義務、権利の区別出来できる人になろう。と意識しましたのでメモ。
それら区別が苦手な人と、意図的に混同させようとする人が、
この国には居る。みたい。
アベンジャーズは正義を謳ってないよね。
秀吉の時代に刀狩り、令和の時代に憲法9条をおしいただく、
そんな国の感覚とは、そもそも違う概念があるのに。
開催地には開催の義務があり、中止の権限が無いこと無視するが如く、
そこは混同しちゃいけないね。
報復が善(正義)だとは言ってない。
ただ自警の権利を自認し、それを行使してるだけ。
と、前回に続き、マーベル成長期の物語観てた。
そんな今日このごろ、
小池都知事とニ階幹事長会談したので、五輪中止も濃厚に見えます。
賠償金払わなくていいと煽るのは信用しません。
ちょっとヤバい人たち。
都とIOCの契約に違約金規定なし 五輪中止損害賠償は保険でカバー可能
なんだ、違約金、払わなくていいんじゃん。https://t.co/HcIDBrlfxU
— 町山智浩 (@TomoMachi) May 14, 2021
事実
「IOCの裁量で大会を中止できる」
「放映権収入がなくなったIOCが損害賠償の民事訴訟を起こす可能性がある」
憶測(意見)
「IOCも受け入れざるを得ないはずだ。」
「保険をかけていると見られる。」
私も中止した方がいい派ですが、賠償金は覚悟する前提。
賠償金払わなくていいからと、声高に叫ぶのは、
権限と義務の関係を願望で無視し、
事実と意見の区別が出来ないことを利用してます。
結果がどうあれ、このやり口は汚いと思いますが、
情弱が罪。
権限と義務の関係を誤魔化すのは、空気の支配の国では容易か。
日本という国の意思決定の、そのありかたも含め、現実受容する所存です。
リスクコントールに興味ある人は、賠償金も織り込みます。
投資家としては、このあと、
買うべき勇気を試されることでしょう。
よき準備をして、自分ごととして、臨みます。
MCU続けて観てた、ときにツイッター眺めて、連想しましたが、
それはさておき、
日本にとっての3.11がアメリカにとっての9.11ですよね。
喪失から再生に至る、10年スパンのプロセスで、
日本では「あまちゃん」、「シン・ゴジラ」、「君の名は」が大ヒット。
片や、
9.11から再生の時期にアベンジャーズがシリーズ化し、さらに10年越しの大団円。
規模の差こそあれ、人間という存在への感慨は深い。
答えの無い問題には答えが無いが、それでも人生は続き。
団結は希望だと思いながら、意思決定は常に迫られます。
ディズニーCEOボブ・アイガー時代の成長記として観ると、
能力活かす環境整備し、団結すれば無敵。
独占とイノベーションで大きな実現、と人員整理。
と解釈出来るのですが、
最後は9.11からの再生を、意識せざるを得ない作りでした。
MCUのフェイズ3までの決着、膨大な時間泥棒だけど、面白いと評判で、
エンドゲームまで観てみました。
私は、
「アイアンマン1」
(「スパイダーマン ホームカミング」)
「アベンジャーズ1」
「キャプテンアメリカ シビルウォー」
「ガーディアンズオブギャラクシー1」
「マイティソー バトルロワイヤル」
「アベンジャーズ インフィニティウォー」
「アベンジャーズ エンドゲーム」
の順。
スパイダーマンは観なくても、
キャプテンアメリカのバックボーンは知識として入れておけば、
細かい設定は分からなくても、充分楽しめました。
分からないことは、分からない。それで良し。
3.11視点でシン・ゴジラ観るように、
9.11からの、自警団のストーリーを鑑賞しました。
作品で設定理解するよりも、重要と思えるのは、自警の概念ですよね。
アメリカ合衆国への理解。
建国の理念と銃
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49557?page=2
合衆国憲法修正第2条の規定は、“A well regulated Militia, being necessary to the security of a free state, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed” である。
これを部分的に日本語に訳せば、「規律ある民兵は、自由なstateの安全にとって必要であるから、人民が武器を保蔵しまた携帯する権利は侵してはならない」となる。
共和党寄りの主張ではありますが、建国の基本的な理念で、
そこに9.11で始めてといえる本土攻撃。
ウルトラマンが米軍の比喩な日本とは事情が違う。
そこは抑えんと。
建国者たちの基本哲学とされた共和主義は、各人が私益よりも共通善、全体の福祉を追求することを重視する考え方であり、そのための前提として、市民が公徳心を持つことが重要だとされた。
まさにキャプテン・アメリカの保守で、現実的な取りまとめ役アイアンマンと対立。
ハリウッドなので多様性重視のリベラルっぽいのですが、
マーベルにディズニーを被せている。
基本構造は、アメリカの保守本流の現代の葛藤を描きます。
ただ、
反米側の心情をやり過ぎると娯楽として楽しめなくなってしまう、
ので、多くの敵は記号。
でもね、
どんだけ武力あってビンラディンを処刑しても、
テロの恐怖は無くならない。
安心への答えはなく、団結に希望を見出すのみ。
報復の武力行使は自警の権利と見ている。
善悪で語ってないし、嘘の答えにすがってないし、
DCはジャスティス(正義)でも、こちらはアベンジ(報復)。
ああ、誠実に作ってんだな。と感動出来るのはそのためでしょうか。
食わず嫌いでしたかね。
長いのは映画館では苦手ですし、信者じゃないのですが、
スティーブ・ジョブズからディズニー追っかけて良かったな。
と、内部の対立構造は理解した。シビルウォーまでは前回観て、
最後はラスボス出すだろうし、
その彼には地球外から最強に侵略しに来てもらうしかない。
そのための設定として、以下の関係性は用意しておく必要があるよね。
ガーディアンズオブギャラクシー(宇宙)
|
マイティソー(橋渡し)
|
アベンジャーズ(地球)
逆算しつつ、ケビン・ファイギは映画単体の制作順決めてる。
実に巧みですね。
批評としては、宇多丸さんに概ね同意。
ジェームズ・ガン監督の演出がオシャレ。
絵がカラフルで美しい。
音楽の使い方がクール。
特にオープニング、
スピルバーグ? リドリー・スコット?と見せかけて、フラッシュ・ゴードンか?
陽気でポップなノリ。深刻ぶったスペースオペラの潮流を変える。
現代の技術で無理ないキャラ立ち。
原作からも見捨てられた、はみ出しキャラを独自に再構成。
マーベルシステムが機能。
監督の抜擢と、フレキシブルな台本が、
ギャグの手数を効果的に増やしてる。
因みに、
パルムッターの影響下にまだあり、
曲の権利にお金払うの嫌で口出してたそうです。
うーん、もう経営が時節にマッチしてない。
それはさておき、
私はそこまで、絶賛でないのは、敵が記号。
やっぱ、寄せ集めが団結すれば勝ちで、
一作目だし、ディズニーの勝利は無敵だし、
やむなしではあるのですが、
周辺の団体の描写量が多い割に、敵キャラが薄い。
どうしても物足りない。
ま、
私ワンピース嫌いが災いしてます。
スターウォーズもそんな好きじゃない。
そんなバイアス補正すれば、
新たなスペースオペラの王道と楽しめる。はず。
マイティ・ソーは宇宙と地球の橋渡し役なので、
ユニバース的にも重要なキャラ。
なのに、2作作ってもイマイチぱっとしない。
そこでテコ入れ。方針も大きく転換。
タイカ・ウィティティ監督の抜擢。明るい色調に変わります。
オールブラックスで有名なマオリ族の血を引き、
闘技場の面々は、色彩豊かで、部族のお面みたい。
ソーだけでなく、扱いの難しかったハルクも再生してます。
目論見が大成功してるので、私は楽しみました。
お話としては、
インフィニティ・ウォーに繋げる位置づけなので、
決戦が中途半端ですが、
ハルマゲドン的なエンドはアベンジャーズで満たせばよし。
と割り切りました。
ああ、成長期っていいな。
上手くゆかなかったときに、柔軟に方針転換できる。
そうじゃない組織でストレスいっぱい溜めてきた記憶があるので、
快感でしたね。
ロキのキャラが深刻そうで神話本来の魅力を損なっていると、前回書きました。
本来のトリックスターに回帰して良かったですよ。
そうしないと、神話の物語は死んでしまう。
シリアス路線でやるには、
まだ現代の技術ではリアリティラインが足りない。
日本の戦隊ものの悪役とあんま変わらない。
普段の衣食住とか、フォーマルの服装とか、政治や経済。
異星人のそれが、現実味なくて、
普段からゴムみたいな服着てんの? ムレない?
って、演技に白けてしまう。
悪が記号なの相変わらずだし。感情移入できない。
それをコミカルな展開が救ってます。
出来るだけ悪役のシリアスなセリフは止めた方がいい。
無味乾燥になりガチなソーのキャラが、
進撃のライナーみたいな。
ゴツいのに天然いじられキャラで、いつも悲惨な目に会う。
愛すべきキャラを確立出来たのはなにより大きい。
ユニバースの物語としては、これで一安心。
あと、タイトルで物議醸してましたけど、
ラグナロクがバトルロワイヤルに改変されたことには文句言うが、
内容がラグナロクやってないことは気にしない。
そのバランスってどうでしょう?
ラグナロクは神族と巨人族との最終決戦。
からの全滅エンド。
当然、失楽園とかデビルマンとかを期待するのに、
ラグナロクより親しみやすく、
コミカルさも伝えるバトルロワイヤル。
でもなくて、
中途半端な王位継承権争いでした。
しかも、
主人公が真っ向勝負してない。
そっちの方が、問題じゃないのか。
邦題と原題よりも、
原題と内容の落差の方が問題じゃないの?
信者な方の判断基準が分かりません。
思考に公平さ感じないので、信者は嫌いです。
私は進撃の巨人越しに北欧神話眺めて、
北欧神話越しにマイティ・ソー眺めてます。
ソーの原作は知りませんが、
そもそも主題であるべき北欧神話から逃げてるところに、
ソーが迷走する原因があると見ます。
最初から、
コミカルでも巨人大戦やる選択肢もあったと思うのですけどね。
原作は知りませんが。
ヤル気ないのに、1作目で、
シェイクスピアもので定評のケネス・ブラナー監督使ったのが、
間違いのもとではないでしょうか。
そんな訳で、敵は巨人族ではなく、対立構造は生み出せてません。
テコ入れした3作目でも、悪役はやっぱ記号ですね。
ロキが巨人族に通じて揉め事起こす話に出来なかったかなせめて。
ケイト・ブランシェットの演技と美貌は素晴らしいですが、、
死を悪役にしたという以上の理由はなく。
歴史改変が政治的メッセージというには浅く、
王位継承権の道具として使っただけとの印象です。
進撃の巨人読んだ後では、随分と軽い。
ケイト・ブランシェットの悪役ヘラは、
ギリシャ神話の女神と同名で紛らわしいですが、
北欧神話の死者を冥界にいざなう女神ヘルのことですね。
語源は地獄(Hell)と同様。
英霊からさらに英雄の魂を目利きするのがヴァルキリーで、
一般人担当がヘルなので、
隣の部署くらいのもんですが、正邪に分かれて描かれます。
因みに、
エンドゲームのラスボスのサノスはギリシャ神話のタナトスのこと。
役職は北欧神話のヘルと同じ。本来は別にムキムキマッチョでもない。
死=悪 というのも、なんだかな。
個人的不満をまとめると、
折角在る対立構造を何故、骨抜きにする?
何故、第一作目から北欧神話ヤル気ない?
最初から準備しないと、端から巨人大戦というクライマックは無理。
神話に忠実ならもっと面白かったはず。
アベンジャーズに遠慮して最終決戦やれないなら、
ラグナロク名乗って欲しくない。
むしろバトルロワイヤルの方がマシ。
つーか、
バトルロワイヤルでもないので、王位争奪戦が妥当。
それもプロットとしては安易に感じる。
死=悪 も安易すぎ。
とはいえ、
路線転換は面白く、
キャラ立ちにも成功して、橋渡し役に見通し立つ。
難民船というシナリオから、インフィニティ・ウォーに繋ぐ。
マーベルの目論見は成功しました。
大掛かりなプロジェクトで、方針転換はそれ自体凄いこと。
これが出来くなると組織は成長期を終えて、衰退期に向かう。
いやー、凄いですね。これをやるのか!
今までの不満を解消するシナリオでした。
制作陣も悪役が弱いと散々言われて、
ストレス溜まってたのでしょうね。
すべてを終わらせる前に、やっておきたいことがある。
最終決戦のエンドゲームの前フリという位置づけを利用して、
思っきしストレス解消。
いやー、清々しい。
自警団の権利行使と、団結すればハッピーエンドという縛りでは、
トロッコ問題のように善悪で片付けられず、責任を伴う意思決定は相性が悪い。
より高次の視点で問題提起されると、自警団では扱えない。
とはいえ、
娯楽作でユニバースのバランス考えると、
アメリカを憎むガチの対立を持ち込んでは、深刻過ぎる。
逆に今どきISをステレオタイプに描くのも怒られそう。
でも、
もうすぐ終わるから、
ここで、宇宙規模のラスボス出して、出来る限りのとやったろ。
と思い立って、それをやりきった制作陣に拍手です。
ラスボスは宇宙全体の調和という高次の視点を持つ。
「まどかマギカ」だと、エントロピー増大、熱的な死を扱ってましたが、
本作では、マルサスの人口問題。
進撃のエレンのように、人類を半減させることで目標達成です。
戦え、戦え。
なので、死の神であるタナトスを選んで正解でもあり、
歴史上、人類を半減させて来たのは、疫病なので、
ロックダウンで、テーマパークは元より、映画館すら閉鎖ですから、
死の神は疫病のメタファーでディズニーの本当の敵。
という意味でも、とても座りがいい。
と感心してました。
惑星内で閉じてるから関係ないという反論も見かけたのですが、
なに観てんだろ?
その反論を封じるために、
オープニングでソーの難民船が前作からの継続で登場し、
ラスポスに難民は惨殺されまくります。
難民の側は希望もって地球に向かいますが、
押し寄せられる地球はどうでしょう。
イラクやシリアが崩壊して、ヨーロッパと同様、
押し寄せられる側はそんなに、嬉しくはない。
そりゃ人道的には助けるでしょうけど、
難民が他の星に押し寄せる時点で、惑星で閉じてない。
宇宙規模でこの問題起こると引っ張ったの上手い。
地球組アベンジャーズには当然そんな視点は無く、
宇宙組ガーディアンズも考えて無い。
皆自分の身の回りのことで精一杯です。
そしてファーストコンタクト、
繋ぎ組であるハルクとソーの使い方、上手ですよ。
ラスボスの絶望的な強さ見せつけて。
強さの差の理由に不満な意見も見かけたのですが、
なに観てんだろ?
格闘家と力自慢の試合が描かれます。
昔K-1で見た、アーネスト・ホーストvsボブ・サップみたい、
パワー任せの大振りを躱して、がら空きのボディにカウンター。
パワーは同程度なら、メイウェザーのような技術持つ方が強い。
ラスボスが格闘術習得する若き日は、省略してよいよ。
そこまで説明されなきゃ分からないのは、見る側の問題だよ。
ともかく、
個人でも強く、率いる軍団も強い。
さらに、高次の視点で公平に生命を半減させ、
とりあえず宇宙に均衡を取り戻すことを目指しています。
マイティ・ソーの映画を引き継いで、完璧な滑り出し。
繋ぎ組は宇宙組と合流し、
宇宙組は二手に分かれる。
地球組はニューヨークの3名だけ宇宙に引っ張られる。
それ以外の地球組は集結。
それから、
地球と宇宙でそれぞれ混成チームが編成されますが、
寄せ集めチームの悲しさ、統制の差が出て負けます。
ラスボスの目標達成には、
ドラゴンボールみたいに石を集めるのですが、
その過程で、ヒーロー・ヒロイン達は負け続けます。
アクションシーンは流石のルッソ兄弟監督で、
それぞれに見せ場作りながら、サービス満点です。
いい負けっぷり、コテンパンです。
自警団の限界を見せつけます。
途中、ラスボスが愛情持った人格とも描かれます。
個人的には、
責任ある意思決定を、感情の有無とかで善悪に分類するのは、
精神年齢の低い邪道な行為と思いますけど、
自分が経営者で、従業員解雇せざるを得ない立場とか、想像力無いのかな。
増えすぎたエゾシカとか、外来種は殺すとか、
動物の間引きを人類は自分の都合で平気でやるくせに、
傲慢だから悪という視点は、子供だまし過ぎ。
むしろ逆に、疫病は自然の生産調整かとも思ってしまう。
閑話休題。
制作側は意図的に、分かる人にだけ分かるように、
延々とトロッコ問題やってます。
そして程よく、感情移入させすぎない程度に、
悪役側の大義を観客に納得させます。
そのバランスは絶妙。
自警団の権利行使では、世界の問題は何も解決しない。
武力による破壊行為くらいしか実際出来ないんだもん。
反対は分かったから、対案出してくれ。
足引っ張るだけじゃ投票の対象にならない。
と、
皆が判断してしまっては、
ヒーロー・ヒロイン達の立つ瀬がない。
そこまでやっちゃうと物語が成立しない。
敗者の視点に感情の導線は引っ張ります。
ですが、
最後はラスボスが目標達成してご満悦のバッドエンド。
ケビン・ファイギ以下制作陣のしてやったりが目に浮かびます。
最終決戦の前編としての意味も持ちつつ、
今までやることが許されなかったことを、千載一遇の機会に達成。
最後は卒業式だし、ここしかチャンスがない。
観てる私としても、MCUでストレス感じる部分、
一気に解消してくれて、カタルシス半端ないっす。
この映画で、庵野秀明は卒業式のやり方学んだな。
何を無視してもいいのか、明確に選んでます。
・やり残したことはやっとく。
・整合性は無視していい、卒業式に魅せたいシーン優先。
・スムーズに繋がってなくていい。
・卒業式として、ファンを送り出す。
シン・エヴァのプロローグはパリでしたが、ここでは、
目的達成後は隠居して土いじりしてる無抵抗な老人にアベンジ。
だから、武力で報復しても、何も解決しないんだって。
圧倒的な敗北感から始まります。
次のパート。
第三村では、
ミニュチュアやモーションキャプチャーから画を起こしてました。
最後のアニメ作品で、やり残してたことは写実主義の徹底。
これに該当するのは、名優たちの演技です。
こんな豪華なメンツを揃えておいても、
作品の性質上、アクションや映像技術による表現がメイン。
最後くらいは、芝居も堪能したい。
このパートの心憎いとこ、
9.11からの喪失と再生をモチーフにしながら、
名優達にそれぞれ演技をたっぷりと、尺取ります。
これもまた、成仏のポイントですね。
それから、アクションと卒業式パート。
私にとって、シン・エヴァでは興味持てなかったパートですが、
それは一度ちゃんと完結してるからで、
アベンジャーズにとっては、最初の完結。
ここでは、
量子世界でも、マイナス宇宙でも、領域展開でも、
理由は何でもいいです。
設定なんて、さじ加減一つの後付ですから。なんでもアリアリですよ。
やっぱり巧みなのは、
オーシャンズ11みたいな泥棒団としての物語成立させながら、
過去作の場面に出向き、キャラの成仏させてゆくお話の運び。
奇しくも、シン・エヴァ同様に、父と息子の和解やってますね。
役者本人の人生もダブります。
10年間まとめ役としてMCUを支えた屋台骨の見事な成仏でした。
戦闘シーンはサービスですので、各々見せ場作ればそれでいい。
この辺の手際は相変わらず、卓越してますね。
エヴァのときと同じくあんまり興味なく眺めてました。
もう悪役も記号でです。それでいいです。
鋼鉄の男が意志を貫徹して、いい終わり方じゃないですか。
さようなら、すべてのエヴァンゲリオンはこうやるんだと、
きっと学んだと想像してます。
エピローグは宇部新川駅ですが、
ロバート・ダウニーJrのお葬式。
お別れの儀式。合掌。
自警団の理念に生きるキャプテンには、
個人の幸せを優先する世界線を生きさせてあげる。
ハルクが人格再統合するのも、幸せで良かったね。
経験ないけど、二重人格は大変そう。
徐々に知能を獲得してくハルクが、ただの凶暴さから脱して、
自分ばかり痛い目に会うの拒否するのは、
そりゃ、そうだよと観てました。
暴れっぷりが観たい信者には不評でも、
そこで幸せな人格統合で、納得してました。
単体映画で、人格統合に至るプロセスもおもしろそうです。
マイティ・ソーは折角キャラ立ちしたので、
まだスペース・オペラで陽気に活躍。
現役感バリバリの人たちは、続きそうだし、
ハリウッドらしく定番の家族で終わるのも、
ここでは良しでしょう。
全編通して、不満なのは真田広之くらい、
ブラック・レインやるなら、
アウトレイジな悪役使って欲しかったな。
自警団は結局、報復して、守るべきを守りましたが、
問題解決とは関係がないけど、それは最初から言わない約束。
私はとても好感持ちました。
答えの無い問題に対して、無理に答えを提示するのも、
誠実ではないし。義務教育でもない。
無事卒業式やりきれば、それで良しですね。
最近のMCUは映像が標準で凄いので
何が凄いのか、普通なのか感覚麻痺しました。
マーベルは音楽の使い方、安定して上手いです。
こうやって風呂敷畳めたのですから、シナリオに文句はありません。
こんだけ登場人物多いので、観るだけでも、整理大変です。
なので、物語の構造に沿って、感想挟みました。
正直、単体映画として評価出来るものか分かりません。
とりあえず、分かったのは、
全部通して俯瞰すると、これは映画史上の偉業です。
一昔前、
「踊るマハラジャ」のようにはハリウッドは作れない、
人件費が高騰して、もう「ベン・ハー」のような大作は無理と。
失敗を恐れて、パート2の企画ばかりのハリウッドと言われた時代も。
それが、意外にもスティーブ・ジョブズをキッカケに、
ディズニーによる様々な才能とイノベーションの統合。
そして、グローバルで多層的なビジネスモデル。
これにより、
巨大な資本での大作が可能になり、MCU構想として結実。
今だからこそ、配信で手軽に、
長いのは休憩しつつ、体験できて良かった。
「このままゆくと、、」という人間の予想はだいたいハズレますね。
オリンピックは中止かもしれませんし、
賠償金では揉めるでしょう。
人智を超えた、大きな力が働いているような気もします。
こんな時代に日本で引きこもり、
それでも、悪いことばかりじゃない。
不思議と新たなる希望を感じて生きております。