暇にかまけて、映画見たり、
理を説いても無理な人に関わってしまったり、
して過ごしています。
中でも、
マーベル関連で、働くことについて考えさせられる映画レビューします。
重圧や無理難題がイヤで監督降りた人、
MCUに批判的な人と気にしない人、
今度MCUの監督に抜擢された人、
いろんな人間模様があります。
まあ、仕事は楽しいだけじゃないけどさ、
なるほど、漫画家だからバカにされてると思ってるんだ。
それは意外な新発見。根拠は分からず仕舞いだったが。
誇り持てない仕事は辞めた方がいいね。
煽られたから対応しただけなんだけどなあ。
わしは9年間、誰一人ブロックしたことはない。
全部ちゃんと読むし、熱意あれば喧嘩しながらでも相手する。仲良くなった人も多い。おまえはその中でも、くだらない人間の方だ。
ヘラヘラと漫画家を馬鹿にしやがって。
満足したらもう来るなよ。
友達じゃねえんだからな。— ウヒョ助/塚脇永久 (@uhyoneko) May 23, 2021
なんか反応が私の元親に似てるんだよな。劣等感強めで。
ただ答えてくれればいいのに、何でそんな反応になるの?
そういう人たちが何に満足するのか分からなくてね。
なんで曲解しなきゃ気がすままいのだろうか。
だんだんと分かってきたのよ。
当時はまったく分からなかった。
私が奴隷労働憎むのは、元親達がそうだったからで、
そこで自尊心得られない働き方してたからかもしれない。
言ってること整合性ないなと、指摘しちゃうと、
仕事でダメ出しされてる記憶あって、それが刺激されちゃうんだな。
こっちがフラットでも、不信感丸出しでも、どちらでも。
晩年、仕事で怒られるの嫌だ的なこと言ってて、
職業にプライドないのかと、軽蔑してしまったけど、
酷だったね。
まあ、家庭で不機嫌そのまま持ち込まれる方も酷いけど。
理を説いても、通じないのは仕方なかったけど、
結婚しなくて、子供作らなくていいから、
仕事に誇り持てる人生送ってもらいたかったな。
生まれてこなくていいから。私は。
ITエンジニアをSクワドラントでやって、
最初は楽しかったのに、時代が変わって、
参加するプロジェクトがどんどん荒れていって、
働く意義を見失った。
ただお金のために働いていたのだから、似たようなもんだよ。
出口が見つかったのは幸運だった。
ああ、結婚しなくていいから、
嫌なことして、お金得て生きるのは辞めよう。
それは子供のころに作られたビリーフだったのか。
今ごろ気付いた。
そんな今日このごろ、
引き続き、MCUの周辺に興味もち、
いろんなドラマあるのだと知りました。仕事に関わる映画。
ジョン・ファブローの大作の監督はつらいよ。
作りたくないもないものを義務感だけで、
プレッシャー感じて作るの辛いね。
宇多丸評にほぼ同意。
料理映画では、料理が美味そうでなければ終わるけど、
すべてとても美味しそうでした。
音楽の使い方が上手いのはいつものこと。
監督降りて、良かったね。
家族との時間取り戻せた。
もう、記号の悪役描く描く必要はない。
料理評論家を単なる悪役にしてないのは、
アイアンマンの反動だろうな。
明るくてハッピーな資質。無理やりポジティブとかじゃなく。
険悪な辞め方でなく、役者は続けながら円満にというところが資質。
今流行りの言葉でいうと、自己肯定感高い人。
でも、映画みたいにキレて降りたのかな。
あるいは穏やかに伝えて目的達成したのか、そこは知りたい。
自分のやりたい仕事、生き生きと出来ててホントに良かったね。
とにかく後味がよいのが、彼の資質。
逆に揉めた、エドワード・ノートン出てます。
上手いけど、周りは大変というセルフパロディが見事です。
エドワード・ノートンの恨み節というより、
イニャリトゥ監督のMCU批判の賜物でしょうか。
マイケル・キートンは自分のことだけど、職人として仕事してる雰囲気。
正直いろいろと分からない。
そこまで絶賛なのか。
批評家たちも、MCUが映画界席巻してゆくのそんなにシャクなのかな。
逆に、主演男優賞は取れなかったのか。
陰影のある顔これ以上ない演技と観てたのに、
撮影よりも凄いと。
マイケル・キートンは実は、役とは異なり、
世間の評価に左右されず、
小さな仕事でもきちんとキャリア重ねて来たように見えたよ。
彼からは職人の誇りを感じるんだよな。
だから自虐的な役でも受ける。
逆にマーベルからオファーあってもこだわり無く受ける。
なにはともあれ、
こんな小難しい映画作っておいて、大衆性は無理。
だからこそのサーチライトピクチャーズだけど。
これはまだ、サーチライトピクチャーズがディズニー傘下になる前だよな。
ディズニーとマーベルの歩み理解して、
マイケル・キートンやエドワード・ノートンのキャリアも分かり、
批判的なジョークはある程度分かるし、
こういうの元ネタあって、ハリウッドあるあるなんだろう。
と想像できることもあるけど、全部は分からない。
ワンカットでぐるぐるお話が進行してゆくのだけれど、
切れ目なく流れるから、一つのこと考え続ける余裕ない。
お話自体は起伏も少ないので、何言ってるのか分からないとただ退屈。
ワンカットでやる意味は緊張感より、境目のなさと思われ。
過去の栄光と現状、
内面と外側の現実、(精神状態はかなりヤバい)
舞台とその裏側とプライベートとSNS、
ブロードウエイの舞台とハリウッド映画、
芸術性と大衆性、
などなど、対比的なのだか、切れ目なくぐるぐると回る。
で、すぐ次の話題に移るので、
深刻なのか、軽いギャグなのか、
すぐ忘れちゃう。
うーん、これで家族愛って解説されても、正直ピンとこない。
やっぱマーベル批判が印象に残る。
そして、鬱屈した内面だけが残るので、カタルシスは無い。
監督は、ロバート・ダウニーJrとバチバチだったのね。
https://moviewalker.jp/news/article/58215/
イニャリトゥ監督は以前、現代のヒーロー映画を批判し「文化的なジェノサイド」と発言したことで話題になっていた。同監督はDeadlineとのインタビューで「問題なのは、ヒーロー映画がギリシャ悲劇のようなものにならったりして、深淵であるかのように見せかけることだ」
「ああいう映画はとても右翼的だ。僕にとっては、ヒーローたちは自分と同じことを信じていない人々や、自分の思う通りにならない人々を殺しているように見える」
「ああいうのは毒だし、文化的ジェノサイドだ。なぜなら観客はプロットや爆発やアクションの露出過剰に晒され、それは人間の経験ということとは何の関係もないからだ」と話していた。
どうでもいいツッコミ入れると、
スターリンも毛沢東もポル・ポトも右翼じゃないけどね。
それはさておき、
前回も書いたように、その主張はある程度同意する。
毒性はあると思う。
刺激を求めるし、演出のままに善悪鵜呑みにする思考はたしかに生む。
深淵かどうかは微妙。
内部対立は意味あると思う。
外部の敵は大抵記号だけど。
テーマはおいて、
トーンは明るくポップでも、
画が壮大であるのは、確かだし。
ただロバート・ダウニーJrは役者として才能あるので、
バードマンの中で、半分の才能と酷評するのは同意しかねる。
劇中の批判も浅いんだよね。
喧嘩中のジョークが蛙亭みたいな笑いには脳内で転化しなくて。
今夜のゴッドタン
「ケンカ仲直り王」
蛙亭
ラランドちょっと衝撃の映像が流れます
どっちのコンビも最高でした! pic.twitter.com/X7DkLV6AXY— 佐久間宣行 (@nobrock) May 22, 2021
ブロードウエイの批評家を敵視してるけど、
大衆性を批判してて、そっちも敵なの?
主張がボケないか。
舞台と映画がアメリカでどう対立してるのか知らないけど、
釈然としなかった。賞はバンバン取る監督なので。
玄人筋には受けいいじゃん。
そして、
ラストの解釈もいろいろ読んでみたけど、
なんで見上げて笑顔なのか、あれで家族愛に気付いたは同意できなくて、
そんなにちゃんと描いてないし、主人公が解放された理由にしては弱い。
タイトルと関係ある気がするんだけど、何で長い。
「無知がもたらす予期せぬ奇跡」って何の暗喩なのかな。
それと、美徳でなく奇跡と訳された理由も分からない。
批評家の文で、実弾使ったこととか、そういう表面的なことじゃなくて、
そのタイトルが何を意味してるのか。
笑顔と関係があると思うのだか、明確なことは分からない。
ただ言えるのは、この映画が世に出て、
監督と主演は飛べた。名を上げた。
この映画を作ることで、何か無知がプラスに働いたのかな。
私に思い浮かぶのは、
マイケル・キートンの内実が、脚本とは全く違ったことくらい。
この自虐的映画の主役を張ることで、
血を流すのはマイケル・キートンだもの。
ホントは別に過去の栄光や、周りの評価なんて気にしなくて、
大役終えた後は、好きに小さい仕事してただけ。
ダニエル・ラドクリフがそうだなって、思い出したの、
淡々と仕事してて、時が移り、
ハゲて、しわくちゃになって、渋くまた注目される。
そんなことくらいしか、思いつかん。
まあ、観たことないないタイプの映画なので、
最初退屈しないようなら、観ておく価値はあるし、
最後まで観続けてしまう。
ノマドランドのクロエ・ジャオがMCUで監督。
今年公開だそうです。
映画館行けてないので、ノマドランド観てません。
そこで、その前の作品。
その前からノマドランドまで、
同じ作りかたしてるようですね。
役者でなく、本物の人にそのまま演技させる。
台本はあるが、リハなし一発どり。
広大で荒涼な風景と、黄昏時の空を魅せる。
こんな作り方ありなんだと、
バードマンとはまた違う意味でびっくりしました。
中でも、本作は、
もっとも脚色が少なく、リアルにそのままだそうです。
怪我した後で映画企画したわけでなく、
その前の作品でサウスダコタのネイティブ・アメリカン居住区の映画とり、
その縁で、ロデオライダーに出会ったそうです。
怪我の前に映画企画し、怪我で暗礁に乗り上げたのに、
リハビリを経て、このシナリオで撮ることになったそうです。
ドキュメンタリーでなく、実は脚本もしっかりしてて、
なんかずるいです。
最初しばらく、退屈なんですが、
途中で、あ、これヤバいやつだと気づきました。
じわじわと、メンタルやられるやつ。
馬は死ねるのに、人間は生き続けなければならない。
江戸時代なら、介錯してもらえそうだけど、
現在のサウスダコタではな。
それでも、ロデオライダーとしての矜持を胸に、
もう乗れなくても生きてゆかねば。
道を絶たれてもそれが、心の支え。
過去の栄光とかとは違って、カーボーイカッコいい。
でも、、
生きづらいね。
いやー、メンタルやられます。
凄い映画作りする人、いるんだなぁ。
こちらも退屈しないとこまで、観ていられたら、
観ておく価値があります。
ノマドランドより、
脚色少ないからこちらを好む人も多いそうです。
映画化しようと、ノマドランドの版権もってるフランシス・マクドーマンドが、
本作観て、監督オファーしたそうです。
あ、ノマドランドもサーチライトだ。
同じ、ディズニー傘下だからオファーしやすいのか、
時の人なので争奪戦らしいですけどね。
中国で公開できなさそうなのに、
虚を創造するのが本業なのに、
ほぼ実ばかりの、このクロエ・ジャオに触手伸ばすとは、
マーベル恐るべし。