「サマーフィルムにのって」は実写版「映像研には手を出すな!」に文句は野暮。山田玲司のドラえもん映画批判の一般化も同様。

インディーズ系とメジャー系は一緒くたには語れない。
メジャーでもドラえもん映画に不快なら、「クレヨンしんちゃん」観ればいいのに。
無理な一般化で自分の不満を仮託するのは、感心しない。
 
充分な選択肢はあるのだから、
作り手の情熱感じたいなら、情熱の乗った映画を選ばんと。
それはエンタメに限らず、消費者側のリテラシー。
 
 
佐久間P推薦の映画朝イチで観てきました。

 
基本ストーリーは恋愛やSFも追加されてますが↓の実写版。主演は乃木坂の女優さん。

映像研も、本の帯に推薦文を佐久間Pが書いてました。
やはり、
「サマーフィルムにのって」は三人組の女子高生の映画製作の物語。
なので、オマージュ感あります。
特に主演の伊藤万理華は浅草氏っぽく好感でした。
 
アニメ版映像研について、
これだけのクオリティのもの観せられて、文句言うのもアレですが、
二点だけ、不満あります。
 
一つは、アニメ制作の話なので、
特殊な街並みや、3mの実物のロボがあるのなら、
そこは、実写特撮でしょう。アニメじゃもったいないです。
ま、それは個人の勝手な思い入れですが、
 
もう一つは、
エンディングのリテイクについて、もっと脚本の段階で格闘しろよ。
ポンポさん」もそう。
そこだけは、真似て欲しくない。
 
設計図書いてるときの苦悩は苦悩で、ちゃんと描いて、
その上で、納得感ある撮り直しを提示しないと、
ドラマの作り方が安易に見えちゃう。
 
映像研の12話付近の浅草監督の方針転換は、
それは脚本段階で消化しとけよ。と突っ込まざるを得ない。
青春モノにその文句は野暮だなと思いながらも、
お話づくりとしては不満です。
 
 
 
で「サマーフィルムにのって」について。
 キャスティングは特に素晴らしく。
 山口百恵似のビート板ちゃん、涼宮ハルヒの長門的キャラですが、
  ああ、ホントは美人なんだけど、最後までメガネ取らないな。
  とファンになってしまう。
 みんな、丁度いい不器用さ。高校生らしさがいいっす。  
 
 粗いのに、撮影、演出、音楽はそつなく。
 脚本家と監督の組み合わせが伝わってきました。

 不満が無いことも、ないのですが、、

 恋愛の話にする必要あったかなぁ。
 映画に一途な監督と、その監督をリスペクトするファン。
 という関係性のままの方が、お話としては見やすい。
 
 最後の対決のシーンは、敵役のまま、ちゃんと撮りきって欲しかったなぁ。
 そして説明カットは入れないで、
 アクションの長回しのみで、観せて欲しかった。
 
 
 気になったのはそれだけです。
 それ以上の粗さに突っ込むのは、野暮じゃないかな。
 そういうリアリティラインで観る必要性は感じない。
 確かに、
 この映画での映画に対する主張は粗いので、
 どーでもよいと私はスルーしました。
 
 ただし、
 時間移動が自由になると、
 時間の流れに沿って奏でられるコンテンツは成立するのか?
 という疑問は興味深いです。
  時間の無い世界では、過去も未来も同時に起こるので、「メッセージ」とか、
  音楽でもストーリーでも成立しなくなるかも。
  逆に2時間を一瞬で体験できる気もするけど、
  この世界に生まれたからこそ、楽しめてることがある。
 そんな雑念浮かびながら、
 継承とか気にしないでいいから、今を切り取れって、観てました。 
 
 
でもね、
青春映画を青春モノとして観るって視点が欠落した批判は、
ノマドランド」が退屈っていうのに通ずる、消費者としてのリテラシーの低さを感じる。

映画には詳しくても、視点が固定してしまうのは、
視点の転換という脳の柔軟さが欠けてるように感じる。
 
 砂浜にラブレターのシーン「普通は確認しておくでしょ!」
 と竹内氏怒ってますが、
 その普通は、プロの普通なのか、高校生同好会の普通なのか、
 ちゃんと視点切り替わってますかね。
 高校生でも普通と主張するでしょうけど、どうでしょうかね。
 自分の視点でしか観れないのは、脳の硬直化。
 
 「何故上映当日でなく、80日も前に来るのか!」
 と矛盾を指摘してますが、
  戻る時は即時だが、過去に行くときは到達点の精度が低い。
 とでも説明があれば納得しちゃうのでしょうか。
 説明あれば納得し、無ければツッコんで優越感に浸るって、
 大人は説明しないって、利根川も言ってるけど、
 説明されたい病はちょっとオコチャマ。
 SF設定の雑さを批判するのは、そこかなぁ。
  
そういうリアリティが大事な映画か?
そういう意味での完成度の高さを求めるかな、この作品に。
ディティールがちゃんとしてるかどうか、ということとは別の問題。
 
 
   
まそれはさておき、
脳の硬直化別名老化なので、
老害化しないよう、自己認知力鍛えなきゃと、
思う今日このごろです。
 
 
批判の内容への批判はさておき、
粗いけど、作り手の気持ちの乗った青春映画だろうなとは、
チケット買う前に分かるでしょ。
ウェルメイドそうだけど、実際はウェルメイドじゃない。
確かに決闘を撮りきってないので、カタルシスが無い。
そこにモヤモヤするのは分かるけど、自分で言語化しろよ。
 
観る前に買うって、リスクテイクなのだから、
何でも与えられると思ってる社畜根性は捨てなきゃ、
愚かな消費者にならざるを得ない。
 
わざわざ時間とお金払って、不快な思いすることはない。
でも、それにも消費者としてリテラシーがいるんだな。
 
 
これって、もしかして老害じゃね?
って、思ったのは↓、 

大きく二点。その主張は無茶でしょ。というのがある。
・メジャー系の商業映画のスタンスの棲み分け
・ドラえもんで一般化することの嘘
 
 
・メジャー系の商業映画のスタンスの棲み分け
 PLANB制作とか、サーチライトで配給されるのとか、
 インディー目の作品なら、制作側の思い入れ全開でいいけど。
 夏休みのドラえもん映画に同じもの求めるのは消費者側の問題。
 ゼブラーマンでの体験言ってましたけど、
  三池監督やクドカンに問われるのは、プロ意識であって、
  オファーされた作品で、思い入れ全開であれというのは、
  状況と山田玲司の自己投影がズレてる。
 
  映画「ゼブラーマン」の脚本の問題は、無くはないけど。
  2時間の尺で、魅せたいもの優先で構わない。
  そのまま漫画化するのは無理なのは当然だけど。
  だから、やっつけでダメかというと、それは違う。
  観てないが、
  「ゼブラーマン2」がやっつけなのは、そうなのだろうけど、
  観るべき映画は他にあるから困らない。
  
  いろんな作られ方した作品があるってことで、何の問題も無いと思うが。
  それは、実際ゾーニングされているし、多様性の許容でよいよ。
  現に、「サマーフィルムにのって」がこうやって公開されてるのだから。
 
 
・ドラえもんで一般化することの嘘
 ピクサーのように大人も子供も楽しめるようにと川村元気はオファー受けたと、
 そこで、なんで、「クレヨンしんちゃん」に言及が無いのだろう。
 映画の「クレヨンしんちゃん」シリーズは、そういう評価確立してるじゃん。
 それを無視して邦画の体質と一般化するのは、論理的に偽。
 
 実写「進撃の巨人」の反省から「シン・ゴジラ」も生まれたと、
 春日太一は指摘してるけど、
 山田玲司の言ってることが、ステレオタイプの邦画批判に過ぎず、
 その典型例としてのドラえもん映画なのだろうけど、
 「邦画がダメだ」に一般化するのは違う。反例をスルーするご都合。
 それは、脳内で精査しろよ事前に。

 黒澤明の場合は、「」を観た限りでは、
 メジャー系ではゴーサインは出せない。
 それは妥当な判断と見ます。
  趣味の映画で商業ベースには乗らない。
  アート系で単館ならという感じでもない。
  強引な主張に終始し、昔のような脚本の完成度は無い。
  演出もセリフがことごとくダメだし。
 むしろ撮らせないのが、健全な市場。 
  
 
不快なものに遭遇しても、それで一般化してよいのかどうか、
反例が無いのかは、精査はしておきたい。
それを怠るのは老化。
 
 
”晩節を汚す”という表現があるけど、
忘れっぽいとか、そういうことじゃないんだよな。
映画を観るように観客として自分を見れるのか、
脳の老化を意識するようになった。
セロトニンを増やすのって、大事だな。

青春を観せられて、自分の老化が気になってしまった。 
退職間際の属性良い人に、不安を煽る売り方は有効なんだなと、
関係ないけど納得してしまった。

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