働くとまだ、ストレスもあるようで、
水曜と休日は映画観て、サウナ入って、中華のルーティーン確立しつつあります。
流浪の月
目下、今年のマイナンバーワンです。
映像はこだわり素晴らしく、揺れながら顔面にとにかく寄る作家性。
李監督の粘着というか、フェティシズム爆発。オシャレなのに。
たぶん原作のセリフ活かしつつ、顔で演技しろと、
納得の表情が撮れるまで、妥協しない。
音楽も邪魔せず、押し付けず、オシャレな原摩利彦。
いつもは、
通報されてもネグレクトで死んでからしか動かない警察のニュースばかりなのに、
映画では、気の利く悪役。悪を認定して安心して行使する正義。
片や、
せめてそこは ”なんの力にもなれなくて” だろのケースで、
”心配してる” と何も支払う気がない善人ズラに典型的なセリフ言わせたり。
この世のクソさを痛快にトレースしてました。
「ちょっと思い出しただけ」を、「トップガン マーヴェリック」が上回り、
更に、それを超えて来ました。テーマが沁みるのと、
ハリウッドにも、韓国にもない、日本映画らしい繊細で絶妙な着地。
トム・クルーズはいつも爽やかですが、負けず劣らず爽やかなラストでした。
原作未読なのですが、人間讃歌的な現実受容がテイストにあるのでしょうね。
皆、横浜流星が凄いと言うので、如何ほどか?。。 ホントに凄かった。
(元)母親を思い出しました。
現実を受け入れて、見捨てることが至上の愛。
今週は、
モンスターっぽい方と職場で一緒になって、
見捨てなきゃ、今度こそ見捨てなきゃ。と必死になりました。
あ、ようやく、出来たかな。
最上級の愛は、相手の選択の結果を見せること。
泥棒になってはいけない。相手の荷物は相手のもの。
波動が違うのでもう、交われない。
(元)母親のこと、思い出します。
追い詰められて”縁を切る”って、啖呵切ったのはあなたの方。
後に、下手な芝居で詫び入れて来たが、
”その手はもう食わないよ”と応じたら、途端に逆ギレした。
だからもう、付き合えないよ。その人間性では。付き合いたくても。
怒りは悲しみの二次感情と言います。
DVを振るう横浜流星の悲しみは、
支配することでしか愛することが出来ない哀しみ。
満たされていないから、与える前に得ないと気がすまない。
ま、それも分かってて、
もっとスマートに別れてあげられたらよかった。
広瀬すずが、”私も、あなたにひどかったね。” と流星君に言います。
身内だけでなく、仕事でも、必要とされれば、それが嬉しかった。
ジャンクフードで空腹を満たすよう。
そう、ジャンクフード扱いは、良くないよね。ちゃんと断らないと。
横浜流星って、こんな凄い役者だったのですね。
ただわめいてるだけの演技がまかり通るなか、
怒りの演技で深い悲しみを伝える。
最初は「パリ・テキサス」みたいに、愛情の交換の不全の物語として観てました。
他者という、この世の苦しみを描くと。
途中から。ああでも、ちょっと違うんだと、見方が変わった。
良寛さんか誰かの逸話で、
産後、乳の出ない母親から相談受けた、良寛さんは、
村の1軒1軒を回って、貰い乳に頭を下げた。
その甲斐あって、赤子は順調に育った。
ま、その間、村人は、
”良寛さんは、ああ見えても、隠し子がいる”と、ゴシップを楽しんだらしい。
良寛さんは、ただ、乳を飲む赤子の姿を見て、”よかったね。” と。
ガーシーチャンネルが流行ったり、ワイドショーが未だに人気あったり、
このゲスな世界のゲスな住人であることを否定するのは難しい。
劇中の松坂桃李がロリコンなのかどうかで論争になるそうですが、
そうまでして、ゲスがゲスでない免罪符が欲しいのか。
ゲスって。どこまでもだな。まゲスたる所以。そういうことするよね。
世間は100%ゲスで、いいじゃん。君も僕もゲスで。
劇中のセリフで結論出してるじゃん ”ロリコンじゃない” って。
このゲスな世界で、自由になることは、
自分のゲスをゲスな社会を置いてゆくこと。
昔、化学の授業で、強酸弱酸反応って習ったけど、
自分のゲスが沈殿物として、外に出てゆく。
そのまま自分を生きようとすると、良寛さんのような聖性がどこかで必要で。
ゲスな世界のありのままを受容しつつ。
松坂桃李の三毛猫のオスのような苦しみは、
菩薩から如来になると、性別を失ってゆく様を見てるみたい。
残せない遺伝子、残したくない遺伝子ってあるよね。
権力批判は出来ても、大衆批判は出来ないチキン野郎ばかりの時代で、
ゲスにゲスだと言うのは、嫌われる勇気。
なんとも、清々しい。
世の中の課題は世の中のもの。泥棒になっちゃいけない。
誰が良い悪いとか、問題提起でなく、
受容で終わる、出色のラストでした。
独立系の日本映画だと、ベタを避けセンスよい着地してくれる。
ハリウッドにも、韓国にも無いテイスト。
トップガン マーヴェリック
どうやって撮ったんだろう。トムの狂気と、キレキレの演出。
絵空事なのに、観客を満足させてしまう配慮行き届いた脚本。
最初に、リアリティラインの提示。
そんな自由な組織の軍隊ねえよ。
パラシュートで脱出しても、そりゃ死ぬよ。
とか、野暮ことは言うなと諫める。
そもそも、
昔のケリー・マクギリスみたいな美人教官いるかよ、AVじゃないんだし。
という映画だと、思い出させてくれる。
誰もが当然の、
ドローンの時代だし、ステルス機だし、
艦上から出撃する戦闘機なんてゼロ戦の時代じゃん。
とのツッコミも、”じゃあ、しょうがないよね” 封じる。
観客を麻痺させてゆくのが、とても上手。
”じゃあ、しょうがないよね” それじゃ、トムが出撃するしかないよね。
大資本で夢を観させてくれる。古き良きハリウッド。
CGだとどうしても、絵空事が透けてしまう。
トム・クルーズがプロデューサだから成立する映像。
自分で乗らないと気がすまない本気。スタントでは絵空事が透けてしまう。
「閃光のハサウェイ」みたいな忖度は一切しない男前。
脚本とキャストで個人的に感嘆したのは、
さすがに、現役を降りてしまったケリー・マクギリスに対して、
ジェニファー・コネリーという絶妙。
若くては、けしからん感が出てしまう。現役感が無くても興ざめ。
”頑張れ!” と応援できるギリのライン。トムの肉体は、どう維持してんだろう。
無理に恋愛要素入れて、邪魔する映画は枚挙に暇ないが、
本作は絶妙。
観客の脳を快にする周到さ、これぞアメリカのエンターテイメント。
底抜けに明るい。
お構いなしに生きる。
トム・クルーズがトム・クルーズであることが神々しい。