のメタファーだよね。閉塞感という怪獣打開する。
松竹は若手監督の発掘もやってるので、
経営が変わって、いい人材と配給権残して、やり直して欲しい。
同族経営の限界を感じてしまうな。
騙されたにせよ、確信犯にせよ。