「揺さぶられる正義」熱意だけのテレビ屋さんの演出・編集を映画館で観る苦痛。

予告編↓が面白そうだったので、

ポレポレのサービスデーにかこつけ観に行ってしまった。
 
 《開演》
 
 
 
 
大失敗。
映像コンテンツとして素人以下。
内容以前に、鑑賞料を頂く作品ではない。
サブスクでも無理。
学生の自主製作でも数段上手だろう。

映画館に閉じ込められている時間が苦痛。
列の両端が埋まり、途中退出に失敗し、
エンドロールまで観てしまった。

酔いを誘発する映像と音響に、
 疲労と不快しか残りません。
 嘔吐や下痢など、軽く体調にも悪影響出ました。
 
 
記者は取材が出来るだけ。それも怪しいが、(後述)
監督業を舐めている。
 
TV業界が斜陽とはいえ、
局の制作は関与しないのか?
カンテレは、
このクオリティで自社のクレジットを許すんだ。。
制作素人に監督させてしまう様子。

もはや、作り手には、 
 視聴者にどう伝えるべきか?
などと考える力は無い。
ただ、自分の想いをぶち撒けるだけで精一杯。 
 

テーマと内容は後述として、最初に言いたいのは、 
 
演出と編集は、論外だということ。
 
 煽りの劇伴ばかりで工夫は無い、 
 編集は切り取りばかり、インタビューを真面目に流さない。
 アップで見切れ、ブレブレの映像。

感情を扇動しようとする演出には、
TV界に蔓延する根深い問題も在ります。
が、 
それ以前に出来が不細工で、稚拙過ぎ。
志を買おうにも擁護できない。映像も音楽もゴミです。

 
あの映像なら、
 スマフォで記者が撮れよ、1人居れば充分。
 帯同するカメラは、
 フレームを揺らしながら、ズームを繰り返し、
 表情まかり無駄に欲がる。それしか撮り方を知らない。
 機材の問題ではなく、俯瞰ショットを撮る能力は無い。
俯瞰で物事を眺めるための認知能力からして欠落している。

音楽は、付けない方がマシ。
 安いワンパターンの劇伴は、
 判決の前後では必ず不安を煽ろうと、
 ドンドンうるさい音を鳴らすだけ。
 機械的で簡単なお仕事。
ドキュメンタリーだからと甘えてる。根本がズレている。 
 
監督に、演出意図を考えるだけの能力が無いため、
編集は、
 書類は見切れて移すだけ、インタビューは数行の切り取り。
 数十秒のインサートで充分な、情報量の無いシーンを長回し、
 (ex 弁護団が裁判所向かう。被疑者が家でペットと戯れる。etc)
 印象操作に終始。
  ロジカルに裁判の争点整理はしない。
  医学的な根拠と、法的な問題点を自分で説明しない。
 TVの安い手段を見よう見真似で、なぞる。
 それしか出来ない。 
 
 
 
演出の問題を抜いても、
ドキュメンタリーとして評価出来ない。
 中立性や客観性を維持しようという視点が無い。
 TVは社員にジャーナリズムを教育しない。
 ”どちらの正義に付くか”という視聴率的な思考しか出来ない。
 
 折角、裁判にも関わる専門医にインタビューしたのだから、
 仕事を残せばよいのにと思う。そのまま流す尺は有る。
 作り手は、自分達の作品に資料的価値すら与えようとはしない。
 医師も、
  最初はインタビューに対応しても、
  使われないなら応じる甲斐が無い。と次は知る。

 TVはだた消費されるものと習うのか、
 素材を切り取らないと生きて行けないらしく、
 ノーカットで流す配信が、会見の中心になるのは当然。
 
 
 
テーマは、
”揺さぶられっこ症候群”のWiki記事も読んで理解。
 病例
  乳幼児が、激しく揺さぶられると、
  脳内に出血を起こし死に至ることがある。
 
 刑事事件へ
  検死で、乳幼児に脳内出血が認められた際、
  殴打等の外傷が無くとも、虐待の可能性が疑われ、
  保護者が逮捕、勾留、起訴されるケースもある。

 医学的見解
  医師によっては、
   乳幼児の死因が脳内出血に基づくものであっても、
   それが虐待の証拠とまでは断定できない。
  との主張も有る。

 判例
  医学的見解も変化し、
  虐待を問われ、一旦有罪となったケースも、近年は逆転無罪が続く。
 
 
作品内では、
 被告の弁護士に密着するが、活動の様子を移すだけ。
 争点を整理して、観客に示す努力を怠る。
 例えば、
  静脈血栓という単語は出てくるが、
  虐待以外の死因の可能性を探っているとの説明が無い。

  コレステロール値の高い成人が、
  脳内出血を起こす。この際、外的な衝撃は関係無い。
  これは想像が出来る。
  同様に、
  乳幼児であっても、
  血管が詰まり、死に至るケースが有る。

 どうやら弁護団は、 
 反例を示すことで、虐待の根拠を崩そうと試みている様子。
 が、
 なぜか、作中には、医学の専門家による説明が無い。
 
  
監督兼記者は、
 自分が正義と判定した方に寄り添う。
 冤罪と思しき、苦しみを受けた家族に、
 情緒たっぷりに同情する。
が、
 ジャーナリズムとして、役を果たそうとの意識は希薄。
 
 
感情を揺さぶろうとするだけなら、
フィクションと同列の勝負。
なら、この出来では評価できない。
 
ジャーナリズムに基づくドキュメンタリーだと言うなら、
真面目に作れよ。
安く感情を煽らず、客観に徹しろ、
せめて、その努力はしろ。
 
その努力すら怠るなら、
”知る権利”に基づくカンテレの特権を、
私は日本国民として認めない。電波はオークションでいいよ。 
これなら、youtubeで充分に機能するよ。  
 
 
 
滅ぶべくして、オールドメディアは滅ぶ。
かつて栄華を誇った者の黄昏時を知る。 

蛍の光。お元気で。
 
 
 
2025.10.17 15:30現在
 そろそろ下落するものと思う。
 来週、買えるような場面がくるかなぁ。もう少し先か。

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