進次郎入院とマーベル信者、熊田曜子と幡野広志。から連想する。自分の正しさ信じずに投票する必要。

何も言わないのは多数派に投じたのと一緒。
 
 ドイツでは、ナチスの台頭を許した反省から、
 YesNoの立場表明を積極的にするよう、子供のころから教育されると、
ひろゆき動画で言ってました。
いい切り抜き見つけられなかったのですが、
そういうことって大事と再確認。
前回書いた、マーベル信者さんの件でも引っ掛かっていた。
 
流石にちょっとな。 
この件は、小泉進次郎嫌いでも、
マスコミのやり方に嫌悪感覚える方が多数派みたいです。
それでも、特権階級だとマスコミに乗る人も多く居ますからね。


私も少ない情報ながら、マスコミのやり方にNoです。

「面会が許される特例は、生死にかかわるなど緊急事態で呼び出しがあったり、難しい手術での付き添い、また医師から診療に関する説明を受ける場合などに限られます。
<中略>
滝川さんは手術の同意書を書くために病院を訪れたそうですが、それも電話でもできるようになっていますし、ましてや病室に入る必要はない。でも、彼女は手術の間、ずっと特別室で待っていて、進次郎さんと面会してから帰宅したそうです
(前出・進次郎氏の知人)

主張を専門家でもない一般人に言わせて、しかも内容が非人道的です。
 家族の同意書が必要な手術に対して、
  電話で出来る。
  説明を受ける必要ない、
 かの如く、誘導してます。

急性の虫垂炎は、手遅れになる危険もあると、
ぼんやりとした知識あります。
 薬で散らして様子見る段階でなく、緊急手術となれば、
 充分に「生死にかかわるなど緊急事態」に該当する、と私は判断するので、
 
 素人が簡単で電話で済ませるものと、何故断定出来るのだろう?
 直接医者から説明も受けず、緊急手術の同意書を電話で済ます人居るの?
 
大変非人道的な記事と読みました。
これで、特権階級批判で煽ろうというのは、流石に悪質でしょう。
轢き殺して起訴されないという件とは違う。 
電話で済ませと要求するのは、人間以外の人間と判断します。
 
まあ、人は信じたいことを信じるので、
どうすることも出来ませんが、
恐ろしい世の中だなと思うと同時に、
進次郎さんは嫌いでも人道的立場は維持する人が多くいて、
少しホッとしました。
足を引っ張り合うメンタルの国で暮らすのは辛いものでも。
 
 
前回書きましたが、
演出効果で、
 悪と描かれれば悪と思い、
 正義に描かれれば盲目的に従う。
自警団の正義を疑わない人の姿は、
私には不気味に見てました。

 
作り手はむしろ、単純な二項対立を避けているのに、
 主人公達を正義として描き続けて来たけど、
 正邪なんてそんな単純じゃないし、
 アメリカの自警団思想は、誤爆とか擁護できない危険も孕む。
 盲目的に正義を信用しないでね。
と、
信者ビジネスやりつつも、クリエーターの良心表す。であろうとも、
演出を拠り所に、信じたいもの信じる姿が、不気味でした。
そんなに正邪特定しないと安心できないか?
  
自警団の正当性の拠り所が、高潔な理想主義でしかないのは、
独善ってことだよ。正義も悪もお互い様。
一方的な誤爆で家族失った罪もないアフガン人も居るんだよ。
戦闘に巻き込まれたのですらなく、突然の攻撃で。
 
作り手は意外と誠実なんだなと、感心してたのですが、
そんなのお構いなしですね。
別に、正義を信じなくても充分楽しめるのに。
 
私は当初、庵野秀明に批判的だったのですが、
教祖でも信者を制御できない。と知る。
むしろ暴走気味の欲望を満足させ続けるしかない。
 
ジョン・ファブローがアイアンマンの監督降りて、のびのび、
同情を禁じえないです。

映画の展開はややダルいけど、大変だったのですね。
 
映画って、
脳に直接影響与えて、昔からプロパガンダの手段として最適。
MCUは単純な娯楽作に見せて、政治的主張はギリギリ攻めてるので、
無邪気で、曇りのない瞳は、個人の感想としては怖いです。
R指定でも、どうにもならないので、なおさら。
  
世の中がどうなろうとも、
意見表明はしておいた方がよいなと、最近また思うようになりました。
 
 
 
同時にSNSで、熊田曜子さんDV案件も見掛けた。


DVに無理解で、献立の問題で済ますヤバい人も居るらしい。


流石に、子供さん達含め、保護されて欲しい。
自分がDVやりかねない状態に陥ったら、逃げないと。
自分を犯罪者にしないために。
 
よく、殺しも殺されもせず、今日まで生きて来たな私は。
 
無理解が横行してる問題だけに、
cakes&幡野広志さんのDVの対応で
逃げろと伝えない大人には、Noの立場は表明しておこう。
 
分からないことは分からないと、分かれば、それでよかったのに。
 
無知は罪だけど、そういう失敗もあるよ。
でも、反省が間違ってると、何度も繰り返しちゃう。
それはダメだ、誰か止めなきゃ。
 
出来る限り、加害者も被害者も減らせる方向を支持します。
 
私の元母親はなかなかのモラハラの人で、元父はそれを見て見ぬ振り。
若井おさむさんのライト版でした。

僕は小学生のときから、母を殺したいと思いながら生きてきました。何度も何度も「殺したろか!」と気持ちが高ぶった。でも、手にかけないですんだのは、僕が僕の人生に希望を持っていたからやないか、と思うのです。こんな母親でも、殺せば僕が罪人になる。自分の人生を台無しにしてしまう。それはイヤや。本当に大切なのは自分自身です。自分の人生を、親への憎しみのために失うわけにはいかんのですよ。

ああいう人たちは狡猾ですので、外には見せない。
親戚とか世間とか子供には無理解です。信じてもらえない。
当時の私には、演出力は無い。
 
でも、
中学くらいになって、私の方が殴っちゃうと、
被害者が加害者になってしまう。
  
演出ではなく、構造見極めて、善悪に固執せず、
もっと早く、縁切ってあげられたら良かったな。相手の為にも、
 
そんな思いが、今でもふとよぎります。
反芻思考はなくなりましたけどね。
 
 
人間関係では、
正しい方向に避けられる能力が大事で、
そのためには意外と知識が必要と最近ようやく分かった。
だからこそ、
相談するなら、きちんと習得した人から学ばんと。とも思う。
 
ただ、
何にNoなのか自分で分かってないと、
学ぶべき人を選べないんだよな。
お互い、モラルの壊れた世界に生きているんだから、なおさら。

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