あまりの評判に、平日夕方の回を予約。
7割方埋まり、かつ若い世代多め。意外でした。
観りゃ分かることは、多くのyoutuberさん達に任せるとして、
それ以外のことで、観ながら去来する諸々を、語りたくなる映画でした。
皆が絶賛するものを手放しで褒めるものは、
北朝鮮で三代目に万歳するようなものに似て、
何も言わないのも一緒にも思え、
ちょっとカッコ悪い。(実際、不満な点はあるし。)
それはともかく、
大きなリスクテイクをして、賭けに勝った製作陣に拍手です。
(松竹は東宝でいいんでしょうか?)
私は歌舞伎に暗いのですが、(落語なら、も少しマシ)
演目知らなくても大丈夫な作りでした。
それでも、
歌舞伎の女形で人間国宝と来れば、さすがに連想します。
「40歳を過ぎたら、舞台に立たないと思っていた」――奇跡の女形、坂東玉三郎が歩む芸道一筋の70年
「逆境はあまり感じたことがないんです。血縁って何なんでしょうか」。当代随一の女形として舞台に立ち続ける、歌舞伎俳優・坂東玉三郎(71)。世襲で伝統を継ぐことの多い歌舞伎界で、梨園の出身ではない。幼少期に舞踊の世界へ導かれ、一日一日稽古を積み重ねて、今日に至る。時には心身の不調に悩まされながらも、舞台の美を追い求めてきた。芸に邁進する人生を語る。
小説より壮絶な、生ける現役のことは、予習しておいた方がベターと思われ。
映画の前半、このインタビューがよぎり、心情察するに辛過ぎて泣いてしまう。
ま知らなくても、映画鑑賞に支障は無いのですが、
畏しい実存を前提に、
当代随一の美形2人に、
血の一滴まで精進させて、
こそ成り立つドラマが尊い。鬼が伝わる。
歌舞伎役者をキャスティングして、すんなり出来てしまっては、この緊張感は成らず。
あ、先走る前に要素多めに挙げます。あまた感想レビューへの不満込みで、
①役者と二重写しをワザと
②物語の王道古典「あしたのジョー」「ガラスの仮面」
③大河小説とダイジェスト映画の着地点
④梨園スキャンダルを連想させる
⑤演目のシンクロは多分小説から
⑥演出(劇伴含む)と大衆芸能
⑦権力との距離(習近平記念)
①役者と二重写しをワザと
作中、黒川想矢を発見する渡辺謙は、
あたかも公園で、
ジョーに殴られる丹下段平、あるいは、
マヤの子供相手の芝居見物する月影先生の如く、
震えるような衝撃と喜びを観客に伝えます。
ああ是枝監督って、毎度目利きだなあと、
才能ってなんなんでしょうね。
観客の立場では、
14歳で親子別れを決意する玉三郎と、
子役からの成長がダブります。
「藤娘」演じる2人が初のお座敷で、
一方は酒に酔い、
片やジュースで馴れ初め。
酒で問題なのは吉沢亮の方で、横浜流星はストイックだろ!
とツッコミ入れつつ、海老蔵&菊之助の関係をも彷彿とさせる。(④で後述)
実は、横浜流星の方が難しい役どころなのに、とちょっと懸念しながら、
まあ「流浪の月」コンビで乗り切ってくれるだろうと期待。
胸をなでおろしつつ、不満もあり(③で後述)。
逆にスキャンダルで頭下げる吉沢亮の場面では、薬物でなくてホント良かった。
大丈夫なのかと最初驚いたのは、
この役を寺島しのぶが演るのかよ!
脚本上は、もっと息子贔屓でいいけど。ワザとだよね。
親が(複雑で)有名ってのは、それはそれで大変だと思う。
渡辺謙が選ばれたのも、名優ってだけじゃないかも。
嶋田久作は、関西弁は下手でも、ルックで選ばれたはず。
名前が出て来ない!
松竹の名物ワンマン社長とイエスマン。松竹は歌舞伎界よりも、お家騒動多発で、
東宝は解体と分業を受け入れて復活、意思決定の違いか。(⑦参照)
クレデウス製作で東宝だろうけど、松竹はこれでいいのか。
で、
検索して、城戸四郎&奥山融と知る。
右腕の三浦貴大は好演、安心設計の説明役にして、
親がどうのとか、バカにするセリフ。監督の悪意に唖然。
そして何と言っても田中泯。余人を以て代え難い。
個人的な記憶では、
山海塾のNHK中継を昔に。あと、
伊集院光が、富山での単独公演を柴田理恵が観てた話をしてた。
確か、”人間が二本足で立つということ”の表現について、
ちゃんとインタビューしたはず。
最近だと「PERFECT DAYS」でもキッチリ踊る。今は役者としての方が有名か。
ジャンルが違えば、人間国宝で問題無い人でしょう。
芸道一筋で、富も名誉も要らない。
この人がそう言うんなら、と納得してしまう人生の重み。
②物語の王道古典「あしたのジョー」「ガラスの仮面」
映画の尺の関係もあり(③で後述)、
原作のサブストーリーは大幅にカット、特に女性関係。と聞く。
で、収束させた物語の古典。王道展開で客を感動させると決意の大作。
前半は師弟、後半はライバルの物語で、これぞ大衆娯楽。
昨今の伏線回収の界隈は、他のジャンルで脳汁出してくれ。
(それはそれで通常早めに卒業する娯楽、が充分な摂取に一定期間を要する)
それはさておき、テンプレは以下。
才能の発掘→厳しい稽古→ライバル登場→紆余曲折→弟子が一人前に成長→師匠の死
渡辺謙にたっぷり演技させたのは当然として、王道展開を忠実になぞったのが良き。
一方後半は、
ライバルの栄華→主人公ドサ回り→再会→リターンマッチ→ライバルの死
で、主人公が独り残るのが定番。
前後編に分けることが可能なら、もっと描きたい処です。
お家騒動では、女将さんが暗躍するものと相場が決まってますから、
寺島しのぶに活躍させたい。
血筋通り一門を背負う重圧と責任を、横浜流星でもっと表現したい。
なんといっても、再会の喜びが欠落しているのは不満。
ウルフ金串を踏み台にプロテスト合格を聞く力石や、
オーディションにマヤが参加と知る亜弓さんのように、
一日千秋の思いで待っている姿を描かんと。
その上で、
お家のこと、自身の芸道のこと、
諸々に満足しての退場。
当主に返り咲いてから死まで。
ライバルの生き様にもっと焦点当てたかったが、
主役のドサ回りを描くだけで、尺がいっぱいかな。
③大河小説とダイジェスト映画の着地点
大河ドラマの連続ものだったとしても、
配信で観ることになり、
映画館で観る時はダイジェストになってしまう。
それはもう、致し方ない。
割り切って、②の王道展開に収斂させたのは成功と見ます。
が、3時間は長く、トイレ退出する客も多数。
前後編で2H+2Hが妥当かと。
定石通りなら、
オープニングシーケンスは、
人間国宝のインタビュー、
瀧内公美の告白、
「鷺娘」の幕が上がる。まで。
そこから、
本編は九州時代からスタート、アクションも魅せる。
(お金掛けてる、客は本格的な作品だと認識。)
紆余曲折の後、ついに跡目襲名披露の幕が上がる。
ここまでを前編としたい。
前編を海外の賞レースに出品しても問題無いと思う。
「ゴッド・ファーザー」だってと言いたい。
で後半は、
権力の掌握も示さないと、血筋vs才能というテーマがちょっと弱い。
歌舞伎の世界では、女形の方が、
世襲以外の可能性がワンチャン有りに見える。
女形に成れる役者は特殊な才能で、血筋でも出来ない場合もあろうかと。
加えて、遺伝子がどうであれ、
歌舞伎の役は、ピアノやバレエと同じく、
子供の内から仕込まないと無理だと思う。
高校卒業後に初めて着物着るようじゃ。将棋の年齢制限の如し。
しかも、ある程度の期間やらせてみないと、
モノに成るかどうか誰も分からない。
権力とは無関係に、
芸と美貌で、周りを納得させる可能性があるのが女形。
逆に権力に近づくと、しっぺ返しを食らう。
田中泯の最期は正に、芸道一本を体現。
で、ライバルの死。
二度の退場とも「曽根崎心中」の覚悟の確認で表したのは見事。
ただね、
後編に分けるなら、
オープニングは前編同様で、瀧内公美も出して、
さらに、前編のダイジェストを若干挟み、
渡辺謙の吐血で本編スタート。
主人公の転落では、
2人は要らない1人で充分と、権力闘争もはっきり描いてから、
ドサ回りは同様の尺。
ライバルは主人公の復活を喜び、そして死の覚悟は、
横浜流星に尺をたっぷり与えたい。
それから、再び、
インタビューの親子名乗りで、
瀧内公美は、もう説明は演らず、
”悪魔は約束守ったんだね、お父ちゃん!” の一言に抑えたい。
受けて、吉沢亮のセリフは、
”鬼を伝えると書いて魂”
くらいでどうでしょう。ここでお涙頂戴は抑止したい。
そこで、
瀕死の「鷺娘」を舞い、
幕が降りてエンドロール。
映画らしい風格で終わりたい。折角足を運ぶのだから。
演出の問題(⑥で後述)も併せ、不満が残る。
諸般の事情を鑑み、決定に至ったと想像するのだけど。
④梨園スキャンダルを連想させる
稽古の話では、前出の海老蔵&菊之助。
何より、
海老蔵や亀治郎の件は忘れようがない。
借金や黒い噂は、叩けば埃の出る世界だと思っている。
隠し子は、
ちょっと違うが香川照之を連想するけれど、
やっぱ海老蔵、
そうそう、それから染五郎と寺島しのぶを後に知って、驚いた。
師匠の箱入り娘に手を出して出奔は知らない。
そういうケースもあるんだろうなと映画観ていた。
別の世界で、女将さんが弟子にというAVみたいな話は聞いたことがある。
そういえば、芸道一筋の玉三郎ですら、
女性問題は無くとも、男性問題の噂は有ったはず。
小説は、
事実に基づいた物語とは名乗らず、
様々なネタを織り込むエンタメに昇華。
映画の中では、
ドロドロやスキャンダルなどは雑味になるので排除、
つい、下世話なことも思い出してしまうが、
そんなことより、
一門の継承と自身の芸だよな、大事なのは。
と最後、思い直す。
荒川静香は日本の伝統舞踊も参考にしてるのかと思った。
⑤演目のシンクロは多分小説から
事前に参考にしました。
さけねこさんのは、ギリアウトで解説というより感想だな。
女形は、
女性のエッセンスを解体して再構築し、
その結晶は、ただの女性を超えた表現とならねば。
そんな趣旨が、本編でも玉三郎インタビューでも語られます。
「曽根崎心中」は例外で、
女形がメインの演目は、人間の女性ではない役。
「鶴の恩返し」でも「人魚姫」でも「紅天女」でも、
古今東西、想いの叶わない化身として現れる。
なので、もっともだと思われ、
単に女性の真似をしても通用しない、物語に出来ている。
そんな演目を、
小説に描かれる場面とシンクロするように、
吉田修一は計算してるはずと想像して、
ま、そういうことは映像の方が有利だから、
省略するくらいなら、映画化しない方がマシ。
で、私が連想する処は以下。もっと詳しい人も多いのだろうけど。
「藤娘」
”酒飲ませたら、絡んで締めて” とあり。
ウブな黒川クンが見上愛に飲まされて、隠し子まで。
酔った勢いのみならず、
藤という植物の性質と、セクシャルな連想で、展開を匂わす。
後々揉めるから(④参照)、ヤメといた方が、、とゾクっとしました。
「二人道成寺」
2人の良きライバル関係を表し、光と影の展開を暗示。
釣鐘のスペクタクルを演出に利用。
最初は、コンビの披露。
二度目は、ライバルの暗転。
内容とのシンクロはここでは考えませんでした。
「曽根崎心中」
それぞれの覚悟とライバルの退場を効果的に表現。天丼なのが上手い。
主人公が肚を括り名跡を継ぐ、居場所の無いライバルは駆け落ち。
もう長くないライバル最後の舞台、役者としての覚悟を魅せて退場。
「鷺娘」
死ぬまで踊る、至芸を魅せてエンドロール。
高いハードルを背負わせる意地悪な監督に、吉沢亮はよく応え。
⑥演出(劇伴含む)と大衆芸能
でもね、
長唄を台無しにする劇伴はどうなのだろうか?
市川崑ばりのカットバックで、ベタなTV演出も、なんだかな。
「熱烈」同様、舞いの身体操作を敢えて誤魔化す。出来る人でも。
折角のラストの見せ場で、
高級な素材の味を殺す、調味料ドバドバな味付け。
縁日の屋台のたこ焼きみたいな粉もんなら、いざ知らず。
監督自らが、
折角の役者の精進を台無しにしてるよう。
youtuberの感想のみならず、
芸能人が手放しで作品礼賛してるの見聞きすると、
忖度というより、
作り手が客を舐めた演出するのに慣れすぎじゃないのかな。
不快でした。
表現の自由が無い国みたいだ。
演出があんまりだと訴えるのは少数派で、不満分子ですね。
歌舞伎は能じゃなく、大衆演劇なのだから、
最後も映画じゃなく、TV的な大衆娯楽が正解なんだよと、
作り手のメッセージも伝わってきます。
⑦権力との距離(習近平記念)
栄華を極めた権力も、
失策が続けば多数派から少数派へ転落します。
タイムリーだし、
一旦は殺された李克強派が巻き返す権力闘争を、思い出してしまいました。
逆に、終始サーヤにマンセーな佐久間Pの企画意図も、キツかった。
サーヤのアドリブを褒めて補強しても、無理ゲー。
権力掌握する者が名前を覚えないとは、逆田中角栄。
如何に待遇が手厚かろうと、いずれ反目されるよ。
上司になったら、肝に銘じなければならないこと。
私が「あなたの成功の秘訣は一万人の名前を覚えていることですね」と言うと、彼は即座にそれを否定し、
「私は五万人の名前を覚えています」と言った。
ファーリー氏が選挙参謀としてフランクリン・ルーズベルトを大統領に当選させることができたのは、間違いなくこの能力のおかげである。 彼は新しい人と知り合うと、その人の名前と家族構成、仕事の内容、政治的立場をメモして記憶した。そして、もし一年後にその人に会うと、「奥さんと子供さんはお元気ですか?」と切り出し、庭の植物の生育状況などを尋ねた。
著名な経営者が書いた本やリーダーシップに関する講義や講演は、はっきり言って眉唾物であり、あなたの生き残りにとってむしろ危険な代物だ。自分のキャリアをお手本として売り込むリーダーたちの多くが、トップに上り詰めるまでに経てきた抗争や駆け引きに触れないか、きれいごとでごまかしている。またリーダーシップに関する授業や講演の多くは、良心に従え、誠実であれ、本音で話せ、控えめに謙虚にふるまえ、強引なやり口は慎め、汚い手は使うな、といった教えに終始しており、一言で言えば「世界はかくあるべし」「成功者はかくふるまうべし」といった願望に基づく処方箋となっている。
因みに、イエスマンだった奥山融は社長の座についた。
返す返すも、寺島しのぶが暗躍するシーンが観たい。
本人は健全に精進してるみたい。
それはそれで喜ばしいけれど、作中では、
不公平で欲望渦巻く、この世界を描いておきたい。
それ避けると、浅く見えちゃう。
力や地位を獲得し維持するのは、なまやさしいことではない。思慮深く、粘り強く、戦略的でなければならず、油断してはいけないし、必要とあらば戦わなければならない。ベスの話からもわかるように、世界はときに公正ではない。アンが望みの地位を手に入れるためには、長年にわたる努力や辛抱が必要だった。とりわけ人間関係では、自分の能力を全然評価していない連中とチームを組み、めげずにがんばり抜かなければならなかった。
脚本への不満のもう一つは、
ドサ回りから戻っての、ビフォー・アフターの変化が描かれないこと。
転落した甘さへの自戒と、復帰への執念は描きたい。
苦境に立たされ助けがほしいときには、最後に勝つのは自分だと周囲に信じさせることが必要だ。真実を隠して助けを求めろというのではない。もちろん、状況は誠実に説明しなければいけない。だがその際に、あなたの自信や信念や粘り強さを示すべきである。あなたを応援し、さらには投資してもけっして無駄にはならない、と周囲に信じさせる必要がある。
復活するのは並大抵ではく、鄧小平のような気迫が必要だろう。
原作に書いてあろうが無かろうが、尺が足りなかろうが、端折っちゃダメだよ。
更に、
横浜流星が権力に無頓着で、芸道一筋なら、
箱入り娘に手を出すのは、ストーリー的にズレるし、
野心なのか、
心が弱った時にデキちゃったのか、
決定的な転落の理由は描いておきたい。
権力を手に入れてしばらくすると、燃え尽きてしまう人がいる。緊張がゆるみ、投げやりになり、戦意を喪失してしまうのだ。人間には「見たいものを見る」という性癖がもともと備わっているが、疲れてくるとこの傾向が一層強くなり、自分の願望を現実に重ね合わせて見るようになる。
原作は知らず、映画では吉沢亮の野心は微妙。
ならば燃え尽きは描きたい。玉三郎も鬱を患ったという。
人間の意欲は、有限なエネルギーである。
捲土重来を果たす物語である以上は、
ドサ回りの中で、修羅を生きるHPを回復して、
失脚前とは違う姿で現れる。
物語の中で、成長を描かないのは、
尺の問題があるにせよ、ちょっと脚本が弱い。
かつ演出はTV的ベタ。
映像と役者の精進に全乗っかりなので、
素晴らしい作品ではあるけれど、世の中ほど称えることは出来なくて。
鑑賞後は、
作品の惜しさと、
世間の不気味、
が去来しました。
嘘でも元気になる歌。
日本は国民党としか戦ってないが、
トランプ政権と融和するのなら、共産党は崩壊せず、
未来は明るいかもしれない。
20250.06.14現在
中国だけでなく、イランもロシアも行く末微妙ですが、
戦争は買いで、金曜の下落はあまり気にしていない。
テクニカル的には、
2σ突破から宵の明星で、下落後20MAがサポート。
ドテンという感触が得られず、手仕舞いを躊躇してしまった。
売玉利確し、もう一度やり直し。
来週は下げるなら売玉建て、上げるなら2σから売玉建てるつもり。