原作整理の巧拙。読んでないけど、「ハケンアニメ」「犬王」。エッセンシャル思考思い出す。

省くべきものと、省くべきでないもの。
原作ありの場合、その取捨選択は最終的には監督の技量。
技工も発想もオリジナルでなくても構わない。
監督が、テーマの段階で取捨選択を誤ることについての映画二本。
観てきました。
 
 
”までに売れ”というわれる5月。
逆に、もっと買っておくチャンスあったかも。
もう一段の下げがあるかと想像して、まだ手が届かない。
今月は決断すべきタイミングでないと、納得してます。
 
更に、5月から働いてみて、
 長年働いていても、判断力が育ってないから、自走が要求される場面では無理。
 ゼロならゼロでいいから、そのモンスターな言い訳、延々続けるから、
 モンスターなんだけど、本人が気づくのは無理だよなぁ。
 そこに気づくには判断力が要る。
 もう引き寄せるのは辞めよう。。
 
 上位で間違った認識のまま話が進むと後で詰むよ。
 その視点で、今結論出しても、問題解決には至らない。
 アインシュタインが言うとおり、同じ意識レベルでは解けない。
 議論の視座を先に注入してから、
 議論するように上位に働きかけてほしいと、直属のマネージャに嘆願したり。
 
 
視座、視点がテーマな1ヶ月を過ごしています。
働くって、辛さが減るのがいいですね。
すべてが自分ひとりの意思決定だけだと、辛さが煮詰まってしまう。
本業だけだと、
人と接して、自らの視座を操るチャンス。もほぼ無い。
  
 
 
「ハケンアニメ」

エンタメとしての完成度が高い。
読んでないけど、原作からの整理上手く、対立構造が見やすい。
長さを感じさせず、最後まで楽しく魅せる。
演者さんもハマってます。
 
評価は、2から5の間で、ボラタリティ高い。ようです。
この完成度なら、3はあるでしょ。
若干、疑問が残るで、4から減点で3.5あたりが妥当だと思います。
充分楽しめるので観て損ないです。
 
  
吉岡里帆に演技力求めて劇場に足運ぶのは、期待の方向が間違ってる。
 劇中、高野麻里佳演じる新人アイドル声優が、
  ”実力以外で選ばれたのは分かってます。”
 とひたむきに演技に取り組む姿こそ、吉岡里帆と二重写しで、
 そこは楽しみましょう。
 
 人物造形にちょっと問題ありとは思いました。
  10年も居れば業界の仕組みは分かってるはず、新人みたいなことは言わない。
  ”勝ちたい” ならプロデューサのPR戦略につべこべ言う理由もない。全部やれよ。
 人格がブレブレな設定で、
 一生懸命が手一杯の吉岡里帆に、それを消化しろはお門違いじゃない。
 宗像コーチに指導される岡ひろみでいいよ。そこは。
 例えが古くて済まないが、そこは減点ポイントでした。
 
 
リテイクは情熱の証ではなく、無能の証、
そこでドラマ作るのと、それに感動する観客は、もう辞めようよ。 
 「映像研には手を出すな」「映画大好きポンポさん
 映像制作の内幕モノは、判で押したように、
 最後間際になってから、ストーリーに疑問持って、
 無理なスケジュールと予算を押して、やり直して完成に漕ぎ着ける。
 どれもこれも、
 ”ラストの着地が甘いので、もう一度テーマに向き合いたい” という。
 そんなことは、企画や脚本の段階で詰めておけよ。
 
 製造工程も終盤ではね、勝負は既に着いている。
 勝負はその前についている。現場力だけでなんとかしようとしすぎ日本人。
 だから生産性低いし、
 そんな甘々な上流工程で、手戻りを繰り返してもクオリティは下がる一方。
 脚本の段階でもっと命削ってないと、画面で描きにくくとも。
 
 もういい加減、そこでドラマ作るの辞めてよ。
 マネージメントが育たない、ただのブラック。
 成功体験のせいで、未だ日本は学ばない。
 
大きく疑問を感じつつも、
天才と新人、Pと監督。その対立構造を上手に整理してて、
かつ地元の描き方もこのくらいの分量かなと、上手なバランスだなと、
評価すべきとこは評価しよう。
でも、設計図の瑕疵を肯定してはダメ。そこで感動はブラックな洗脳。
 
 
「犬王」

絵は期待どおり凄い。けどね。。
読んでないけど原作の整理が悪い。
アイディアのブラッシュアップ、着地も疑問。
 
ロックと反抗が古くてありきたりで、拘泥し過ぎ。
 平家物語押しの作品ですが、
 時代背景は足利三代将軍義満。金閣寺が出来る前、出家する前。 
  世阿弥をもり立て、北山文化を作り上げつつあり、
  北朝より幕府が覇権を握り、国王を名乗る野望。
  善人ではないが、政治手腕に長けた人、芸術に造形も深い。
 このあたりは史実で、
 虎の絵が背景なのは、一休さんオマージュ。
 
 壇ノ浦から鎌倉幕府は百年続き、後醍醐天皇と対立して滅ぶ。
 更に、後醍醐天皇が武家を冷遇して、北朝担いで足利幕府。
 
 平家物語は、各地の伝承が修練していって書物にまとめられだしたけれども、
 異説の弾圧より、将軍はやることあるし、忙しいはず。
 今で言えば、坂本龍馬は司馬遼太郎の解釈以外認めないと御触れ出す感じ、
 そんな昔のこと、天下統一に関係あんのか?

 森山未來の琵琶法師も、新作やればいいんだから、
 別に、平家物語に拘る必要は無い。
 平家の亡霊との絡みは、犬王の舞で成仏させた、でいいだろ。

 反抗と弾圧をやるなら、もっとちゃんとドラマ作らないと、
 取ってつけたよう過ぎる。
 スターリンとゴーリキーのような構造作るには、
 北山文化の創造者では、そもそも無理じゃね。
 
 
 ロックで反抗して弾圧されて、ってレールが地形に合ってない。
 更に、琵琶法師の話なのだから、曲のメインは琵琶じゃなきゃ。
 エレキギターじゃダメでしょ。
 その感性が古くてダサい、絵はオシャレだけど。と思ってしまいました。
 
   
どーでもいいこと描き過ぎ、悪役が中途半端過ぎ。
 津田健の悪役が、何がしたいのかわからない。
  観世流に対抗意識があるのか、
  個人の技量で上回りたいのか、
  権力欲なのか、
 ただステレオタイプに悪役にして終わり、
 中途半端に登場させなくても、いいよ。
 原作に引きづられないのも監督の仕事。

 単純に、
  将軍に庇護される世阿弥vsストリート出身の犬王一派
 の構図で充分だと思うよ、
 興味ないことは中途半端に描かない方がいい。
 
 壇ノ浦と草薙の剣出てくるけど、
 ストーリー上さほど活きてないから、
 琵琶法師の幼少期は省略でいい。
 
 犬王と出会い、一緒に旅芸人して、
 その中で、平家の怨念鎮魂するたびに体が戻る、
 どろろと百鬼丸そのまま踏襲で良かったのに。
 
 逆に、旅しながらの大道芸は、もっと描いて欲しかったな。
 舞台装置が絢爛なのは、それはもっと後まで取っておけ。
 腕が治るのも、もっと後まで取っておけ。
 その分、幼少期とか、半端な悪役削れよ。

 絵は素晴らしいけど、結構イラっとしてました。
 一本の映画としての、完成度が低い。
 
 
芸道描かな過ぎ。
 「壇ノ浦」描くなら、琵琶法師の語りできっちり聞かせて欲しい。
 世阿弥は「敦盛」くらい舞え。それはちゃんと描こうよ。
 
 アカデミックな存在になりつつある、権威に認められたアート。
 それはそれで、ちゃんと描けないと、
 犬王の側は、単純に現代の外のもの持ってきただけにしか見えない。
 
 能として完成されてゆくものと、どう対立してるのか、
 それ描かないと、斬新さが伝わらない。
 
 
最初のアイディアを映像化したいだけで、
一本の映画としてどう構成するか、興味が無い。
人物の動機がすべて記号。だったら描くな。
湯浅監督の悪いところが出てしまったかな。
絵が凄いので惜しい。
 
まあ、個人的な好みだけど、
アニメでダンス描かれても感動が薄い。それもあったかな。
身体表現だから尊いのであって、
アニメやCGならどこまででも完璧な動き可能だもの。
 
お話が宮崎駿のように破綻してても構わないけど、
描かないという、捨てる潔さは必要。
テーマの”舞”に企画、脚本の段階でもっと向き合えよ。
 鎮魂と成長、大道と晴舞台、権威と人気。
もっと整理しとけよ。
作品はアート寄りでも無いんだし、
エンタメとしての完成度が低くていい理由が見つからない。 
意欲的で、褒めたいんだけどなぁ。 
 
 
生きててよかった」も「犬王」も、
捨てる潔さが足りない。テーマへの向き合いが不足。
監督の判断に、一昔前の邦画の悪い部分を感じてしまう。

で、エッセンシャル思考思い出しました。
それなりにアクロバティックな職場で働くチャンスを得て、

1.要不要を見極める。
2.不要を捨てる。
3.エッセンシャルを維持する仕組みを持つ。

中村倫也の天才クリエータは庵野監督モチーフだけど、
嫌々作ってたアニメ辞められて、好きなもの作れる体制を確立した。
 
比べるのはおこがましいけど、
 趣味で働けるように、本業は別。
 趣味は妥協せず、不要は切り捨てる。
 
好きを貫くは、結局、
他人の機嫌はとらない、自分の機嫌は自分でとる。
ま、そういうことなんだな、クオリティを担保する技術は前提にして。
 
 
嫌なとこもあるけど、褒めポイント多し、
褒めたいんだけど、やむなし、
裏腹な二本を観て、捨てる目利き、捨てる技術、捨てる仕組み。
磨こうと思いました。

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