2024年本屋大賞の発掘部門で、井上夢人『プラスティック』が選出された。
私にとって、懐かしい名前。
寡作で、寿命短めな作家だったのは、残念だった。
爆笑問題のような世界線もあったかもしれない。
それはさておき、
小説のメタに対する挑戦。みたいなことは、
今、小説にお金落とす人達には、流行らないかと思っている。
自分の頭を使ってなお、正解が不明瞭なコスパの悪さ。
現代において致命的な弱点かと。
SNSでプロパガンダ飛び交う、相互洗脳社会を生きる我ら、
投げっぱなし系を楽しむ属性は少数派。
この時代に再評価されるのは意外、
ああ、↓この作品はきれいな着地で、読者に余白は残さないか。と納得。
映像化は困難で、小説ならでは面白さ。
叙述トリックそのものとは、ちょっとだけ違うテイスト。人物の描き方に特化。
アイデア自体は、既にありきたりだったはず。
それでも、
物語の中心の謎。その推進力が強く、
活き活きと描かれる各キャラクタの行く末を追わずにはいられない。
巧みな話芸に転がされる読者体験は楽しいものでした。
どの作品でも、会話がとても上手。
会話だけで、お話を進めることも多い。
シナリオライター出身ということが大きいか。
説明を会話で処理する。
会話で関係性を表す。
日常と同じ自然なテンポを保つ。
むやみに描写しなくても、
人物が浮かび上がり、お話がスムーズに展開する。
物語のドライブ感を産む語り。
単なるトリックでなく、小説上の企みを持つなら、
滑らかさは必須で、
不細工だと、その引っ掛かりがノイズになって醒めてしまう。
岡嶋二人時代から、読者に無用な疑問を抱かせることを嫌っていたと知れる。
懐かしさのあまり、キンドルで購入。再読。
作中の徳さんとイズミの会話は、抜群に上手い。
お話の運びも秀逸で、いろいろあった中で、
作品のトリックの育み方を興味深く再現しながら、
岡嶋二人という作家の盛衰の経緯を赤裸々に描く。
内容に関しては、
その後のことも考えると、
爆笑問題に成れなかった岡嶋二人。という物語。
太田光には、
光代夫人が居て、かつ、
談志の”田中を切るな”との忠告を守った。
盛の部
ひたすら会話を繰り返すことで、素材を吟醸
締め切りなく、妥協なく吟醸。不自然を払拭
二人とも映画や小説に造詣が深く演出の引き出し多し
(「砂の器」「太陽がいっぱい」から引用)
最初から徳さんは素材提供、イズミは料理人だった
アイデアと執筆。役割分担自ずと決まる
決定権は執筆のイズミに、徳さんは主張控えめ
衰の部
岡嶋二人にはマネジメントの人材がいない
仕事量増えたらアイデアと執筆で50:50な訳がない
会話から、締め切り厳守のアイデア提示に変容、劣化開始
チャット系ツールの前にメールに手段を切り替えてしまった
期限までにアイデア出せも無理
対外折衝、広報など、徳さんにその能力は無い
執筆者は交代できないのにイズミにその自覚が無い
一人より二人の方が、運営のコストは増加する。
しかも、
執筆が確実にボトルネックになる構造なので、量産に限界がある。
「キン肉マン」のように、
中井先生の作画を最優先に保護し、
嶋田先生が他の業務を引き受けるなら、
協業が成立すると想像する。
残念ながら徳山氏に、その能力はなさそう。
雁首揃えて編集と打ち合わせしていては、50:50な訳がない。
押しの弱い徳さんでは、交渉事もままならないだろう。
かといって、
執筆を分担しようにも力量が違う。
仮に力量が互角であっても、
「ドラえもん」と「笑ゥせぇるすまん」くらいテイストの違う作風になってしまう。
岡嶋二人はプロとして仕事量が増えた時点で、再編が必要な組織だった。
二人の関係性で解決するのでなく、マネージャかつエージェントの導入が先決。
スケジュール調整や仕事量の差配を行う機能が、執筆者とは別に必要だった。
主導権を握っていた井上氏が、問題解決の方向性を誤ったと、読み取れる。
そうでなければ、作家としてもっと長く継続できたのではないか。
なによりも、彼らに光代社長は居なかった。
(現実は井上氏が作家よりも望む別の仕事をしているのかもしれないが)
井上夢人として、華々しくピンで再出発したのだけれど、
2023年度の発掘部門で選ばれる結果は、とても残念。
良いパートナがいれば、ネット上で創作の幅を広げていたかもしれない。
徳山氏に締め切りの義務を負わせず、
会話中心でアイデア出しと吟醸作業を続け、
決定権はすべて井上氏が握りつつ、
マネジメント機能がチームに持てたら、
息長く続いたのではないか。そう夢想してしまう。
コンビ解消後は、
プロットの面白さを提供することが前提だった、岡嶋二人からの解放、
「クラインの壺」「ダレカガナカニイル」「プラスティック」「メドゥサ、鏡をごらん」
など、次々に発表していた。小説のメタに挑戦していた。
推理小説より清水義範「バールのようなもの」にむしろ方向性が近いか。
が、いつまでも続かず、、
「風が吹いたら、桶屋が儲かる」で、チームを描く連作物でゆくのかと思いきや、
その後の「the Team」「the Six」に片鱗はみせるも続かず、
「99人の最終電車」で、ネットに可能性を広げるのかとも、期待あったが、
着地に失敗。マネタイズが難しい。
CD-ROMの物販ではビジネスセンスが足りない。
せめて最新話以外のアーカイブへの課金や、サブスク導入などあれば、、
徳さんが居たら、
もっと違う結末で、課金システムにも連動したかもしれない。
最初のアイデアは画期的なのに、良き相談役、ブレインが居ない。
小説界のキンコン西野に成れなかった。
(そういえば、西野もカジサックは切ってない)
蛇足ながら、再読のレビューを。
岡嶋二人から解放され、小説のメタに挑戦。
完成度の高さなら「ダレカガナカニイル」、
推理小説としてもきれいな着地なら「プラスティック」が、勝るかもしれない。
しかし、もっとも意欲的なのは本作。
今読むと、
メドゥサの学芸会は強引過ぎる展開なのと、
ヒロインの造形が今ひとつ魅力的でない。
という欠点も見つけてしまう。
が、
それを差し引いても、メタに挑む企てに心地よく騙さていたい。
伏線回収とかドンデン返しとか、わざとらしいのには飽きた。
主観を固定しながら、外側が奇妙に変化してゆく。
気がつけば、とんでもないところまで連れて行かれてしまう。
”石海”という地名からジョジョネタも連想するのだけど、
安部公房、筒井康隆、「異人たちとの夏」なども懐かしく思い出した。
↑こういう楽しみに一番近いかもしれない。
リアルが、なんかバーチャルなものに侵食されてゆく可笑しみと怖さ。
ああ、あの映画も面白かったな。
逆に、「プラスティック」はきれいに纏まっているので、
分かりやすいサプライズに寄せすぎにも感じてしまう。
今の時流には少数派で、人気は難しいかもしれないけれど。貴重な個性だった。
チーム物の可能性。
落語の現代風ともいえる意匠。
やはり会話がイイ。ヒロインも毎回魅力的。
そのフォーマットの中で、アンチ推理小説という企み。
”そんな訳あるかい!”というセルフツッコミ。
その企みを楽しめるかどうかは、読む側にもメタ視点が要求される。
一見直球かと見間違う変化球を楽しむ。
”そのタイプの推理ものあるよね。でも現実にはちょっと無理でしょ。”
兎にも角にも、
無理やりなプロットのために、現実が犠牲になるのは、醒めるのでイヤだ。
そんなストレスを解消してくれる。
こういうフォーマットもっと開発してくれるかと、予感はあった、、
「the Team」はアンチ細木数子で良かったのだけど、
空き巣の特殊能力で解決し過ぎかな。
徳さん居れば、もっと磨いてくれそう。
最後といえる「the Six」では、昔取った杵柄感が強く、
現役だったら、もっとフォーマット練り込んだはず。
毎回、
児童相談所の職員が語り手で固定し、
特殊能力から、謎が提示され、未然に解決する展開に限定。
そのくらいは縛りたい。
その制限の中で様々なアイデアが出てくる世界線もあったかな。
現実は、↓でやり切った感がある。
同時刻多人数のワンシチュエーションものを多元的に描きつつ、
今までの小説とは違う楽しみ方を読者に与える。
HTMLでリンクという場面転換が出来ること、
それを文章に埋め込めるという機能。
また、誰の物語を追うかは、読者に委ねられている。
大手出版社と組まない方が、適したアイデアが在ったかもしれない。
ネットでダイレクトに発信しつつマネタイズにも成功するアイデアが。
トンツカタン森本がTVにさほど執着しないように、
自分のチャネルが大事。インディーズで構わない。
誰か居なかったものかな、戦略的な相談できる人。
きしたかのは、youtubeで充分な成功なのかな、良きブレインが欲しい。
井上夢人には、小説界のキンコン西野に成る世界線もあった。
描写も独白も上手い。