お詫びと訂正。
前回は、
「ベルリン・天使の詩」が当時、大変話題になったのに、
日比谷シャンテの単館公開だったことに触れました。
それは当然でしたね。全う至極。
逆に、退屈とは何かを思い出しました。
【ミニシアター系のサブスク】ザ・シネマメンバーズで、
ヴェンダースの4作品配信を知り、
早速観てみました。
パソコンの外部接続ディスプレイの方式によっては映らないことあり、
残念ながら小さな画面で観ました。
クロエ・ジャオはアカデミー賞も獲り、次回作がMCUの「エターナルズ」。
それだけ注目を浴びる理由があって、公開規模も拡大し、
本来なら観ないような人達も、見にゆくことになった。
そういえば、同じサーチライト制作で、
マクドーマンドの前作「スリー・ビルボード」だって、
シネ・リーブルで観てたもの。
コロナ前は、折角東京に居るのだし、
積極的に単館上映の作品観るようにしてました。
クロエ・ジャオでヴェンダース触発された理由。
「ノマドランド」のロードムービー感がヴェンダースっぽいと言う人あり。
他にも、
「エターナルズ」の設定は守護天使。
創造主と人間と、敵役に悪魔。エターナルズは堕天もする。
創造主は最後の審判をも行う。らしい。
個人的には、洗脳で対立軸作るのは勘弁して欲しい。安易過ぎ。
ともかくも、
堕天もので「ベルリン・天使の詩」思い出しました。
風景の撮り方は、
初期三部作(未見)のヨーロッパの街並みよりも、
テキサスやオーストラリアの荒涼たる大自然ではないか。
主人公は家族という選択をせず、独り車を走らせる。
このエンディングが似てなくもない。
良いきっかけなので、
観ることが出来るものなら、観ておこうと、
ザ・シネマメンバーズ加入してみました。
そして、ちょっとおさらいしてみました。
ストーリーは軽視のジャズみたいな作家性。
「パリ・テキサス」は一旦おいて、
「ベルリン・天使の詩」「夢の涯てまでも」を順に観ると。
この監督、
ストーリーテリングは苦手、というか重視していない。
演出もジャズみたい。即興性も重視している。
ナイツ塙が、
大阪漫才はロック、ナイツはテクノ、オードリーはジャズ、
と言ったときの、ジャズ。
フリー・ジャズみたいに、メロディをあまり重視しない。
だから、ロードムービー以外で評価高いのはほぼ、
ドキュメンタリーばかり。
どうやら、作り物のドラマはあまり信じていない。
役者さん使って、その場で起こること。を重視してる。みたい。
近年のフィクションでは、ストーリーでは上手くない。
との評価が続いてる様子。
ベルリンの壁崩壊以降はテーマ喪失か。
1984年 「パリ・テキサス」
1985年 ペレストロイカ開始
1986年 チェルノブイリ事故
1987年 「ベルリン・天使の詩」
1989年 ベルリンの壁崩壊
1990年 東西ドイツ統一
1991年 「夢の涯てまでも」
分断、直接触れ合うことが出来ない、
というテーマは、
「ベルリン・天使の詩」のみならず、「パリ・テキサス」でも、
中心に描かれます。
ところが、その後、
ベルリンの壁は崩壊してしまい、
ドイツ人の悲願達成とも言えますが、、
その達成によって、テーマを喪失してしまった。
キカイダーを破壊されたハカイダーのように。
「夢の涯てまでも」製作中の出来事で、
遂に東西ドイツ統一まで起こります。
ヴェンダースは一体、何を描けば良いんでしょう?
ゲシュタルト崩壊した監督は、
代わって、放射能とか言い出します。
チェルノブイリの影響でしょうけど、
が、
取ってつけたような扱いです。深刻に考えてるとは思えない。
ベルリンの壁崩壊後の変わりように、
それまで高く評価していた淀川さんは当時激怒しています。
http://www.sankei.co.jp/enak/yodogawa/95/95lisbon.html
この監督は「パリ、テキサス」(84)、「ベルリン・天使の詩」(87)、もっと前の「アメリカの友人」(77)のころは新鮮なリンゴをナイフで2つに割って、その香りをかいだような心地よさがあったが、やがて「都市とモードのビデオノート」(八九)、「夢の涯てまでも」(91)で私は絶縁した。この2本の映画に私は3日間寝込んでしまった。見た日は靴も脱がないでベッドにぶっ倒れた。
ホントは、日本人として核とか放射能の扱い方にも、
怒っていたような気もします。
もしソビエトが元気なうちに、「夢の涯てまでも」完成していたら、
まったく違う出来の作品になっていたと想像される。
ドキュメンタリーは自分で作らなくても、
テーマが向こうにあるから、成功するのではないか。
まあ、東西分断あってこそのヴェンダースと、3作品観ました。
https://members.thecinema.jp/video/127
壁の緊張感あってこその街並み。主役はベルリン。
お話は追っても、退屈です。
なんだかよく分かんないし。
そこで、
観る前に町山さんで予習して、https://youtu.be/vw6wQfCa5Jw
観たら町山さんで復習します。https://youtu.be/2AkcJHJtgI4
ま、ちょっとだけ異論ありますけどね。
ベルリンの壁が崩壊したのは、
単純化すれば、共産主義が資本主義に負けたから。
壮大な、社会実験は終わった。
映画のちから、市民のちからは関係無く、歴史の必然があった。
冷戦下で、分断され抑圧された祖国ドイツ。
壁が崩壊する二年前、夜明け前が最も暗い。
撮影は当然とは言え素晴らしい。
モノクロームの陰影はこだわり、
既に引退してたアンリ・アルカンに依頼。
(「ローマの休日」や「レッドサン」の撮影監督)
天使がおじさんというルックがちょっと思いつかない。
霊的存在なので触れることは出来ない、ただ寄り添うだけ。
壁に囲まれた都市に全力の哀愁を配置したスケッチ。
人魚姫的なストーリーは一応ありますが、
触れることの出来ない天使の無力さメインに見えます。
物語にハラハラするわけじゃない。
ヒロインは空中ブランコで舞い、ベルリンの勝利の女神がモチーフ。
サーカスといえば、フェリーニだけど、
ドイツでも盛んで、一緒に巡業したと、確か蝶野が言ってた。
なので、
サーカスって巡業するもんじゃないの?
解散じゃなく、移動するだけじゃないのかな。
花形である、空中ブランコ乗りを手放すかな。
それだけは、釈然としなかった。
旅をいつも扱う監督なのに。
せっかく堕天して人間になったのに、
ヒロインはベルリンを去ってしまった。
だったら、
人魚姫的に、お話も盛り上げられたかもしれない。
ましかし、主題はそこになく、
分断され、鬱屈したベルリンのこれから、
まだ青空を大写しには出来ない。
次作「夢の涯てまでも」の制作が難航した合間に、
サクッと撮った傑作。
物語でなく詩。タイトルは正直です。
ただし、今観ると、気持ちが昔に戻らない。
時代性抜きに観るのは、ちょっと無理、
結末が、
個人の話でなく、政治だもの。普遍性は失って当然。
ストーリーやらないので、大衆性も失って当然。
こういうの観てから退屈を語ろう。
実は「ノマドランド」は逆に、
ドキュメンタリーに見えて、巧みにドラマを配置している。
https://members.thecinema.jp/video/128
風景や、街並みは相変わらず美しい。
ですが、それだけですかね。結果的に優れているのは。
ベルリンの壁を失って、取ってつけたようなテーマは、
不快に感じる人が居ても仕方ないかな。
趣味全開の音楽は、
映画音楽として機能してるかと訊かれたらyesとは言い難い。
相変わらず、ストーリーテリングは得意ではない。
分割して、休み休み観ても、やっぱり冗長。
気を使って、どう言葉選んでも、如何ともし難い。
5時間弱に繋げたからといって、凡作が良作に変わる訳ではない。
https://members.thecinema.jp/article_features/X56MT
本来ワークカットの時点では20時間/内輪の試写段階でも9時間あったにもかかわらず “契約”に基づいて2時間半に縮めることを迫られ、ヴェンダース自身、悔しさを滲ませて「リーダーズ・ダイジェスト」と呼ぶこのバージョンが、当時公開されて“悲惨な結果”となったものだ。
9時間の時点で狂っているが、
今回日本初公開のディレクターズカット版は288分。
企画の段階でこれだけの尺使うなら、三部作に分けとかなきゃな。
オーストラリア以降は、特に別の話だし。
一気観は苦行過ぎるので、休み休みです。
西ヨーロッパドタバタ編(ベニス – リスボン)
小津安二郎オマージュ編(ロシア – オーストラリア)
オーストラリア実験室編
に3分割して、
それぞれ見どころ無くはないです。
西ヨーロッパドタバタ編は、
娯楽作、特にコメディへの挑戦。
テーマを失ったヴェンダースは、得意の旅モノで、
新たな作風目指してるように見えます。
「バードマン」思い出しました。
実は町山さんの有料解説も聞いています。MCU批判には触れてません。
ちょっと異論もあります。
町山さんにというより、イニャリトゥ監督にかもしれませんが。
エンディングはやっぱ後付けなのですね。どうもそこがねぇ。
3点同意できない。
・コメディに挑戦したからといって、小難しい作品に変わりない。
賞は獲れて、批評家受けは良いけれど、これで大衆娯楽とは呼べない。
・常に計算されていて、無知とか無謀とかとは無縁。
演技に即興性はあるけど、偶発性に賭ける監督じゃない。
・それで、娘の信頼回復は出来ない。
女性関係にだらしなくて、家庭に向き合っていない。改善なし。
イニャリトゥ氏の自己認識がズレてる。としか思えません。
公開後の展開を省みれば、
作品も監督も主演も、羽ばたいたことは確かだけど、
現実を曲げてないかな。
ハッピーエンドは安易じゃないかなぁ。
娘には嫌われたまま、批評家からは大絶賛、
しかし一般の観客はチンプンカンプン。
なら、
スカッと終われるのに。
ま、「バードマン」は監督の苦悩ありきのコメディなので、
成功したけれど、
本作は、
テーマ喪失後の、明るいドタバタコメディ。
タイミングが中途半端だったかな。
街並みを撮るのは得意だし、都市の特徴を利用したシーンも上手い。
まるでヒッチコックの「海外特派員」みたい。
だけど、
脚本は娯楽作としては下手。
ダラダラ繰り返し過ぎる。
意味ありげなセリフとか、止められない。
おバカなヒロインに仕立てるのはどうかなぁ。
まだ、中途半端。
壁の崩壊前に、撮影開始してしまったのかもしれない。
明確に、テーマ喪失を自覚した後に、脚本完成させ、
国境無く統一されたヨーロッパを股にかけた、
追いつ追われつのドタバタコメディで一本撮れば、
違う結果だったか。惜しいなあ。
同じ配役、同じキャラで、
小津安二郎オマージュ編も、オーストラリア実験室編も、
別の映画として企画すれば良かったのに。
特に、オーストラリアの風景は素晴らしく、
それ背景に、サイバーパンクに仮託した映画論、
それ一本でやればいいのに。
技術としての通信やデジタルに興味ないんだから、
放射能の雑な扱いは元より、
余計な設定は要らなかったよ。
ITの進歩にも、チェルノブイリにも興味無いでしょ。
これじゃ、ベルリンの壁崩壊したので、
テーマ失って、迷走して、世界の終わりだと言ってるみたい。
確かに、
冷戦が終わって、ヴェンダースの作家性も終わった。
これから、グローバルな時代になるけど、どうしよう?
という映画ではある。
色調は明るいので、それでも映画作り続ける意欲は感じる。
このあとドキュメンタリーを積極的に選んだのは、
この映画の結果を受けてのことかもしれない。
ストーリーで頑張らなくて良いものをと。
近年も、ドキュメンタリー専門に絞った方が良さそうなんだけどな。
https://members.thecinema.jp/video/125
何度観ても、文句なしの傑作。
3作続けて観ての視点だと、座組の成功に見えます。
趣味に走り過ぎることなく、お話ちゃんとやってます。
脚本、音楽、撮影。
適材適所で優れた手練れを選べたことが勝因。
そして、
余計なことをやる余裕が無い方が名作なんじゃないかと、
勘ぐってしまう。
順撮りで、シナリオが追い抜かれそうになったという。
https://members.thecinema.jp/article_features/CfZXm
ここでは、即興性を重視する手法が、奇跡を生む。
本作は絵コンテなしで制作された。ミューラーとヴェンダースは、それまではいつも「翌日の撮影の構想を徹夜で話し合っていた」が、今回はそうしなかったという。「ただ毎日現場に来た。(中略)何の先入観も持たずに、現場に行って撮影した。リハーサルは俳優に任せた。どんなシーンにするか着想を得たら、ロビーと私で撮影について考えた」。「俳優と時間をともにし、より演技を重視することで私は自由になれたのだ。撮影のリスト通りに俳優を適合させるだけなら、俳優にはほとんど自由が与えられなくなる。まず俳優の好きに演じさせ、その後、撮り方を決める方法は貴重な経験だった」。
マジックミラーのシーンの緊張感は、理由があったのですね。
2度目の“再会”場面は、全編を通して一番長いシーン。「この映画の要となる重要なシーンだ。二人は一言一句脚本通りに演じると言った。特にハリーは長い物語を語る時、正確にやろうとして何度も撮った。こんなに撮った映画は他にはない」。1度目の“再会”場面と同じく、カット割は多いが全てのショットを最初から最後まで通しで撮っている。カメラを2台使ったわけではない。
ストーリーは巧みで、
それを引き算で演出。叙情爆発。
タイトなスケジュールで、ドキュメンタリーのような緊張感。
「ハメット」で苦しんだご褒美でしょうか。
その時に、サム・シェパードと出会っているし。
お話の構造はロードムービー的でなく、
目的地に一旦到達してから、戻る。
戻って、状況整理してから、
再び目的地に到着して、ミッションコンプリート。
全体を通してもそうだし、マジックミラーの再会もそう。
フラクタル構造になってる。
一回目で興味を引く設定の提示。
しかし何故こうなった? という謎を残す。
二回目はクライマックス。全て集約されてゆきます。
謎解きと、かつての破壊からの修復が描かれる。
冒頭から、観客を掴むまでが特に巧み。退屈させない仕掛けがある。
流れるような展開はサム・シェパードの才能でしょうか。
あのテキサスの風景から行き倒れの男、
身元分かっても、だんまりで、目的が謎。
謎で興味を持続させつつ、
観客の限界も間際で、とうとう語る。
飛行機のシーンで笑いも獲り緩和させる。
目的地からLAに戻り、
ほのぼの展開の中、状況を整理。
まだ謎は残るが。
親子で出発してからは怒涛の展開。
ナスターシャ・キンスキーの登場が素晴らしい演出力。
目の覚める美人が目の覚めるように登場。
テーマは、
直接触れ合うことは出来ない。通じ合うことは出来ない。
語りかけても見えるのは自分の姿、所詮は自己投影。
男と女、いや自分と他者。分断は埋まらない。
ベルリンに特定せず、普遍性を持っているので、
色褪せない。
トランシーバ、テープレコーダ、
マジックミラー越しの電話。
間接の使い方も上手いですよね。
そして、ラストが素晴らしい。
フランス制作で、フランスで受賞って感じですよ。
ハリウッドみたいな、ご都合な家族愛に甘えない。
他者は他者として存在するのだから。
この世に生きる切なさをロマンチックなのに、甘えずに描いている。
不満なところが全く無いんだ。
見比べてみて、再発見しました。
孤独を描いておいて、チームの勝利だった。
ドキュメンタリーは目の前の事実が輪郭を規定してくれるけど、
フィクションは、エゴのコントロールがより難しい。
さじ加減一つ。なんとでも出来るから。
庵野秀明が「アニメはエゴ」と言うが如し。
縛りがあった方が、輝く人も居る。
まあ、宇多丸評でよく批判される晩年の黒澤明の夢やポニョの宮崎駿。
巨匠が抑制効かなくなる。誰も意見出来ないし。
それはそれで良いと思うのだけど、
ストーリーだけが映画じゃないし。
だから余計に、
ヴェンダースが近年お話を撮るのは、勿体無い。
他の人が出来ることは他の人に任せて、唯一無二であり続けるのが正解。
厳しい正解だけど、まだ取り戻せそうな正解。
自分を律しなきゃとも思った次第。