とても惜しい。映画「さがす」 責任の所在がブレた分だけブレる。

責任の所在って、責任者が何を自分の責任と自覚してるかってことだなぁ。
人間だもの。 
 
自主製作「岬の兄妹」で注目され、商業作品としてはデビュー作となる片山監督。
インタビューにあるように、脚本の決定権が分からない。
アイデア面白く、良きプロットなのに、惜しい。
キャスト、撮影、編集完璧と言ってよいデキなのに、惜しい。
新人漫画家が編集者に気を使いながら、ジャンプで連載始めるよう。

 
脚本に限らないけど、最終的に誰が責任を負うのか不明確。
製作委員会方式の日本映画の悪いところ。
決定権は監督が握って、リーダーシップを発揮しないと、
実写版「進撃の巨人」のような憂き目に。 
  
 
 
私の目からはお世辞にも好ましいとは言えない。
そんなプロジェクトがあったとします。
 さて、どう振る舞うべきだろうか?
 
着任すぐ、
”相談できる信頼できるマネジャーをトップに据えて貰えないなら無理”
と、打診し、叶わんないなら、一ヶ月更新の契約ならサインはしない。
 諦めることができて、(can)
 諦めたくて、(will)
 諦めるべきだったなら、(should)
ここで終了。
 
過労死が出た職場にも居て、それがマネジメントの問題大きく、
 個のちからで頑張ることが社会正義に適うことなのか? 
と自問することになった。
 
結果、考えを改めた近年。
自分が変わったなと、実感しました。
そうか、これができなかったから苦しんだんだ。
 
確かに、課題の分離が出来ないと虚しさだけ残る。
メカニズムがようやく分かった。
 
 
そんな今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか?
評判良く、予告も面白そうな日本映画、
キャスト見て、まあ外れることないと判断したが、
高評価のレビューだけでなく、酷評が的外れそうだったので、
映画館まで足を運んだ、評判の割には、、もっと興収伸びてほしいな。
  
 
キャストがハマって演技はもちろんのこと、 
西成はじめロケと撮影は完璧で、作家性も良く出ていた。
セリフも説明とは無縁で、音響全般も程よく、
 
プロットがグダるところさえなければと、
他が完璧なら完璧なほど、減点主義になってしまう。
まあ、次回作はエンタメに遠慮せずに、
監督自らが脚本でも、リーダーシップ発揮してくれるでしょう。 
 
以下、ネタバレありで、プロットの目についた欠点書いてしまいます。 
  
 
 
 
 
 
・謎の提示までが長くて弱い
・奥さんは事故に見せかけないと
・清水尋也×伊東蒼、佐藤二朗×森田望智の旅は尺もっと
・殺人鬼は自殺幇助特化型であるべき
・娘が島に来ることが機能してない
・警察来たらバレるよ、人知れず処理するエンドでないと
・ビジネスなんだからカネの確認が先だろ
・ラストの着地は強引すぎる
 
 
 

・謎の提示までが長くて弱い
 人物の紹介を兼ねるので、時間は必要。でも長い。
 背景削っていいから、
  殺人犯と関係あって、かつ謎の失踪。
 ド頭で、その謎をビシッと提示しないと。打ち切られちゃうよ連載なら。
 最初から物語動かそうとしすぎではないか。
 それが、謎の提示のインパクトも弱くしてる。
 提示して掴んでから、背景説明の順じゃないかなぁ。
 
 
 
・奥さんは事故に見せかけないと
 画としては、本編の方が成功してると思うけど、
 プロットとしては、ここで”それはバレるよ”と観客に違和感感じさせる。
 そんな危険おかさず、事故死に偽装でいいじゃん。
  
 
  
・清水尋也×伊東蒼、佐藤二朗×森田望智の旅は尺もっと
 個人的には最大の不満。
 三幕の最初のパート。背景説明はもっと省略して、
 二幕目で、
  清水尋也×伊東蒼の追跡劇、
  佐藤二朗×森田望智の珍道中、
 ここは時間一致で並行に描きつつ、
 それぞれの人物の心情描いてよかったんじゃないかな。
  
  清水尋也×伊東蒼  存在を失うことの希求
  佐藤二朗×森田望智 希望を失った訳
 
 親子でない関係を描いて、最後に親子でオチという構図なのだし。
 ここはもうちょっと、それぞれたっぷりとやってほしかったな。
 
 
 
・殺人鬼は自殺幇助特化型であるべき
 離島の過疎が進み、放置された戸建てで、人知れず、処理している。
 じゃダメなの?
 経済活動してる人をヤッては、田舎ならなおさらほっておかれない。
 それに、自殺幇助に特化してないと、キャラがブレるし。
 品川徹はいい役者さんだけど、そのくだりはいらないと思う。
 
 
 
・娘が島に来ることが機能してない
 それも意味無かった。
 父親が自発的に帰ってくるなり、警察からの連絡なりで、
 娘の活動範囲は大阪のみでよかったよ、あれなら。
 
 
 
・警察来たらバレるよ、人知れず処理するエンドでないと
 さすがに、強引すぎて無理な展開。
 人知れず処理して、佐藤二朗だけ生き残る方が、無理ないエンド。
 
 
 
・ビジネスなんだからカネの確認が先だろ
 前金で受け取って、かつ確認するだろ。商売舐めすぎ。
 報奨金でというのは、いくらなんでも強引すぎる。
 ちゃんと報酬受け取って、カネ目当てもコミで、人知れず処理。
 それで良かったじゃん。
 エンタメのスペクタクル出そうとしすぎて、バランス崩れて、
 最後にご都合で解決なのは、
 脚本の責任の所在が曖昧だから。
 
 
 
「さがす」の片山監督は、これから連載開始する新人漫画家と編集者の関係を、
想起せざるを得ない。
エンドロールで、最後に監督の名前が時間かけてクレジットされる意味が、、
映画は監督のモノ。なのか?
自主製作とは違う責任の所在。
 
結局10稿くらいで最終稿はちょっと早すぎる。
削るとこ削る必要あった。
  


おずおずと探り探り、編集者の顔色伺いながなら。
これが面白いんだ、ってのをドンと打ち出せないとな。
 
どこまでも闇落ちしてく佐藤二朗に、それでも親子関係の日常は続く。
で、良かったと思うんだけどなあ。
善人に描きすぎじゃないかな。そこエンタメに寄せるの本意じゃないはず。
 
 
何を打ち出して、合意に至り、成果物を残すのか、
自分の意思決定で、自分の責任の所在決めないとな。
座組というか、誰と仕事するのか、しないのか、はその第一歩だな。
身につまされるお話でもありました。
次回作、期待してます。

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