今更、Chikilin批判では時節を得ないが、
彼女の用意したフレームに限定されて、「自分の頭で考える」のは、
さすがに、脳に悪いんじゃなかろうか、
「考える」ではなく、ファストな反応を繰り返してるだけじゃないかなぁ。
ども、日曜の昼間から、梅田で飲みました。
梅田はいつもの西成じゃないので、大阪といえど、やや高いか。
消費増税、順調に価格転嫁されてますね。
あとは賃金に反映されるかどうか。
で今名古屋に居ます。太閤口で飲んだのですが、
客引き増えましたね。名古屋の夜も随分明るくなりました。
そんな今日このごろ如何がお過ごしでしょうか。
Chikilin批判は山ほどありますが、
やまもといちろう氏の指摘は、言い得て妙。感心した覚えがあります。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2013/12/post-db35.html
少なくとも、考える能力の無い人が顧客でしょう。
だって自分の足で立って仕事をしている人がいまさら「自分の頭で考えろ」と言われても
「お前に言われんでも生き残るために相応に考えてやってきてるわタコ」という話ですから。
どこにも着地できず誰の得にもならない議論になりかねず、
ちきりん氏くらいに、分かりやすく、広く薄くが丁度いいんだよ。
少しは見習えよオレ。
そんな話を福島でしてた。
売れる小説みたいな話題で、
東野圭吾は、福山雅治で映像化されるからじゃなくて、
「手紙」のときに直木賞でよかったんじゃないのかなぁ。
まあ、審査員より売れてる人は、なんて思ってるか知らんけど。
で、「手紙」の報道被害なんかの話になって、
あれって、加害者家族の話だけど、被害者家族にも目配りしてんだよ。
そこが、チキリンとは違うとこでさー。
「そんじゃーね」じゃねいよ、さすがにイラっとした。
兄弟と姉妹たちの人生
http://blogos.com/article/91582/
確かに、加害者の家族で、その後自殺したり、退職したり、結婚が破談になったり、
って聞きます。
が、何故、加害者側に限定するんでしょう。
報道被害とか、トラウマとか、好奇の目とか、よそよそしさとか、
被害者側でもあります。
「事件関係者の家族とその後」って話題じゃ何故いけないんでしょう。
「加害者側」ってフレームを限定するやり方が、
僕は釈然としません。
なんか囲い込んで餌やるというか、畜産業のような手段に見えます。
あ、言っとくけど、
被害者は実名なのに、加害者は、、ってのは、
被害者の人権「も」守れって話で、
加害者側守られ過ぎでという話にして、
オメーのゲスい欲望の消費を正当化する為に使うことじゃない的な、
前提は当然として。
報道被害ってのは、
事件の被害者、加害者どちらサイドに関わらず、
オレたちのゲスいニュースの消費が、原動力だろ。
自分の頭で考えるなら、
当事者性がありそうなとこから起点に考えるもんじゃん。
だとしたら、一人称で語れるとこは、
報道加害な側に居るオレたち、ってとこから始めるもんじゃねぇの?
需要あっての供給だろ。
パンとサーカスのサーカスなゲスな興味は、どこまで肯定されるべきなの。
その結論は、今回は「そんじゃーね」ってことで、置いておいて。
今の疑問は、
「事件加害者」の家族に限定して、
ステレオタイプな二項対立にあえて、追い込むことに意味あんのかな。
用意された、加害者側への制裁と人権保護ってアングル。
その周りをグルグル回るのが、自分の頭で考えたことになるの?
ありきたりの展開に誘い込まれてる時点で、
インスタントな反応に過ぎないんじゃね。
問題は、
インスタントな反応しておいて、自分の頭で考えた気になる錯覚で、
この勘違いを繰り返すと、本当に考えられない人になるんじゃないの。
用意された反応を瞬間的に選択するのが、得意になるだけで。
放射線より、もっと脳に悪いことがあり、その方が有害。
今回の帰国で、実感したこと。
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