退屈だけど泣く映画「カモン カモン」課題の分離ができない大人と孤立無援な子供

予想どおりのA24らしい映画。完璧なキャスティングでした。

エンディングにかけては、ちょっと冗長かとも思いましたけど、
泣かせます。
子供の孤立無援に静かに寄り添おうとしてます。 
 
主演の男の子ウディ・ノーマンも、ホアキンも、
そんなに、幸せな子供時代じゃなさそうだし、
子役は家庭環境も大変って私の偏見でしょうか。 
 
 
まあ、マイク・ミルズ監督のお説教は個人的には鼻につきます。
他人のことはいいから、自分の頭のハエを追えよ。とイラッとします。
 
 子供の未来は子供がどうにかするし、地球のことは地球がなんとかするから、
 大人は自分の人生真面目に生きたら。
 
過干渉なくせに、何も助けない、助けられない親みたいな態度をまず改めたら。
って、ツッコまずにはいられない映画でしたね。
 
 
他人の頭のハエを追いながらも、
大人のダメなところちゃんと描いているのが、肝ですかね。
 
いつまでたっても、精神的に自立できない大人、
課題の分離ができない大人、
  
ラストでホアキンは、
身内に「困ったら俺を頼れ」とは言えないジャーナリスト風味の大人。
 
たまには、ご褒美もあるけど、基本ハードモードで、
ダメな大人にぐるり四面楚歌な子供のリアルはよく描けてて、
 
泣いてしまいます。
有能な子役で泣かすの、ズルいですよね。
 演者の機転の効くアドリブ、
 監督の高い編集力、
 ドキュメントのリアルの強さ、

何度も、この動画再生してしまいます。

現代では禁止されててる鬼畜な心理学の実験ですが、
大人であればなおさら、環境に隷属して生きていますもの。
 
責任が無いのが、一番楽ですから、
責任という苦痛から逃れたい。
人は、
 苦痛から逃れるか、
 快楽を求めるか、
そのどちらかで、意思決定しますよ。
 
マイク・ミルズ監督の主張も、
のうのうと電力消費しながら、環境云々とのたまう方々に似て、
大人の安い免罪符的な匂いを、そこはかとなく嗅いでしまいます。
 
 
課題の分離というのは、
自分の責任には全力で向き合い、
それ以外のことは他者を尊重し、むやみに立ち入らないというものでした。
 
子供は、
自分の機嫌を取れない幼稚な大人の機嫌をとろうとしてしまう。
知識が無いので、無駄なことをついしてしまいます。
幼いころに学んでおきたかった。 

私は今でもまだ、上手にできない。
  
親を失うことは生活の危機だし、
仕事を失うことも、しかり、
人間、欲と恐怖には弱いものです。
今はどうでもいいことでも、古いクセがまだ抜けない。
 
 
あと、他者分離というか、他者という存在の理解が、
下手くそでしたね。

私の元親たちは、このサリーアン問題は解けないかもしれない。
少なくとも、私の記憶の中では、
他者視点で思考を巡らすという姿が検索にヒットしない。  
 
ま、相手の思考を読むというのは、戦略、戦術の基本だから、当然としても。

この世は不完全情報ゲーム。
私の見えているものと、あなたの見えているものは違う。
その上で、相手の思考レベルまで読み切って、初めて成立する。
 
ところが私は、 
サリーアン問題が解けない人と会話しているという状況でも、
人読みができていない。いなかった。
 
今は、IT業界に関わると、
視点の切り替えができず、自己投影でしか話せない多くの人に出会います。
自分の手牌しか見ていない。
 あんたと一緒にすんなよ。
しかし、
主観でしか世界を理解しない人もいる、ことを認められないのでは私も同類。
  
血は水より濃いかと、戦慄するのですが、
ハードモードな人生だからこそ、自分を救うことに集中ですね。
未来や社会を語るような大人のマネは辞めよう。子供ならなおさら。

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