やまもといちろうvsイケダハヤト を見て、料理はセンスだとつくづく思う。

ども、jaksaは少し、寂れただろうか。
ああ、ビール飲み過ぎ。
ま、インドネシアの味覚堪能しております。
 
よくフィリピンのこと、悪口言います。ワタクシ。
四方を海に囲まれて、素材はいいのに、あの味付け。
ただ、不味いだけでなく、残念感が後から追いかけてくる。
 
今日はそんな話を。 
 
昨日、やまもといちろうvsイケダハヤトのニコ生ちょっと見た。
ちょっと、なのは、途中で見るの止めたから。
 
うーん、ちょっとねぇ。
オープニングからヤな予感はあったんだよ。
 
会場で飲食するなとか、ニコ生見てる人には関係ないじゃん。
主催者として、挨拶して、
これまでの経緯と演者の二人紹介すれば、
10分くらいは、つなげるのに。

コメントでも、「司会者無能すぎ」って書かれたけど、
さすがに酷かったな。
 
演者の二人は、
イベントの質を上げようということに協調的だったのに。
 
下手に話遮って、交通整理するのかと思えば、
自分語りを始めちゃう。
 
客観的な言葉のチョイスで質問したり、説明したり、
が無理みたい。
主観的な言葉でしか、物事説明できないってのは、
進行役としては、ちょっと致命的じゃないかな。
 
仕掛けとしてもさ、 
有料な質問で「こんど飲みいきましょう」とか、
ロクでも無いの取り上げなきゃならない残念さ。
 
「推理小説読んで殺人起こったらどうすんの?」レベルから
なんで脱出できないんだろう。

 「社畜と家畜」的な炎上マーケティングは、
 何処までフェアでどこからファウルか、
 
 人を批判する時に、単なる茶化しに終始してんは、
 じゃあアリなのか。
 
 誰でもがブロードキャストできる時代の影響力の責任とは。
 
 
のテーマでチャントやれたはず。
尽力はあったはずだよ。

だからこそ、残念感は一層募る。
 
企画(プロジェクト)はすべからく、プロデュース力だな。
 
 
企画書、事業計画書が水準に達してるって前提だけど、
主催者のプロデュースが一番大事。
 
企画の素晴らしさより、主催者の力量の方が大事。
 
 
まあ、素材と料理人の関係と一緒だよね。
 
話変わるけどね。
「お金があれば」とか「お金がないから」って言うのは、

大抵の場合、
「企画力がない」か「プロデュース力がない」って、
言うのが、適切な表現で、

お金が無いは、資金調達できないであって、
資金調達できないのは、お金が無いからじゃない。
 
自己資本100%でどうしてもってんなら、
それは、他の手段でお金を稼ぐ実力が無いってこと。

いずれにしても、お金そのもののセイじゃなく、
力量の問題だよな。
そういうエクスキューズ言う人で、
結果を得たの見たことないよ。

まあ、そういう人センス無い。
残念ながら、断言する。
 
盆が暗い、(周りが見えてない、状況判断が適切でない。)
それをぼんくらと呼ぶそうだ。
残念ながら、センスってあるよね。 
 
 
話戻すとね、
演者の二人はプロデュース力も卓越してたから、
アクセス数獲得できたんだよなぁ。

何を言えば、どう反応が返ってくるか、
その感度がいいんだろうな。
 
「26歳の頃はN◯Tの社員で云々」と話はじめるMCと対比して見てた。
 
まあ、料理はセンスだよね。
 

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