平等と公平のアイダ

ども、ホーチミンは曇りかな。降るのかと思ったらすぐ止む。

6月日本に行きます。現在日程調整中です。
チケット予約の関係上、お早めにご連絡いただけると助かります。

タイ、フィリピン、台湾のロングスティ情報なんかも、
ご紹介しようと思っています。

飲み会やセミナーのご希望ありましたら、
sanpome.net@gmail.comまで、お気軽に。

前回のお礼も兼ねて、各地回ろうと思ってます。
ノーギャラでも問題ありませんから、お気軽に声掛けてください。

ところで、たまには時事ネタやります。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130425/stt13042508440001-n1.htm暴飲暴食でツケ払うのは不公平だ

麻生副総理は、医療絡みで、いろんなこと言っては叩かれてきたが、
基本正論、
この分野に手を付ける発言すると、歪曲されてしまう。
抵抗勢力強大だもの。

ま、それはさておき、
公平というのは、プロセスに有利不利が出ないこと。
平等、特に結果平等とは別の概念だ。

公平だと、結果は不平等になる方が普通。
公平な競技はあっても、平等なゲームってあんまり成立しないからね。

この場合、節制な努力をした人がサービスナシで、
不摂生な人がタダで享受する。
これを不公平と表現するのは、分かる。
(まあ、それでも、健康に越したことは無いと思うが、)

が、誰でも、病気になったら医療を受けられるという点が公平であれば、
実際にお世話になったかどうかは、結果不平等の問題じゃないかな。

微妙なのは、摂生と健康状態必ずしもイコールじゃないから。
病気という結果を前提に公平を論ずるのは、難しい。

不摂生という原因を確実に認定できるなら、
公平論はやりやすそうだけど。
この手の話はいつも、認定の精度の問題が離れない。

 
原因認定が出来ず、努力した人がより報われる社会を目指すなら、
麻生副総理が言うように、配ってしまうってのはアリだと思う。
認定の問題が難しいから、やるなら、自ずから、
基本配って終わりってベーシック・インカム風な方向性になるだろう。
 
 
あ、脱線するけど
ベーシック・インカムと負の所得税同一視する人いるけど、
それは、止めた方がよいよ。
個人の所得に限定して、富の再分配しようっての、無理過ぎるから。
個人の状態を所得だけで、測れないもの。
社会保障含めて、再分配論じないと。

で、測れないから配って終わり。
ジャッジ出来ないことはしない仕組みで公平性を担保する。

ジャッジの精度上げることで、公平性担保しようとすると、
行政肥大化してって、より納税者の不公平感募るよ。

まあ、
公平目指すなら、最初に一律平等にして、
可能な限りジャッジの介在を減らす、できるジャッジしかしない。

一方、富の再分配って、
そもそも、公平じゃなくて、平等目指す考え方だよね。
結果平等にもいいとこあって、安定とか繁栄とか。

ただ、こちらは、
認定の公平さ担保と、平等確保ための負担の限界、
を意識しておかないと行けない。

今回はダメな例として、イケダハヤト氏を引用する。
この人、政府へのアウトソースに頼らず、自分のコミットする問題だけ関わってく、って、
ラディカルに言い切っちゃった方がかっこいいのに、
中途半端に、行政とかに言及すると、全然ダメだねぇ。
生活保護のありがちな主張

あ、リンク開かなくていいです。
視点の統一が無く、バラバラなままつなげるから、主張がグチャグチャ。

雑にまとめると、
左派系の人がよくいう、アンチ弱者切り捨て論の域を出てない。
というか、そういっては福祉系の人に悪いね。

なんでダメか、大きいのだけ列挙しておく。(読まなくていいです。)

・生活保護というシステム自体を否定する人は基本いない。
 非難する対象が成立してない。

・「生活保護が恥」は受ける立場の人の問題。他人に向けて使われてない。
 セリフを使う文脈が違う。

・高貴なる義務はボランタリで使う話で、
 社会保障や公共システムに適用するのは雑過ぎる。

・今問題なのはシステムが適切に機能してるかどうかで、
 それスルーしていいことじゃない。

本当の社会的弱者に寄り添った視点で語るなら、
その視点で、チャントやれよ、もう。

ま、それはどうでもよくて、
なんで引用してしたかというと、平等の話をしたかった。

平等と公平についての混同の典型的な例だから。

生保受ける人と受けない人が居る、
これは不平等って話じゃなくて、むしろ公平に関わる話で、
そもそも、
富の再分配も所得税の累進も「不公平」だよ。

で、
誰もが等しく最低限の生活が出来る、っていう結果平等の為に、
どこまで、社会全体として負担すべきか、可能なのか、
また、そのプロセスが公正なのか、が議論すべきポイントじゃん。

無自覚に、公平と平等って言葉使ってると、話進まないよ。

敢えて、意識的に、
平等を「結果平等」という意味に寄せて、
公平を「プロセスでの公正さ」と定義するくらいじゃないと、

話が成立しないよ。
 
 
目指すものも、
そこで気にするべきポイントも全然違うから。

で、基本、平等を重んじてやってきたんじゃん。
比較でいえば、社会保障充実してるでしょ。
認定の公正さの問題はまた別としてね。

で、公平より、平等が好きだから、
足の引っ張り合いとか、好むんでしょ。

蛇足ながら、

社会保障も課税も軽くして、
その代わり富裕層は寄付に積極的ってのは、
より公平を重んじる社会で、

公的なシステムで保障を担保しようは、
より平等を目指す訳じゃん。

公的な社会保障システムを肯定的に論じておいて、
同時に、前者のボランタリな精神だけ喚起したいって、
いいとこ取りは、厳しいよ。

長いので、ジャンプするけど、

政府に期待せず、自前で、とか、
ベーシック・インカムとかも、

公平を重んじ、小さい政府向かう。

結果平等派には、今より厳しい社会になることが予想される。

脱お金は、
公平もどうなるか分かんないけど、
平等は更に厳しんじゃない。

お金は誰でも払えば、金額に応じた対価を得られるって、
公平性を担保してくれてる。

その公平さが機能しなくなると、
お金を配ることで平等を実現することは出来ない。
 
 
ああ、随分脱線したかな。

まあ、前提として、概念混同させないようにしないとね。


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