ゆるしのワークの途中で、「オトナ帝国の逆襲」見て、 駄目なオトナでいいよって、少し赦せた。

体が凝って、まだ相場おやすみ中ですが、せめて心は解そうと、赦しのワーク中です。
原監督って、パラドックスな構造を意図的に、かつ悟られないように仕掛けて、
本音を潜ませて、それと気づかない観客に感動与えて帰すのすごいね。
まずは、演出が見事で圧倒されます。
 
動画に勧められて、アベマで観たのですが、

有料の方は見てません。映画本編でお腹いっぱいです。

あの映画観て、
「未来を前向きに」、「家族が大事」てスッキリ前向きになれる大衆。
というか、大勢の人達って、やっぱ怖い。
 
それを素直に認めよう。恐れの対象を。
そんな大人じゃない無自覚なオトナにグルりと囲まれ孤立無援だった恐怖を。
同調できない自分をも肯定しよう。
 
過去の恐怖を手放して、
ああ、駄目なオトナでもういいよって、ゆるそう。自分も人も。
 
義務とか責任とか、もう機械にやってもらおう。
機嫌よく、ニコニコ暮らせるなら、それで充分。
 
家族も要らない、ベーシックインカムでいいのに。 
 
 
クレヨンしんちゃんの世界は昭和の延長で、家族というお伽噺。
サザエさん、ちびまる子ちゃんの正当な後継者。

なのに悪役が「三丁目の夕日」の復権って、構図が矛盾してるよね。
 
昭和をデフォルメ的に美化したのが「三丁目の夕日」だけど。
いつも北野監督の「監督バンザイ」思い出します。
 
さくら友蔵さんのモデルは冷酷な人で孫から嫌われていたそうです。
そのままリアル突きつけられてもつらいし、
現実には存在しない画面の向こう側の世界に、
ほのぼのと、心洗われます。私だって。
 
 
で、オトナ帝国には名作と呼ばれるべき、オシャレな演出が二箇所あります。
 
一つがヒロシが記憶取り戻す回想シーン。
 昭和ですよね。
 高校までの田舎の風景も、
 就職で上野駅に降り立ち、
 上司が怒ったり、同僚と居酒屋行く職場、
 郊外に住宅ローンで一軒家、終身雇用信じてるのかな。
 妻と子の四人、ペットも飼って仲良く暮らしている、

コロナ後の令和の視点で見ると絵に描いたような古き良き時代。
主人公の父親は敵に向かって「家族ファースト」という価値観を提示するけれど、
それって敵の昭和復権の理念そのもので、対立構造は成り立たない。

父性が存在する家庭なんて、理想化された昭和。
クレヨンしんちゃんの世界はサザエさんの地続きの後継者であり、
過去と現在を比べて、「粗大ゴミだ」との罵倒のいわれはない。

 
もう一つは、クライマックスの階段登るシーン。
 敵はエレベータを登る。幼稚園児は螺旋階段を登る。
 普通なら、大人の階段のメタファーのハズだが、一筋縄で行かない。
 らせんを登ってるのか、
 エッシャーのだまし絵のように同じところをグルグルなのか分からない。
 幼児は少年に青年になるのではなく、最後はクレヨン描きで現実と遠ざかる絵空事。
 そうか、君は齢をとらないんだ。
 作者や演者は死んでゆくけど。永遠に幼稚園児のままなんだ。。

 しんちゃんは「大人になりたい、きれいなネーチャンと沢山付き合いたい」と訴える。
 そんな肉食な子供ばかりなら、少子高齢化の不安もない。
 年金破綻も赤字国債も吹き飛ばすだろう。頼もしい限りである。
 でも、君は永遠に幼稚園児のままだ。

 家路につくラストの曲が「人間なんてラララララ」じゃなくて、
 今日まで生きてきたように明日を生きるそうだ。
 だって、アニメの世界では同じ世界が永遠に続くのだもの。

 
現実は、
東京オリンピックが延期になるなんて去年は想像出来なかった今を生きてる。 
過去には想像出来なかった不連続な現在。

現実が過去の正当な後継者なら、復古は要らないと。
敵役は敗れてゆくけど。
 
家族、特に父親を信じてない失楽園カップルの方が現代だ。
集団から個に向かうのが時代の流れだし。
「家族も大人の責任も要らない」じゃないとアンチテーゼは無理だよ。
 
知恵の実を食べた方が、
家族神話も、右肩上がりの経済が与えた安心も、 
幻想だったことに気づく側。
ああ、画面の向こう側の現実を生きなくちゃ。
 
 
芸って凄いな。
 幻想に浸りたい人にも、
 虚構のその嘘は辛すぎる人にも、
堪能させて帰す。

例えば「半沢直樹」一話目観て、
 そんなオンリーワンの技術あるなら日本電産か外資に買収されてるし、
 信金が見捨てたの天下の三菱銀行が救うかよ、
って、嘘が辛すぎて楽しめないけど、

クレしんは、そんな大衆迎合とは一線を画す。

ああ、
頼り甲斐のないオトナに頼らざるを得なかった子供時代もゆるそう。
駄目でも、未来はもう心配ないから、
産業時代の延長に未来はないから、もう大丈夫。

信用出来ない人と仲良くしなくても、もう大丈夫。
ソーシャルディスタンスの時代だ。
疎が尊い時代だもの。無機な伝達で充分だ。
 
もういいよ、属さなくて。

上機嫌なだけでいればそれだけで充分。
  
 
ベーシックインカムで労働はAIに。
オトナを大人から解放します。
 
家族は解散してもいい。子供だって本気出せばオトナくらい出来ます。
障壁は経済的自由だけ。
人間はアナログな記憶の蓄積から自由なら、精神は三歳児のまま。

って、敵だったら良かったのに。
楽しそうなら、勝てたのに。

僕は感動できるほど、残酷な未来に否定的ではないけれど、
 オシャレで大変手間の掛かった演出と、
 アニメの世界観の批評も前提とした構造のフラクタルに、
圧倒されました。

能力不足でもゆるそうよ、てかそれはオレの課題じゃないし。

あ、
ゆるしとは、
 過去への執着を手放すことで、
 悪行に寛容になることではないので、

理性で現実的対応は選択しなくちゃ。
ゆるして、縁を切るが適切だなぁ。
 
 
 
岡田斗司夫の動画を久しぶりに見たのは、悩み相談思い出して。

「父が嫌い」にあるように、
相談者が気づいていない構図を相談者からの限られた情報で提示する文章は鮮やか。
 
これなんか推理小説みたい。
悩みのるつぼ【 好きと言われて苦しい】
http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51552172.html

「るつぼ」の種類は分類出来て、
 1.問題のアングル(構図)が当てはまらない、原因と結果が結びついていない。
 2.今を生きていない。過去に執着する、未来を不安に思う。
 3.課題の分離が出来てない。それアンタの悩みじゃない。

るつぼ化した悩みを合理的に解きほぐしてゆくアプローチ。かく在りたいと思う。
 
 
 
悩み相談思い出したのは、ジェーン・スーのツイート見かけて。


cakesのその回はもう、有料だ。
かいつまんで言えば、
 
 美化した過去の恋愛を語るのは虚構。
 目的は相談者(妻)の関心を惹くため。子供みたいな旦那。
 パートナーになかなか深刻な幼児性を持つ男を選んだ現実を提示して、
 場合によっては離婚も視野にこれからをアドバイス。

他の相談も有料で読んでみた。

著者は不治の病のカメラマン。余命を息子の父親たらんと奮戦中。
どうりで、アングルの切り取り方が上手い訳だ。
  
 
ご多分に漏れず、毒親関係多いですね。読んでてしんどい。
 それ関係ないし、
 それ今じゃないし、
 それアンタのじゃないし、
多いっす。
 
なんで、父親の名前って、みんなヒロシなんだろう。
(うちは違ったけど)
 
がんばってね。とは思うけど、
自分だったら正直しんどい。
 
出来ない約束はしたくない。
負えない責任は負いたくない。
 

本音を言えば、
未来が永遠に来ないとか、限定されるとか、
何か条件がないと、
 
予測不能が永遠に続くかもしれないだと、無限責任は無理。
 
有限責任を有限たらしめるような世界はしばらく来ないようだし、
この世界でちゃんとした大人を求めるのは辞めよう。
自分もひともゆるそう。
 
過去はもう今じゃないのだから、
楽しく存在給を受け取ろう。
 

カテゴリー: コミュニティ, ライフスタイル, 未来・天国編, 評価経済 パーマリンク

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