マーベル関連で働くことの映画見る。 仕事に誇り持てないなら辞めた方がいい。「シェフ」「バードマン」「ザ・ライダー」

暇にかまけて、映画見たり、
理を説いても無理な人に関わってしまったり、
して過ごしています。
   
中でも、
マーベル関連で、働くことについて考えさせられる映画レビューします。
 重圧や無理難題がイヤで監督降りた人、
 MCUに批判的な人と気にしない人、
 今度MCUの監督に抜擢された人、
いろんな人間模様があります。

まあ、仕事は楽しいだけじゃないけどさ、
なるほど、漫画家だからバカにされてると思ってるんだ。
それは意外な新発見。根拠は分からず仕舞いだったが。
誇り持てない仕事は辞めた方がいいね。
  
煽られたから対応しただけなんだけどなあ。


なんか反応が私の元親に似てるんだよな。劣等感強めで。
ただ答えてくれればいいのに、何でそんな反応になるの?
そういう人たちが何に満足するのか分からなくてね。
  
なんで曲解しなきゃ気がすままいのだろうか。
だんだんと分かってきたのよ。
当時はまったく分からなかった。
 
私が奴隷労働憎むのは、元親達がそうだったからで、
そこで自尊心得られない働き方してたからかもしれない。
言ってること整合性ないなと、指摘しちゃうと、
仕事でダメ出しされてる記憶あって、それが刺激されちゃうんだな。
こっちがフラットでも、不信感丸出しでも、どちらでも。
 
晩年、仕事で怒られるの嫌だ的なこと言ってて、
職業にプライドないのかと、軽蔑してしまったけど、
酷だったね。
まあ、家庭で不機嫌そのまま持ち込まれる方も酷いけど。
 
理を説いても、通じないのは仕方なかったけど、
結婚しなくて、子供作らなくていいから、
仕事に誇り持てる人生送ってもらいたかったな。
生まれてこなくていいから。私は。
 
ITエンジニアをSクワドラントでやって、 
最初は楽しかったのに、時代が変わって、
参加するプロジェクトがどんどん荒れていって、
働く意義を見失った。
ただお金のために働いていたのだから、似たようなもんだよ。
出口が見つかったのは幸運だった。 
 
ああ、結婚しなくていいから、
嫌なことして、お金得て生きるのは辞めよう。
それは子供のころに作られたビリーフだったのか。
今ごろ気付いた。
 
 
そんな今日このごろ、
引き続き、MCUの周辺に興味もち、
いろんなドラマあるのだと知りました。仕事に関わる映画。
  
ジョン・ファブローの大作の監督はつらいよ。

作りたくないもないものを義務感だけで、
プレッシャー感じて作るの辛いね。
 
宇多丸評にほぼ同意。
 料理映画では、料理が美味そうでなければ終わるけど、
 すべてとても美味しそうでした。
 音楽の使い方が上手いのはいつものこと。
 
 監督降りて、良かったね。
 家族との時間取り戻せた。
 
 もう、記号の悪役描く描く必要はない。
 料理評論家を単なる悪役にしてないのは、
 アイアンマンの反動だろうな。
 
 明るくてハッピーな資質。無理やりポジティブとかじゃなく。
 険悪な辞め方でなく、役者は続けながら円満にというところが資質。
 今流行りの言葉でいうと、自己肯定感高い人。
 でも、映画みたいにキレて降りたのかな。
 あるいは穏やかに伝えて目的達成したのか、そこは知りたい。 

自分のやりたい仕事、生き生きと出来ててホントに良かったね。
とにかく後味がよいのが、彼の資質。
 
 
逆に揉めた、エドワード・ノートン出てます。
上手いけど、周りは大変というセルフパロディが見事です。 
エドワード・ノートンの恨み節というより、
イニャリトゥ監督のMCU批判の賜物でしょうか。
マイケル・キートンは自分のことだけど、職人として仕事してる雰囲気。
 
正直いろいろと分からない。
そこまで絶賛なのか。
批評家たちも、MCUが映画界席巻してゆくのそんなにシャクなのかな。
逆に、主演男優賞は取れなかったのか。
陰影のある顔これ以上ない演技と観てたのに、
撮影よりも凄いと。 
 
マイケル・キートンは実は、役とは異なり、
世間の評価に左右されず、
小さな仕事でもきちんとキャリア重ねて来たように見えたよ。 
彼からは職人の誇りを感じるんだよな。 
だから自虐的な役でも受ける。 
逆にマーベルからオファーあってもこだわり無く受ける。
 
 
なにはともあれ、
こんな小難しい映画作っておいて、大衆性は無理。
だからこそのサーチライトピクチャーズだけど。
 
これはまだ、サーチライトピクチャーズがディズニー傘下になる前だよな。
ディズニーとマーベルの歩み理解して、
マイケル・キートンやエドワード・ノートンのキャリアも分かり、
批判的なジョークはある程度分かるし、
こういうの元ネタあって、ハリウッドあるあるなんだろう。
と想像できることもあるけど、全部は分からない。
 
ワンカットでぐるぐるお話が進行してゆくのだけれど、
切れ目なく流れるから、一つのこと考え続ける余裕ない。
お話自体は起伏も少ないので、何言ってるのか分からないとただ退屈。
  
ワンカットでやる意味は緊張感より、境目のなさと思われ。
 過去の栄光と現状、
 内面と外側の現実、(精神状態はかなりヤバい)
 舞台とその裏側とプライベートとSNS、
 ブロードウエイの舞台とハリウッド映画、
芸術性と大衆性、
などなど、対比的なのだか、切れ目なくぐるぐると回る。
で、すぐ次の話題に移るので、
深刻なのか、軽いギャグなのか、
すぐ忘れちゃう。
うーん、これで家族愛って解説されても、正直ピンとこない。
やっぱマーベル批判が印象に残る。
そして、鬱屈した内面だけが残るので、カタルシスは無い。
 
 
監督は、ロバート・ダウニーJrとバチバチだったのね。 
https://moviewalker.jp/news/article/58215/

イニャリトゥ監督は以前、現代のヒーロー映画を批判し「文化的なジェノサイド」と発言したことで話題になっていた。同監督はDeadlineとのインタビューで「問題なのは、ヒーロー映画がギリシャ悲劇のようなものにならったりして、深淵であるかのように見せかけることだ」
 
「ああいう映画はとても右翼的だ。僕にとっては、ヒーローたちは自分と同じことを信じていない人々や、自分の思う通りにならない人々を殺しているように見える」
 
「ああいうのは毒だし、文化的ジェノサイドだ。なぜなら観客はプロットや爆発やアクションの露出過剰に晒され、それは人間の経験ということとは何の関係もないからだ」と話していた。

どうでもいいツッコミ入れると、
スターリンも毛沢東もポル・ポトも右翼じゃないけどね。
それはさておき、
前回も書いたように、その主張はある程度同意する。
毒性はあると思う。 
刺激を求めるし、演出のままに善悪鵜呑みにする思考はたしかに生む。
 
深淵かどうかは微妙。
 内部対立は意味あると思う。
 外部の敵は大抵記号だけど。
 
テーマはおいて、
 トーンは明るくポップでも、
 画が壮大であるのは、確かだし。
 
ただロバート・ダウニーJrは役者として才能あるので、
バードマンの中で、半分の才能と酷評するのは同意しかねる。
劇中の批判も浅いんだよね。
喧嘩中のジョークが蛙亭みたいな笑いには脳内で転化しなくて。

 
   
 
ブロードウエイの批評家を敵視してるけど、
大衆性を批判してて、そっちも敵なの?
主張がボケないか。
舞台と映画がアメリカでどう対立してるのか知らないけど、
釈然としなかった。賞はバンバン取る監督なので。
玄人筋には受けいいじゃん。
 
 
そして、
ラストの解釈もいろいろ読んでみたけど、
なんで見上げて笑顔なのか、あれで家族愛に気付いたは同意できなくて、
そんなにちゃんと描いてないし、主人公が解放された理由にしては弱い。
  
タイトルと関係ある気がするんだけど、何で長い。
「無知がもたらす予期せぬ奇跡」って何の暗喩なのかな。
それと、美徳でなく奇跡と訳された理由も分からない。
 
批評家の文で、実弾使ったこととか、そういう表面的なことじゃなくて、
そのタイトルが何を意味してるのか。
笑顔と関係があると思うのだか、明確なことは分からない。
 
ただ言えるのは、この映画が世に出て、
監督と主演は飛べた。名を上げた。
 
この映画を作ることで、何か無知がプラスに働いたのかな。
私に思い浮かぶのは、
マイケル・キートンの内実が、脚本とは全く違ったことくらい。
この自虐的映画の主役を張ることで、
血を流すのはマイケル・キートンだもの。
 
ホントは別に過去の栄光や、周りの評価なんて気にしなくて、
大役終えた後は、好きに小さい仕事してただけ。
ダニエル・ラドクリフがそうだなって、思い出したの、
 
淡々と仕事してて、時が移り、 
ハゲて、しわくちゃになって、渋くまた注目される。
  
そんなことくらいしか、思いつかん。
  
まあ、観たことないないタイプの映画なので、
最初退屈しないようなら、観ておく価値はあるし、
最後まで観続けてしまう。
 
 
ノマドランドのクロエ・ジャオがMCUで監督。
今年公開だそうです。 
映画館行けてないので、ノマドランド観てません。
そこで、その前の作品。

その前からノマドランドまで、 
同じ作りかたしてるようですね。
 
 役者でなく、本物の人にそのまま演技させる。
 台本はあるが、リハなし一発どり。
 広大で荒涼な風景と、黄昏時の空を魅せる。
 
 
こんな作り方ありなんだと、
バードマンとはまた違う意味でびっくりしました。
 
中でも、本作は、
もっとも脚色が少なく、リアルにそのままだそうです。

 
怪我した後で映画企画したわけでなく、
その前の作品でサウスダコタのネイティブ・アメリカン居住区の映画とり、
その縁で、ロデオライダーに出会ったそうです。
怪我の前に映画企画し、怪我で暗礁に乗り上げたのに、
リハビリを経て、このシナリオで撮ることになったそうです。 
  
ドキュメンタリーでなく、実は脚本もしっかりしてて、
なんかずるいです。
 
  
最初しばらく、退屈なんですが、
途中で、あ、これヤバいやつだと気づきました。
じわじわと、メンタルやられるやつ。
 
馬は死ねるのに、人間は生き続けなければならない。
江戸時代なら、介錯してもらえそうだけど、
現在のサウスダコタではな。
 
それでも、ロデオライダーとしての矜持を胸に、
もう乗れなくても生きてゆかねば。
道を絶たれてもそれが、心の支え。
 
過去の栄光とかとは違って、カーボーイカッコいい。
でも、、
生きづらいね。 
  
いやー、メンタルやられます。
凄い映画作りする人、いるんだなぁ。 
 
 
こちらも退屈しないとこまで、観ていられたら、
観ておく価値があります。
ノマドランドより、
脚色少ないからこちらを好む人も多いそうです。
 
映画化しようと、ノマドランドの版権もってるフランシス・マクドーマンドが、 
本作観て、監督オファーしたそうです。
あ、ノマドランドもサーチライトだ。

同じ、ディズニー傘下だからオファーしやすいのか、
時の人なので争奪戦らしいですけどね。
 
中国で公開できなさそうなのに、
虚を創造するのが本業なのに、
ほぼ実ばかりの、このクロエ・ジャオに触手伸ばすとは、
マーベル恐るべし。

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