会話が成立するのは、条件が揃う場合のみ。映画「やがて海へと届く」「オッドタクシー イン・ザ・ウッズ」「呪術廻戦0」 行く手を阻むのは組織なのか、自分なのか「ずるい仕事術」

私事ですが、ここ数ヶ月、
個人と組織、両方で好ましくない例を膿のように、経験し続けています。
 
会話が成立するのは、条件が揃う場合のみでした。
能力とモラルそれぞれに破綻してる組織に出会う。
これは無理。
同情すべき点はあるけど、どうしてあげることもできない。 
無理に助けようとすべきでもない。 
  
巷に溢れるコミュニケーションのテクニックって無意味だな。
むしろ逆効果なものも多い。
会話は成立するかどうか、割り切りが肝心。 
手段は手段として幻想も抱かない。
 知覚であり、期待であり、要求であり、情報ではない。
ドラッカー先生の教えを読み直したりしてます。高級すぎるか。
 
 
 
それで、先日、
雰囲気映画とファンムービー、日本のマーベルシステム観てきて、
会話を意識してしまいました。
 
 
中川監督のことは好きにはなれない。 
この人自分のご都合優先だから。なんか雑。
相手に対する敬意が無い。

全てが唐突なまま、繋ぎ合わせるので、
やりたいことは分るけど、ただ並べただけ、もうちょっとスムーズにやってよ。
特に会話が成立してない。
大阪のオバちゃんみたいに、一方的に話してるだけ。
 
相手に対する関心が無い。
だから突然、意外な知らせに驚いているけど、
そりゃ、中川監督あんたがガサツな人だからじゃないのかな。
自分にしか興味が無い。
説明が説明になってないなと感じることも多い、
映像もキレイなんだけど、この構図が正解かな。と思うことがある。
観客に対する関心の無さが表れてる気がする。
  
 
 最近「批判も愛」と仰る方に出会ったのですが、
 他人を不快にする言動に無自覚で、本質が身勝手。
 学校時代どこでも上手く行かなかったという、
  そりゃ嫌われるだろうな。
  他者に対して関心がなさ過ぎ、自分が満たされてないとね。
 批判を愛に変換できるかどうは知らんけど、
 批判の種を自分で撒いてるようには見えた。
 
 いじめはいじめる側が100%悪いが、
 嫌われるのは、嫌う自由はあるからな。
 
 愛がなんだって、高尚なこと言って遠回りするより、
 正確な自己認知で、自己保身のための振る舞い止めた方が、
 さっさと問題解決するのにな。
 
主観が強すぎると、認知が歪むよな。身につまされた。
 
 
で映画は、最後まで雰囲気に騙されて、
喪失からの回復というテーマに寄り添っていられるのは、
ひとえに、岸井ゆきのの顔面を愛でる映画だから。

相方の浜辺美波は、何を着ても、どんな髪型でも、どの角度でも美人だ。
が、犬顔の演技派の主演は、
 はしのえみ、キャリーぱみゅぱみゅ、樹木希林、石田ゆり子、
に、角度と表情によって、見えたり見えなかったりする。
 
この心情で、この台詞で、こんな表情するんだ。
物語的には微妙でも、なんか上手いので騙されてしまう。
非言語含めた表現能力の高さに、圧倒された。
 
全然オススメじゃないのに、満足して映画館を後にしました。
雰囲気にも騙されている。
  
テーマ的にはね、
人は他人の片面しか見ていない、ってそりゃそうだろ。
人は神じゃない。それが他者というもの。何をいまさら。
ガサツな人ってそういうこと理解しない。
満たされてないと、客観性は育たないと、元母親のこと思い出した。

光石研の店長が代わるシーン気にいってます。
 新しい店長が岸井ゆきのに指示する。
 前の店長のこだわりのオーディオ一式処分してと、
  うーん、
  これ会社の備品か私物かで扱い違うから、
  そんな雑な指示出して問題ないのか経理的に、
 と雑な監督だな、と脳裏をかすめました、
 
 が、
 前任者の思い入れの産物は、面倒見れる人いないと重荷でしかなく、
 諸行無常な喪失感を表現するにいい演出だな、
 多分、原作がいいんだろうと偏見で見てました。 
 
岸井ゆきのって賢い。
そうだよね自分と違う世界の他人演じるのだもの。
 
  
現実世界で、
 そりゃ人が代われば、指示も変わる。それが普通。
 優先順位も変わる。
 問題は、指示内容の理解度。
 なぜ、言われたことをやることだけにフォーカスする?
 相手を理解してからとか、そんな高尚なことはどーでもいいよ。
 指示の意図や目的は考えろよ、そして確認したら?
 いい人だけど、マニュアル君で一緒に働くのは辛い。

って体験もしました。先日。
  
同時に、
IT産業の労働に染まるベテランの方に会いました。
 別に、仲良しクラブの世界で生き延びるのは、
 この世は適者生存な正義かもだけど、
 ビジネススキルが0点なのは、過剰適合に見える。
  時間は守れないし、
  準備はチグハグだし、
  順序立てた段取りや進行は出来ないし、
 
 言われたことだけやって、それで責任負わないし。
 自分の適者生存を誇るのは勝手だけど、
 自由でもない、楽しそうでもない。
 今会わないかつての仲間は、ステージ変わっているはず。
 
ああ、
だから、あのとき、
 この世界に安住して、死んでゆくのは無理だ。
もうこの仕事は辞めようと、投資の世界に転身したんだった。
と回答を突きつけられる。
いまさら、
労働者のゲームのルールに適合するのは無理だし、
それは好ましくない。
 
光石研が上手くて、連想してしまった。
  
  
 
会話が上手で、孤独を自認する男のファンムービーも観た。満員でした。 

わざわざ、映画館行かなくても、、
とは思うものの、ファンだから、お布施払ってしまった。
時間と予算の制限の中で、そつないけど。
  
総集編なのは予想の範疇だけど、中盤からはTV版そのまま過ぎるかな。
その後の展開は蛇足かな。youtube観てないと意味分かんないと思うよ。
 
あのラストは個人的にも残念だった。
今どき珍しいハングリー精神。
悪事に手を染めても、成功して欲しかったな。
ほっておいても、記憶や知覚に問題あるんだから、
無理に隠蔽しようとして、墓穴掘ることないのに。

 
最近は、「覆面ビリオネア」泣きながら、何度も観てます。
 
リスクを取って、チャレンジしなきゃ生きてる意味も無い。かな。
動物でなく、人間に生まれたのだもの。
 
 
先日、 
 人生の主導権を早々と手放して、
 なんの後悔も、世代への責任観念もなくても、
 幸せそうな老人にも出会いました。善人なんだろうな、
 私の元父親を思い出します。
 貧乏人は、自分が貰うことしか考えられないと言う。
 私には、そんな信念だから貧しさから抜けられないように見えた。
 どっちが、ニワトリか卵か。 
 
正解は知らないが、
 彼のように生きるか、グレン・スターンズのように生きるか、
 人生の選択を迫られているよう。
 
 
セールスの学びといえば、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」

 
出所後は、セールスのカリキュラムを売って、また成功している。

 
悪を行う勇気無い人より、魅力的に映る。
「オッドタクシー」も、一度は成功してから、捕まって欲しかった。
 
 
 
「呪術廻戦0」は、ジャンプシステムというより、マーベルシステムみたい。
会話が全て上手いとは言わない。けど、
恋愛ものとしては、オタク向けアニメの会話とは、一線を画す。

売るということには、法則があるんだな。
 
連載の方も、主人公交代でしょうかね。これだけ売れりゃ。
  
 編集部は、乙骨君主役に難色を示した、
 いじめられっ子の恋愛ものだからか?
 「ナルト」完コピの設定で、屈託ない青年でスタートさせた。
 自分の中に、化け物が住んでいる。多分最後は血統主義だろう。
 ハンターでも忍者でも、試験合格と仲間。
 様々な能力者を登場させる。
 旅団でも暁でも、少数精鋭の異能集団が立ちはだかる。
 
 その後はデスゲーム編になるものと相場は決まってるのだけど、
 勝利条件が曖昧では、ゲームとして成立しない。
 微妙な展開かと懸念してましたが、

 乙骨君が主役になって、作者元気になったかな。
 もう仁徳天皇の時代の鬼神は、黒幕になりそうにも無い。

 
映画は、
 ファンサービスしつつ、
 初見でも、バトルもの+ラブストーリー両方満足できる。
 映像はとにかくゴージャスで、役者(声優)は上手い。
 まだ漫画に描かれてない時間軸の続編も匂わせる。
  (ケニアの呪術で、能力再取得するのかな)
 
マーベルが作ったのかと錯覚するほど。
 で、同じく敵が記号。

 不満な点までマーベルと一緒。
 多分、悪役に感情移入させないように作っている。
 
 ヴィランの夏油君ですが、この世の摂理を知らない。
 だから、目標達成できない手段を選ぶ。
 
  この世は適者生存で、優劣でも強弱でもない。
  最も環境に適合したものが生き延びる。
 
  べき級数80:20に収斂する。
  働きアリの実験。
  劣な多数がいなくなっても、優が80:20に分かれる。
    
 結果、薄っぺらいステレオタイプの優生思想の悪役、おざなり。
 もうちょっと、悪役の造形考えて欲しいなぁ。
 友情シーンも省いた方が良かったくらい。
 
 間違った手段で自分の欠乏を埋めようとしてる愚かさは、もっと描けるのに。
 
 
とはいえ、 
システムに乗せるのが完璧。売れるには訳がある。
つくづく、「KAPPEI」が悔やまれる。
大怪獣のあとしまつ」は自業自得だけど、
 誰に、
 観なければならない、必要性を訴求するのか?
 
どう売るかまでセットでプロデュース。
佐久間Pは「ゴッドタン」では視聴率取れないの見込んで、
最初からDVD販売でペイするように戦略を立てた。

プロデュース能力は、番組制作に留まらない。
組織内の自分プロデュースが最初にあった。

組織の問題を、個人の努力でカバーするには限界がある。でも、能力が足りないまま組織の悪口を言うばかりでは成長できない。行く手を阻む壁は会社なのか自分なのか。その見極めができてこそ、その努力が実を結ぶ。

  
プロデュース的視点を忘れ、いち作業員の視点に引っ張られ過ぎだった私は。
  
打ちひしがれたり、勇気湧いたり、
人生は止まらない列車。

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