インドからも脱出

[2015.04.05]
バングラデシュからコルカタに戻ってからも、いろいろあった、
ともかくも、4月5日に脱出成功。バンコクに戻る。
バングラはまた行ってもいいと思う。
 
インドはもういいかな。
もし行くことになってしまったら、WIFI使えるやや高い目の宿に泊まろう。
「交流」が目的な可能性はゼロなのだから。
 
 
 
手持ちのルピーを使いきろうなどとケチな考えを持ったのが間違いのもと。
せめて高級な宿に泊まり、短期で使い切るべきだった。
精神的にも苦痛で、体調も崩し、
寝込んで長く居ることにもなってしまった。普通では体験出来ない事件にも出くわした。
 
ま、おかげで、コミットメントとは何か、再考させていただけたが。
 
 
 
体調も回復し、宿での事件も収束しつつあり、
ネットでインディゴエアのチケットを確保。
夕方コルカタ発で、真夜中にバンコク着。
 
最後にマザーハウスで半日ボランティアして、翌日は帰るだけとした。
 
宿で最後の昼飯を終えて、
バスターミナル、エスプラネードまで行く。空港行きのバスがあるという。
 
交差点で、エアポートと連呼して行き方聞くと、「30B」に乗れと教わる。
10rs。もっと高くてエアコンバスのはずなんだが、イメージと違う。

 
慣れ親しんだAJC Bose通りに再び出て、バスは進む。

コルカタは選挙間近。
 
ココらへんからは知らない場所、長かったが、これでお別れ。 

インドと言えばフェアトレードのことフト思い出す。
働かせないは、働けないでもあり、不幸な人の人生はそれで好転したのだろうか。
善意と効果の間には相関性は低いかと、経験に照らしあわせて回帰直線をイメージする。
 
 
 
などと、ボーとしてたら、
豪雨。ときどきヒョウに変わったりもした。
窓のスキマから天井から雨漏り、床も小川のよう。PC濡らさないように避けながら席移動。

空港へはリムジンバスで行けると聞いた、なんかイメージと違う。
 
 
 
2時間弱は乗っていたかと思う。
空港脇の道路で、ココだと車掌さんに言われる。
道路渡ると、空港の敷地内だが、随分と遠い。

バスは空港行きのはずだが、なんかイメージと違う。
 
貨物行きの方行ったり、大変迷ってしまった。
素直にTerminal2という看板に従って、延々歩くのが正解。

空港内にお寺あるのか、動かしてはいけない鳥居みたいなものかな。
 
この寺院過ぎれば、空港はすぐ。
リムジンバスのターミナルを右に曲がれば新しい施設。
入り口が何処か分からず、戸惑ったが、一番右まで歩いて、エスカレータを登る。
暫く待って、インディゴエアーのチェックインがオープン。
支払いカードの確認を求められたが、スムーズ。 
 
手続き済まして、パスポートコントロールへ。
 
 
 
運悪く、係員は上級職なおじさん。
新聞読んで、出国者を待っていた。
 
なんかいろいろ尋問される。
旅のルートやインドでの過ごしかた。
マザーハウスが通じない。
 
マザーテレサでボランティアしてた。
宿はサンタナというゲストハウス。
バングラには行って来たけど、インド観光はほとんどしてない。
ボランティアしてた。
 
しつこく訊かれて、答えた。
しかも、途中、
部下が他の出国者の手続きの仕方何度も聞きに来て、尋問は中断される。
 
 
出国するのに、何の意味あるのか不明だが、
インドは最後までインドだった。
 
 
空港もエアーサイドに来て、ラウンジに退避。
ラウンジのレベル高く。インドでなく、国際標準だった。
ビールものみ、トマトソースパスタとカレー食す。油っこくない。
満腹でスムーズに離陸。
爆睡し、気づけばもうタイ。
 
スワンナプームで朝を待ち、カオサンに早朝チェックイン。 
帰ってこれて本当に良かった。

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