「夜の女たち」終戦3年後の溝口健二( ºωº )!無駄なく、救い無く、妥協せず、敗戦国で映画大国のイタリアにも比肩。


1948年の公開、ほぼリアルタイムに世情を描く。
しかも、
同じ敗戦国のイタリア・ネオリアリズムに伍す写実な作劇。

と本作の存在を知るのは、
竹熊健太郎note(ネタバレ有り)からの紹介。

溝口の「夜の女たち」は実際の大阪にロケして撮られており、
セミドキュメンタリータッチで一貫しています。
溝口は脚本の依田義賢に
「君、イタリー映画の『無防備都市』を見たかね」と言ったそうで、
当時世界を席巻したネオ・リアリスモの影響を受けていたことが伺えます。

 
先週は、
お盆映画「ブンミおじさんの森」を観て、

 うーん、、
 第二次大戦後の一番の悲劇はカンボジアなのだし、
 タイの監督の主張には全く共感できず、
8月にそぐわないか。

ま、とは言えタイの空気懐かしく満喫。
鑑賞後、動画も探してしまいました。

 ジュライは世代でなくも、まだ台北は現役でした。
 今は綺麗なホテルにリノベされたのですね。
 当時も、
 街角のおネイサンを好む日本人ちらほら。
 (私は日本人とも、旅行者とも関わり避け、
  ヤワラー奥の安宿に馴染む。エアポートリンク無く、
  150バーツのバスで国鉄ターミナルへ向かう時代。
  その定宿も閉鎖され、その後はカオサン)

閑話休題。
8月に観るべきはコレかと、神保町シアターへ。


 
 《 開演 》
 
 
贅肉を削ぎ落としたシャープな作劇に、驚きます。
余計な事しないだけでなく、
最小限の構成で進むよう、すべて設計されて、
これが巨匠溝口健二の完璧主義と納得。

ワンシーン・ワンショットや移動撮影を用いた映像表現と
完全主義的な演出で、
社会や男性の犠牲となる女性の姿を
リアルに描いたことで知られている。

カット割らないのに、間延びする時間空間が一切無く、
煽らないのに、キャラに感情移入させる。対比が効く。
要領良く整理され、速やかに運ぶ、
三者三様の事情で、身を持ち崩す女性の命運を追います。

今、こういう技量の監督は思い当たらない。
逆に普段、
物語の展開大事な作品で、
 演出は派手なだけ、
 整理、説明が下手、
 テンポは良くてもディテールは雑。
大衆娯楽なら尚の事、そこは頑張りたいのに、
と、乗れないケース幾つか。

本作は、 
数日前の情感に浸るタイプとは正反対の方向で、四角四面に精緻。
かといって、
リアリズム一辺倒でなくスペクタクルも魅せ、
退屈の暇を与えない。
 
現代の配信に、
こんな能力者居たら、さぞ人気と思う。
  
 1.最少で淀みない作劇
 2.滑らかと大胆なブツ切り
 3.感情移入と冷徹、棒も可の演技
 
※ネタバレ若干します。出来るだけ避けます。
 
 
 
1.最少淀みない作劇 逆「hunter」
 三人の女性は、姉妹にしなくとも、
 生い立ちバラバラで、’職場’で出会っても成立する。
 同様に、
 クス男はもっと人格分けても問題無い、むしろその方が自然。

 出来るだけミニマルな構成に脚本は腐心し、
  縦長で奥行きを使う構図と、
  舞台劇中継と見紛うカメラワークが、
 その意図を具現化。

 ワンカット長回しとよく言われるけれど、
 むしろ、
  意味の無いブレイクを入れたくない。
  観る側に余計な脳の処理を強いない。
 という意識が強いと見受けられる。
 役者のみならず、観客にも緊張感伝わり、
 リセットは場面転換のみ。
 
 
 物語としては、当然その方が美しいけれど、
 もっとカット割って普通。
  そこまで、しなくても。。
 が、極限まで無駄を省きたい。と巨匠は仰る。
 
 これで運命を3つ並走させ、混乱が無い。73分で畳む。
 異能な拘りが、現在の目に新鮮で、
 表現や説明を抑制するミニマリストは数多くも、
 一線を画す突出でした。
  
 
 
2.滑らかと大胆なブツ切り 
 説明過剰という無駄を嫌うのは、当然として、
 しかしセリフと映像で、プレゼンは淀みなく、
 充分に状況が伝わる。
 
 説明が大変なのは、作り手の自業自得。
 足すのは誰でも、減らすのは技量が問われる。
 
 本作は当然、
  説明最少で済むよう予め設計されて、
  かつ細部まで注意払う、
 その上で、
 あくまで流れ重視、停滞しない。
 観客を置いてゆくことすら厭わない。 
 全く妥協無い。
  
 
 ところが、
 シーンごとの切り替えは、ブツリと。
 1シーンではカット割らずスムーズなのに、真逆。
 緊張のブレイクが入る。

 大胆な寸断も起こし、 
 並行に、もう一つ物語が進む。
 
 そんな編集は、
  出来上がった映像の邪魔せず、余計な手を加えず、
  呼吸だけを計って、切り繋ぐ。
 なかなか出来ない技。
  弟子筋の坂根田鶴子(日本初の女性監督)が担ったと聞く。

  ノンフィクションな味わいも、彼女の功績かもしれない。
  内容も、
  ノンフィクションに相応しい。当時を反映する社会派で、  
  時代劇より、ハマったと観た。
  
 
 通常は、
 シーンの中で幾つもカット重ねる一方。
 シーンごとの繋ぎ(トランジション)はスムーズに処理したいもの。

  基礎が有り、そこからはセンス。
  苦心様々。
 
 
  
 大胆な省略も、ときどき。
 本作では、例えば、
  田中絹代の転落後は、いきなり描かれて、
  子供を亡くした事は直接描かれず、
  今の境遇を知る中で、”やはり”と、
  観客は漸く、転落までの事情を理解する。
 
3.感情移入と冷徹、棒も可の演技
 悲嘆に暮れるシーンを、情感たっぷりと、
 観客の涙を誘うことも出来た。
 同じシーンを撮るなら、
 客を泣かせたいと演出する監督が大半かもしれない。
 
 今の時代は、よっぽど作家性の強い独立系でなければ、
 そんなワガママ許されず、
 ハリウッド並にベタにヤれと、圧力掛かりそう。

 
 まあ、当時でも特異なりアリストだったと思われる。
 溝口健二は妥協無く、
 情緒に流れることを許さない。
 敗戦後に、敗戦を描いた作品としても特異。
  
 なかなかにハードボイルドで、
 棒の演技は許容しても、
 わざとらしい芝居は決して許さなかっただろうな。
 (そんな制約の中、
  育ちの良い未亡人と、春を鬻ぎ逞しく世を呪う、
  主演女優の二役のような演じ分けは、見事でした)
 冷徹という言葉が似合う。
 人間を決定的に突き放して見ている。 
 
 
 そして、そんな作風なのに、
 ここぞというシーンで、キッチリ感情移入させる。
 最少の構成なのに、前フリが巧み。
 例えば、 
  妹が妊娠を知るまでの展開は淀まず流れ、
  身を持ち崩した姉と、
  (作劇上)出会うべくして出会う。
 
 隠す処は隠し、単なるサプライズに落ちない様に、
 事前に準備して、感情の導線を周到に引く。
 緻密な設計の賜物とも思う。
 
 
 
当に、8月に観るべき映画。ビンゴでした。
こんな視線で、敗戦後に敗戦を描いた日本映画、他に私は知らない。
 
 
 
過酷な境遇を生きるのは、むしろ令和にそぐう。

痛くとも歩くけど、痛いからヤッパちょっとショボる。  
 
 
  
2026.08.18 20:00現在
 2σタッチで抵抗され、下落始まる。
 一旦、20MAまでは戻すと想定。
 高市首相就任以来の長期上昇トレンドの転換と見るには、
 時期尚早だけど、お得な買い物を目指したい。
 
  
 今朝は散歩の帰り、喫茶店が開いていてモーニング食す。
 待つ間、少年ジャンプ手に取り、「hunter」読む。
  これだけキッチリ前フリ、セリフでの説明もして、
  考察勢の中には、
   前フリ認めず、可能性場合分けして予想して、
   特定を避けて真相を隠した部分は、勝手に決めつける。
  読んでて、気の毒にもなった。
  よく噛んで、味わって消化したい。
   前フリを芸人さんが軽視する動画は、見て辛い。
   職業上それは、思いやりが無い。  
   それで展開に驚くのは、自作自演じゃないかなぁ。
  飲むようにトースト頬張り、去来する。

 ヒアリング鍛えようと、大体いつも挫折。
 日本語を見る。   
 

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