ま、一言で言えば蒼氓です。
「戦争ガー」幸せを奪ったとかステレオタイプな観念ってありますけど、
ユーモアなタッチでそういう表面なぞると見せかけて、
人間というものの営みにまで視線が届く。
言うは易し行うは難し、この実現は奇跡だと思う。
1月2日に銀座で観ました。東京に出てきた翌日です。
浅草観光も考えてたのですが、結局正月は映画二本観て終わっちゃいましたね。
「この世界の片隅で」と「Eye in the sky」。
ちょっと気が重いけど、最初の一本の感想をこれから書こう。
ええっと、何かから書こうか、
宇多丸師匠の大絶賛は聴いてた。
アニメならではの表現手法。
主演女優の熱演。
異常な完成度の高さ。
この3点は大前提の大傑作だって、予備知識アリで観た。
ああ、そういうことかって、納得します。
が、
ことごとく、予想を上回ってきて、完全にヤラれました。精神を。
ま、その理由も後回しにして、何から書こうか。
2016年公開の映画としては、「君の名は」とも比較。
「シンゴジラ」との対比は重要なので後回しにして、
観てない「君の名は」との比較。
大入りの日本アニメ映画なのは一緒。
ただ「君の名は」の評価の方は微妙だったりする。
いわゆる大衆受けする内容的な。
それはいっくらなんでもベタ過ぎ、って批判はあった。
「君の名は」のメガヒットは初日から予想されてた。
細田監督には申し訳ないが、メジャー感はあったし、それ故の大衆受け。
ベタさは、ちょっと敬遠してしまう。
好奇心を刺激する謎めいた部分は無い。
一方、
クラウドファンディングから始めて、
じわじわ火がついて大評判。
世界の片隅で感が満載で、しかも誰も彼もが大絶賛してる。
そんな奇跡みたいなことがあるのか、
自分の目で確かめてみたいと思った。
「シンゴジラ」もこれも5年経ったということ。
2016年公開ということは、2011年から5年後である。
5年経って、傷もそこそこ癒えて、
あの出来事を日本人は客観視出来るようになったんだ。
理不尽で巨大な厄災が日常に突如やって来て、
生活を破壊してゆく。
どちらもその描き方がとても巧みです。
とにかく、情報量が多い。
その中でさり気なく描かれます。
これは手塚治虫以来、日本の漫画やアニメの特徴かもしれない。
庵野監督はもともと言わずもがなですが、
一コマの片隅に別の情報気づく人だけが気づくようにやる。
ハートだけでなく、ブレインの情報処理もフル稼働します。
明日観たイギリス映画「Eye in the sky」とは歴然たる密度の差、
クオリティ高い日本アニメは客に不親切、大人は説明しない。
最近だと、映画化されてスカスカになる前の「アイアムアヒーロー」とか、
ああ、アレとアレがアレなのかって、
最初のころはドキドキしましたよね。
ま、それはさておき、
ミッドウェイからレイテ、グアム・サイパン、硫黄島、沖縄と、
日本が制空権失って行く様が、軍港の街呉でもよく分かります。
現代でも、オスプレイの空中給油の飛行距離。
都合が良い派と悪い派が居ること分かります。
ああもう戦艦大和の時代じゃないのに、、
いきなり最初から、予備知識アリのタイムトラベラーは無力感に襲われます。
いっくらでも投了のチャンスはあったよ。
日本人は諦めないから。。
これでは生きては帰れない。
宇多丸師匠も指摘してるように日付の使い方がとても上手い。
観客はカッサンドラの気分を思う存分味わえます。
昭和20年8月の広島は呉より危険だと彼らは知らない。
ああ、でシンゴジラとの比較ですね。
題材は違うように見えて結局同じです。日本人にとっては、
その話は置いておいて、
片方は意思決定という中心の話。
もう一つは、市井の人という片隅の話。
で、
意思決定の葛藤やヒロイズムは無いけど、その代わり、
日常のささやかな幸せというものがあって、
理不尽にそれを奪う巨大な厄災も、ときに訪れるが、それでも生活は続く。
何が不幸だよ、愛する人も愛してくれる人もいて、かつそれが一致してて。
厄災で喪失したって、存在したし、また存在するんだろ。
チッって舌打ちしたくなりますよね。
ですが、それが本来、人間の営みというもの、こっちが正統。
ちっぽけな街に生まれ、人混みの中を生きる、
数知れぬ人々の魂に届く方が本来と仰る。
これは力量が無いと説得感なくすんだけど、
それだけの普遍性を持たせるのは、シンゴジラとは真逆な大変さである。
どちらも5年経ったから、作れるようになったんだけど。
ま、わたしゃ辛かったですけどね。
昨日まで有った家がぺしゃんことか、
骨が戻ったとか戻らないとか、
遺体があるとか無いとか、
母だけ残ったとか、子だけ残ったとか、
人違いだとか、連絡取れないとか、
放射能とか放射脳とか、
見渡すかぎり瓦礫で、呆然と私も一ヶ月後に立ち尽くしましたから。
その記憶は昨日のことのよう。
また、思い出すような見せ方してます。ズルいなぁ。
まあツラいフラッシュバックですが、辛いのはそこじゃない。
夫婦とか、家族とか、ささやかな幸せとか、
その記憶が、、瓦礫のようにはいかない、、
精神にダメージ負わせたのは、
思い出せるからじゃなく思い出せないからです。
その後、記憶なくすまで飲みました。
自分の育った境遇とか、
5年前に肉親の人間性をまざまざと思い知らされたこととか、
すずさん、幸せねぇ。
人間の営みの偉大さという巨大な感動は私にもありますが、
多分あの映画で感動できる人達は、
社会の一員で、ささやかな幸せの味を知っているんでしょうね。
チッって舌打ちしちゃいます。
「戦争の悲惨さ」とかステレオタイプな紹介してるのとか。
日本人には戦争も津波も一緒。
「熊本の記憶を忘れない」ってこないだフト見かけた。
なんかそっくりです。
何で8月15日は「戦争の悲惨さ」なんでしょう。
それじゃ、津波だって台風だって、いっしょじゃん。
戦争の愚かさ? いや、戦争は人が起こすもので主体じゃない。
せめて人間の愚かさであり、日本の意思決定の失敗じゃないの。
記録は大事だけど、記憶はどうでもいいよ。
耐震基準とか老朽化対策とか、原因と対策じゃん、失敗学だよ大事なのは。
昔から違和感感じてきました。怒りさえ覚えます。
ヤラなきゃなんないことは、そんなことじゃない。
あの映画みて、
ああ、一緒なんだ、日本人には。って教わった。
人災も天災も理不尽で巨大な厄災という意味において。
どうせ復興しなきゃいけないことに変わりなし。
そして生活は続くし、泣き笑いも続く。
ああ、そういう人達なんだよ、だって災害ばかりなんだし、
何でそんな運命かと問われれば、絶好の立地条件だからとしか答えようがない。
環境が人を作る。
ここは本来自分の居る場所じゃない、
子供の頃から感じてきた違和感の正体が少し分かった気がしました。
あ、批判の幾つかにも触れよう。
「三丁目の夕日」的な美化されたノスタルジーで当時のリアルじゃないとか、
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
とりあえず、その批判が可能なのは、
昭和ヒトケタより以前の生まれか、タイムトラベラーかのいずれかでしょう。
そのどちらかでもないなら、どのみち幻想です。
そして、明らかにあれから5年経った現代を意識して作ってますから、
リアルを言うなら、言う資格のリアルも提示しろよ、
そして、この風土の普遍性って、多分そんなに揺らいでないっぽい気がする。
加害者として日本とか批判については、
韓国の人がそんなこと言ってるらしい。
またかって、思うのは日本人でしょう。
ワタクシも、その批判はありえるけど、作品の批評としては低レベルって思ってました。
観た後ではスタンスちょっと違う。
怒りは二次感情なんだよ。
一次感情に向き合う勇気も、それを説明する言語能力も、
人間には乏しいから、ステレオタイプな二次感情で処理するんだよ。
韓国人は観といた方がいいよこの映画。
好きでも嫌いでもドーデモよくても、引っ越す訳に行かないんだし。
ああ日本って思いますよ。
自らの意思決定の失敗で高い授業料払っても、
それとは別に幸せはアリ、淡々と復興してしまう。
それはそれでいいけれど、
なんで分断されないの? ベルリンには壁出来たのに、
オーストリーが分断されるって、おかしくね?
分割民営化しろよ、生うどんのようにセルフでやれって、
ワタクシも実は同感だ。理不尽。
この世は自業自得のはずなのに。
何事も無かったように復興する隣人は不気味だし、不安だ。
38度線で分断されるのが、意思決定した敗戦国でないのは、
哀しくてやりきれない。
何故と問われても、沖縄に基地があるように、絶好の立地条件だったとしか、
答えられない。
その気持ちを理解したんだな、あの映画観て。
だからと言って安易な二次感情でガス抜きは、自傷行為だけどね。
しかも、もう一方が人民の楽園でミサイル飛ばすとか、日々不安だし。
主演女優も名前を奪われる理不尽な目に遭うし、
巨大な厄災は理不尽だが、それは映画に文句いっても、、
それよりも、一次感情を受け止めるしかない。
この人しか無いというほどの名演。
テレビの時は震災で、映画は戦争ってのも暗示的ですね。
ご本人も巨大な力に翻弄されてて、
本来ブレイク後に受けるべき恩恵も別の人。
「すず」って名前も暗示的だ。
たしか最初は、代わりにキャスティングされたんだよね。
その後あっという間にスターダム。
出川哲郎とのやり取りも面白かったなー。塗布!
漫画原作の主演映画も好評。
そう、大泉洋が好演で宇多丸師匠褒めてたね。あのゾンビ映画。
いや、主演は長澤まさみの方なのかな、
とにかく、
昔、紅白も出たんだよね。やっぱ事務所ともめちゃね、
出なくなってイノッチじゃなくて相葉くんだっけ、
司会になって勝って驚いてたんだよね。
本来は「あまちゃん」の主役がやってもおかしくない。
それに、ロバート秋山との絡み最高だったな。フランダースの犬。
蛭子さんじゃなく堤真一主演の漫画原作の映画出てたころからすると、
激太りって一時噂されたけど、戻って良かったね。
どうでも良いけど、
時々youtubeで見るビットコインのCMなんであんなにダサいの。
ま、戻って良かった。
それでスポットライトから外されて、
逆に日本映画史に残る傑作の主演ですから、人生分からないものです。
良かったね戻って、ちょっと天然で、可憐で。
この人しか、いない。
でさ、
のんちゃんと意地悪な姉さん、どっちに感情移入するかでタイプ分かれる。
自由意志より、本来の人間の生き方かもしれない。とも思うけど、
好き勝手生きようとした進歩的な義姉は愛するもの全て奪われた。
でもそれが自由ってもんだから、
違う幸せを生きてる人に八つ当たりしちゃいけない。
そんな彼女も、ついに運命と和解。
一隅を照らすという和解。
母のない子と子のない母と、ちょうどハマって家族再生という復興。
ハッピーエンドで良かったね。
途中で自由を生きるの諦めて。
田舎では経済が無いって喪失感を得た。
お金頑張ってるけど、中身空っぽって東京でも出会った。
今回も東京で暮らして、また違和感感じるかな。
もうそれはいいんだ、所属からも所有からも自由になりたいんだよ。
重力を軽くして、加速する時間に乗るんだ、一巡した世界へ。
ああ、最終解脱したいなぁ。
多分また、東京でも辛いとか思うんだろうな。
ゴンザレスさんの明日から使える名言フト目にしました。
http://www.zakzak.co.jp/people/news/20161116/peo1611161530001-n3.htm
アフリカの原住民が僕の親友だったり家族であるわけではないし、アジアのスラム街で育ったわけではない。彼らからしたら僕は異物なんですよ。ヘンに同化しようとか、仲良くなろうという気持ちは持っていません
オレもふれあいごっこジャンキーなバックパッカーはコリゴリだよ。
まあ、ヒト仕事終わったら、
のんびり旅行にでも出かけよう。
きっと精神回復するだろう、
オレもイスファハンの青きモスクの風にでも吹かれれば、復興するだろう。我がココロ。
いっそカッパドキアまで行こうかな、今のうちに。
そこに暮らす人々の「日常」が取材の主眼であるため、戦争地帯へ足を踏み入れることはしない。取材地選びのモットーは「パスポートで行ける危険地帯」だ。
「現場で襲われそうになったときはためらいなく、相手を殴れるようにしています」
ああ、そろそろ更新しなくちゃ。最近スタンプ押してねぇな。
ま、暫くは頑張ろう、
今年のおみくじはまだ引いてないが、
8年ぶりに会った人に痩せた?って言われた。
(この冬ちょっと太った。)
ああ、世界中のちょっとしたことがシアワセに感じられたら、
人生は思い通りなのに。
年始から凄い映画観られたのだから、ツイてるはずです。
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