「パキスタン紀行2014春」#33 20140517 モヘンジョダロからラルカナに戻る

チチチッというヤモリの鳴き声で起こされてしまった。
まだ夜は明けていない。電気も止まったまま。

どうしようもねぇよ。
外はもう、虫や鳥の声が聞こえるのだが、
真っ暗では身動きが取れない。
 
そしてなにより起きるのも億劫だ。
そうとう疲れていると分る。

多分精神的なものだろう。
ラホールやカラチと違って隔離された感がある。
どうなるか分からない不安感があった。
実際、ちゃんとラルカナに戻れるかどうかも分からない。 
 
尿意を覚えて、手探りで用を足す。
多分、ダイジョブだったはず。的は外してない。ハズ。 
若干自信は無いが、手を洗って、もう一度まどろむ。
夜明けまでは、起きていても出来ることは無い。
 
 
今度は正真正銘の朝が来た。
先ほどよりは体が軽い。8時半までベッドでウダウダして、
意を決して起きる。歯を磨く、シャワーを浴びる。
荷造りをして、チェックアウトだ。
 
食堂に行き、ペットボトルに水を貰い、鍵を返す。
戻ってくるから、荷物預かってくれと、
貴重品以外を詰めたバックパックを預かってもらう。
トランクルームにキーを掛けてくれた。
 
 
さあ、今日はストゥーパ周辺を見て回ろう。 
モヘンジョダロの朝は普通。掃除したりして朝らしい光景。
まだ日差しは厳しくない。
 
改めて、ストゥーパを登る。頂でぐるりと一周。
東西南北を「歩き方」のマップで確かめる。確かに、影が差す方角が西だ。
 
東は遺跡が点在して広がり、インダス河に至る。
南北の境界は曖昧だが、
DK地区やHS地区から垂直に西に線を引いたあたりはテリトリーだっただろう。
 
本丸から東に城下町が拓け、接岸する。領土の外側は鬱蒼とした森。
そんな光景を思い浮かべる。
安土城から城下を眺める信長もこんな気分かもしれない。
 
さて、本丸の西側を眺める。
マップによると、学堂、倉庫、浴場などがある。
あ、高いところから見て今頃気付いたが、
西側はすぐ支流だ。1kmも無いんじゃないかな。
遠くに城壁の名残りと思われるレンガの塀が見える。
そうか、この都市は川に挟まれていたんだ。 
 
本丸から南西の角に砦跡があるのだが、
西側は本丸に近い位置に防御線があったのだろう。
西南の角から、真っ直ぐ南から北へ線を引いてみると、
山のような盛り上がりが分る。 
 
マップには南西のL地区の方に集会場とあるが、
真西のゆるい傾斜で扇型の広場の方が、むしろ劇場や集会場という趣である。 
まつりごとに類することは、この西の裏手で執り行われていたのではないか。

 
感触が掴めたところで、ストゥーパを見直す。
形は仏舎利を納める塔。タイでもこんな形。
正面が東だということもスグ分る。階段らしき彫込みがある。

問題は、南に中心がズレていること。
本来であれば、仏殿、仏像、仏舎利は東に一列に並ぶ。
しかしこの配置なら、ストゥーパの北側に像があったはず。
東からは横並びで見ることになる。
現在、ストゥーパに登るときも北口からなんだよね。

ストゥーパは2世紀ごろ建てられたという。
もともと南北に長い長方形の神殿の上に無理やり、
仏教の様式をはめ込んだのではないか。
行政機関は西の裏手で、王宮的なものが北側にあったのかもしれない。
入り口は北からで、王や神官はそこから出入りした、そんな構造ではないか。

ストゥーパのあるところが元々王宮と考えることも可能だが、
神殿があったとこにストゥーパ建てる方が自然である。
古代の人が無宗教というのも考えづらい。
もっとちゃんと広域に掘り起こせば、いろいろ出てくると思う。 
 
 
それから、近くで見ようと西側の方へ降りてゆく。
 
途中、スタッフの方がゴミ拾いをしてる。
マナー悪い人達だねぇ。と言うと彼も頷く。
宗教が違うからかもしれないが、
もうちょっと文化遺産に対する敬意があっていいものと思う。
 
  
もう特筆すべきこともないのだが、
相変わらず、井戸がそこかしこに掘られ、配管が張り巡らされている。
今のパキスタンとは違い、水に潤沢な都市だったのだろう。
レバノンの国旗が杉なように、昔は砂漠も森だった。
モンスーン地帯の河岸である。周りはジャングルだったはず。
 
ま、私にとっては、違う意味で、今でもジャングルだが。
  
  
そろそろ日も高い。帰るとしよう。
宿まで戻る。シェフなスタッフの方に帰ることを伝える。
荷物を受け取って、ラルカナへの帰り方を聞くと、
ポリスのオフィスへ行けと言われる。
 
ポリスなオジサンにラルカナに帰りたいと言うと、
待ってろと、オフィスの奥で待機するように言われる。
一時間くらい待っただろうか、
連れてくからと、軽トラなパトカーに同乗。
近所のバス停で降ろされた。程なくミニバンが来る。
こいつをラルカナまで乗せってくれと言ってくれたみたい。
  
ミニバンは満席で、屋根に登る。
爽快でちょっと危険。
  
見晴らしよく、灼熱の下、強い風を浴びる。
ハンドル切り損ねて、ひっくり返ったらダメだろうけど、
一人旅だし、そのくらいが丁度イイ。
 
誰も頼る人はいないけど、
なんとか、お世話になりながら、生きて前に進む。
決して平坦ではないけれど、
人生は旅だと古人は言うが、きっと、そういうことなんだろう。
  
行きと同じ、田園風景を眺めながら、おシリちょっと痛くなりながら、
ラルカナに到着50ルピー。リキシャの客引きに会い、「ペリシン」と言う。
争奪戦になったけど最初の人が勝ったらしい。50ルピーでホテルまで。
  
ホテルで「ただいま」もう一泊お願い。
明日はアリさんに会えるかな。
あと、両替したい。
 
と伝える。とりあえず、シャワー浴びて、部屋でリラックスしたら。
マネージャにそう言われ、言われるままに実行。
寒いのでエアコン切ってもらう。リモコンは無い。
何の為のエクスペンシブな部屋は分かんないが、健康第一。
 
2時間くらい寝ただろうか、受付に降りて、両替の依頼。
30分以上ワチャワチャしてるが、
レートが0.9で交換すると決まったようだ。両替屋が無いので宿が代行してくれた。
千円札5枚出して、4500ルピー受領、そこから2000を宿代に払う。
 
まだ明るいし、散歩に行くというと、
護衛の警官つけるから待ってろという。過保護である。
そこまでには及ばない、明日、散策する予定だし。
今日はここのレストランで飯喰って寝ます。
  
チャイ二杯飲んで落ち着いてから、
チキンビリヤニとチキンベジタブルスープをオーダー。
スープもシングルサイズは作れない、ハーフからだと言われる。
相変わらずボリューミーなことは覚悟した。
 
多分、一度に作る量の最低がこれくらい、で作ってるんだろうな。
丼飯2杯ぐらいは有に喰ってる。でも完食した。やっぱモッタイナイ。
あと24時間くらいは食べなくていい。
 
ピーマンが嫌いだとよけたりするのは論外だが、
残すのも嫌いだ。貧乏性だね。だから太るんだよ。
 
自分に出されたものは全部味わっておきたいと思う。
苦いのは嫌だというのは子供の味覚。
様々な味のハーモニーを味わうのが料理である。
甘けりゃ旨いというは、楽しければ楽しいというようなもの。
平面的な味は物足りないと思うものである。
 
酢豚のパイナップルが嫌いとか言う奴は、
一生、簡単なもんだけ食ってろよ。
酢の酸から果実の酸まで、
酸っぱさと甘さのグラデーションというものが分からず、
固定観念で食べる人達。安全で退屈で灰色な味覚。
 
ああ今、望んだ人生を生きてると実感が迫る。
 
 
脱線した。 
今日のビニヤリはミントが効いてる。レーズンも入ってるだろうか。
ややケチャップ味で、チキンは後から追加方式だな。
こういう料理はやはり長いお米じゃないと。
 
もう一杯チャイを頼んで、部屋に戻る472ルピー。 
ネット接続出来るはずだが、今日は奥の部屋で不安定。
かつ、スグに停電するので、動画アップは無理かな。
何とかメルマガくらいは配信したいもの。
  
  
明日も順調に行きますように。
とは言っても、そう願わずにいられない。

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